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シンデレラ戦記  作者: 佐倉 杏
第1章 狙われた宝具
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ドリス姉様

 ねずみたちがいなくなったという事実は、思っていた以上にエラに衝撃を与えたようだ。


 その日はいつにも増して肌寒く、きつくマフラーを巻いた上からでも、木枯らしの冷たさが身にしみた。高い空には雲一つなく、眩しいほどに暖かな日差しが降り注いでいるのだが、それ以上に空気の冷たさが身に堪えた。もう一枚羽織ってくればよかったかとも思ったが、今更ブランケットを取りに戻るのも億劫で、風が吹くたびに身を縮めて寒さに耐える。


 エラは一人、王城の中庭で時間をつぶしていた。

 この城には中庭と呼ばれる場所がいくつかある。以前エラが迷い込んだ庭は兵の訓練場になっており、無骨で飾り気のないものであったが、ここは違う。

 ここの中庭は、もはや公園と呼んでも差し支えないほどの広さがあった。庭の中央には噴水が五つもあり、豪勢に飛んだ水が美しい模様を描く。上から見ると、噴水が踊るように交互に水を噴出すのが見えるはずだ。


 噴水の周囲には冬の花が咲いている。きっと季節ごとに専門家が花を植え替えているのだろう。

 いつものエラであったなら、歓声をあげて噴水に見とれていたのだろうが、今日ははしゃぐ気分ではない。


 朝食も昼食も、ろくに食べられなかった。何か腹に入れようと思い、フォークを持つのだが、つついただけで食べる気をなくしてしまう。もし食べたら吐いてしまいそうだ。どんな豪華な食事も、全く美味しそうに見えない。


 普段は残さずに食べるエラが、全くと言っていいほど食事に手をつけないのを見て、ステラはたいそう心配した。しかし何を聞かれても、エラは頑として理由を語らなかった。いや、語れなかったと言ったほうが正しい。


 ねずみと話すということの異常さは、エラも重々承知しているのだ。良くて病院送り、悪くて魔女裁判といったところか。


 心配した王子が医者をよこしたりもしたが、エラの体はどこも悪くない。王子の手前、一応医者に診てもらいはしたが、診察結果を待つまでもなかった。


 どこにいても人から心配されてしまい、部屋にいては見舞いのような客がひっきりなしに訪れる。心配してくれている皆には申し訳ないと思うが、今は一人になりたい。

 そう思って城の中をふらふらしていると、中庭に目が止まった。本来ここは観賞用の庭なのだろう。上から見下ろした時に最も美しく見えるように計算されている。庭に面した窓は、たしか王族の私室や賓客用の部屋に面していて、エラの部屋からも見えたはずだ。


 冬場であるにもかかわらず生い茂る草の陰に、エラは座り込んだ。ふわふわとした草が心地よい。どのくらいそうしていたのか。太陽の傾きから、それほど時間は経っていないはずだが、とても長い時間ここにいたような気もする。


 そのうち草の陰の向こうから、大騒ぎしている人たちが近づいてきていた。

 何事かと思い、声のするほうを窺うと、なにやら黒い服を着た体格の良い五人の男がむせび泣いているのが見えた。


 男たちのうち、一番年かさの一人がエラに気づいた。


「あれ、こりゃ、お客様がいらしたのか。

 すみません、お邪魔しまして」


 男は真っ赤に腫らした目を、ぱちくりとさせた。


「ところで、いったいお一人で何をしてるんですかい?

 あんた、王子様のお客人でしょう?」

「あの、少し、豪華なお城に疲れてしまって……。休ませてもらっていたんです。素敵なお庭でしたので」


 エラがそう言った途端、一番端にいた男が大声をあげて泣き始めた。歳はまだ十代半ばといったところだろうか。他の四人と比べると随分と若い。とはいえ筋骨たくましい男であるのに変わりはなく、涙もろいとは思えない男の突然の号泣に、エラはただただ戸惑った。


