第三話 自分よりも大切なもの
俺はまとめたゴミをゴミ捨て場として使っている倉庫にしまってから、職員室へと向かう。
報告書を提出して勤務は終わりだ。
職員室に向かうが、中はいつもどおりだった。
俺が暴れていたことは多くの生徒たちが見ていたが、まだ伝わっていないのだろう。
職員室の教師たちは、俺を見て、馬鹿にしたように一瞥してからそれぞれの仕事へと戻る。
そんな彼らの横を過ぎていき、知り合いに声をかける。
「クロン。ちょっといいか?」
「うん? なんだ?」
クロンは煩わしそうな声をあげ、パソコンに向き合っていた。
利発そうな顔つきの彼は、ずれたメガネを直しながら、時々犬耳をぴくぴくと揺らす。
彼は純血の亜人だ。あまり混血は好きじゃないため、目を合わせようともしない。それでも、他の混血に比べれば、全然ましだった。
「今日の報告書だ。体育館裏のゴミが相変わらずひどかったな」
「そうか。ご苦労だったな。今日の仕事はこれで終わりだ。さっさと帰るがいい」
俺は記入しておいた報告書を彼の机に置く。
学園長がくる前にさっさと逃げようと思っていると、職員室の扉が開いた。
「スーレース、いつも言っているわよね。私にちゃんと報告してって」
楽しそうな声で、学園長が入ってきた。
女性用のスーツに身を通した彼女は、それを大胆に着崩していた。
肌は青紫色で、背中には立派な翼があった。
学園長はサキュバスの亜人だ。
「リーム学園長……あなたは自分の立場というものを……」
クロンがメガネをあげながら椅子を回す。
リームはそんな彼に軽くウインクをする。途端、学園長のはなった魔力が職員室全体へと流れる。
サキュバスが持つ魅了の魔法だ。完全にのまれたクロンは、リームにそれ以上なにかを言うことはなかった。
ただしきりに鼻の下を伸ばして、はだけた胸元を見ていた。
……俺はこの人が苦手だ。
騎士としてずっと戦ってきた俺は、あまり女性の免疫がない。
「やっぱり、スレスには効かないのよねぇ。生まれつきだっけ?」
「あ、ああ、まあ……そんなところだな」
魅了魔法の解除は簡単だ。体内へと侵入してくる相手の魔力を追い出せばいいだけだ。
ほぼ無意識に使用していた俺は、初めての彼女の対面で魅了されなかった。
今までそんなことなかったと、リームに偉く気に入られてしまい……まあ、少し普通の生活からはかけ離れたものになってしまった。
リームがべったりと抱きついてきて、胸やら何やらが当たる。顔が熱くなる。職員室にいる教師たちからの嫉妬の視線が増えた気がする。
「リーム……だから、あんまりこういうのは……」
「えー、別にいいじゃない。あなた、全然魅了されないから、落ち着けるのよ」
「……落ち着けるって。俺を休憩所のように扱うのはやめてくれねぇか」
上機嫌に笑うリームに、俺はたじたじになりながらなんとか答える。
……さっさと家に帰ろうか。
逃げる理由を探していると、俺のポケットが震えた。
相手は……メイだ。アクリルの家に勤めているただ一人のメイドだ。
彼女から直接連絡がくるのは珍しい。
電話に出ると、何やら焦りの混じった様子の声だった。
『あの、スレス様。夜分遅くにめんごめんご。……そっちにアクリルお嬢様いません? ああ、いえ。そちらにいまして、ちょっと人には言えないようなことをしているのであればそれはそれでいいのですが』
いやよくねぇっ。
メイはメイドとは思えない横柄な態度で主人であるアクリルをからかうのが生きがいというような人間だ。
そのメイが慌てた様子でまくしたててきた。相変わらず、ご主人様と俺をからかう口ぶりではあったが、違和感は拭えなかった。
「すまない。俺は今一人だ。……アクリルを見たのは学園で彼女が大切にしていたキーホルダーを探しているときだったな」
『そう、ですか……まだ、探しているのでしょうか? 連絡しても繋がらなかったので少し心配をしていまして』
「……ちょっと、待ってくれ」
先程の純血たちは、言っていたな。
……アクリルが泣きそうな顔をしていた、と。
その前にあったアクリルは、まだ泣きそうな顔ではなかった……。
もしも。もしもだ。
あの男たちが、アクリルに真実を伝えていたとしたらどうだ?
