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難攻不落の転生王子

作者: 雪永真希

「姫。僕の愛しい人」


 王子が、風で乱れたわたくしの栗色の髪を耳にかけてくださいました。

 わたくしの頬にその指先が触れ、心臓は早鐘のように高鳴ります。

 緊張に耐え切れず、わたくしは王子から目を逸らし、顔を伏せてしまいました。


「お、王子。いけません、こんなところで。誰がどこで見ているか……」


 それを聞いた王子は、くすりと顔をほころばせ、手に取ったわたくしの髪の先に唇を寄せました。


「誰に見られていても、構わない。アマリアは(いや)? 僕が相手では、君の家名に傷がつく?」

「そ、そんなわけないじゃないですか!」


 とっさにそう答えてしまったわたくしは、我に返って「も、申し訳ございませんっ」と頭を下げました。動揺のしすぎで、言葉遣いが昔に戻ってしまったのです。そう、物心がつくかつかないかの頃に、王子に遊んでいただいた時のように。


「わたくしが相手では、王子のお立場にの方が……」


 それ以上は自分で自分のことを傷つけてしまいそうでしたので、言えませんでした。

 わたくしはしがない伯爵家の娘。王子相手でわたくしの家の名前が傷つくはずがありません。たとえ傷がつこうとも構いません。

 なぜなら、わたくしは初めてお目通りが叶った日からずっと、王子のことを密かにお慕いしていたのですから。


 今日お父様の登城に同行したのも、もしかしたら一目だけでも王子のお顔を拝見できるのではないかと期待したからです。本来なら必要のない献上品を運ぶ役目を買って出たわたくしを、お父様は怪しみもせず喜んでくれました。

 久々にお会いした王様も「大きくなったな。こんなに美しく成長するとは」とお言葉をかけてくださって、それだけでも来てよかったと感激したものです。


 それがまさか、控室で待機していたわたくしの目の前に、王子本人が現れるとは。


 子供の頃ならいざ知らず、10歳を超えてからは一緒に遊ぶことも叶わず、式典の際にお辞儀をする程度。今までがそのような状況だったのですから、「久しぶりだね、姫」と極上の微笑みを浮かべた王子に話しかけられただけで、天にも昇る気持ちでした。

 姫、というのはわたくしのあだ名のようなものです。もちろん、わたくしは一貴族の娘であって、決して姫などという高貴な身分ではありません。幼い頃に王子と貴族の子弟たちでした「ごっこ遊び」で、わたくしはいつも悪者に捕えられた姫の役だったのです。ああ、懐かしいですね。


 王子は御年17歳で、わたくしより2歳年上です。

 黄金の髪と晴れた日の空に似た青い瞳を持つ、絵に描いたような美丈夫というのが世間一般の評価です。

 わたくしは人の美醜について理解する前に出会ったので、決して王子の容姿に惹かれたわけではありません。が、歳を取るにつれて輝きを増していく王子の姿はわたくしには眩しすぎて、段々と直視出来なくなってきていました。


 それなのに、どうしてこうなったのでしょうか。


 お辞儀をして挨拶を交わしていると、「天気がいいから中庭へ行こう」と誘われました。そして二人で咲き誇る薔薇を見た後、わたくしたちはアーチの付いた四阿(あずまや)へとたどり着いたのです。