 まわりの男たちがなだめようとするが、止めようとすればするほど、男の泣き声は大きくなっていくように思えた。よく見ると全員が涙ぐんでいる。


「ご、ごめんなさい。何か気に触ることを言いましたか?」


 頭をさげるエラに、泣いている男が叫ぶように言った。


「いや、いや、気に触るなんてとんでもねえや。嬉しいんだ、おれは。

 この庭を、師匠の庭を、素敵だなんて言ってもらえて」


 男は懐からハンカチを取り出すと、思い切り鼻をかんだ。


「けど、けどっ! もう、師匠はいねえんだ!」


 そう叫ぶと、男は再びわんわんと泣いた。するとその男につられたように、他の男たちにも涙が伝染した。

 もう言葉を話す余裕さえない男に代わり、目にうっすらと涙が浮かべた最初の男が、一人おいてけぼりのエラに説明をする。


「すんません。実は今朝、この庭を作ったおれらの師匠が亡くなりまして……。なにしろ突然なもんでね。ちょっとまだ、心がついてこないんでさ。

 お客人には申し訳なかったね。暗い話しちまって」

「いえ、そんな……。お気の毒です」


 エラはその時になってようやく、この男たちが着ている服が喪服であることに気付いた。


 亡くなった庭師の弟子だというこの男は、すでに齢四十を越えていそうに見える。亡くなった庭師というのは、どうやら相当の高齢だったようだ。かわいそうに、きっと突然の病だったのだろうとエラは思ったのだが、男はそれを否定した。


「とんでもない。師匠は健康そのものでしたよ。そりゃあね、ちっとは足が悪かったりしたけども、病気じゃあなかった。

 師匠が亡くなったのは、溺れたからなんですよ」


 エラは驚いて目を丸くした。この寒い時期に、溺死?


「用水路に落ちたんですよ。ほら、人通りの多い街なんかには、用水路に柵があるでしょう? でもね、庭の端っことか、作業員しか来ないようなとこには、柵みたいなもんは置いてないんですよ。

 師匠はたぶん、足を滑らせたんでしょう。気温が低いと足が痛んでうまく動かせないってぼやいてましたからね……。

 本当に、どうして一人で用水路になんか近づいたんだか……。危ない仕事は俺たちに任せてくれればよかったのに……」


 男は唇を噛み締め涙をこらえていたが、それは傍目にもむなしい努力だった。

 そんな男たちの様子を見て、エラは無遠慮に事情を聞いてしまったことを申し訳なく思った。大切な人の突然の死に、今の男たちはエラ以上に打ちのめされているのだ。エラは男たちに「ご冥福をお祈りいたします」と言って、その場を後にした。






 それから二日後のこと、ようやくエラがぽつりぽつりと食べ物を口にするようになった。たった数日で随分と痩せてしまったみたいで、着ている服が少しだぼついている。

 それでも食事を摂るようになったエラを見て、王子や侍女たちは随分とほっとした様子であった。久々の食事でもエラの胃が驚かないよう、コックは消化の良い食事を用意してくれていた。


 だから今日、夕食を食べに広間に行った際、エラの食事が母や姉たちのものと同じであったことに、エラは少なからず驚いた。


 エラはなるべく食べやすそうな、さっぱりとしたものを選んで食事をとった。その後部屋に戻る途中に偶然、両手いっぱいに花を抱えたステラの姿を見つけて、つい声をかけた。


「ステラ」


 エラの姿を認めると、ステラはにっこりと笑って立ち止まった。


「お仕事中ごめんね。今何をしているの?」

「ロビーに飾るお花を取り替えに行くんです」


 ステラは両手の色とりどりの花束を見やすいように掲げた。


「それは、急ぎ? 少しだけお話、いいかしら」

「ええもちろん。どうしましたか?」

「お食事のことなんだけれど」


 エラがそう言い出すと、はっとしたようにステラが身を硬くして、すぐに謝った。


「申し訳ありません。手違いで、エラ様用のお食事を用意できなかったのです。お母様方と同じものになってしまったのですが、やはり、まだ食べられなかったですか?」


 うなだれるステラに、エラは慌てて「違うの」と首を振った。


「今日は、コックの方が変わったの? あ、別に文句を言おうとかではないのだけれど、気になって。

 ほら、私わざわざ違うメニューを作ってもらっていたでしょう? だからコックさんにはお礼を言いに行ったりして、少し仲良くなったのよ。

 あの方はどうしたのかしら。風邪でも引いてしまったの? 大事ないといいのだけれど」


 それを聞くと、ステラの表情が明らかに暗くなった。少しの間、説明するべきか迷っている様子であったが、やがて諦めたように口を開いた。


「それは、その……。

 お客様であるエラ様にお話すべき内容ではないと思うのですが……」


 そこで一度言葉を切り、言うべき言葉を探すように視線を宙にやった。


「彼は、その。気が触れてしまったというか」

「え? 気が触れた?」


 予想外の返答に、エラは素っ頓狂に声を上げた。てっきり病欠とか、休暇をとって実家に戻っているとか、そんな答えかと思っていたのに。

 ステラは困ったように視線を落として、重々しく頷く。


「そうなのです。つい先刻、突然包丁を振り回して、大蛇が襲ってくると叫んだり、せっかく用意した食材を片っ端から燃やしてしまったり……。しまいには同僚に掴みかかって、大騒ぎになってしまったんです。

