悠弥の変化
週明け、綾は真っ先に社長のところへ行き、話をしようと思っていたら
まさかの海外出張で半月戻らないとのことだった。
仕事をしていてもどこか上の空というか、ずっと尚の身体のことが頭から離れなかった。
薬のことを知っている七瀬、朱里、麻美も同じだ。
七瀬のところに悠弥がやってくる。
「あの…終わりました」
「そう、ご苦労さん…じゃあこの資料ファイルにしておいて」
いつもの七瀬と雰囲気が違う。
悠弥は恐る恐る聞いてみた。
「何かあったんですか…?」
「アンタに関係ないでしょ!」
「ご、ごめんなさい…そうですよね…」
悠弥が素直に謝ってきたので、一瞬冷静になった。
何を当たり散らしてるんだろう…最悪だ、わたし。
「こっちこそゴメン」
素っ気なくだが一応謝ると、悠弥は意外そうな顔をした。
「な、何よ、わたしだって悪いと思ったら謝るんだからね」
悠弥は本当の七瀬を見た気がした。
そう、本当の七瀬は明るくて優しくて素敵な女性だ。
自分に厳しく当たるのは、仕事ができないのと…男だからだ。
それがわかっているので、本来の姿を自分に見せてくれたのが嬉しかった。
悠弥はニコッとしてからお辞儀をして席へ戻った。
アイツ…ずいぶん優しい笑顔を…
考えてみれば最近は素直だし…ひょっとして薬飲み始めたのかな?
綾に相談しようと思ったが、今は尚のことで頭がいっぱいなはずだ。
それは七瀬も同じだったが、悠弥の変化も気にはなる。
なぜなら一番指導…というかこき使っていたのが七瀬だからだ。
尚ちゃんのことは綾さんたちに任せて、わたしはアイツのほうを探ってみよう。
少ししてから七瀬は悠弥に声をかけた。
「順調?」
「あと一冊閉じれば。すいません、仕事が遅くて…」
やはり今までと違う。
こんな下手にでるなんて考えられなかった。
「はい、終わりました。次は何かありますか?」
あまりにも素直すぎる悠弥を見て、七瀬はちょっと試してみようと思った。
「秋の新商品のキャッチコピーを考えてるんだけど、一緒に考えない?」
「一緒に…ですか?」
「嫌ならいいんだけど」
すると悠弥は慌てて横に首を振った。
「嫌なんかじゃないです!けど…全然ダメだって言われたから邪魔になるかなって…」
何これ、すごくしおらしいんだけど…やっぱり今までと違いすぎる。
そんな悠弥が外見は男なのに少し可愛く見えてしまった。
「いつまでも雑用じゃやりがいがないでしょ、一緒に考えよう!」
思わず七瀬は笑顔で優しく言っていた。
それを受け、悠弥も笑顔で「はい」と返事をした。
やっぱり今日の早川さんは違う。
本当の早川さんで接してくれている。
それが悠弥にはたまらなく嬉しかった。
少しでも期待に応えないと!
新商品はファンデーションだった。
説明するのに、オシャレで可愛い言葉を使い、
お客さんに興味をもってもらわなければいけない。
悠弥はいつになく真剣に考えた。
「パケはすごく可愛いんですよねぇ」
悠弥がパケという言葉を使ったことに七瀬は驚いた。
パケはパッケージの略だが、男性でパケという人はほとんどいない。
今まで悠弥もパケと言ったことは一度もなかったのに自然と口に出ていた。
「どうしました?」
「う、ううん。続けていいよ」
「はい、例えばなんですけど、少女って言葉を使ったらどうでしょう?女性っていつまでも少女でいたいっていうじゃないですか。子供っぽすぎますか?」
いいことを言うと思った。
女性はいくつになっても若くいたい、少女のようでいたいと思う。
七瀬もそう思っている一人だ。
「それ自分で考えたの?」
「はい…自分なりに女性の気持ちを考えてみたんですけど…やっぱりダメですよね」
「ううん…すごくいいよ!やればできるじゃん」
七瀬が漫勉の笑みで褒めてくれる。
悠弥は嬉しさで溢れていた。
七瀬はかまをかけようと質問しかけた。
「アン…」
言いかけてやめてしまった。
今の悠弥にアンタはかわいそうだ。
けどいきなり悠ちゃんに戻るのも…とりあえず苗字にしてこう。
「田口くんもずっと少女でいたい?」
「え…」
思わぬ質問に戸惑いながらもドキっとしてしまった。
アンタじゃなく田口くんと呼ばれたのも驚いたが、少女でいたいって…
「俺は…男ですから…」
そう答えたが頭の中にずっと少女でいたいという言葉が響いていた。
俺は男のはず…なのになんでこんなにトキめくんだ…
この反応で七瀬は間違いなく薬を飲んでいると確信した。
綾はパワハラをして孤立させる作戦を立てた。
いくらなんでもかわいそうだと思ったが、
それをすることによって寂しくなって、
輪に加わるために薬を飲み始めると踏んでいたのだ。
それが見事功を奏した形になった。
けど…本当に飲んでよかったの?
それは尚のことがあるからだ。
しかし、今は深く考え込まないことにしておいたほうがいいかもしれない。
このあと2人でいろいろ意見を出し合い、いつの間にかみんな退社して
2人だけになっていた。
「ひとはたきするだけで、少女のような瑞々しい肌に生まれ変わり、美容成分が優しく包み込むことで、ハリとツヤをもたらしてくれます。いいじゃない、やったね」
「はい!ありがとうございます。やっとここに来てちゃんと仕事ができた気がします」
悠弥は自然と笑顔になっていた。
「明日からは最初のころみたいにマンツーマンでいろいろ教えてあげるから頑張ろうね」
「はい!俺、頑張りますから!」
そう答えながら、ずっと考えていることがあった。
それは悠弥もみんなと同じように七瀬さんと呼びたいと思っていることだ。
そもそも最初に名前で呼ぶように言われていたのに、そんな女子みたいなことできるかと
反抗してかたくなに苗字で呼び続けていた。
もし名前で呼べばもっとみんなの輪にも入れそうな気がする…
「あの…」
「ん?」
「俺も…七瀬さんって呼んでもいいですか?」
もう、なんていじらしいんだろう。
本当に可愛く見える。
けど一つきがかりなことがあった。
それは悠弥が「俺」というところだ。
内面は絶対に女性になりつつあるんだよねぇ…
でもいきなり「わたし」って言わせるのもまだ厳しいだろうし。
うーん、よし、こうしよう!
「ひとつ条件があるの。その「俺」って言い方やめてくれない?なんか似合わないよ」
「じゃあなんて言えば…」
「そうだね、せめて「僕」かな」
「僕…わかりました。これなら僕、七瀬さんって呼んでもいいですか?」
「いいよ、悠ちゃん」
久々に聞いた「悠ちゃん」という言葉。
あんなに嫌がったのに嬉しさが溢れてくる。
悠弥は思わず涙を流していた。
それを見た七瀬が慌てる。
「ちょ、ちょっとどうしたの?」
「だって…「悠ちゃん」って呼んでくれたのが嬉しくて…」
もう、ほとんど女の子じゃない。
これなら「わたし」でもよかったかな。
それにしてもここまで女性化が進んでいたことに気づかなかったなんて
今まですごくかわいそうなことしちゃったな…
「泣かないの」
「だって…」
ホント可愛いなぁ。
七瀬はそっと悠弥の頭を撫でてあげた。
「これからは仲良く一緒に頑張ろうね、悠ちゃん」
「はい…七瀬さん」
悠弥は涙を拭いて笑顔で返事をした。