アルベルタ姉様
ごみ捨て場は人目につかないように、中庭の端の方にひっそりと設置してあるそうだ。高い生垣に囲われて、普通にしていればまず目につくことはない。エラの部屋からも見えていた庭だったから、ごみ捨て場の場所を聞いて、エラは随分と驚いた。
エラ達が今いる場所も、中庭を見下ろすことができる廊下だった。教えられたごみ捨て場があるという方に目をやる。しかし、あるとわかっていても、ごみ捨て場はなかなか見つからない。生垣の向こうに、実に巧妙に隠されていた。
そのとき、視界の隅で何かが動いた。それに目をやったエラが「あっ」と小さく叫んだ。
「アルベルタ姉様!」
遠目にしか見えなかったが、それは確かにアルベルタだった。長い黒髪を無造作に流して、スラリとした長い手足を持て余している。何をしているのだろう。きょろきょろと辺りを見回しては、同じ場所をうろうろしている。
エラはドリスと目を合わせて、二人して首をかしげた。心根も行動もまっすぐで、停滞を嫌うアルベルタらしからぬ行動だ。でもとにかく、アルベルタが見つかった。夕食の時間までには連れて帰れそうだと、ほっと胸をなでおろした。
エラとドリスが中庭に降りるまでの間、アルベルタはずっと同じところをうろうろしていたらしい。一階に降りてまだアルベルタの姿が見えたことにエラは安心したが、しかしすぐに、姉の様子があまりにおかしいことに気付いた。
一体姉は何をしているのだろう。今日は日差しが暖かく、冬にしては気温も高い。とはいえ、無目的にこんな場所に長居するだろうか。
エラの心配をよそに、ドリスはアルベルタが見つかったことに安心したようで、未だにこちらを向かない姉に話しかける。
「もう。心配かけないでよ、お姉様! あちこち探し回ったのよ」
ドリスは文句を言いながら、アルベルタに近づく。アルベルタはそれでもこちらを見ない。
「出かけるな、なんて言わないわよ? けれどお母様にばれないように、最低限の努力はしてよね。食事のときに帰ってくるくらいはできたでしょう?」
ドリスはもう手を伸ばせば届く距離まで、アルベルタに近づいた。エラは嫌な予感がして、ドリスの腕を無理やり引っ張る。ぐいと引っ張られて、ドリスがエラの方に倒れこんだ。
「いたっ! ちょっとエラ」
文句を言いかけたドリスの方を、ようやくアルベルタがぐりんっと振り向いた。その異様な光景に、エラもドリスも言葉を失った。なにしろ姉は、首から上だけをこちらに向けているのだ。
人間に可能なギリギリの角度まで曲げられたアルベルタの顔には、何の表情も浮かんではいない。普段であれば、強すぎる意志をきらきらと映した青い瞳には、今や何の絵も映ってはおらず、エラのこともドリスのことも、気付いてさえいないみたいだ。色の薄い唇はだらしなく開き、浅く呼吸をしているのがわかる。
「アルベルタ姉様……具合でも悪いの?」
恐る恐るエラが尋ねた。
「ああ、暖かいわね。いい天気だわ。ねえ、そこのあなた、一緒についてきてくれないかしら」
アルベルタは、何度かつっかえながら、そのようなことを口にした。滑舌がおかしい。まるで酔っているみたいに呂律が回っていなかった。
「あはは、見て。蝶がいるわ。追いかけましょうよ」
今度はエラとドリスから目を離し、明後日の方を見て言う。
もはや、間違いなかった。アルベルタは、あの病にかかってしまった。エラは数歩後ずさる。その足音を聞いたとたん、アルベルタがまたこちらを向いた。
「なあに、あなた邪魔するの? ダメよ、ダメダメ、それはダメだわ……」
アルベルタが髪を振り回し、いやいやと首を振る。そしてその場でしゃがみこみ、足元に置いてあった何かを掴んだ。それは園芸に使う、高枝切り鋏だった。アルベルタは両手でそれを抱えるとゆっくりと立ち上がり、すごい勢いでそれをこちらに叩きつけてきた。
エラはドリスを押し倒して、なんとか鋏をかわした。さっきまでドリスの頭があった場所を、硬い鉄の塊が通り過ぎて行った。
ぞっとして、アルベルタに目をやる。今危うく妹を殺しかけたというのに、アルベルタはむしろ楽しげだ。狂ったように笑っている。
一呼吸遅れて、ドリスが悲鳴をあげた。空をつんざくような甲高い悲鳴が響き渡る。しかしそれを聞いて、アルベルタは完全にドリスを敵と認識してしまったようだ。
全身をこちらに向けて、スタスタと距離を詰めてくる。エラは逃げ出そうとしたが、隣のドリスが動かない。