 一応医者に見せて、今は鎮静剤を打って安静にさせていますけれど、ベッドに縛りつけたままの状態なのです。なにしろ原因がわからなくて、目を覚ました途端に暴れだすかもしれないんですもの」


「お見舞いには、行けるの?」

「ええと、その。申し訳ありません。エラ様にお見せできる状態では……」

「そう、なの……。そんなにひどいの」


「ああ、でもきっとすぐに良くなりますよ。なんていったって、ここは王国でも最高の医師が集まる場所でもありますから。ご安心ください。ね?」

「そう、そうよね。お仕事中にありがとう。じゃあ、またね」


 エラは幾分安心して、手を振ってステラと別れた。

 しかしその後、この事態は悪化の一途を遂げることとなった。






「ま、また患者が増えたの?」

 エラはステラから王城の現状を知らされ、目を丸くした。


 コックが原因不明の病にかかってからまだ数日だというのに、同じ症状を発症した人間が、すでに四人に増えた。


 一人目は例のコック。二人目は掃除婦。三人目もまた掃除婦で、四人目は下働きの見習いの少年だったそうだ。性別も年齢もバラバラで、患者の共通点から原因を特定するのは難しい。


 今のところ、この被害は王城の中にいる人間だけに限られているようではあったが、事態を重く見た国王は城内外の出入りを最小限まで抑えた。一時は王族の避難も考えられたようだが、もしすでに王族の誰かが感染源としての何かに侵されていた場合、感染を城外へ広めてしまうことになる。そこで王族のみを隔離することができるような場を、大急ぎで探しているらしい。


 医者たちも、患者が神経を侵されているらしいということまではわかったが、原因と対処法についてはさっぱりわからないままであった。患者たちはベッドに縛り付けられたまま、睡眠薬と鎮静剤によってかろうじて大人しくさせられているのが現状だ。


 エラと母姉は、なるべく部屋から出ないようにと王から言われており、この事態の収拾がつくまでは、なるべく隔離しておこうとの判断のようだ。


 ステラが先ほど部屋に入ってきたとき、エラはあの親切なコックを苦しめている病の正体は一体なんなのだろうと、頭を悩ませていた。薬剤師志望としては、興味のある分野でもある。

 しかし熱中しすぎて、ステラが話しかけているのに気付かないのはまずかった。ステラはまさかエラまで病にかかったのではないかと、危うく大騒ぎするところだったのだ。


「エラ様も、体調が悪いとかありましたら、すぐにおっしゃってくださいね」


 エラは頷いて「ステラも気をつけてね」と声をかけた。きっと城はこの事態への対処にてんやわんやなのだろう。ステラは珍しく無駄口を叩くことなく、すぐに退室した。






 それからしばらく。太陽はてっぺんを超えて、徐々に角度を落としてきた。西向きの窓に柔らかな日が差し込んできた頃、どたどたと落ち着きのない足音が廊下の方から響いてきた。それを聞いて、エラは読んでいた本にしおりを挟み、顔を上げた。この足音は、たぶん姉だ。

 そのまま待っていると、足音はエラの部屋を通り過ぎ先に進んでいく。少し意外に思ったが、まあそれならと再び本に手を伸ばしかけたところ、足音が帰ってきた。


(ああ、行きすぎただけか)


 エラは少し笑って立ち上がり、ドアを開けた。

 そこには大声を出そうと大きく息を吸って、ドアを破りそうな勢いでノックをしようと拳を振り上げた姉がいた。突然に両方の動作を不要とされた姉は、その格好のまま口をパクパクとさせた。その姿はまるで幼い子供を見ているようで、エラはおかしくなった。


