第五話 宿なし
それからあれよあれよと話しは進み、すぐに俺は学園から解放された。
アクリルとともに第五結界都市のメインストリートを歩いていく。
結界の外は、凶悪な魔物がはびこっていたが、現在俺たちが歩いている地区には、それを微塵も感じさせない穏やかな空気があった。
貴族などの富裕層の多くが、この地区に暮らしている。
学園のある中央区から十分ほどのここには、学園に通う生徒も多く住んでいた。
綺麗な高層建築群が立ち並び、道路には一定の間隔で街灯が置かれていた。夜になったにも関わらず、街は明かりを持たなくても歩けるほどだた。
夏の蒸し暑さが残っていたが、日差しがないだけ随分とましだった。
……アクリルを家に送っていくという話であったが、さすがにこの地区で悪さをしようとする輩などほとんどいない。
と、向かいから騎士の紋章をつけた男が歩いてきた。
彼は俺たちの目を一瞥してから、顔をしかめる。
彼が横を過ぎる時だった。
「混血が、ここを歩くなよ」
吐き捨てるようにいって、騎士は去っていった。
ここは行政の建物が並ぶ行政地区と呼ばれているが、同時に貴族たちの家も立ち並んでいる。だから、貴族街とも呼ばれていた。
そんな場所にアクリルの家があるのは、ひとえに彼女の両親が優秀な探索者だったからだ。
この時代の貴族の爵位は、探索者としての功績で授かることができる。
騎士、か。
先ほど過ぎていった彼を思い出す。
決して、彼が悪いのではない。彼のような態度をとることが、この時代の常識になってしまっている。
混血と純血はそんな関係だ。
その圧倒的格差が起きているのは、混血が弱いから。
あはは、と苦笑いを浮かべるアクリル。
彼女は我慢を覚えている。……子どもなんだからそんなこと気にする必要はないだろう。
どうにか、していかないとだな。
苦しんでいる人たちを助けられるだけの力を、俺は持っていると思う。
この時代の混血たちを救うには、力をつけさせるしかない。お互いの関係が、対等になれるように。
と、アクリルの携帯が可愛らしい音楽をあげる。確か、若者の間ではやっているというアイドルの歌だ。
彼女は携帯電話を取り出しながら、思いだすように呟く。
「そういえば、初めてのときはスレスさん凄い驚いていましたよね。『敵襲!?』とかなんとか」
「……恥ずかしいことを思い出させないでくれないか」
「ふふ、別にそんなことありませんよ」
……だって、おまえ。
目覚めてこれだけ科学技術の進んだ世界に、俺がすぐに対応できるわけないだろ。
テレビなんて、箱の中に人がいるのだと思っていたし、携帯の音が響いたときは、何かの合図なのかと本気で思ったほどだ。
「……あー、メイから連絡です」
うぐ。そういえば、助け出してから連絡してなかったな。
俺が携帯を取り出すと、そこには何件も連絡がきていた。
『何かお嬢様に関して進展はありましたか?』
『どうかされたのですか、スレス様?』
『どうして返事をくれないのですか?』
『返事をください』『どうしたのですか』『お願いします』
グループチャット機能のついたアプリに、そんなメッセージが連続で来ていた。
……すまない。と返事をしておいた。
アクリルが電話に出ると、泣き叫ぶような声が響いた。
別にスピーカーモードにしているわけでもないのに、それほどの絶叫。どれだけメイがアクリルを心配していたのかがわかる。
本当に申し訳ない……。あとで彼女の好きなパフェでもクレープでもなんでも奢って機嫌を治してもらうしかないだろう。
「というわけで、スレスさんに助けてもらって、今は家に向かっているところです」
『スレス様ぁぁぁああん?』
語尾のほうがヤンキーのように吊り上がった。
アクリルが困った顔で笑ってから、俺のほうに電話を差し出してきた。
受け取って、「すまない」……と第一声をあげるとそれからぐちぐちと小言をぶつけられる。
「わかった。クレープ食べ放題の店だな……了解だ……」
「……」
むすっとした顔でアクリルがこちらを見てきた。
……彼女の感情の変化については少々わからなかったが、とりあえずメイの機嫌も多少は持ち直した。
アクリルに電話を返すと、スピーカー状態になったまま声が響く。
『アクリル様。今夜はもう遅いですし、スレス様に泊って行ってもらったらどうでしょうか。夕食も、多めに作ってしまいましたし……、あ、それともスレス様の家で二人きりの夜を過ごします?』
「ば、バカなこと言わないでください! ……スレスさん、どうしますか?」
「泊めてくれるというのであれば、俺は別に構わない。むしろ、世話になるほうだからな」
「それじゃあ、メイそういうことでお願いしますね」
嬉しそうにアクリルがぴょんとはねた。
自分の家が見つかるまでは、アクリルの家で世話になっていた。
まだ一か月前の出来事だが、懐かしいな。
『お任せください。ご両親が使っていたベッドも、きちんと整えておきますね!』
「何を言っているのですか!」
『何を……というのはですね。ほら、男と女が一つ同じ部屋ですることといえば……』
「誰も詳しい説明は求めていないですっ! もういいですから、電話切りますね!」
『はい。……本当に心配したのですからね。無茶はしないでください』
「……ごめんなさい」
そういって、頬を赤くしたままアクリルは電話を切った。
……メイの調子もすっかり戻ったようだな。
「もともと、アクリルが帰ってこないと、メイから連絡を受けていたんだ」
「……そうでしたか。本当に、ありがとうございました」
お礼なら、メイに言ってくれ。
彼女からの連絡がなければ、俺は非常事態にも気づけなかった。
しばらく歩くと、アクリルは手に持っていた携帯に視線を下ろし、口元を緩めた。
