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不穏

 食事の間に事情を説明すると、レオ青年は食事の皿にあるソーセージの切れ端をフォークでつついた。

 今日の夕食は数種のソーセージに蒸したポテトを付け合わせたものに、ポタージュとパンというシンプルな取り合わせで、見たままの素朴な味わいだ。

「『みつけた』とはヤバげな雰囲気っすよ。ミステリーでなくてオカルトっすよ、オカルト」

 慰めの言葉をかけたと思いきや、不安を煽るようなことを言う。率直なのはいいがもう少し思いやりが欲しかった。

 シャンデリアの温かな明かりの下、主人のいない小さな食卓で向かい合わせになる。部屋の大きさに比して食卓が見合っていないためか、どこか寂寞の感が漂っている。

家政婦さんは私たちの食事の支度を終えた後に早々と帰っていったという。私は一度も会わないままだった。外は雨混じりの風が吹き続け、もう何も見えない。

「それならもう私は呪われているのですね」

「え、いや、その。すんません」

 発言のまずさに気付いた彼がうなだれた。私としては純粋に疑問に思って発した言葉であったけれど。

「いったい、何を見つけたんだと思う?」

 話の水を向けると、彼は肩をすくめた。

「やっぱり手記関連っすかね。俺が触った時は何も起こらなかったんですけどね」

「相性もあるのかも」

 たとえば、私がマリー=テレーズの記憶を持っているからだとか。

あるいは、昔からおかしなものを見聞きする体質と関係しているのか。

「ちなみにリディさんはそういう話は信じますか?」

「どちらかと言えば信じてる。世の中は広いから」

「わりとアルデンヌでは信じている人も多いっすよね。昔話や民話にもやたら幽霊が出てくるし。あの手記にも死者の妄念が染みついたりして」

「それか、『死者の宝』かもしれない」

「『死者の宝』?」

 不思議そうな顔になる彼に説明する。

「フランスのブルターニュ地方にある民話にあるの」

――とある女性が幽霊に導かれて彼が生前集めた金貨を手に入れるが、家に持って帰っていったらやがて死んでしまった。なぜなら死者の宝を得ることは見返りに自分の命を差し出さなければならないから。その金貨は死者の宝だったのだ。

「夫に金貨を返してくるように言われて元の場所に戻したはずなのに、すぐにまた彼女のクローゼットに戻ってきてしまったそうですよ」

「なにその怖い話」

 彼は自分の両腕をさする。

「レイマンさんは今まで何もなかったんだからこれからも問題ないと思いますよ」

 問題は私の方だ。「みつけた」と告げられた私には、今後も何かが起こるような気がしてならない。

 彼は元気を出すようにことさら明るい声を上げた。

「そうだ。リディさんは明日どうします? 手記の調査を続けますか」

 私も彼の調子に合わせた。

「そうですね、今回は書誌カードの作成までは終えておきたいところです。明日は昼ぐらいに切り上げて、夕方の列車で帰ります。それまでには嵐も過ぎ去っているでしょうし」

「すみません。本当はリディさんに手記をお預かりしてもらって、きちんと見てもらった方がいいのに。おばちゃんが神経質なものだから」

「それはいいんです。どうしても書物の調査には所蔵者の意向が大きく反映されるものですから。慣れています。破損してしまったところで私たちに責任が取れきれるものでもありません」

「そうっすね。鑑定を先生にお願いする時や《レポジトリ》上にデータを取り込む時も大変でした。俺がおばちゃんに『最初で最後だから』と押し通してどうにかしたんすよ。俺がイーズにいるせいか、とてもかわいがっていますからね。ただちょっと」

 うーん、とレオ青年は言いづらそうに口ごもる。

「あの書斎、おばちゃんが気に入っていないからなあ。おじさんが死んでから寄り付かないし、やっと目を向けたと思ったら改装工事で書斎を潰すと言うし。今は手記のことでタイミングを逃しているだけでそのうちまた改装をはじめるつもりだと思う」

「もったいないですね。風情のある書斎だったのに」

 これには彼は力強く肯定した。

「でしょ! でもおばちゃんはわかってない! 金糸雀館(カナリアハウス)そのものも歴史あるものですし、あの書斎を目玉に外部に公開すればそれなりに人も集まってくるのに。維持費用も馬鹿にならないからおばちゃんにとっても悪い話ばかりじゃないんすよ。俺が何を言っても今はダメです」

