鎮火
生き残ったエラと王子、レオノーラの三人は炎の海を泳いで、なんとか陸に上がることができた。海が燃え上がり大海蛇の群れが泳ぎまわるという、あまりの異常事態に遭遇して、ラトアの住人は遠巻きに入り江に集まっている。
エラたちが海から戻ると、なぜか全身ずぶ濡れのダグラスとロビンが血相を変えてこちらへと走ってきた。
「殿下! エラ嬢!」
王子の前まで来ると二人はその場で跪き、膝を砂で汚した。頭さえも地面にこすりつけそうな勢いで低頭する。
「よくぞご無事で。殿下の危機に何の役にも立てず、この失態、いくら償おうとも償いきれません……!」
放っておいたらすぐにでも腹を切ってしまいそうな勢いで謝罪をするダグラスに、王子は慌てて労いの言葉をかける。
「何を言う。お前たちがいたから、僕たちは助かったんだ。誇りこそすれ、恥じ入る必要がどこにある」
「しかし……!」
「面をあげろ。お前たちは僕にはもったいなほどの優秀な部下だ。己を恥じ入ることなど僕が許さない。僕の部下ならば顔を上げて、毅然としていろ」
王子の言葉は命令の体を装ってはいるが、これ以上ないほどの労いの言葉だった。部下二人は再び頭を下げたが、それ以上は言わなかった。
「エラーっ!!」
空から声が降ってきた。そちらを向くと、クロウの背からリオルが飛び降りて、エラのところに降ってくる。慌ててリオルを抱きかかえると、リオルが今にも泣きそうな表情でエラの無事を喜んだ。
「エラ、エラ! ああ、こんなにぼろぼろになって!」
「心配かけてごめんね。でも大丈夫。私は無事よ」
疲れちゃっただけだと笑うエラに、リオルは頬を寄せる。
「あんまり心配をかけないでくれ。もう、本当に心労で死ぬかと思った」
リオルに続いてクロウもエラのもとに降りたつ。
「怪我もないみたいだな。本当に良かった。
それにしても、大海蛇に襲われて生き残ったなんて、エラが史上初じゃないか? さすがエラだな」
「ありがとう、クロウ」
そのとき沖の方から爆発音が聞こえてきた。はっとして振り返るが、深い霧に邪魔されて、何も見えない。眉をひそめるエラの肩に王子が手を置いた。
「多分、観光船が沈んだんだろう」
ラトアの観光協会には申し訳ないことをしたな、と笑う王子にエラは問う。
「観光船……。あれは王子様が手配したのですか? 一体どうやって?」
「ああ……あれはね、リオルとクロウに頼んだんだよ」
エラがレオノーラのところから戻ってきたとき、王子はリオルとクロウに、ラトアにいるダグラスとロビンのところへ行くように指示した。
ラトアには一隻だけ観光船がある。普段は沖には出さずに港に停泊してるだけの船だが、船としての機能がないわけではない。
「ダグラスなら、権力に物を言わせて、あの船を動かせると思ったんだよ」
王子の読み通り、ダグラスはラトアの観光協会に向かうと、かなりの金を積んであの船を買い取ったらしい。そのときにはすでに、残ったロビンが出港準備を進めていた。なんでももし交渉が決裂したら、船を奪うつもりだったという。
「いやあ、そうならずに良かった」
実に気軽に王子は笑う。それから二人は船に乗り込み、船を沖に出した。大海蛇の群れは今、入り江に集中しているから、多少沖に船を出しても、すぐに狙われることはなかったという。
船を海流に乗せると、二人は船から飛び降り、泳いでラトアに戻った。王子は、彼らならば王子を守るため、命さえ捨てかねないと危ぶみ、必ず戻るようにとの命令をリオルに伝言させていた。そのまま乗っていては船ごと襲われてしまうからだ。
海流に乗った船は、無人であってもぐんぐんと沖へ進んだ。最後まで船に残っていたリオルとクロウが微調整を行ったこともあって、船は絶好の位置へと進んだ。
あとは王子の読み通り、大海蛇たちは巨大な敵影に意識をとられ、エラたち人間ごときを相手にしている場合ではないと判断した。
「全員無事、とはいかなかったけど……」
王子が小さくうつむいて視線を落とした。エラもつられて唇を噛む。トーマスの最期はあまりに壮絶だった。
「殿下、この女はいかがいたしますか」
ダグラスとロビンがレオノーラに剣を向けている。レオノーラは丸腰だし、腕を負傷してる。勝ち目などないことを悟っているようで、抵抗する様子もなかった。惚けたようにその場に座り込んでいる。
「彼女には、やってもらいたいことがある」