「そういえば、スレスさん。メイからの電話に問題なく出れましたか?」
「……当たり前だ。慣れればどうってことはない」
「初めてのときは、逆に持っていましたもんね」
そりゃあ仕方ないだろっ。
使い方を知らなかったんだからっ。
逃げるように歩幅を広げると、すぐにアクリルの家についた。
他の家と同じく、大きな二階建てだ。結界都市の規模も影響してか、貴族の家は昔ほど大きな敷地を持っているわけではなくなった。
そんな貴族たちは、それでも家の力を誇示するために、力を入れている。外観やペット、身に着けている衣服などだ。
貴族街の家は目立つ装飾がされていたのだが、アクリルの家はそういった類のものはない。
だからと言って貧乏だった、というわけではない。アクリルが今も一人で暮らせるのは、両親が残したお金があるからこそだ。
そんなアクリルの家にあがると、メイド服を着た少し背の低いメイが出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、旦那様、若奥様」
ぺこりと頭を下げながら、メイがにやっと笑った。
〇
アクリルの件から数日が経過した。俺を教師として雇う話はそこから進展はしていなかった。
朝。殴りつけるようなノックが部屋に響いた。……こんなアラームは用意していねぇぞ。
……そんな緊急の用事で呼びつけるような奴がいただろうか。
そもそも、それほど俺の家を知っている人はいない。
それになにより、俺の家に来る前に連絡をしてくるはずだが、俺の携帯に一切の着信はなかった。
疑問に思いながらインターホンの画面を見る。スーツこそ身に着けていたが、柄の悪そうな男が二名、そこにはいた。
このまま居留守をしたくなったが、仕方なく受話器をとる。
「どちら様ですか?」
『俺はここのアパートのオーナーに雇われているものでして、あなたをここから退去させるよう命じられてここに来ました』
退去? 一体何事だ?
受話器越しで解決できるような話でもなさそうなので、俺は仕方なく玄関に向かった。
直接見ると、刈り上げられた頭髪に目がいった。
「それで、いったいどういうことだ? 俺がこのアパートを退去になるというのは……」
「あなたが、混血のスレスですね」
相手は俺の瞳を見るや否や、態度をあからさまに変えた。
それでも口調だけは仕事中だからか、丁寧なものだ。
しかし、彼らの顔の傷を見るに、最悪実力行使、ということも考えられる。
「そうだが……」
「あなたは先日、とある貴族に手を出した、という話があがっています。こちらのオーナーとその方が知り合いでしてね……まあそういうわけですよ」
……なるほどな。
彼の言葉でぴたりとすべてがはまった。
この前、アクリルの件で少し暴れてしまった。そのときに手を出した貴族の一人が、俺の住んでいたアパートのオーナーに声をかけ、そうして今に至るというわけだ。
仕方ない。あれは俺の落ち度である。
ここで何を言っても、現実が変わるわけもないだろう。
どうせ大して荷物はなかった。
着替えだけをカバンに詰め、俺は家を後にした。
……とはいえ、だ。
いきなり放り出されるとなると、生活する場所に困る。
昔のように冒険者向けの宿があるわけではない。
あるとすれば、い、いかがわしいホテルくらいだ。
……どこで暮らそうか。
こんなときに連絡できる相手は――まず俺が知っている連絡先が、リーム、クロン、アクリル、メイの四人だけだ。
リームはもしかしたらどうにかしてくれるかもしれない。……その見返りでまあサキュバスの好物が要求されるかもしれない。
アクリルとメイは……ダメだな。こんな情けない姿を彼女らに見せたくはない。
クロンの番号を呼び出すと、間もなくつながった。
『なんだぁ……?』
眠たそうに電話越しであくびをしている。
……もう午前九時を過ぎている。
そんな非常識な時間ではない。
「すまない。しばらく……俺の新しい家が見つかるまで泊めてはくれないか?」
『……どういうことだ?』
事情をざっと話すと、彼からの返事は――。
『そうか、そういうことがあったのだな。まあ。聞いておいてあれだが、僕の家は一人暮らしが精々だ。うちは無理だな』
「……そうか」
『……一応、知り合いに声をかけてはみるが、期待はするなよ』
「わざわざ休日にすまない。あとで何か奢らせてくれ」
『別に混血に奢られたくはないな』
ぶつっと電源が切れた。
その日は一日、街を見て回った。
街で時間を潰し、夕方になったところで電話がかかってきた。
『知り合いに声をかけてはみたが、混血はお断りといわれてしまったよ』
「そうか……」
『……まあ、最悪一日くらいなら泊めてもいいが』
とはいえ、平日のクロンはいつも忙しそうにしている。
そんな彼の休日を邪魔するのも、な。
「あれ、スレスさん?」
アクリルが声をかけてくる。彼女の隣にはメイもいる。二人とも私服で、おでかけのようだ。
なんてタイミングだ。思わず詰まったような声が出てしまう。
「……いや、今日はどこかの店で時間でも潰そうと思う。色々ありがとな」
『……そうか。それじゃあ、まあ、困ったら……連絡してこい。仕方ないが、面倒をみてやる』
……やっぱり優しいよなクロンは。
電話を切り、アクリルに向き合う。
「どうしたのですか、結構な大荷物ですけど……」
……確かにちょっと出かけるにしては、カバンは目立つ。
着替えくらいしかないとはいえ、うまくたためず、膨らんでしまった。
「いや、ちょっとまあ色々あってな。それじゃあ」
「ちょっと待ってくださいスレス様」
がしっと、腕を掴まれる。
にやぁ、とメイの表情が緩んだ。
「もしかして、宿を探しているのですか?」
「うぐ」
なんでメイはこんなに鋭いんだ。
思わず声が出てしまい、アクリルも首を傾げた。