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シンデレラ戦記  作者: 佐倉 杏
第3章 魔女の住処
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大海原の開戦

 マザーの家で一晩お世話になり、翌日の早い時間にエラたちは王都へ一度戻ることになった。魔女兵団が使えないのであれば、何か別の策を早急に考えなくてはならない。


「もう帰ってしまうのね。さみしいわ」


 肩に小鳥を乗せたマザーが桟橋まで見送りに来てくれた。クロウはよほど王子のことが気に入ったのか、なぜか王子の頭に乗っている。王子の抵抗をあざ笑うかのようにばさばさと翼を広げていた。


「ああ、そうだわ。あなたたち、確か馬車を手放してしまったと言っていたわね」


 マザーはそう言うと、動物たちに「あれをお願い」と言った。たしかに、エラたちが乗ってきた馬車はもうない。エラが攫われたとき、王子たちは一刻も早くラトアに着きたくて、馬車を売った金で駿馬を買ったのだ。


「だから、これを持って行って」


 マザーはトカゲが持ってきた緑色の大きな種をエラに手渡した。


「これは?」

「ラトアに着いたら、植えてごらんなさい。数秒で育つから」

「……? えっと、ありがとうございます」


 何が何だかわからないが、とにかく礼を告げて種をしまう。そのまましばらく地面を見つめて、それから意を決して顔を上げた。


「あの……また、会いに来てもいいですか……?」


 おそるおそる、エラがマザーに尋ねた。マザーは国から隠れているのだから、あまり人の行き来が増えるのは歓迎すべきことではないだろう。もしかしたらダメだと言われるかもしれない。

 しかしマザーはちょっとの間目を大きく開いて、それから目の端に涙を浮かべて微笑んだ。


「ええ、いつでも来てちょうだい。歓迎するわ」


 エラの表情がぱっと明るくなった。その頭の上で、リオルが満足げに耳を動かしている。


「じゃあ、その……。お元気で」


 言いたいことがたくさんあって、胸に詰まった。そうしてようやく出てきたのは、この簡単な一言。でも、これでいいのだ。


 エラにはまだやることが残っている。それが終わってすっきりしたら、また改めて会いに来よう。そのときこそ、言いたいこと全てを話そう。時間はたっぷりあるのだから。きっとマザーは笑って聞いてくれる。