 始めは離れて座っていたはずの王子が、いつの間にかすぐ隣にいらっしゃいました。

 それから、「愛しい人」という言葉と共にその綺麗な顔が徐々に近付いてきます。

 ぎょっとしましたけれど、何をされるのかはすぐに分かりました。そして、自分がそれを受け入れるだろうということも。


 わたくしは期待と不安を胸に秘め、まぶたを閉じました。


 そして、1秒、2秒、3秒。


「……?」


 おかしいですね、王子の唇はいつまで経ってもわたくしの唇と重なりません。

 い、いえ、決して早く早くと急かしているわけではないのですけれども……っ。ああ、はしたないことを考えてしまって申し訳ありません、お父様、お母様。


 ぱちり。

 わたくしが目を開くと、目の前に王子の顔がありました。

 まあ、何ということでしょう。王子ったら、こんなにもかというほど大きく目を見開いています。元々、二重のくっきりしたおめめでしたが、ここまで大きな目だったのですね。

……と、それどころではありませんでした。

 どうやら異常事態のようで、王子は蛇に睨まれたカエルのように固まってしまっています。


「王子? どうなさったのですか?」


 ご気分でも悪くなられたのでしょうか? それなら今すぐにでも医師を呼ばなくては。王子の体調不良は国家の一大事ですから。

 わたくしがそう声をかけた瞬間。


「うわ、(ちか)っ!」


 王子は石化の魔法が解けたように、勢いよくズザザザザーッと砂煙を立てながら後ずさりました。


「え? え? 何コレ、夢? ここどこ?」

「夢……ではないと思いますけれども。ここは王宮の中庭です」


 王子は真昼間だというのに寝ぼけていたのでしょうか。寝ぼけてわたくしにキスをしようとしていただなんて、悲しいです。

 わたくしが答えると、王子は初めてわたくしの顔をまじまじと見ました。


「何か外人が日本語しゃべってる! それも、めっちゃ可愛い外人!」

「外人?」


 それはわたくしのことでしょうか? 可愛いと言われたのは光栄ですが、わたくしは王子と同じリサーニア人のはずです。それに、ニホンゴとは何のことでしょう。


「王子?」


 立ち上がって一歩踏み出すと、王子が右腕で顔を隠しました。


「わあすんません! 俺、洋モノ、ダメなんっす!」


 ヨウモノとは何でしょうか?

 わたくしが無知なせいで、王子のおっしゃっている言葉の意味が理解できません。家庭教師にも世間知らずだと言われているので、もっともっと勉強しなければならないですね。

 それよりも、先程とだいぶ様子が違う気がします。もしかして、こちらが地なのでしょうか。

 王子も将来この国を背負って立つ身。言葉遣いや振る舞いなど、誰が見ているか分からないので気を使っているに違いありません。

 でも、この口調は……まるで労働階級の方々と似ているような気がするのですが。王子はそんな言葉遣いを一体どこで覚えたのでしょう?

 それでも王子はわたくしの愛しい人。そんなところも含めて理解したいと思います。


「うわー、まじか。まじでか。ほんとにこんな漫画みたいなこと起きるのか。しっかし、金髪碧眼ヒーローなんて、ベタすぎるな」


 すると王子は自分の両手を握ったり広げたり、顔を触ったりしました。かと思えば、いきなり肩を落として「そっか、俺、死んじゃったのかー」なんてことを呟いたりもしています。

 死んだとはどういうことでしょうか? 