彼らの口ぶりからして、それもない話ではない。
最悪の形で、メイの心配の返答が出てきてしまう。
『どうしたのですか、スレス様?』
「……アクリルが大事にしていたキーホルダーなんだが、どうにも街の外に捨てられたらしい。……それを探しに行っているのだとしたら」
『そ、そんな……これから夜になるのに、まさか……街の外に!?』
可能性がないわけじゃない。
俺は電話をかけたまま、駆け出そうとして、腕を掴まれる。
「どういう話かしら?」
「……アクリルが、外にいるのか?」
「……ああ」
クロンとリームが顔を見合わせ、それからすぐに身支度を整える。
「混血のあなた一人では外になんて行かせられないわ。まして、これから魔物が凶暴化する時間よ」
「僕は、あくまで生徒を探しにいくだけだ。おまえの協力をするわけじゃないからな」
……まあ、別に俺一人でもいいといえばいいのだが、きっとそれを止められるだろう。
クロンがなんだかんだ言って面倒見がよく、優しい男だ。多少、素直ではないが。
「……そうだな。すぐに向かおう」
リームは教頭に事情だけを説明し、クロンはパソコンの電源を落としてから、学園を飛び出す。
すっかり暗くなってしまった。魔物が狂暴化する時間、か。
「移動はどうする?」
「私の風魔法を使うわ。怖かったら抱きかかえてあげるわよ?」
「大丈夫だ」
車での移動も考えたが、この時間は帰宅ラッシュで混んでいる。
リームが魔法を発動すると、俺たちの体が浮き上がる。
まっすぐに、俺たちは学園の外と中をつなぐ壁へと飛んでいく。
同時に、俺は彼女らに魔法をかける。加速の魔法で、一気に移動する。
「あ、あれ……? なんだかおもっていたよりも早くついたわね」
「それならよかった。すぐにアクリルを探しにいこう」
首を傾げるリームをそのまま誤魔化して、門へと向かう。
この街は第五結界都市と呼ばれている。街を守る外壁には強力な結界が作られている。
飛行で移動するのはいいが、結界の影響で門を使わないと外には出られない。
門の前で一度着地して、門番の男へと近づく。
リームが魅了を若干混ぜながら事情を説明すると、すんなりと外に出ることができた。
……きっと、俺一人ではここで足止めを食らっていただろう。
外に出てすぐに足跡を探す。鬱蒼と茂る木々は、侵入者を拒絶するように不気味だった。
魔力や霊力を探知したくても、街の外は人ならざるもののが満ちてしまっている。
それが妨害していて、正確に探知できない。
俺は近くの木々に触れ、時間魔法を発動する。
木々が見た過去の映像を取り込んでいく。記憶は不鮮明だ。飛び飛びになっていることもあり、把握するのに時間かかる。
いくつかの断片的な過去の映像から、アクリルの姿を見つけた。
アクリルが進んでいった方角がわかり、そして……大体の居場所を把握した。
一瞬で大量の情報を読み取ったことで、脳がパンクしそうだった。
「こっちだっ」
叫んですぐに駆け出す。
二人は驚いた様子ながらも他にあてもないため、俺の後をついてきてくれた。
真っ直ぐに駆ける。……夜の森は声の主のはっきりしない音があちこちで響き、クロンが時々悲鳴をあげていた。
俺も同じ気分だ。虫があまり好きじゃないからな。さっさとアクリルを見つけ出して、家に帰ろう。
魔物の唸り声がきこえる。
近くの過去を見て、この先にアクリルがいるのがわかった。
ただ、同時に嫌な映像を見てしまう。
……巨大な狼のような魔物が、アクリルの後を追いかけるように動いていたのだ。
駆け足で向かうと地響きのような音が響いた。
少し開けた空間、そこでアクリルは巨大な黒い狼と戦っていた。
……いや、戦っていたというよりは必死にやられないように逃げているというのが正しいか。
エンシェントブラックウルフは、アクリルをじわじわと追い詰めていた。まるで、一方的な狩りを楽しむかのようだった。
「こいつは……エンシェントブラックウルフか!?」
クロンが驚いたように声を荒げる。エンシェントブラックウルフと呼ばれる、巨大な黒い狼がこちらに気付いた。
にやりと、口元が歪んだ。だらだらと唾液が漏れ出している。餌が増えた、とか思っているのかもしれない。
リームも同様に顔をしかめていた。俺の顔をちらとみて、説明するように言った。
「……先日、プロの探索者たちで編成したパーティーが何かの魔物によって全滅したのよ。皆、体を切り裂かれたような傷を持っていたわ。国で、討伐部隊が編成されている、ところなのよ……」
それが、こいつ、か。
エンシェントブラックウルフが声をあらげ、アクリルへと飛びかかる。
クロンが火魔法を放ち、エンシェントブラックウルフとアクリルの間を横切らせた。
「まずは、こっちに注意を――」
言いかけたクロンの体が吹き飛んだ。
エンシェントブラックウルフは前足を振り上げた。
次の瞬間だった。
刃が放たれ、クロンの体をいともたやすく切り裂いたのだ。
血を吹き出しながら宙をまうクロン。
リームが慌てた様子で彼を助けようと駆け出すが、俺はそんな彼女を押し倒す。
リームの頭上を風の刃が抜ける。
……あと一瞬遅れていれば、リームもクロンと同じ道をたどっていただろう。
「あ、ありがと……スレス。私が時間を稼ぐわ。その間に、アクリルとクロンをつれて――」
「いや、ここは俺がやる」
ためらいがあった。
この時代で親しくなった彼らの前で力を行使することに対して。
ただ、ここで彼らを失うのはそれ以上に後悔する。
……嫌われたとしても、彼らに生きていてほしい。
俺はクロンが倒れている空間に干渉し、その空間にあるものすべての時間を巻き戻す。
深い足跡のついた土はもとに戻り、崩れた木々も元の一本に戻る。
もちろん、クロンの傷もだ。
意識を取り戻したクロンが体を起こした。不思議そうに自分の体を見ていた。
俺はリームの体をクロンのほうにとんと押す。
クロンがこぼした剣を拾い上げてから、エンシェントブラックウルフへと向ける。
「スレスっ、何をするつもり!? あなたは混血で――」
リームが止めるように叫ぶ。
それに反論するより先に、エンシェントブラックウルフが風の刃を放つ。
時間魔法・再現。
エンシェントブラックウルフが先程放った風の刃をそのまま過去から取り出し、放つ。
それが俺の時間魔法の真骨頂だ。
同じ威力の風の刃がぶつかりあい、相殺される。
エンシェントブラックウルフの表情が険しくなる。俺はそいつに向かって、視線だけを返した。
「なんだ……今の高レベルの魔法は……」
「スレス、あなた一体――」
……これで俺の日常は終わりだ。この街にはきっといられなくなるだろう。
それでもいい。ここで、彼らが死ぬのは絶対に嫌だ。
寂しさと悲しみを覚えつつ、力を振るう。