 彼が残念そうな顔を見せる。

「やっぱりおじさんとの思い出が大事なのかな。二人だけで共有してきたものもあっただろうし、亡くなってからおばちゃんは雰囲気が変わったんすよ。俺が子どもの頃はもっと快活な人でした。だから心配です。それもあってちょくちょく顔を出すようにはしているんすけど」

 食事を終えたところで、外のカーテンを開けてみた。窓に叩きつけられる雨音が一段と強くなっていた。カタカタと窓が鳴る。

 背後のレオ青年が「あれ?」とあちこち歩きはじめた。

「リディさん。ルチア知りません? ポメラニアンの」

「いいえ。しばらく見かけていませんが」

「そうっすか。そろそろケージに入れておかないと。おばちゃんから頼まれているんすよ。食堂の近くにいると思ったんだけれどなあ」

「館のどこかにいるんですよね。手伝いましょうか」

「お願いしてもいいっすか。俺はこの一階を回るんで、リディさんは二階の方を。廊下をぐるっと回ってもらえればいいんで」

「わかりました」

 私たちは二手に分かれた。階段を上がる。ぽつんぽつんとオレンジ色の薄暗い照明が毛氈の敷かれた廊下に濃い影を落としていた。

 一階も二階もほぼ一直線の廊下だが、壷や彫刻、時計といった調度品が並んでいるので死角がたくさんある。そういったところを確かめていけば、視線の先でドアが開いた。

「……あら」

「こんばんは」

 私は現れた老婦人に挨拶した。彼女の顔色は悪く、頭痛をこらえるように頭を押さえている。

「調子が悪いと伺いましたが」

「ええ。ごめんなさいね。あなたをここに引き留めておきながら、結局、あまりお話もできないなんて」

「お気になさらないでください。こんな古い館に宿泊なんて滅多にできないことですから」

「そう言っていただけると気が休まるわ。ところでフロベールさんは何をしていたの?」

「犬を探していたんですよ」

「ああ、あの子。そうね、頼んでいたのだった」

 彼女は気のない声を出した。二度、三度ゆっくりと瞬きをしてこちらを見るが、焦点が合わない。

「どこに行ってしまったのかしらね。困った子。……だめね、頭がズキズキ痛むわ。わたくし、今日はもう休ませていただくから、フロベールさんは眠っていらして」

「レイマンさんにも伝えておきますね。おやすみなさい」

 老婦人もおやすみなさい、と返して部屋に引っ込んだ。あとは書斎のドアがきちんと閉じてあることだけ確認して一階へ降りた。階段の傍でレオ青年が待っていた。

「二階にもいなかったすか?」

「はい」

「困ったっすね。外にでも行ったのかな」

「戸締りはしてあったのでしょう?」

「家政婦さんがあらかじめやってくれていたでしょ。俺も犬が出ていけそうなところは全部見ましたが、外に通じる扉は全部閉じてありました。だから食事中も安心して放してあったんすよね」

 念のために玄関ホールに向かう。すると、入り口の敷物がぐっしょりと濡れていた。

「あれ? 濡れている……。雨が降ってからここを通った人はいないはずなのに」

「家政婦さんたちは?」

「裏の勝手口を使っているんすよ」

 彼は何気ない様子で玄関扉の内鍵を開け、真鍮のノブを持ったまま力を入れて引く。すさまじい風が小さな竜巻のように私たちの髪を巻き上げ、ぱらぱらと服に水滴が散った。次の瞬間、鮮明になった雨音とともに小さな塊が鉛の弾丸のように飛び込んできた。

「ルチア!」

 水で濡れそぼった小さなポメラニアンを彼が抱き上げた。彼の着ていたグレーのシャツが色濃く染まるが、顔には安堵の表情を浮かべている。

「おぉ、どうしたんだよ、オマエ。どこに行っていたんだ? こっちは心配していたのになー?」

 ポメラニアンの頸についていたサテンのリボンは水を吸って重たそうに垂れ、獅子の(たてがみ)のような毛もへしゃげており、一回りも二回りも小さくなった身体は怯えたように震えている。

「見つかってよかったですね」

「ご協力ありがとうございました! おばちゃんに怒られずに済みそうっす。それじゃ、俺はコイツの身体を冷やさないようにバスルームに連れていきます。おやすみなさい、リディさん」


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