 尋ねようとすると、その前に王子は気を取り直したかのように上を向きます。


「いや、でもある意味ラッキーじゃね? それもこれもあの人のおかげかも?」


 あの人とは、わたくしのことでしょうか。……違いますね。それだけはわかります。

 目をぱちくりさせていると、王子はようやくわたくしの方に向き直りました。


「待って、落ち着いて。整理しよう」


 どちらかというと落ち着いてほしいのは王子の方ですが、わたくしは話の腰を折らないことにし、頷きました。


「単刀直入に言おう。俺は、あんたの王子様じゃないんだよ」


 穴が開いてしまいそうなほどまっすぐに見つめられ、少々照れてしまいます。だけど、王子の発した言葉があまりにも突飛すぎて、照れもどこかへ消えてしまいました。


「あの、それはどういう意味でしょうか?」

「つまり、外見は王子だけど、中身は別ってこと」

「……。それは、あなたが王子の身体を乗っ取ったということですか?」


 考えられるとすれば、悪霊か黒魔術か何かのたぐいでしょうか。

 わたくしは王子、いや、偽王子から一歩距離を取りました。愛しい王子の身体を乗っ取ったのなら、このお方はわたくしの敵だからです。

 すると偽王子は慌てた様子で両手を横に振りました。


「いや、違うって! 俺の中に、王子として生まれて今日まで生きてきた記憶はちゃんとあるし!」

「つまり、どういうことでしょうか……?」


 わたくしは世間知らずな上に頭も悪いのでしょうか、偽王子の言っている意味が分かりません。


「つまり、転生したってわけ。転生だよ。分かる?」

「いえ……」

「うーん、何て説明したらいいんだろ? つまり……生まれ変わり的な?」

「えっ? つまりあなたは一度亡くなって、王子として再び生まれてきたというわけですか?」

「そうそう。良かったー、理解が早くて」


 異世界人ナメてたわー、と偽王子が言いました。

 よく分かりませんが、わたくしは偽王子に見くびられていたようです。

 失礼ですね、生まれ変わりは我が国の宗教では当たり前のこととされていますのに。もちろん、徳を積んだ者だけが許されることですが。

 では、この偽王子……いや、この方の言い分を信じるなら、王子は(態度からはとてもそうは見えませんが、)徳の高い人物なのでしょう。


「つまり、あなたは王子自身なのですね?」

「うん、そう」


 前世の記憶を持ったまま生まれ変わることが出来るだなんて、初耳です。ですが、王子の言葉を鵜呑みにするのはためらわれたので、少々試してみることにしました。


「では、いくつか質問させていただいてもよろしいですか?」

「えー? うん、まあ、いいけど」

「わたくしたちが初めて会ったのは、いくつの時でしょう?」

「えーと、あれは俺が6歳の時だから、姫、いや、アマリアさん……は4歳か?」


 呼び名を言い直され、胸がチクリと痛みます。なぜでしょう、本名を呼ばれたはずですのに。

それでも、今は現状を確認することを優先させなければ、と、わたくしはその痛みを無かったことにしました。


「では、初めて会った時、王子はわたくしに何と言いましたか?」

「えっ、それ聞いちゃう? ……はいはい、分かったよ。『おや、こんなところにとっても可愛らしいお姫様がいるよ。君の名前は何て言うの?』……って、うわーっ、何言ってんだ、俺!? 超恥ずかしーんだけど!!」


 一言一句間違いありません。どうやらこの方は本当に王子本人のようです。

 だけど、元の王子とは全く別の人になってしまいました。


「中身が別とは、どういうことでしょうか」

「えっと、突然前世のことを思い出した的な?」

「どうして、突然?」

「どうしてだろ。よっぽど衝撃的なことでもあったのかな……」


 そこまで言ったところで、王子は何かを思い出したかのように顔を真っ赤にさせました。


「そうだった、思い出した! って、うわっ、何か距離近くね!? 敵が潤んだ瞳でこちらを見ている! しかも唇までぷるっぷるときた! これか? これが“誘われてる”ってやつか? いやっ! 俺は騙されないぞ! 仲間になんてしないからな?」

「て、敵……、騙す……」


 王子の言葉は早口すぎて聞き取れませんでしたが、敵や騙すという部分だけははっきりと聞こえてきました。

 そんな風に思われていたなんて、人生最大のショックです。

 子供の頃に飼っていた猫が突然いなくなったことよりも、懐いていたばあやが腰を悪くして仕事を辞めてしまった時よりも、更に傷つきました。


「こ、これは言葉のアヤっていうか! こういう言葉が俺の世界のゲームにはあったんだよ!」


 “げえむ”とは一体何のことでしょうか。よくは分かりませんが、王子は軽い気持ちで使っただけのようで、一安心です。王子に嫌われては生きていけませんから。

 そこでわたくしは「あら?」と首を傾げました。

 わたくしのお慕いしていた王子は、目の前にいるこの方ではありません。ですが、王子曰く、同じ人間だとのこと。

 わたくしは一体どうすればよいのでしょう。


「アマリアさん」


 考え込んでいたわたくしは、王子の呼びかけでハッとして顔を上げました。すると王子はひどく真面目な顔でわたくしを見ています。


「はい。何でしょう?」

「そういう訳で、申し訳ないんだけど、さっきのは無かったことにしてもらえないかな」

「さっきの、とは?」

「前世の記憶が甦る前の俺が、君に言ったことや、やったこと、全部。俺は相手が日本人じゃないと無理だから。ごめん」


 ひどくすまなさそうに、だけどきっぱりとわたくしを拒絶した王子。先ほど『僕の愛しい人』と言ったのと、同じ顔、同じ口、同じ声で。

 王子はわたくしの反応を伺っていますが、わたくしは何も言えずにじっとしていました。

 それほどまでに心が傷付けられていたのです。ですが、わたくしに王子を責める資格は元よりありません。ひと時だけでも、良い夢が見れたとお礼を言うべきなのでしょう。……でも、それでも。

