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シンデレラ戦記  作者: 佐倉 杏
第3章 魔女の住処
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炎の海

 エラは大きく息を吸って飛び込んだ。水柱を立てて、全身が暗い水面に吸い込まれる。


(本当だ、潜れた)


 王子やクロウは、もう少し暗くて深いあたりにいる。リオルが身振りでエラも深く潜るようにと促す。エラはまとわりつく上着を捨てて、王子達の元へ向かおうとした。


 そのとき。


 背後からすごい衝撃が走った。口から大きな泡がこぼれる。衝撃波に押されて、エラは水底へと押しやられる。飛びそうになる意識を必死に繋ぎとめた。ここで気を失ったら、本当に死んでしまう。

 深淵へと向かうエラの視線の先、そこに何対もの光が見えた。それが何なのか理解するより先に、本能が恐怖を感じ取った。


(水面へ……!)


 先ほどの衝撃を考えると、水面も安全とは言えない。でも、ここにいるよりはいい。

 エラが水面へと泳ぎ始めると、ガラスの靴がエラの意思を読み取ったのか、ぐんと力強く水を蹴ることができた。潜る時にはこの力は働かなかったから、きっと水中で自由に動ける類の能力ではないのだろう。


(本来の使い方……水面を歩く力を使おうとして、こうなっているのかしら)


 どうやって海上と海底の方向を判断しているのだろう。重力を用いているのだろうか。理屈はさっぱりわからないが、とにかく弾かれるように進むエラはすぐに水面まで出られた。もはや海水はエラの足の下だ。

 海面に立ち、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込もうとして、思い切りむせ込んだ。煙たい。目の端に涙を滲ませて、変わり果てた入江を見渡す。


 そこはさながら地獄のようだった。

 あちこちで炎が燃え盛っている。ここは海なのに。比喩でもなんでもなく、海が燃えている。


(いったいどうやって……?)


 もしや、生き残りの魔女の能力かと疑う。しかしエラの視線の先で、無事だった樽が炎に包まれたことで、エラはこの現象が人間の悪意によって引き起こされたのだと悟った。


(なんてことなの!)


 樽には油と爆薬が詰め込まれていた。油は海面を漂い、炎の勢いを強めた。さらに炎を広げるために、爆薬は火の粉をあたりに撒き散らす。

 ここは霧に隠れて敵影が確認できない。入江の大半を火の海にすることで、エラ達を蒸し焼きにしようとしたのだ。

 ルイーゼは今医者のところにいるし、まだ回復はしていない。とすれば、もはや犯人は明らかだ。


「レオノーラ……」


 今度こそ本気で、エラを殺そうとしている。そのために、油を流すというとんでもない手段に出た。

 海に油が流されれば、海が汚れる。魚は獲れなくなるかもしれない。海鳥は翼を奪われるかもしれない。回復には、数年を要するだろう。


 エラのすぐそばで水音がした。驚いて振り返ると、王子がリオルとクロウを抱えて水面に顔を出した。


「王子様!」


 王子は壊れた船の欠片にしがみついて、大きく息を吐いた。先ほどの爆発の衝撃に目を回したリオルをその上に乗せる。


「リオル!!」


 エラは両手で己の口を押さえた。恐怖に駆られて真っ先に水面へ上がってしまったことを後悔する。リオルたち使い魔はきっと大丈夫だと、意味もなく安心していた。

 王子に礼を言おうと涙目でそちらを見ると、王子は少し苛立ったように首を振った。


「今は、そんなこといいから!」


 王子は油断なくあたりを見回した。きっとレオノーラとトーマスを探しているのだ。エラも王子に倣った。しかし敵影を見つけるよりも先に、もっと恐ろしいものが目に飛び込んできた。

 エラが一番に気づいたのは、視線が高い位置にあったからだろう。海底で、長い影が何本も、何本も揺らいでいる。深淵で見た、あの光が再びエラを射抜く。

 水面を見つめ、恐怖に凍りついたエラの様子に気づかぬまま、王子がこちら近づいてくる舟を指差した。


「エラ! トーマスたちだ」


 エラは意識を海底に残したまま、ちらとそちらを伺った。レオノーラが火矢を放って、この地獄を広げている。トーマスがその後ろで舵を取っていた。レオノーラの表情に陰影がつき、重々しい印象を受ける。実際、彼女の表情は珍しくも固かった。瞳を曇らせたレオノーラと目があった。