「ドリス姉様、今はとにかく逃げないと!」
エラの叱咤に、泣きそうな顔をしながらドリスが震えている。
「あ、足……。足が動かないの……!」
アルベルタはすぐそこまで迫っている。素手であったなら、まだ対応のしようもあったのに。
エラは唇を噛み締めて、きっ、とアルベルタを睨んだ。確実にこちらに近づいてくるアルベルタから目を離さずに、ドリスに向けて叫ぶ。
「ドリス姉様、アルベルタ姉様は私がなんとかします。だから、なるべく急いで、どなたか連れてきてください。幸いここには、訓練された方がたくさんいるでしょう」
「え、エラ?」
「急いでね姉様!」
エラは無意識に腰を低くして、もうすぐそこまで迫ったアルベルタに突撃した。急に距離が縮まったエラに対応しきれずに、アルベルタはエラに巻き込まれる形で転倒する。運の良いことに、アルベルタの手から鋏が離れた。
エラはそのまま二、三回ごろごろと転がると、くしゃくしゃになった髪に葉っぱをつけながら立ち上がった。
そんなエラを、ぽかんとしてみているドリスに再度叫ぶ。
「ドリス姉様!」
名前を叫ばれて、ドリスはようやく我に返った。慌てて立ち上がろうとして、何度か転ぶ。ようやく立ち上がると、よろよろとしながらも踵を返して走り出した。
「待っててね、エラ。すぐに戻ってくるわ!」
走り去るドリスを見送って、エラは少し安心していた。動けないドリスさえいなければ、あとはアルベルタをなだめつつ、誰か来るのを待てば良い。もしかしたら、先ほどのドリスの悲鳴を聞きつけて、すでに誰かが向かっているかもしれない。
エラは中庭から見える自分の部屋を見上げた。すぐ隣の窓が開いて、カーテンが揺れている。きっと部屋の前の兵士二人には、悲鳴が聞こえたはずだ。
さらに、もともと三姉妹の中では、エラは運動神経が良い方だ。短い時間ならばなんとかなるだろう。
「アルベルタ姉様……」
「どうして邪魔するの……。ひどいひどいひどいひどい!」
絶叫するアルベルタには、エラの言葉を聞いている様子さえない。まともな会話は無理かもしれない。それでもエラは辛抱強く話しかけた。話している間は、少なくとも襲われずに済む。
「アルベルタ姉様、落ち着いて。私は姉様の邪魔なんてしないわ」
「嘘だわ。信じられない」
「嘘じゃないわ。姉様は私にどうして欲しいの?」
優しく話しかけるエラを信用していいのか、アルベルタは決めかねている様子だ。意味をなさない言葉を羅列し、うめいている。
悩みながらもアルベルタは寒そうに体を縮めて、両手で体をさすっている。エラはもう一押しだと、なるべく優しく声をかけた。
「寒いならお城の中に入りましょうよ。暖かい部屋で、座ってゆっくり話し合いましょう」
「中に……? ここから離れるの? ああ、ああ、やっぱり! あなたは私の邪魔をする!」
アルベルタは叫んだ。先ほど落とした鋏を再度拾い上げて、血走った目をエラに向けた。その目を見た途端、話などもう意味をなさないと悟った。
エラはぱっと踵を返すと走り出した。足音で姉が追ってくるのがわかる。ドリスの応援を心待ちにしながら、とにかく逃げた。まだたいして走ってもいないのに息が上がる。心臓が破裂しそうに痛い。
そろそろ来てくれないだろうか。ドリスが普段通りの速さで走ることができたのなら、もう誰かが助けに来てもおかしくないのに。それともエラが体感しているよりも、ずっと短い時間しか経っていないのだろうか。
庭の端にたどり着くと、そこには低い生垣と小さな川があった。エラはそれらを軽々と飛び越す。ところが生垣を超えたとき、着地した場所に木の根が露出した場所があった。エラの足は木の根を踏んで、バランスを崩してしまう。
エラは右肩から地面におもいっきり激突した。痛みに小さく呻く。そのとき、エラが立ち上がろうとした目の前を、高枝切り鋏が通り過ぎた。エラが転んでいる間に、アルベルタが追いついてきたのだ。
あと一歩間違えればエラの目はえぐり取られ、二度と光を映さなかったかもしれない。いやそれどころか、死んでいたかもしれない。怖い。怖い。どうしようもなく怖い。死が目の前に迫るのを感じて、全身の血がすぅっと引いていく。
エラはほとんど四つん這いのまま、転がるようにしてその場から逃げた。わずかな距離を挟んで、アルベルタがこちらに鋏を向けている。
