正妃 エルジュランド
1
悪女がいる。
稀代の偉大なる王といわれた王の正妃 エルジュランド
彼女は王が王太子の時に、側室に授かった子供を殺した。
残酷な方法で毒殺し、その亡骸は獣に食い荒らされた状態で発見された。
犯人を断定するその証拠はなく、事実は闇に葬られた。
嫉妬に狂った正妃が己の権力を維持するために行ったのではないかと史跡には綴られている
子どもは跡取りとなる王子であった。
王太子妃は側室に子供ができた時にその立場を下ろされた。
王太子の側近、宰相が暗躍したともいわれる。宰相は王妃擁立時に反対した人物であった。
王太子妃は側室に身分を落とされ、その身は都から離れた離宮に送られた。
事実上、側室を解雇されたも同然の処置であった。
恨みに思い、また王の愛と権力を取り戻すために元王太子妃は動いた。
側室と王子が殺された後、王となった王太子の正妃となりエルジュランドは再びに返り咲く。
そして、その後に、子供を授かることとなる。
その子供が現国王である。
大国は穏やかに、戦をすることもなく外交を行い、貿易による収益で栄えた。
ひとえに前国王の精錬実直な人柄と、政治手腕によって礎はつくられたといわれている。
悪女、エルジュランド王妃は稀代な優れた王の妻として、王と共に歴代の王墓で眠っている。
2
側室が懐妊した。そして私は王太子妃の座を追われた。
今、王都から一番遠い離宮に送られているところだ。
王宮から出るときに宰相が手を振って見送ってくれた。
「お元気で、また、機会がありましたらお会いできると思います」
「ありがとう」
「道中気を付けて、まだ側室の暗殺者がいるかもしれませんが、護衛をしっかり付けましたのでご安心ください」
にっこり笑い、手を振って宰相に別れを告げた。宰相は少し寂しそうな顔をするとそのまま私を振り返ることなく立ち去った。
宰相は私の幼馴染である。
同じ学園で学び、同じ専攻科目を履修、お互いに競争相手でもあった。
彼は侯爵家の出であり、私は伯爵家である。しかし、私の家は歴史も古く、国に尽くしてきた実績の高い家柄で侯爵家にも引けを取ることはなかった。それもあり、私たちは対等に付き合ってきたのだった。
今回のことで彼は見事に力になってくれた。
私の大嫌いなあの王太子から逃がしてくれたのだ。
側室の家は王家に近い公爵家、王は本来彼女を王太子妃にするべきだった。そうしていればこんな面倒くさいことにはならなかった。
側室の家からは絶えず、命を狙われ、子を宿さぬように見張られていた。
面倒くさかった。王太子のまとわりつくような執着心が。
王太子は幼少時から利にさとく、聡明で、人の気持ちをつかむことに優れている人だった。
金の髪にエメラルドの瞳を持ち、いつも周りを囲まれるような温和な人物。その容貌は落ち着きがあり眉目秀麗、また人の心を落ち着かせる声音をしていた。
生まれながらに人を納得させる力があり、王としての資質を十分に備え、常に羨望のまなざしで見られ、彼に恋する令嬢も自国、他国問わず、多かった。
私と宰相も彼とは幼少時からの付き合いである。
私たちからすれば、完璧な人間はこの世の中にはいないことを体現して教えてくれたのは彼だ、という認識である。
理路整然とし、落ち着きのあり威厳を備えた話し方。彼は相当に努力していたのだ。
私たちも成績は良かったが彼の常にトップの成績を維持する根気強さには敬服した。
王子だからといって学園では成績に関しては優遇なんて存在しないのだから。
あの姿をつくるためにストレスは私たちにぶつけることだってあった。
優秀な王子様、優秀な宰相、優秀な私。私は宰相が好きだった。
婚姻も彼としたかった。けれど、早い段階で王子である彼にそのことを見破られた。
婚約者にされた(・・・)のは10歳の時。
王家からの打診では断ることは不可。
彼は自分を出すことができて一生傍にいてくれる異性が私しかいないから私を選び、父王に上手に交渉した。10歳の彼は皇太子の時に伯爵家の古い歴史を調べ上げ、教師と共にいかに私の家から正妃をたてることがどんなに有益かを語った。父王もその古い功績をみて納得させられたことになっている。しかし、事実は怖くて想像したくない。
王太子妃になっても子供ができず、晴れて側室に子供ができた私は彼から解放されたのだ。