王子の言葉に、レオノーラの眉がぴくりと動く。エラには向けたことのない、憎しみのこもった眼差しを王子に向ける。
「……何をさせようって言うのよ」
祖国を裏切るような行為であるならば、その場で自刃しかねないほどの怒気が言葉にこもっている。しかし王子はあっさりと笑って、大したことじゃないと続ける。
「なに、ちょっと情報を持って、国に戻って欲しいだけさ」
「で、殿下!?」
暗に逃がしてやると告げている王子に、ロビンが動揺して声を荒げた。
「せっかくの捕虜ですよ!」
帝国の内情、兵の数に配置、兵糧の目算。聞きたいことは山ほどあった。それを逃がしてしまうというのは、愚かな行為に他ならない。
「だが彼女にはどうしても、やってもらいたいことがあるんだよ。そのためには彼女に拷問の痕があってはいけないんだ。拷問もなしに彼女が口を割るとも思えないし」
「……何をしろって言うのよ」
警戒しているレオノーラの声は低い。当然だろう。王子は確かに心優しい好青年ではあるが、同時に為政者である。その心根が、ただ純粋なだけであるはずがない。
「さっきも言ったろう。君には、情報を持ち帰って欲しい」
「何の」
額にしわを寄せたままのレオノーラは、ちっとも本題に入らない王子に苛立った声をあげた。
王子に呼ばれて、エラが前に出た。レオノーラが訝しげな目を向ける。エラは自らの足元を指差した。その足には、ガラスの靴の片方だけが残っている。
「壊れてしまったの。レオノーラも見ていたでしょう? もう、ガラスの靴に力はないわ」
エラのそれを見て、リオルが悲鳴をあげた。ガラスの靴に近づいて、ペタペタと触れる。どうやら本物に間違いないことを確認し、靴からマザーの魔力を感じられないことを知ると、耳を下げて大げさに嘆く。
「そんな……! どうして!」
「大海蛇に壊されちゃったのよ。でも、そのおかげで私は助かったわ」
固いガラスの靴がなければ、壊されていたのはエラの足だっただろう。
「もう、魔女の遺産は使えない。これで戦争をする理由はないわよね。もし必要なら、もう片方の靴も持って行って構わないわ」
靴を脱いでレオノーラにすっと差し出し、王子を見る。王子は頷いて、エラの言葉を継いだ。
「聞いてのとおりだ。君に持ち帰って欲しい情報は、僕たちがガラスの靴を手に入れ損ねた、という事実だよ」
レオノーラの目が驚きに開かれる。それが落ち着いてくると、徐々にエラたちを見る目に、感心と尊敬、それに加えて呆れが混濁した。
「……まさか、狙ってたの?」
エラは曖昧に笑った。そうだと言えば、ここまで嘆いているリオルに申し訳がない。でも嘘はつけなくて、否とも言えない。
レオノーラは肩を下げた。その目から敵意が消え失せる。
「情報を持ち帰るのが、私の仕事。それを上がどう判断するかまでは、知ったことではないわよ?」
「無論だ。それで構わない」
手を叩いたエラと、王子は互いに向き合って笑った。マザーの家で話した、戦争回避の最後の手段。それは、ガラスの靴を破壊するということだった。
まさか大海蛇に襲われるなど思ってもいなく、本当はもっと安全な事故で手放す予定だったが、むしろよかった。これでレオノーラも報告しやすいだろう。
「その片方の靴だけど……いらないわ。陛下にガラクタを持ち帰るわけにはいかないの。
……エラが持っていなさいよ」
不器用に視線をそらして、レオノーラが海を見つめる。エラはガラスの靴をきゅっと抱きしめて、小さく「ありがとう」と呟いた。
ぱん、ぱんと手を叩く音がした。王子が満面の笑みを浮かべてそこにいる。
「さあ、話はついたね。じゃあ、働こうか。なにせ、やることが山盛りだ。
まずはこの荒れた海をどうにかしなくてはね。とはいえ消火は、自然鎮火に任せるしかないから、重要なのはラトアへの説明と賠償かな。残った油の件は、今すぐどうこうはできないから、城に戻ってから本格的に作業者を送り込む。レオノーラは早く医者に診てもらいなよ」
「殿下もお休みください。消火活動は私が指揮しますので」
「嫌だね」
「殿下……」
呆れたように眉を下げるダグラスに、王子は楽しそうに笑ってみせた。そうしてエラの方を振り向くと、今度は優しげな色を目に浮かべる。
「エラは、レオノーラについて行ってあげて。少し話してくるといい」
王子の心遣いが嬉しくて、エラは黙って頭を下げた。




