生じる迷い
尚は鏡の前で裸になっていた。
前より大きくなっている…
ひょっとしたらと思って買っておいたAカップのブラを付けてみると、
ピッタリのサイズだった。
「胸がちゃんと収まっている…やったぁ!」
嬉しくて思わず声をあげてしまった。
それに下も前より小さくなっている。
今では親指より小さい。
それもまた嬉しかった。
今日からブラトップじゃなくてブラをしていこう。
ウキウキしながら着替えて、薬を飲んでから出勤した。
そして会社に着くと、志穂が呼んできた。
そこには未来もいる。
「あのね、2人にお願いがあるんだけど、田口のこと…悠って呼んであげてほしいの。それで2人のことも未来、尚って呼ばせたいの…いいよね?」
まさか志穂がこんなことを言い出すなんて思わなかったので驚いた。
なぜなら悠弥を同期の中で一番ひどく接していたのが志穂だからだ。
それなのに昨日、2人が楽しそうに仕事をしているのが不思議だなとは思っていた。
未来はすんなりと承諾をしなかった。
「なんで今更?」
「最近気づいたんだけど、悠も尚と同じなんじゃないかなって」
「つまり女の子ってこと?まさか…」
「本人はそれがバレるのが嫌で、無理して男っぽくしていたみたいなの。けど尚が女の子になったでしょ、それで悠もやっと本音を少しずつさらけ出し始めたんだと思うんだ」
「それって志穂の予想でしょ」
「そうだけど、話してみればわかるよ。けど本当は女の子なんでしょ?って問い詰めると追い詰めてるみたいになるから、少しずつ本人が本当の自分を出せるように手助けしてあげたいの。尚のときみたいにね」
未来は「考えておく」とだけ言って仕事に戻ってしまった。
「志穂たち…わたしが本当に女の子になれるように手助けしてくれてたんだね。自分のことで精いっぱいだったから気づかなかった…ありがとう」
「ううん、謝らないでよ。友達じゃん」
志穂は同期ではなく、友達と言ってくれた。
女になってから初めて言われたかもしれない。
すごくいい響きだ。
「友達…そうだよね!」
「うん。だから尚、友達としてさっきの話をお願いしたいの」
尚は自分のことを考えた。
自覚していなかったけど、いつしか女になりたいと思うようになっていた。
いや、本当は女だったことに気づいた。
みんながそれを手助けしてくれたから女になることができた。
今では身体も女になってきている。
こんなに幸せで楽しいことはない。
「もし…本当に田口くんがわたしと同じなら…そうするよ!」
そして同じ幸せと楽しみを知ってもらいたいと思っていた。
この日も、志穂は悠弥と仕事をしていた。
「あれ、志穂、今日はオードフローラルなんだ」
オードフローラルはシャーロットフランシスの香水の一つだ。
初期から販売していて、いまだに根強い人気がある。
「うん、なんだかんだでこれが一番好きなの」
「わかる!僕もオードフローラルが一番好き。ちょっと甘すぎる気もするけど、いかにも女の子って感じがするもんね」
「そうそう!せっかくだから悠もつけなよ」
「え、僕が…」
「悠にピッタリだよ!はい」
香水を渡すと、「うん…」と言ってから、嬉しいような恥ずかしいような顔をしながら
香水をつけた。
悠の身体から、志穂と同じオードフローラル特有の甘い香りが漂ってくる。
「悠、いい香り~」
「志穂だって」
そう言いながら笑いあっていた。
しばらくすると、2人のところに未来と尚がやってきて、
「志穂、ランチ行こう」と誘ってきた。
「う、うん…」
置いてきぼりにされた悠は寂しそうな、悲しそうな顔をしていた。
やっぱり2人はまだ悠を認めてあげないんだね…
なんか悠がかわいそう…断ろう。
そう思ったら、悠が「行ってきなよ」と言ってくれた。
やはり顔は無理をしている。
そうだよね、女の子が仲間外れにされたら、そういう顔になるよね。
すると、未来がさらっと言ってきた。
「何言ってるの、悠もだよ」
「え?」
更に尚が悠の腕を掴んで引っ張った。
「悠、早くしてよ。遅くなると混んじゃうんだから」
「一緒に…行っていいの?」
「当たり前でしょ、ほら早く!」
悠弥は「うん!」と明るく返事をして立ち上がった。
なんだ、ちゃんと協力してくれるんじゃない。
まったく2人ったら。
「志穂、置いていくよ」
気が付いたら3人とも歩き出していた。
「あ、待ってよ!」
志穂は慌ててそのあとを追いかけ、
それを見ていた綾たちは優しく微笑んでいた。
「みんないい子たちですね。このままでもいいんじゃないかって思うくらい」
綾の横にいた麻美がそう呟いた。
綾は志穂に話したことや、悠弥が薬を飲んでいることを麻美と朱里にも話しておいたので
現状を知っている。
「そうね…」
綾も同じことを考えていた。
それくらい尚と悠弥の笑顔が眩しく見えたからだ。
あの笑顔に偽りは絶対にない…薬のせいとはいえ、
あの2人は女になりたい、なれてよかったと思っている。
けど、それでいいはずがないのもわかっている。
綾はカレンダーを見て、社長が帰国する日を確認し、
数日が過ぎて明後日がついに帰国する日まで迫っていた。