窮屈な王宮生活、やっと終わったのだ。
まだ、側室の家から刺客が送られてくるかもしれず、油断はできないが私は負けたものとして王太子妃の座を譲った。爽快である。これでやっと心静かに暮らしていける。
側室は美しい。銀の髪に金の瞳の妖精のようなはかなげな方である。
私は茶色の髪にグリーンの瞳でのんびりとした性格である。美人ではない。普通に化粧をして何とか整っている感じだ。
王子に初めて襲われたとき、私は15才だった。
結婚もしていないのにいきなり部屋に呼ばれ、優しさのかけらもなくそのままベッドに押し倒された。
「エルを私のものにしておかないとどこかへ行ってしまいそうで怖かった」
泣きながらベッドの上でシーツに潜り込み、彼に背を向けて泣いていた時に彼がそう言った。
やさしく私の髪を指で好きながら「ごめんね」といい続けていたけど、どこか嘘くさい感じがしてしっくりとこなかった。彼の策略にかかってしまった気がして。
それからは宰相の顔を見ることはできなかった。
「エルが宰相と一緒にいる時間を持たなければ彼にはそれ相当の地位を与えよう、でも違えるなら私は何をするか分からない」
そんな脅迫めいたことを言われ、近くにはいられなくなったのだ。
彼から離れようと実家の領地に帰ろうとしたら、王命で王都から出ることを禁止された。
彼を避けて、学園で過ごすようにしていた。時々、彼からの無言の視線での脅迫はあった。
私が授業の実験で男の同級生とペアを組むとしばらくするとその相手が学園からいなくなることがあった。
私は権力を背にしている彼から逃げなくてはいけないと思うようになった。
純潔も奪われ、この先嫁げる先もないだろうが執拗に追い詰められていくこの感覚と、周りに迷惑をかけてしまうことが苦しかった。
「お父様、婚約破棄はできないでしょうか?」
週末にお父様がいらっしゃることを確認し、家に帰ってきた私はそのことを相談した。
「婚約者となって、6年。学園卒業後、正式に結婚することで動いている。側室の方も決まり一緒に内定している。この状況で覆すには、王子に破棄させる以外に方法はない。我が家が王家を侮辱したとして不敬罪になってしまう。家が存続できないのは私としては避けなければいけない。わかるね?しかもきみは正式にではないが、王子のものとなっている。
このまま結婚する方がいいのではないかと思うけどね」
身体の関係のことを父が知っていることに恥ずかしくなった。
「あれは、殿下に無理やり・・」
「そうかもしれない、でも眉目秀麗な王子を篭絡して立場を保持しようとしたということになってしまっている」
「そんな!・・ひ・ひどい・・」
「殿下は優秀な方だ、妾でもいいという令嬢は腐るほどいるからね」
「私は殿下の執拗さが嫌いなんです。彼を好きだなんてちっとも思いません。」
「君位だよ、そんなことを言うのは」
「お願いです、なんとか破棄を!おとうさま!」
「王にお願いはしてみるが、殿下が了承しない限りは無理だ」
私の必死の様子にお父様はそのまま王宮に願い出に向かった。
数刻後、王宮から呼び出しがかかり私も向かわざるを得なくなった。
嫌な予感しかしない。
この王子付きの近衛は明らかに王子の部屋に向かって進んでいる。
歩くたびに空虚な廊下に靴音が鮮明に響く。
王子の室内に来るとあの日の恐怖しか起こらない。好きな人とだったらどんなに幸せだったろう。宰相ともあの日から接触がない。自由がむしばまれていく気がする。
結婚と同時に側室とも婚姻とは公爵家も自分の家柄を誇示している。
こんなはずではなかった。
王子は素直さのない、いつも見えない敵と戦ってきている子供だった。それを暴いたのは私だ。彼は自分の気持ちをそのまま表現しなかった。それをするように仕向けたのは私だった。
学友を選考するときに王は王子に選ばせたのだ。数人集った中で、選ばれたくなかった私は挨拶そこそこにはじっこでケーキを食べ、そのまま足元の虫を見ていた。
「何か見えるんですか?」と嘘くさい(私にはそう見えた)笑顔で儀礼的に話しかけてきたので「殿下には見えないものです」と答えていた。
殿下は柔らかい物腰でかがみ、「見えますよ、この緑の虫でしょう?」と話を合わせてくださった。
