17、5日前の月夜に
タクが不在ではあったが、仕事ついてはオタの指揮のもとで滞りなく行われ、正一も益男も完全に一人前に仕事をこなせていた。休憩になると、正一は自然にナットと過ごしていた。外で遊ぶのが好きなナットのに正一も合わせるように外でナットと会うことが多かった。
ナットと近くの山を散歩しながらいろんな話をする。好奇心旺盛なナットに正一もいろんなことを教える。新しい話題は未知の世界を知ることになるナットの好奇心をさらにくすぐった。「ショウイチ兄ちゃんってホント物知り」と大きな目がさらに大きく丸くしながら正一からできるだけ離れない。全身から喜びがあふれ出てくるような表情をするナットを見ると正一も一緒にいるのが楽しくて仕方がない。
益男のほうも、桜のあどけない笑顔を見るだけで癒されるのか、毎日桜の顔を描き、その日の桜の動きなどをその横にメモで添えるのが日課となっていた。それでも夜になれば正一と益男が同じ部屋で、1日の出来事について会話を楽しんでいたので、大きなすれ違いもなく無難な日々が過ぎていく。
タクが、故郷のルソンの家族と再会して一家でムラカを目指し、あと1週間ほどで戻ってくるという連絡があった日の夜の事。ちょうどあと5日ほどで満月になろうかという月を正一は一人で眺めていた。ディナは夕食が終わった後すでに眠っていて、益男は桜の寝顔を楽しみながら一人で絵を描いていたので、一人時間を持て余した正一は一人で家の前に輝く月を見ていた。
「ディナちゃん本当にいい子だなあ。将来絶対楽しみだ。できれば元いた時代に連れて帰りたいよ」「それは無理だが、正一はどうする」突然後ろから声が聞こえたかと思うとそこに仙人のような男が立っていた。「ベアー!久しぶり」正一・益男の2人を1990年から1534年にタイムトリップさせた張本人であるベアーが正一の前に現れたのは約1年ぶり。「さっそく本題だが、実は満月の夜のタイミングでお前を元いた1990年に戻すことができる。今夜はその事を伝えに来た」「ええ!元の時代に!!じゃあ早速益男を」と益男を呼ぼうとした正一を、「待て!」とベアーは正一の目の前に立ちはだかる。「それはならぬ」意外なことを言うベアーに不審そうな眼差しを向ける正一。「どういうこと?俺と益男が一緒に1990年に戻る話でしょ?」「違う!戻れるのは正一だけだ」ベアーのさらなる意外な言葉に正一は一瞬何を言われているのかわからない。「ええ?どういうこと益男は戻れないって!!」「おい!声が大きい。今から説明するから冷静に」声を荒げる正一にベアーは静かに事情を説明する。
「実はな。益男は1990年に戻れない。それはなぜか?彼が戻れはすぐに死んでしまうからだ」さらに意外なことを言うベアー。正一は静かに耳を傾ける。「今回この時代にタイムトリップした直前のことを覚えているか」「ああ、ピンクの熊のぬいぐるみを見つけて背中のボタンを押したんだ」「それはそうだがその前、つまり益男君と出会った時の話だ」「ああ、あの日は確か雨の中歩いていると彼がぶつかってきて・・・」「そう。それ!益男がなぜ突っ込んできたかわかるか」ベアーの問いに正一は見当もつかない「うーんそこまではわからない。とにかくあの時俺にいきなり突進してきたことだけ」「実は突進して君とぶつかった、だがそれは運命のいたずら。本来なら益男君はあの突進の最中に車に引かれて死ぬ運命だったんだ」「えっ!」正一は言葉を失う。「つまり本来死ぬ運命だった益男君がその直前に君とぶつかり、さらにあの熊のボタンを押してタイムトリップしたから生き長られたんだ。だから元に時代に戻れば、死ぬ運命が待ち構えているということだ」ベアーから聞く事実に正一の背中から生ぬるい液体が
ゆっくり下に流れているのを感じる。