「素直に、取引に応じて欲しかったわ……。そうすれば、私はあなたを殺さなくても済んだのに」


 エラはふいと視線を外す。もはやレオノーラは脅威ではない。その態度が気に入らなかったのか、トーマスが声に苛立ちを含ませた。


「命がいらないっていうなら、あのとき言ってくれれば殺してやったのによ」


 しかしトーマスの言葉は、エラの右の耳を通り過ぎて、左の耳から抜けていく。


 影が、レオノーラの乗る舟に近づいていた。今度は慌てて、体ごと船に視線をやる。レオノーラの火矢と、その火種が鮮やかに燃えている。そして船の大きさは、船としては小ぶりであっても、当然のことエラたち人間の大きさよりは、はるかに大きな影を海底に落としていることだろう。


「だめ……」


 ほんの数秒後の未来を予想して、エラは青ざめた。小さなつぶやきに、王子だけが反応した。燃え盛る炎の音と爆発音で、レオノーラの元にこの声は届かない。


「レオノーラ、今すぐ船から離れて!」


 叫んだのと、それは同時だった。

 レオノーラの船の背後から、鞭のような巨大な尾が生えてきた。陽光さえも届かない霧の中、白銀に輝くそれは炎の光を受けて紅に染まっている。


 天に手を伸ばそうとするかのように聳え立ったそれは、しなやかに船へと落とされる。人間の身長の何倍もの高さの水柱が立った。頑丈そうであった船はもはや原型をとどめていない。前半分が粉々にされ、後ろ半分もかろうじて浮いているという状態だ。

 粉々にされた船の前半分に乗っていたレオノーラの体は、天高く飛ばされた。おもちゃのように出鱈目な方に腕がねじれたのが、シルエットだけでもわかる。痛みを想像して、エラの表情が引きつった。


 レオノーラはそのまま海面に叩きつけられた。仲間が瞬間にしてやられた現実を受け入れられず、トーマスは壊れた船に目を貼り付けたままだ。

 薄く唇を噛み締めて、エラが駆け出した。王子がエラの服に手を伸ばすが、機動力で圧倒的に優れたエラを捕まえることはできない。


「エラ! 戻れ!」


 王子の必死の叫びを、エラは無視した。今はただ、レオノーラのことしか頭にない。無論、側に行ってもエラに何ができるではない。水面は歩けるが、筋力のないエラでは、レオノーラを抱えて走ることはできないだろう。それでも、じっとしているのは無理だ。


 大海蛇はその鎌首をもたげ、海面に姿を現しつつあった。数えてしまえば絶望するほどの大きな群れが、己の領域を侵した不届き者に制裁を加えんと睨んでいる。


 彼らの標的は、サイズの大きいものから優先されるようだ。トーマスのいる船を中心にして弧を描くように、大海蛇の群れがゆらゆらとたゆとう。そのおかげで、その輪から外れた場所にいるレオノーラの元へは、比較的楽にたどり着いた。


 エラは沈んでいくレオノーラの腕を掴み、引き上げた。上がる分には、靴の力を使える。

 掴む腕を選んでいる余裕などなく、紫色に腫れた左手を掴んでしまった。意識を失いかけていたレオノーラの顔が痛みにひきつる。彼女は低い悲鳴とともに水を吐き出した。


「痛っ……! 一体、何が……」


 突然動いたレオノーラに驚いて、エラはぎくりと身をすくませる。つい力が緩んで、掴んでいた腕を離した。支えを失ったレオノーラの体が沈む。

 しかし意識を取り戻したレオノーラは、無事な方の片腕で泳ぎ、流れてきた木片にしがみついた。


 そのときレオノーラと目が合った。しかしすぐに、気まずそうに眉を寄せ、エラから目をそらす。

 レオノーラに何か言いかけて、やめた。かけるべき言葉が一つも浮かばなかったからだ。


 エラはレオノーラに背を向け、ぐっと唇を噛むとそのまま走った。ここはまだ火の手が回っていない。他に比べれば、比較的安全な海だ。大海蛇の影も見当たらない。レオノーラとともにここに残ったほうが、きっといい。


 それでもエラは、逃げるようにして炎の中に戻った。

油そのものが海上で燃えることは、ほとんどないそうですが、油のたっぷり染み込んだ木が海上で燃えることは稀にあるそうです。

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