ああ、王子のあの甘い愛の言葉を聞く前でしたら、どれだけ良かったことか……。

 思った反応が返ってこなかったのか、王子はキョロキョロして周囲を確認し、手持ち無沙汰に頭をかいた後でようやく気まずげにわたくしに声を掛けました。


「じゃあ……俺は部屋に戻るけど」

「はい。本日はお会いできて光栄でした。ごきげんよう」


 わたくしはドレスの両裾を持ち、お辞儀をしました。王子の気配が消えるのを待ち、ようやく顔を上げます。

 なんだか、たくさんのことが一気に起きたので頭がクラクラしています。

 わたくしは控えの間に戻り、謁見を終えたお父様と共に王宮を後にしました。

 屋敷に戻り、自室へ入ると、わたくしは人払いをして着替えることもせずに長椅子に座り込みました。はしたないとは分かっていましたが、そんな気力もありません。

 王子は、前世を思い出しただけで同一人物だと言います。ですが、前の王子とは明らかに変わってしまいました。

 もうあの美しくまっすぐな視線を、柔らかな微笑みをわたくしに向けることは永遠にないのです。


 わたくしのこの恋心は、どこに行けばいいのでしょう。……どこへ、消えて行くのでしょう。


 呆然としていたわたくしの目から、ようやく涙が零れ落ちました。それは次から次に頬を伝い、ドレスに染みを作っていきます。


 アマリア・リザ・ウェルフォード、15歳。

 今日、わたくしは、生まれて初めて恋をした相手に、――失恋をしてしまいました。





 ひと月後、わたくしは再びお父様と登城することになりました。

 と申しますのも、王様がわたくしの作った焼き菓子(クッキー)が食べたいとおっしゃったからです。もともとはばあやと一緒に作ったもので、たまたま持参していたものが巡り巡って王様のお口に入ったのだとか。もちろん毒見はされているでしょうが、一国の王がそんな気軽に召し上がられて大丈夫なのかと心配です。

 ですが、王命は王命。

 わたくしはいつもより早起きして焼き菓子を大量に焼き、形よくできたものを厳選してお父様とお城へ向かいます。

 馬車の揺れで眠くなってしまいましたが、何とか寝落ちする前にお城へ到着いたしました。


「アマリア、よくぞ参った」


 お父様との挨拶を済ませた後に、王様はわたくしへ声を掛けてくださいました。

 わたくしは何度も練習した通りに挨拶を終え、持参したお菓子を献上しました。すると女官の運んだお菓子には目もくれず、王様が深刻な顔をして口を開きました。


「実は、この菓子はアマリアを城へ呼ぶための方便である」


 一生懸命作ったお菓子を方便だと言われ、がっかりはしましたが、やはりそうかと納得しました。


「実は最近、王子の様子がおかしいのだ」

「えっ」


 わたくしは思ってもみない話題を出され、許可されていないにもかかわらず声を上げてしまいました。

 寛大にもわたくしの失態をお許しくださった王様の話では、最近の王子はまるで人が変わったかのように奇行をするようになったのだそうです。

 まずは朝起きてこない。これは夜遅くまで起きているせいだとか。食事では「ショーユ無いの? 探せばぜったいどこかにあると思うんだけど。それとも俺がイチから開発しなきゃいけない系?」などと意味不明なことをブツブツ言って使用人を困らせたりだとか。慰問などの王子の責務を「そーゆーめんどいの、俺、パス」と言って行かなかったりだとか。

 王様以外の方々からも報告があり、それを聞くにつれてわたくしは頭を抱えてしまいました。


「まるで人がかわったかのような」と王様はおっしゃいましたが、まさにその通りだったからです。前世を思い出した王子は、やはりそれまでの王子とは全く違ってしまったことは想像に難くありません。


