プロローグ
「ただいま」と言って玄関を開けた僕を迎えてくれたのは、優しい母の微笑みでも、あまり喋らない父の「ん」という無愛想な返事でも、面倒見の良い姉の元気な声でもなく、変わり果てた家族の姿と、不気味な程の静寂だった。
母と姉は目の前で、自らのもので作られたであろう血だまりの上で、折り重なって倒れていた。
父の姿は見えないが、一人だけで逃げるような人ではない・・・、きっと父もまた、母、姉と同じように、この家のどこかで倒れ伏しているのだろう・・・。
・・・悲しみはなかった。怒りも生まれなかった。恐怖も感じなかった。だから、涙も流れなかった。
なぜなら、そんな余裕ができるほど、まだ状況を把握できていなかったからだ。
だから、それらの感情が生まれたのは、「それ」を見たときだった。
「それ」は家の奥からゆっくりと、音も無く、ふわふわと、ゆらゆらと、僕の前に姿を現したのだ。
バレーボールくらいの大きさで、色は白く、ぶよぶよとしていて、ぬめったような不気味なつやがある・・・、そんな物体が。
怖かった。この突然現れたわけの分からない存在が、たまらなく怖かった。
どうして、僕の家にこんな奴がいるのか・・・、こいつが家族を・・・奪ったのだろうか・・・、そもそも、こいつはいったい何なのか・・・。
怖い・・・、怖い・・・、怖い・・・、怖い・・・、怖い・・・!
ようやく回り始めた頭の中は、恐怖で塗りつぶされ何も考えられなかった。
・・・・・・そして、気付けば「それ」は目の前にいた。
「・・・ひっ・・・!?」
あまりの恐怖の為か、もしくはこいつに何かされたのか・・・、さっきからずっと震えているばかりで体が言うことを聞かなかった。
そんな僕を尻目に、目の前の「それ」は少しの間観察でもするかのように僕の周りを漂っていたが、不意に目の前で動きを止めた。
動けない中僕は何をするのかと静かに様子を見ていると、「それ」は少し身じろぎするように動いた後、その体から触手のようなものを生やし、僕に近づけてきた。
怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い・・・!!
でも・・・、それでも・・・、僕の体は動かなかった・・・。
あぁ・・・、僕は死ぬのだろうか。目の前に迫っている触手を見て、そう思った。
でも、僕は・・・死んでも「こいつ」を、僕の家族を奪った「この存在」を・・・絶対に許さない・・・。そう胸に誓い、「それ」を穴が開くほどに精一杯の呪いを込めて睨みつけた。
今まで僕の心を支配していた「恐怖」全てを「怒り」に変えて・・・。
そんな僕の鬼気迫る眼光に圧されたのか、一瞬「それ」の動きが止まった。が、すぐにまたゆっくりと触手を伸ばし始める。
それでも怯まずに、僕はずっと睨み続けた。・・・、いや、睨んでいたつもりだった。
そして、その触手が頬に触れた。まるで生きているかのように、暖かい感触。それは頬から目元まで、優しく撫でるように・・・
「・・・ぇ・・・・・・・」
その感触は・・・、まるで・・・・・・
「・・・・・ぉね・・・・・・ちゃ・・・・・・・・・?」
・・・・・・・そのときの僕は・・・涙を流していたのだろうか・・・・・・。
それを確認できないまま、・・・僕は意識を失った。