夢魔の見せる夢
夜の《大鴉の塔》に入場したのは先頭を歩いたゴッドフリート氏に十人の参加者、そして会場に映像を届けるための二人のカメラマン、合わせて十三人。
ゴッドフリート氏は約一時間かけて《大鴉の塔》を巡り、午後九時過ぎに元の会場まで戻ってきた。
彼らは念のために点呼を取った。ゴッドフリート氏、二人のカメラマンは言わずもがな、そこにいた。次に参加者を数え上げたところ、その数は九人だった。よって一行の総数は十二人。
一人足りない。
会場に集ったスタッフや客席は騒然となった。誰がいなくなったのだろう。いつの間にいなくなったのだろう。
最後尾にいたカメラマンは消えた女性の記憶を懸命にたどるが判然としない。ずっと前にいたはずだし、彼女は前の参加者を追い越したはずだと証言した。
しかし女性の前方にいた参加者はそんな覚えがないという。
スタッフたちは慌てて《大鴉の塔》にあるすべての照明を点けさせ、捜索を開始した。
行方不明になった女性には同行者の青年がおり、彼も捜索に加わることになった。彼はこの事態に動揺していたものの、努めて我慢強く《大鴉の塔》内のあちこちを駆けずり回った。スタッフたちも何度も互いに連絡を取り合い、隅々まで女性の行方を捜した。
だがどれだけ経とうが見つからない。普段一般が入れない侵入禁止エリアさえ、元々《大鴉の塔》に勤める《牛食い》たちが総出で調べた。探せる場所はもうない。
『諸君、落ち着きたまえ。彼女はまだあちら側に引っ張られていない』
パイプ椅子に座り、両手を組んで祈りを捧げていたゴッドフリート氏は何かの答えを得たように突然起立する。
『《大鴉の塔》の霊たちは好意をあらわにしている。彼女の運命の力が強力であれば、生者の世界へ還ってくることだろう』
それからゴッドフリート氏はスタッフが止めるのを聞かず、照明器具もないまま《大鴉の塔》の暗がりに消えた。
その十分後。彼は行方不明だった女性を連れて戻ってきた。
礼拝堂で見つけたという。
周囲にいた人々は不思議に思った。なぜなら礼拝堂はスタッフたちの手でとっくに隅々まで捜索されていたからだ。
消えた一時間に、死者の世界にいたためだとゴッドフリート氏は語る。
そんなまさかと笑う者もいたが、ゴッドフリート氏の言葉はもはや薄っぺらなものを感じることなどできようはずもない。
彼が消えた女性を一人で見つけ出したという功績が消えようはずもなく、彼への畏怖の念が自然と集まっていた。
現代は情報端末が全盛の時代である。
ゴッドフリート氏の関わったこの事件も動画という形で流出することになるだろう。
そして彼の名声も広大な情報の海にじわりじわりと流し込まれ、不特定多数の手に届くことだろうし、近く行われる議員選挙に影響を与えることだろう。
なぜなら民主主義社会では目立つ者、奇抜で突出している者はそれだけで強力な武器となる。興味を持たれること。それは選挙勝利の第一条件なのだから。
私とヘクセンは深夜のタクシーに乗車することになった。市内交通はほとんどもう動いていなかった。
無言の車内からは明るい街灯が光の帯となって流れていくのが見える。
この状況を説明するのは難しい。私には隣の青年が何を考えているのかさっぱりわからない。深刻な表情だった。
よかった、よかった無事で。
私の顔を見つけると、彼は駆け寄って私の両肩を掴んだ。私がここに存在するのを確かめるように。
ただの知人とはいえ心配かけたことは間違いがないので謝罪をすると、彼はいやと言いながら黙り込んだ。それっきり、必要事項しか話そうとしない。
テディベアは疲れたと言ってため息をついた。『マリーはリディの知らないところで頑張ってるんだからもっといたわりなさいよ』となぜか文句を言われたけれど、どうやら無事だったようなので安心した。
タクシーは数十分かけて私のアパルトマン前に止まる。運転手を待たせたまま、ヘクセンも車を降りた。
彼はじっと私を見て、「古そうなペンダントだな」と何の脈絡もないことを言う。
「え? ああ、これは……よくわからないけれど家宝みたいで」
カラスから渡されたペンダントを仕舞うのを忘れていたので言葉を濁しながらまた服の中に入れる。
「何事もなかったようで安心した。本当に気が気でなかった」
「そうですね。ご心配をおかけしました。今日はもう遅いですし、クォーツさんも早く休んでくださいね」
「もちろんそうさせてもらうよ」
「それでは私はこれで……」
踵を返そうとした私を「待って」と声が追いかけてきた。
薄暗闇の下、彼の眼光が私の躰を射抜く。
「俺としても必ずしもそういうつもりではなかったのにどうしてだろう。君がとても気になるんだ。リディ・フロベールさん、俺と付き合ってみないか?」
私の心臓は一旦動きを止めた。
なぜ。どうして。疑問の言葉ばかりが口をついて出てこようとしてくる。
だが実際にはただただヘクセン・クォーツの顔を凝視めることしかできなかった。薄い唇が大きく弧を描き、こちらを覗き込んで猫のように目を細くした。
「まんざらでもなさそうだな。じゃ、また誘いに来るから。おやすみ」
挨拶代わりに頬にキスを贈った男はまたタクシーに乗り込んで帰路につく。
夢魔が見せる夢のような夜だった。