その子供らしからぬ笑顔と態度に「本当の気持ちを言わない殿下には虫にしか見えないのですね」といったのだ。
彼は瞠目していたが、すぐにいつもの作った笑顔に戻った。
数人が選ばれた。将来の重心となる人物が集められた。宰相もそのうちの一人だ。
伯爵家の私が選ばれたのには皆が驚いていた。
しかし、学園で筆頭を現すと皆が納得し始めた。
領地に帰り、経営の助力をし、そこでのんびり過ごしたいというのが私に今の願いだ。
殿下の部屋に呼ばれても誰も異を唱えない。
そのまま室内に通されると、近衛は扉を閉め退出した。
結果的に私の申し出は却下され、それを聞いた王子は私を呼び寄せた。
「殿下のことが嫌いなんです」
室内に入ってきた殿下にそう伝える。
「そう」
誰もいないときの彼は笑わない。
いろいろ言っても無駄なことは理解していたので彼をにらみつけた。
幼馴染だからできる所業である。
ある程度、お互いに理解しているからできることだ。
普通なら危険行為ともいえる。
扉の前に立った彼は真顔で私の様子を見ていた。
彼は上着を脱ぎ、椅子に背にかけ、扉の鍵を閉めた。
ちっとも笑わず、こちらを見る彼はあの日の彼の様子と同じだった。
感情のない、けれど一番感情を表している彼の眼が。
「きみは、まだわからないのかもしれないね」
目がそう言っていた。
私は立ち上がり、後ろに引き下がった。
逃げ場がない、逃げようとしても捕まるだけだ。説得しかなかった。
彼はネクタイを外し、壁に投げた。
シャツの一番上のボタンを外し、「エル、にげないで」といい、
私の前まできて腕をつかんだ。
眉目秀麗で優秀な王子が強い力で私を引き寄せ、耳元で「君を愛してる」と嘘くさいことを言った。愛を知らない彼に愛を語ることなどできないのに。
都合のいい人間、それが私なのだ。
口に彼の執拗な舌が入り込み、それが長くなるほど初めてではない私の身体は反応し始めてしまった。身体が熱くなる。角度を変えながら私の舌に絡ませてくる。
強い力、押し返しても押し返しても跳ね返すことなどできはしない。
以前、彼との交わりを私の身体は覚えている。
苦しくなってきて意識が遠くなりぼうっとなった頃、やっと解放してくれた。
足に力が入らない私を彼は抱き上げ、そのまま、おとなしくなった私の首筋に顔を埋めた。
「やめっ・・」
「君が抱きたくてたまらなかった」
耳元でそっとささやき、首筋を舌でなぞった。
そのまま、結婚し、側室と一緒に王宮に入りお披露目となった。
側室懐妊、幸せそうな殿下と側室。
宰相と、側室の実家の公爵家は結託し、正妃から引きずり降ろしてくれた。
側室が王子を愛していることは明らかであるので心配はない。
離宮へ行く私は殿下のこれからの治世の安泰と、彼自身の幸せを祈った。
王子誕生!国中が喜びに沸いた。それから2か月後に悲しもの底に投げ出せることになることを誰も予想できてはいなかった。
元王太子妃はのんびり離宮での暮らしを楽しんでいた。
野菜を作ったり、護衛に食事をふるまったり、ハーブを育てたり、音楽界をしたり。
ゆったり暮らすうちに至極穏やかな感情が当たり前になってきつつあった。
そんな矢先に、「王妃崩御、王子もなくなった」という知らせが入ったのだ。
王都からの知らせによると、「毒殺された後、森に捨てられた、獣に死体は食い荒らされていた」というものだった。
まさか、護衛が付いていたはずで、簡単にそんなことが起こるはずがない。
王太子妃の身辺は厳重である。元王太子妃の私がそんなことはよくわかっている。
護衛が優秀であるから私は生き延びられたのだ。
正妃の命を狙う理由がわからない。
あの、優秀な王子が見逃すはずがない。事はそのままうやむやになり怪しい人物は皆処刑された。
王子は悲しみに耐え忍び、喪を明かした。その打ちひしがれる様子から、皆が王子に同情を寄せた。
しばらくして側室は持たぬという王子の意思を尊重しすすめられることはなかったが、跡継ぎの問題がまだ残っており、検討にかけられた。
しばらくすると、病弱だった父王がなくなり王子が王に即位した。
こうなると皇太子擁立のため高位貴族は争いだした。
そこで表舞台に再びエルジュランドが駆り出された。
「新しい側室でなく、今離宮にいる側室を呼び寄せれば問題は解決する」と新国王は言った。