「全て、アマリアが来た日から始まったのだ。何か原因は知らないだろうか? もし知らなくても、まともになるように王子を説得してほしい」

「(ええっ!?)」


 驚きましたが、今回は何とか声を押さえることに成功しました。

 正直に申しますと、失恋した相手に会いたくはありません。

 ですが、王様の言葉は絶対。父の立場のためにも反論は出来ません。


 わたくしは女官に案内され、王子の暮らす領域(エリア)へと向かいました。王子はお城の東側、回廊で繋がった棟の全てを私用にしていて、ここに入るのはわたくしも初めてで、思わず緊張してしまいました。

 ですが、その緊張も大きな扉が開かれた時まででした。


「ああっ、アマリアさん、ちょうどいいところに!」


 目に飛び込んできたのは、側近たちに羽交い絞めにされている王子の姿。やはり、元の王子には戻っていないご様子です。

 ですが、失恋した日に思いっきり泣いたせいか、絶望するほどではありません。


「ど、どうなさったのですか、王子?」


 すると側近の方々が言いました。「王子の頭がおかしくなったのです」と。


「だから、違うんだって! 話せば分かる、だからとりま放せって!」

「またそんな訳の分からない、下品な話し方をして。一体どうしたというのですか!?」


 一人だけ年配の側近が涙声になっています。王子が生まれた時からお世話をしている、ゲオルグです。わたくしも彼には焼き菓子をもらったり飴をもらったりと幼い頃は大変お世話になりました。


「言ってやってよ、この人たちに。俺は正常だって」


 わたくしの手前、手を離された王子は、ぶつぶつと言いながら掴まれていた場所を腕で擦っています。

弁明しようと口を開きかけたわたくしですが、何と言っていいのか分からず口を閉じてしまいました。そこにわたくしの持参した焼き菓子が運ばれて参ります。毒見が済んだのでしょう。


「アマリア様お手製のお菓子にございます」

「まじで! やったー!」


 すると王子の目が輝きました。これは王子にも好評だったものだからです。そういうところは転生したといっても変わりがないようです。


「まさか、俺のためにわざわざ?」

「これは……べ、別に、王子のために作ったわけでは……!」


 わたくしは王様に命じられたので作ったのです。決して王子のためではありません。ですが、もしかして王子の口にも入るのでは……と期待していたのも事実。そこの言い当てられたわたくしは動揺し、無礼な発言をしてしまいました。

 すると何故か王子はハッとした顔をして、一歩後退りしました。


「そんなベタなツンデレで俺を落とそうったって、そうはいかねーぞ!」

「つんでれ? どういう意味でしょう?」


 王子はまたわたくしには分からない言葉を使います。

 その後王子と側近方は一時休戦し、和やかなお茶会が始まりました。王子はわたくしの焼き菓子をガツガツと勢いよく食べ、ゲオルグがそれを見て頭を抱えてしまいました。

 確かに少々下品かもしれませんが、美味しそうに食べてもらえるのは嬉しいものです。


「では、後は任せましたよ」


 お茶会が終わると、ゲオルグたちはそう念を押して退室していきました。メイドたちも、次の間に移動して行きます。


「まいったよ、皆して俺の頭がおかしくなったと思ってんだもの」

「それだけ王子の態度が変われば、皆さんがそう思っても仕方がないかと……」

「だってせっかく第二の人生を手に入れたんだからさ、自由に生きてみたいよ。無双したりハーレム作ったり世界を創造しちゃったりさー。異世界ってそういうもんでしょ?」

「……」


 わたくしはがっかりしてしまいました。

 前世を思い出したといっても、王子は王子。きっとこの国のために身を粉にしてくれるとどこかで信じていたからです。分かっています、それは勝手な期待だと。ですが、元の王子なら決して言わなかったはずです。

 そんなわたくしに、王子は追い打ちをかけました。


「お菓子くれたことには感謝するけどさ、俺、そんなチョロくないから」


 王子が口を真一文字にして言います。


「チョロ?」

「簡単には落ちないよってこと」


 ……なんということでしょう。王子はわたくしが彼を口説くための手段として焼き菓子を持参したと考えているようです。王子の口に入れば嬉しいとは思っていましたが、そこまでの下心は決して、決して持ってはいませんでした。

