本好きの同士
お久しぶりです。少し話が変わったので第三十九部「ムーラン・グロッタ」から読み直すことをお勧めします。
世間が選挙のことで騒がしくなりつつあるが、日常は続く。
公立図書館で借りた小説の返却期日が明日に迫っていたことに気付き、返却ついでに休日の午後、出かけることにした。
通勤とは違う路線の路面電車に乗り、最寄り駅で降りる。芝生で囲まれた公園の中に、近代的な真っ白の立方体のような建物がそびえ立っていた。
ここは国立国民議会図書館ではなく、ごく普通の公立図書館。私の行きつけの図書館の一つで、一般向けの小説類が充実している。
もちろん所蔵の規模からいえば、この図書館よりも国立国民議会図書館は圧倒的に勝っているのだが、国立国民議会図書館は資料保護の観点から個人への貸し出しは認めておらず、ほぼ閲覧のみに限っている。家でじっくり本を読みたいのならば公立図書館から借りるのが一番いい。
本を返却した後、一、二時間ほどかけて次に借りる本を物色するうちに、本棚の隙間から知った顔を見る。こちらに気付く様子もなく、熱心に目の前の本棚を眺めているようだったので、声をかけずに通りすぎる。
ふと思い立ち、絵本コーナーまで来た。その隅の方でバッグの口からテディベアの頭を出してみる。息をしているわけでもないのに、ぷふぁ、とテディベアのマリーは小さな声を漏らした。
「なにここ」
「うーん、絵本のあるところ?」
何冊か適当に抜き出した後、マリーにも見せる。
「この間、うちにあった昔の絵本を熱心に眺めていたでしょ? 暇つぶしにでもどうかと思って」
「ふ、ふーん……」
マリーはそれ以上何も言わなかった。つまり、嫌じゃないということだ。そこでマリー用の絵本も付け加えて、自動貸し出し機で本を借りる。
外に出ると清々しい空気が流れていた。芝生には家族連れやカップルが思い思いに休日を過ごしている。次に何をしようかと考えていたところ、ふと視線を感じて、振り返る。
木陰のベンチで本を広げている人と、ぱっちり目があった。絵本コーナーに立ち寄っている間に、外に出てきていたらしい。
さすがに無視できないのでそちらに向かう。彼も読みかけの本を片手に立ち上がっていた。
「こんにちは。クォーツさんもお休みですか?」
「そうだよ。フロベールさんは本を借りに? こんなところで会うとは思わなかったな」
シャツの長袖の裾をまくったヘクセンは本を後ろ手に隠すようにしていた。
「それは私もですよ。本好きとは知りませんでした」
ヘクセンはかなり大柄に入る体格だ。上着を着ていない状態だと、そのシャツの下の筋肉がかなり鍛えられているものだとわかる。職業柄、きっと格闘技なども嗜んでいるに違いない。
偏見かもしれないが、彼のような人物が真面目に本を読み込んでいるのが意外に思えたのだ。
「何の本を読まれるんですか?」
ああ、いや、それは、と彼は歯切れが悪い。人差し指でこめかみを掻いている。
「まあ、ちょっと、言いにくいんだが。笑わないでもらえるか?」
「は? ええ、笑いませんけれど……? というより、図書館員をやっているのにそんな態度はできませんよ」
「そうか。そうだよな」
彼は安心したように笑う。一体、どんな秘密が明かされるというのか。
すると彼は後ろに隠していた本を私に見せる。それは最近、ベストセラーになった恋愛小説だった。テーマは『思春期の男女の甘酸っぱい恋と純愛』。
思わず、「へぇ」と感心したような息が漏れる。
「私もたまに読みますよ。普段はミステリー小説を読むことが多いんです。その本は面白いですか?」
「面白い。主人公の少女の行動がいじらしくてきゅんと来るんだ」
「……きゅん?」
「な、なんだよ」
頰にうっすらと血を上らせるヘクセン。
どうしよう、この人すごく面白そうだ。
「いえ。夜に会うことが多かったですけど、昼間は健全ですね?」
休日に図書館で会う。一点の曇りもない健全さで妙に安心できる。
「何を言う。夜だって健全だ。フロベールさんに手を出したこともないじゃないか」
「それは当たり前です」
「当たり前なのか」
一瞬、ぽかんとした彼が、おかしそうに笑った。
「今日は運よく休日なんだ。せっかくだからどこかに行く? 君も」
そう言って視線を投げたのは、カバンから飛び出したテディベアだ。
『ふふん。わかっているじゃない』
嬉しそうにしている。
「残念ですが、私、行きたいところがあって」
「聞いてもいいか?」
『《大鴉の塔》よ』
私が言う前に、彼女が答える。
『リディは厄介な問題を抱えていて、その解決に必要かもしれないから。だから行くの』
「《大鴉の塔》と言えば、確か今日は……」
「交霊会です。ブラックロペス・ゴッドフリート氏の」
彼は何かを思案しているようだった。
「ゴッドフリート氏……は、あやしげじゃないか? 自由に観覧できるのか?」
「確か、そう聞いています」
「そうか、なら俺も行く。俺も気になってきた。何時からだ? さっそく行ってみよう」
「え、え?」
彼はぐいぐいと私を引っ張った。こうして、行こうかどうか躊躇っていたはずの《大鴉の塔》へ行くことになったのだ。