アルベルタが奇声をあげながら、高枝切り鋏を大きく振りかぶった。姉は背が高く、手足が長い。つまり、そのリーチは恐ろしいほど長い。
エラは避けるのが難しいと悟ると、勇気を振り絞ってアルベルタの方に向けて大きく一歩踏み出した。高枝切り鋏の柄の部分が、エラの左肩に直撃する。鋭い痛みが走ったが、材質が木であったためか、それとも持ち手に近づいたことで威力が殺されたのか、我慢できないほどではなかった。
エラはそのままアルベルタにぶつかる。思わぬ反撃を受けたアルベルタは対応できずに、そのまま後ろに倒れてしまった。ぱしゃんと水音を立てて、アルベルタが川に落ちた。
「きゃああああああっ!!」
アルベルタの口から、断末魔のような悲鳴が漏れた。膝丈ほどの浅い人工の川で、アルベルタが溺れている。エラの記憶が正しければ、アルベルタは泳げたはずなのに。
エラ自身も川の中に倒れ込んで、全身ずぶ濡れになっていた。目の前で溺れるアルベルタを、肩で息をしながら眺めることしかできない。金縛りにあったように、体が動かないのだ。やがてアルベルタは気を失い、水の中に顔をつけて動かなくなった。
その頃になって、ようやくエラは動けるようになった。エラは大慌てでアルベルタを抱き起こす。濡れた服が張り付いて、風が吹くたびに凍えそうになる。あれほど寒がっていた姉は大丈夫だろうか。
エラがアルベルタを揺すると、姉は唇を真っ青にして水を吐き出した。
(よかった、生きてる……!)
無事だとわかった途端、緊張が解けたのか、どっと疲れが出てきた。自分で考えていたよりも、神経を削り消耗していたようだ。けれどまだ休むわけにはいかない。意識を失ったままのアルベルタを抱えて、エラは立ち上がる。寒さにがたがたと震えながら、自分よりも身長のある姉を抱えるのは少し無理があったようで、まっすぐ歩けない。
倒れこむように姉を岸にあげて、エラ自身もその隣に倒れ込んだ。そのまま眠ってしまいたいくらいに体がだるかったが、寒くて眠るどころの騒ぎではなかった。重い体を持ち上げて、半身だけ起こす。ドリスはまだ来ない。
考えたくないが……、まさかドリスの身にも何か起こったのではないか。心配だが、とても今のエラにはドリスを助けに行くような余裕はない。それどころか……この現状さえどうしたら良いのかわからない。アルベルタを一人にはできない。早く誰か来てくれと心の底から願う。
(ドリス姉様、お母様、ステラ、レオノーラ、カミラ……誰か来て……)
姉の顔色が尋常ではなく悪い。はやく暖かい場所に連れて行かなくては。誰かを待っていては手遅れになるかもしれない。
エラは再び気合いを入れ直してアルベルタを担いだ。一番近い出入り口は、普通に歩けば三分とかからない距離だ。休みたくなる自分を叱咤して、ほとんど気力だけで歩き続ける。
「あっ!」
何かに躓いた。今日何度目かの転倒。躓いた場所には、高枝切り鋏が落ちている。先ほど放り出された鋏に躓いてしまうなんて、なんて運の悪いこと!
体を起こそうとしても、もう力が入らない。半身を起こすのが精一杯だった。身体中がじんじんと痛む。風が吹くたびに寒い。姉に何かあったらと思うとたまらなく怖い。それでも立ち上がれない自分の体が憎い。
(誰か、誰か助けて)
涙が滲んだ。姉の姿が歪んで見える。そのときだった。
「エラ?」
声につられて顔を上げたエラの視界の先に、王子がいた。二階の廊下の窓から、体を乗り出している。
「エラ、どうしたの! ずぶ濡れじゃないか! それに、アルベルタ嬢まで!」
「あ、う……」
助けてくれ、と叫ぼうとして、うまく叫べない。寒さで体がうまく動かない。歯ががちがちと鳴って、まともに喋ることさえ難しい。
「すぐ行く!」
王子はそう叫ぶや否や、窓から顔を引っ込めた。きっと大急ぎでこちらに向かっているのだろう。
それを見届けると、エラはどさっと倒れこんだ。もう一歩も動ける気がしない。でも大丈夫だ。王子が来てくれる。もう大丈夫だ……。
ようやく、ようやく動きのあるシーンがやって来ました!
ここまで長かった……!
私はもともと少年漫画をこよなく愛しておりましたので、戦闘シーンが大好きです。
エラには慣れない戦闘をさせて申し訳ないですが、よく頑張ってくれました。
読者の皆様におかれましては、こういったシーンはいかがでしょうか。楽しんでいただけたのであれば嬉しいです。