「嫌です、あの方のもとに行くなどと。」
宰相は説得に来ていた、久しぶりに会うエルジュランドは変わらずに美しかった。
黄金色に近い長い髪に、優しそうで理知的な物腰。表情は穏やかで自分が少年の頃に思いを寄せた少女そのままだった。
できることなら自分のものにして、幸せにしたかったが、10歳の頃に
「エルが好きなの?」と殿下に問われ、「はい」と答えたことでエルは王子の婚約者になり手が届かなくなってしまった。
そんな過去のことを思い出し、懐かしさで思わず笑ってしまう。
「あなたは結婚した?」
エルにそう聞かれ、
「いいえ、私は一生結婚する気などありませんよ」と答えた。
「相変わらず女性にもてるそうね・・一人に決められないのね?」
茶化して言うエルに思わず
「あなたをあきらめきれないのですよ」と冗談交じりに答えた。
少しうれしそうにエルは微笑み笑った。
殿下のものだ。私は一生手を出すことは許されない。
それは少年の日に誓ったことだった。
私は、公の場ではひととおり形式的に行えていたはずだ。
彼に笑顔で答えることもできた。
しかし、居室に帰り正妃に再びなることはできないことを王に告げた。
2年ぶりにみる彼は王子ではなく、王になっていた。
彼はすでに優秀な手腕を現していた。
誰もが納得する彼の言葉、彼の望みで私は正妃になった。
彼に何度も襲われ、
嫌がり、拒否しているのに無理に体を開かされた。
彼が好きではないと言い続けた。
彼は望めば、どんな女性でも手に入る。
夜会で隣国の王女に迫られたり、正式に申し入れもいくつもあったのに私以外妃を持たない。いい迷惑である。
何度も襲われ、手足に傷も増えた。
そうこうするうちに私は妊娠していた。
宰相の力による近衛の厳重警備のもと、私は守られ、王子を出産。
王にそっくりな王子の顔を見て王はうれしそうに心から笑った。
後にも先にも彼のあの表情は1回しか見たことはなかった。
彼は稀代の優秀な王となった。
王子も王によく似ており、優秀な子であった。
以前に側室の産んだ子が不憫になった。
私は王子と共に兄妹であった亡くなった王子と側室の墓参りがしたいと王にお願いした。
王墓に葬られているはずだというと、そこにはないという。
それきり王は何も答えぬまま時は過ぎた。
宰相は王をよく支えて国を守った。この宰相がいたから王の治世は盤石であったといってもよい。
しかし、その宰相さえ知らぬ秘密が王にはあった。
王太子妃を側室にしなければならなくなった時に、離宮に行かせるしかなかった。
王は側室を愛してはいなかった。しかし、権力のある側室の実家である公爵家が子をなさなければ王太子妃を殺すと暗に脅しをかけてきていたため仕方なく子をなした。
エルが常々命を狙われていることは知っていた。
しかし、嬉しそうに自分から離れていくエルを見た時に憎しみがわいた。
側室が子を産んだ後、どんなに抱いてほしいといわれても2度と抱くことはなかった。
宰相は離宮に行くことがある。エルに手を出していないだろうか?そんな心配から戻ってきたエルを無理に抱いた。
外国の毒を手に入れ、ルートを分からぬようにして側室とその子に飲ませるように影の近衛に命じた。侯爵家につながる人間に王位は譲れない。
私は自分の子であっても国のためであればその命をも手にかける。
森に捨てさせたのも私だ。これで復讐は果たされた。
公爵家も時機を見てつぶした。もう彼らに私を意にする力は残っていない。
エルは私が好きではないという。
「王は人の愛し方が分からない」と私との褥のなかで彼女はつぶやく。
そうかもしれない。一人でいることにはもう慣れた。
たくさんの者がいても己はやはり一人なのだという思いはぬぐえない。
私は一人で生き、一人で生きることに疲れた時にエルを利用したのかもしれない。
しかし、彼女がそばにいてくれたおかげで国の治世を守ろうと力を尽くせた。
逆にこの国を捻るつぶすかの二択をしたことがある。
宰相と彼女が結びついたら、国ごとつぶすつもりだった。
父王もエルを呼び戻すために一つの方法として私の命令で毒殺させた。
私の治世、この国は必ず繁栄する。
それは私がそうすると決めたからだ。
その後も、エルは私を嫌いだと言い続けた。