 そんな小狡(こずる)いことをする人間だと思われていたなんて。わたくしは悲しみを通り越して、何だか腹がたってまいりました。


「王子。わたくしの方からこんなことを言うのは不敬に当たりますが、今日のところは退室させていただいてもよろしいでしょうか」

「え? どしたの、急に。もしかして、怒ったの?」


 わたくしが真顔なことに気付いたのでしょう。王子は慌てた様子で立ち上がりました。


「待って、帰らないで! 謝るから!」


 その必死な様子にさっきまでの腹立たしさはすぐに影を潜めてしまい、逆に心配になってきました。


「どうなさったんですか、王子」

「だって、アマリアさんだけなんだもん、俺が転生者だっていう話を信じてくれるのは。ゲオルグも皆も、誰も俺の話を聞いてくれない」

「王子……」

「最後の方なんて、もしかして俺、本当に頭がおかしくなってんのかなって、思えてきてさ」


 この一ヶ月、王子は一生懸命訴えかけていたのでしょう。

 わたくしだって、彼らの立場だったら、王子の言葉を信じていなかったでしょう。わたくしは王子に恋をしていたから、王子の変化を目の当たりにして、信じざるを得なかっただけなのです。

 王子はわたくしより2つ年上なので、今年17におなりのはず。ですが、肩を落とすその様子が年齢よりももっとずっと幼く見え、わたくしは思わずその肩を抱き締めてあげたい衝動にかられました。

 いけません。王子は元の王子とは変わってしまったのですから。わたくしは自分自身にそう言い聞かせます。


 ですが、すがるような目で見つめてくる王子を見て、わたくしはもう少しだけここに留まることにしました。それが分かると、王子は目を輝かせてわたくしのカップにお茶のおかわりを注ぎます。元の王子なら、絶対にしない行動です。


「どうすればゲオルグたちが静かになるのかな」

「元の王子の記憶があるのなら、演じればよいのではありませんか?」

「そうすると俺のアイデンティティーがなぁ」


 王子はまた訳の分からない言葉を使いましたが、今回は何となく意味を推測することができたので、聞き返すことはしませんでした。


「これでも王宮から出る時は王子様のフリしてるんだぜ? でも王宮(うち)でまで演技しなきゃいけないだなんて、ほんと無理」

「そんなに無理なら、仕方ありません。今の王子のままで貫き通すしかないと思います」


 わたくしがそう言うと、意外だったのか、王子が目を丸くしました。

 王子は、きっともう二度と元の王子には戻らないでしょう。

 だったら、今の王子を受け入れるしかないのです。王様も、使用人も、国民も、……そして、わたくしも。


「ありがとう。そして、ごめん」

「どうして謝られるのですか?」

「だって、俺、やっぱりよく分かんないんだよな。恋とか愛とかってさ。元の俺(王子)がアマリアさんの事が好きだったのは覚えてるし、会うとちょっと鼓動が早くなるけど、でも今のおれはそんなこと考えられないっていうか……ああ、ごめん! 泣かないで!」


 俯いてしまったわたくしを見て、王子がオロオロしてしまいました。

 確かに言われた言葉はとてもわたくしを傷付けました。ですが、それはお互いさまなのです。わたくしも、元の王子とはどうしても違う今の王子を扱いかねていました。見た目は同じ、中身も同じだと言われても、やはりどうしても違うものは違うのです。

 ですが、会えれば嬉しいですし、お菓子を食べてもらえて幸せですし、わたくしも自分の感情がよく理解できていないのです。

 王子は、人差し指でわたくしの涙を拭いました。その仕草は以前の王子と全く同じです。

「そんなに泣くと目が溶けてなくなるよ」という言葉も一緒です。

 全くの別人になり替わってしまったのならば、複雑な思いを抱きつつも思いっきり嫌いになれます。ですがやはり今の王子は元の王子と同一人物なのです。

 胸が締め付けられます。苦しいからではありません。わたくしの鼓動も、早くなってしまったからです。もしかして、わたくしは今の王子のことも――?