「ドリス姉様、いらっしゃい」


 くすくすと笑う妹に、ドリスは大きく一つ咳をすると、明後日の方を向いて「お邪魔するわ」と言った。






 ドリスはエラの二人の姉のうち、次女の方だった。まだ父が生きていた頃、二人の姉もエラにとても優しかった。


 長女であるアルベルタは三姉妹のリーダーのように振る舞い、身勝手な行動も多かったのだが、その分責任感も強く、妹たちをしっかりと守っていた。一方次女であるドリスは正直なところ見目の美しさでも、能力でもアルベルタには遠く及ばない。しかしそのドジな性格はどこか憎めなくて愛らしいとエラはずっと思っていたのだ。


 エラの父が死んだ日、二人の姉は一生懸命にエラを慰め、そばにいてくれた。しかし母は意識が戻ると、姉二人がそうした態度をとることに、強く反対するようになった。


 はじめはエラも二人の姉も、それはそれは戸惑った。数日前には、姉妹で助け合う姿を見ると、目を細めて褒めてくれた。それを誇りに思っていた姉妹にとって、母の豹変ぶりは理解の外の出来事だった。


 気の強いアルベルタは母に猛反発した。エラだけ扱いを変えるなどおかしいと猛烈に主張し、その意志を曲げなかった。その姉に引きずられるようにして、ドリスもエラの味方だった。


 しかし所詮は子供であって、親にはかなわない。数週間か経つ頃には、二人の姉もエラに話しかけることができなくなってしまっていた。エラに優しくすると母にこっぴどく叱られているのだ。それを理解していたエラも、姉たちに話しかけるようなことはしない。こうしてエラたち姉妹は、ほとんど会話をすることがなくなったまま、今日に至っている。


 その姉が、久しぶりにエラの部屋を訪ねていた。しかも、気の強いアルベルタではなく、ドリスが。いったい何があったのか、エラは大いに気になった。


「ドリス姉様、何か飲む? 紅茶でも淹れましょうか? 

 ええ、そこに座って。とにかく落ち着いて」


 ドリスはエラに促されるままに座り、紅茶を飲んで菓子をつまんだ。姉はクッキーを口に放り込むと「うん。美味しい」と幸せそうに頬張っている。


「なんだか久しぶりだわ、エラとお茶するなんて」

「そうね。いつぶりかしら。もう二年になる?」


 たくさんあったはずの菓子の山の半分が消えて、ティーポットの紅茶が空になった。和やかな時間が流れる。エラが嬉々として新しい茶葉を用意しているとき、ドリスが叫んだ。


「違うわよ!!」

「え?」

「なんで私、お茶飲んでおかし食べて、ゆっくりしてるの?」

「美味しいもの。お代わりいるでしょう?」

「いるわ。違うわ!」


 姉は叫びながら立ち上がると、頭を両手で抱えて嫌嫌と言うように頭を振る。


「エラに話があってきたの! お母様の目を盗むの大変だったのよ!」

「ええ、だからお茶でも飲みながら話しましょう。お話は逃げないわ」

「のんびりしてるうちに取り返しがつかなくなったらどうするの!」

「もうすでにクッキー半分食べたのに?」

「それは突っ込まないで!!」


 姉は顔を両手で覆う。その様子についつい吹き出してしまいながら、エラはしゃがみ込んでしまった姉を立たせた。


「ごめんなさい、ドリス姉様。からかいすぎたわ」

「え? からかわれてたの?」

「それはさておき、なにがあったの?」


 今更なのにドリスは、はっとしたようにエラに縋り付く。


「お姉様がいないの」

「アルベルタ姉様が?」


 アルベルタはしっかり者だ。多少気が強すぎてトラブルになることもあるが、基本的にいないからといって心配しなくてはならないような人ではない。


「違うのよ違うのよ」


 ドリスは大きくかぶりを振る。


「今、変な事件が起きているでしょう?」


 エラは小さく頷く。ドリスが言っているのは、コックたちが罹っている、あの病のことだろう。


「お姉様、あれ解決するって言って出て行ったのよ……」

「ああ……」


 姉らしいといえば姉らしい無茶だ。


「お母様には言えないし……私一人じゃどうもできないし……。お昼ご飯の時はなんとか誤魔化したのだけれど、夕飯の時にも帰ってこなかったら、さすがにお母様が怪しむわ。そうなったら、私まで叱られちゃうもの」


 もう涙目のドリス。上目遣いにエラを見て、嘆願する。


「お願いエラ。お姉様探すの手伝って……」


 もちろんエラに、断れるはずもなかった。

ドリス姉様登場です。

シンデレラの姉というと、意地悪で嫌われ者のイメージが強いですが、この話では愛すべきマスコットのようなキャラクターを目指しました。


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