 エラたちは来たときと同じ小舟に乗り込み、マザーの島を出た。島が霧で覆われて、すぐに見えなくなる。あたり一面が真っ白だ。


「それで、お前はいつまでここにいるんだよ」


 王子が頭の上のクロウに向かって疲れたように言う。どうやら退かせることは諦めたようだ。


「お前はマザーのところで暮らしてるんだろ? なんでわざわざ付いてきたんだ?」

「なんだよ、照れんなよ。俺がいて嬉しいくせに」

「もうそれでいいから、とりあえず頭からどいてくれないかなあ。肩凝るんだけど」


 不満げな顔を貼り付けて、不乱に舵を取りながらぼやく王子に、クロウは呵々と笑う。


「鍛え方が足りねえな!」


 リオルは未だに王子のことを認めてはいないけれど、使い魔も一枚岩ではないようで、クロウはもはやエラといるよりも王子といる方が楽しそうに見える。


「クロウは王子様と仲がいいのね」


 くすくすと笑うエラを見て、王子が心外そうに眉根を寄せる。クロウの表情は読めないが、その動作は相変わらず楽しそうだ。


「なんだよエラ、嫉妬か?」


 クロウがエラの方を見て言った。途端、エラと王子の顔が、熟れた果実のように真っ赤に染まる。しかしクロウは何ら気にすることなく言葉を継ぐ。


「安心しろよエラ。心配しなくても、俺は王子よりエラの方が好きだから」


 一呼吸遅れで、クロウに言われた意味を理解して、エラは慌てて頷いた。頬に手を当てる。まだ熱い。

 舳先でそれを見ていたリオルが、実に不愉快そうに尻尾を動かす。横目でクロウを睨むように見る。


「余計なこと言うなよ、この鈍感カラス」

「なんだよ、鈍感って。お前にだけは言われたくないな」

「さすがの僕でも気づいてるよ! 不本意だけどね!」

「何がだよ!?」

「うるさいお前ら少し黙れ!」


 王子が使い魔ふたりを黙らせに走る。手をぶんぶんと振り回して、無理やりにクロウを黙らせた。王子の動きに合わせて船が揺れる。クロウが慌てて飛び立った。


「うおっ」


 クロウの次は、波から逃げるようにして、舳先からエラの肩に移動したリオルが王子に文句をぶつける。


「転覆したらエラの服が濡れちゃうだろ!」

「え。心配するの、そこなの?」


 エラがいくらか間の抜けた返答をする。たしかに、普通は遭難とか溺死を心配するところだろうに。


「だってエラは泳げるじゃないか。王子がどうかは知らないけど」


 霧でよく見えないが、実はもう、目的の岸はすぐそこだという。さらにここは比較的流れが遅く、水深こそ深いが金槌でなければ泳ぐのに問題はない。大海蛇も、人間が泳いでいたところで襲ったりはしないだろう。


「僕は泳げるし、エラのそばを離れないよ。岸の方角は僕が教えてあげる。エラは遭難しないで済むから、安心して」

「……僕も泳げるよ」


 リオルの王子嫌いが露骨すぎて、王子は肩を落として首を振った。

 そのとき、クロウが海の向こうを翼で示して言った。


「ん? おい、あれ見ろよ」


 クロウの翼の先、霧の向こうから漂ってきたのは、何やら大きな樽だった。エラは首をかしげた。


「……樽?」


 船乗りには、航海の無事を祈願して酒を樽に入れて流す習慣があると聞いたことがある。一瞬それかと思ったが、もし本当にそうなら、もっと沖を流れているはずじゃないか。


「お、おい。あっちにもあるぞ」


 今度は王子が気づいた。王子の視線の先に、二つの樽が波に揺られていた。


「ど、どういうこと……?」


 あっけにとられて、言葉が口をついて出た。

 いつの間にか、小舟は海面を漂う樽に囲まれていた。見える範囲にあるだけでも、全部で六つ。多すぎる。

 揺られている樽そのものは、どうってことない物だ。なのに、どうしてか不吉な予感がしてならない。背筋に冷水を浴びせられたように、ひやりとする。


「岸まであと少しなのに……」


 リオルが舌打ちと共に毒づいた。


「エラ、急いでガラスの靴を履いて」

「え? ええ。わかったわ」


 リオルも何か警戒したらしい。本格的に船の転覆を心配して、エラにガラスの靴を履くように促す。これでエラは海面を歩ける……はずだ。


(こんなことなら、もっと練習しておけばよかった)


 今更になって後悔の念が押し寄せる。まさか実際に使う機会が訪れるとは思わなかった。だから城の風呂場で水面を歩けることを確かめただけで、ろくに歩く練習もしていない。

 風呂場は水面が安定していたから問題なく歩くことが出来たけれど、海には波がある。揺れ動く地面を歩いた経験など、エラにはない。


(でも……まだ転覆すると決まったわけじゃないもの。きっと大丈夫よ)


 もしかしたらただの樽かもしれないじゃないか。皆、神経が尖っているだけで、何事もなく岸にたどり着く可能性はまだ残っているのだ。


 しかしエラの望みは、あっという間に砕け散った。

 進行方向から左のほうで、何かが弾けるような轟音が響いた。全員がはっとしてそちらを見る。霧にまぎれて見にくいが、遠くのほうが明るい。

 リオルが顔を歪めて叫んだ。


「みんな、海に飛び込め!」

「でも、靴が」


 この靴を履いていたら、潜れないのではないか。


「大丈夫だよ、靴はエラの意思に従うから。さあ早く!」

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