 いえ、まさか。何だか自分がとても浮気者になってしまった気がします。

 わたくしは、どうすればよいのでしょうか。ここに居るとますます今の王子のことが気になってくるに違いありません。それは元の王子に対する裏切りでしょうか。

 お父様に頼まれた使用人が、わたくしを呼びに参りました。そろそろ帰る時間のようです。

 これ以上一緒に居るのは良くないと感じていたので、安堵しました。


「じゃあ、またね」

「はい。失礼いたします」


 丁寧にお辞儀をして、退室いたしました。

 馬車に揺られながら、わたくしは王子に二度と会わないと決心しました。





 更に一か月が経ちました。

 王子に会いさえしなければ、至極平穏な日々が過ぎていきます。

 しかし、その平穏も長くは続きませんでした。

 突然、前触れも無しに王子がわたくしのお屋敷にやってきたのです。

 馬車は、王族専用のものではなく、貴族が使用するもの。元の王子なら絶対にとらない行動に、屋敷の者たちは度肝を抜かれました。

 屋敷に入り、応接間に通された王子は、当然のようにわたくしを呼びつけて言いました。


「どうして来ないんだよ、『また来る』って言ったくせに。嘘は良くないと俺は思う!」


 まるでオモチャを取られた子供のように拗ねた顔をしています。元の王子は大人びた態度ばかりとっていたので、わたくしは少々驚いてしまいました。

 久々に会う王子は新鮮で、不覚にも嬉しさを感じてしまいました。

 だからもう二度と会わないと誓ったのに、どうして王子はわたくしの心をかき乱すのでしょう。


「王子こそ、何故こちらにいらっしゃったのですか」


 無礼だとは分かっていましたが、(とげ)のある言葉がわたくしの口から飛び出しました。


「だって、俺のことを理解してくれるのはアマリアさんだけなんだからさ、こっちとしては色々悩みを相談したり話を聞いたりしてほしいわけ。なのに来ないからさ、もうストレスフルフルなんだけど」

王子はわたくしの棘には気付いていない様子で、そんなところは元の王子と違い、女心には疎いようです。


「わたくしはなかなか王宮に上がれないのです」

「そこはどうにかこうにか無理やり理由を作ってさ」

「……」


 自分はもう元の王子とは違ってしまったから、恋はしてくれるな――そう突き放しておきながら、会いに来いという今の王子。

 なんという我儘な人なのでしょう。こんなに人を傷付けておいて、全く悪いと思っていないのです。

 黙り込んでしまったわたくしを見て、ようやく王子は様子が変だと気付いたようです。


「……ダメ? もしかして、俺何かした? 怒ってんの?」


 そう聞きながら、王子は小首を傾げてわたくしの顔を覗き込みました。

 きゅうううううっ。

 その瞬間、胸が妙な音を立てたので、わたくしは思わず胸を押さえました。

 王子はそんなわたくしには目もくれず、話を続けます。


「ほんと皆うるさくてさ。ちゃんとやるって言ってるのにさ」

「ちゃんと、とは?」

「だから、王子としての務めはちゃんと果たすって意味」


 わたくしは驚いて目を見開きました。先日と言っていることが全く逆だったからです。

 王子は転生したからには好きなことをして生きていきたいと宣言していたはず。

 一体どういう心境の変化なのでしょう。


「そんなに驚くこと? 確かに前世を思い出した今では面倒だなって思う気持ちが無い訳じゃないけど、王子がどれだけこの国のことを考えてたかは誰より分かるし、共感してるから、そこはちゃんとするつもり。転生直後はせっかく受験勉強から解放されたから遊んで暮らそうとも思ったんだけどさ。やっぱり俺って根は真面目だからさー」


 わたくしはすっかり王子を見直してしまいました。

 やはり、王子は、王子なのです。前世を思い出して言動が変わってしまっても。……わたくしのことを何とも思っていなくても。

 子供の頃、王宮のテラスから城下を眺めながら、王子が言っていました。「見てごらん。あの家の一つ一つに人がいて、家族がいる。泣いて、怒って、笑って……皆しっかりと生きてる。僕は彼らの生活を守りたいんだ」と。

 王子は何も変わってはいないのです。


「この世界はとっても美しいよね。俺のいた世界とは大違い。……美しいなんて言葉、一生使うことなんてないと思ってたけど、それ以外の言葉で表現できないよ。この美しい世界を、守んなきゃ。俺が」

「王子……」

「そんで、より良い国作りのために、アマリアさんにも協力してほしい」

「えっ? わたくしですか?」


 王子は深く頷きました。


「アマリアさんはいい外交感覚を持ってると思うんだよね。ぜひそれを我が国に活かしてほしいんだけど。ほら、小さい頃一緒に政治について勉強したことあったよね」


 王子の言葉でわたくしは子供の頃のことについていくつか思い出しました。

 家庭教師について勉強する場に、わたくしも同席させてもらったことがありました。もし同盟国との和平条約が破られた時には? 貿易において相手国と同等の立場に立つためには? などといった難しい質問が与えられた時に「姫はどう思う?」と王子に話を振られたことがあったのです。


「ですが、私は女で……」

「女の人だから政治に参加出来ないっていうのはおかしいよ。日本――俺の前世でいた国では女の人も男の人と同じく政治やら何やらでバリバリ働いてたよ」


 そんな……そんな素敵な国が、この世のどこかにあったとは。

 世間知らずなんだから、大人しく家に居なさい――そう言われて育ってきたわたくしにとって、その言葉は衝撃的でした。

 わたくしでも、お役に立てるのでしょうか。王子の、お役に。もし、お役に立てるのなら、それは何て素敵なことなのでしょうか。


「頼むよ。姫の力が必要なんだ。姫が側にいてくれたら、全てがうまくいく気がする。何たって、姫は俺の一番の理解者だし」


 好きじゃないけど、必要だという王子。こんな時に限って姫と呼ぶ王子。どこまでひどい男性なのでしょう。

 ですが、わたくしの心臓は早鐘を打つように鼓動が速くなりました。

 そればかりか、思わず抱きしめたい衝動にかられます。わたくしのばあやはよく言っていました。「男性は時に狼になるので気を付けなさい」と。当時はよく意味が分かりませんでしたが、わたくしは今狼に変身しようとしているのでしょうか。


「わ、わたくしでお役に立てるのなら」

「本当!? ありがとう! アマリアさんならそう言ってくれると思ってた!」


 王子は弾けるような笑顔をわたくしに見せてくださいました。眩しすぎて腰が砕けてしまいそうになります。

 もう、自分をごまかすことは出来ません。

 わたくしは今でも、王子のことが好きなのです。想いは、少しも色あせていないのです。

 王子は確かに以前の王子とは違います。ですが、元の王子だとか今の王子だとか、細かいことはどうでも良くなってしまっています。わたくしは目の前にいるこの人なら何でも良いのです。この人がこの人である限り、どうしても心が惹かれてしまうのです。

 どうやらわたくしは同じ人に二度恋をしてしまったようですね。王子の言葉で言えば、とってもチョロいということなのでしょう。

 王子に守ってほしいと思っていたのに、いつの間にか守ってあげたい、理解してあげたいと思っている自分に気付きました。

 わたくしにも、縁談はたくさんあります。ですが、他の人では(いや)なのです。王子じゃないと、嫌なのです。相手はわたくしのことなんて好きじゃないというのに。すでに失恋しているので、むしろもっとも難しい相手ですらあるというのに。

 王子が他の女性と結ばれるところを想像するのも嫌なのです。

 だったら、なんとしてでもわたくしのことを好きになっていただくしか道はありませんね。ヨウモノだろうと何だろうと気にしません。

 不思議そうにわたくしを見ている王子を見つめ返しながら、わたくしは決心いたしました。

 

 難攻不落の転生王子、何としてでも落としてみせます!

 覚悟してくださいませ!!


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― 新着の感想 ―
[一言] 頑張れ、アマリア姫! とりあえず王子は一発殴りたいです!
[一言] 前世を思い出す前のきらきら王子カムバック(´・ω・`) デリカシーマイナス値突入してそうながきんちょ(現王子)はいやだなぁ。 本当にあの王子にときめいちゃったのかいアマリアさん。 王子には兄…
[一言] アマリア嬢チョロいなぁ~。 そしてこの王子様、やっかいな人に惚れられたなぁと。 ヘタによそ見でもしたもんなら、コッソリ毒盛られるでしょうね。 王子の中の人は気をつけた方がいいですよ。
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