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シンデレラ戦記  作者: 佐倉 杏
第3章 魔女の住処
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誰にでもできること

 魔女の島は霧に覆われている。空を仰いでも、星どころか月さえ見えない。それでも周りが明るく見えるのは、魔女の力によって、草木の幾らかが光っているからだ。


(いや、もしかしたら元々そういう植物なのかも。アカヒメノみたいな例があるんだ。何があっても不思議じゃあないな)


 霧のおかげで、島の植物は余計に幻想的に見える。ぼんやりとした明るさは、はっきりと周囲を浮かび上がらせる松明の光よりも、よほどのこと風情があった。

 この光景は蛍の飛ぶ川辺にも似ていた。けれどこの光は蛍よりもずっと儚い。それぞれの草木が思い思いの色に光り、その無秩序さがこの島の自由さを象徴しているように思えた。抽象画の中で、確かこんな景色を見たことがある。


 そんな美しい景色に一人溶け込んで、草むらの中に体を横たえた。霧を衣のように纏ったこの島は、不思議なことに、冬だというのにそれほど寒くない。


(これから、どうしよう)


 王子は途方に暮れていた。魔女兵団の望みは潰えた。ロロワ帝国との開戦はもはや避けようもない。そうなれば、苦戦を強いられるのは目に見えている。

 大海蛇の海域は帝国も使えないが、ダツのいる東の海域は別だ。戦場になるとすれば東だ。守りに徹すれば、被害は最小限に抑えられるだろうが、それでも犠牲は出る。何よりも痛いのは、貿易港が使えなくなることだ。流通が滞ることは、特に戦時中においては致命的だ。


 王子は右手で強く目頭を押さえた。魔女の家にさえたどり着けば、全てがうまくいくと思っていた。それが、どれほど甘い考えであったか。


(僕は、無力だ)


 悔しくて、気を緩めると涙が出そうになる。この国のために、ようやく何かができると思ったのに。


「王子様」


 不意に呼ばれて、王子はあわてて起き上がった。


「エラ……?」


 エラがすぐそこにいた。こんなに近くに来るまで気づかなかっただなんて、王子はよほど集中して考え事をしていたらしい。

 カサカサと草を鳴らして近づいて、エラは王子の隣に腰を下ろした。


「どうしたの、エラ。マザーと話していたんだろう?」

「ええ、たくさんおしゃべりしました。とても幸せな時間でした」


 血の繋がった相手がいるというのはやはり嬉しいですと言って、照れたようにエラは笑う。


「なら、どうして」


 エラたちが話しやすいように、王子はわざわざ席を外したのだ。だのにエラが王子を追ってきてしまっては意味がない。


「少し、王子様ともお話したくなったんです」


 マザーならばリオルやクロウたちと話しているから問題ないそうだ。確かにリオルも、マザーには滅多に会えないらしいが、エラがわざわざ席をはずす必要はないはずなのに。

 そのまま二人は黙ったまま並んでいた。気まずい沈黙が流れる。そろそろ自分から何か声をかけようかと王子がそわそわし始めた頃、ようやくエラが口を開いた。


「マザーさんに、靴のこと話したんです。そしたら、びっくりしました。あの靴、マザーさんが作ったのですって!」


 手を叩いて妙に明るく振る舞う彼女は、どこか核心の話題から逃げているように感じられる。しかしそれに気づいたところで、王子に何ができるでもない。エラの調子に合わせて頷く。


「……魔女には、道具を作る技術もあるんだね」

「ガラスの靴そのものは、ガラス細工の職人さんが作ったらしいですよ」


 マザーはその靴に魔法をかけたそうだ。


「へえ。でもまた、どうして」

「なんでも、昔マザーさんが、処刑されそうになっている人間の男の人を助けるのに使ったとか」


 当時の処刑は実に残酷で、大海蛇の巣に放り込み、食い殺させるという手段を取るらしい。その話を聞いて、王子は何かが引っかかった。


「うん……? なんだか聞いたことがあるような」


 王子は薄霧がかかったような記憶を辿る。そしてふと思い出した。隣国の昔話に、似たような話があるのだ。


「その話、私も演劇で観ましたよ。レオノーラと一緒に……観に、行ったんです……」


 あの昔話は、マザーの出来事が歪曲して伝えられたものだそうだ。マザーが照れ臭そうに言っていたと、エラは早口で続けた。

 王子は急いで話題を変える。


「あ……そういえば、クロウはもう戻っているんだよね。

 ダグラスとロビンはどうしたかな。トーマスとレオノーラも、無事に捕まっているといいんだが」


 クロウが戻ったということは、その辺りの情報が聞けるかもしれない。何とはなしにそう言って、その後で自分の失言に気づいた。

 クロウが向こうに残ったのは、ルイーゼを医師に見せるためだ。


「トーマスさんたちには逃げられてしまったそうですけど、お二人とも無事みたいですよ」


 エラがぎこちない笑顔を浮かべて王子を見た。しかし作り物の笑顔さえもすぐに引っ込んでしまい、唇を真一文字に結んでうつむく。泣くまいとしているようだ。


「さっきクロウに聞いたのですが、お母様は……やはり片目を失ったそうです」


 エラが自分の両膝をぎゅっと抱きしめた。その時になってようやく、エラが何を話したくてここに来たのかわかった。


「命に別状はないそうです。今はお医者さんのところで、安静にしていると」

「そう、か。それは……何よりだ」


 もっと気の利いたことが言えたら良かったのだが、告げるべき言葉が、皆目見当もつかない。何を言っても、エラには辛く聞こえるだけだろう。


「……私のせい、でしょうか」


 エラがぽつりと言った。


「私が……助けてなんて、言ったから」

「それは違う!」


 王子は意図的にエラの言葉を遮った。


「あのときは、ああするしかなかった。

 ルイーゼは……少しおかしくなっていたように見える。悲しくて苦しくて、まともに思考することができないんだよ。精神を病む人間は、稀にいる。その人たちは大抵、想像するのも恐ろしいような、辛い経験をした人だ。ルイーゼは、まともな神経でいるには、あまりに不幸に遭いすぎた。

 哀れだが……放っておくわけにもいかないだろう」


 あのまま放っておけば、ルイーゼはエラを殺めた。それだけじゃない。その場にいた王子にも手にかけたかもしれない。王族に剣を向ければ、どんな理由があれ、王子が結果死ななかったとしても、死刑は免れない。そういう意味では、ルイーゼはすでに大罪を犯しているとも言えよう。


 しかしあの場にいた人間は、エラと王子だけだ。王子が無傷であれば、口裏を合わせれば隠匿できる。しかしどれほど些細なものであれ、怪我をすればそうもいかない。

 そして王子は、エラが死にかける現場に居合わせて、ただ見ているだけなど出来そうにない。


「殺人は大罪だ。でも今回の件は未遂で済んだ。結果としてリオルたちは、ルイーゼを助けたことになるんだよ」

「そう……。そういう考え方も、できるんですね」


 うつむいたままに頷くエラは、明らかに納得していない様子であったが、少しだけ落ち着いたようだった。心なしか表情が和らいだようにも見える。


(これほど悩んで苦しんでも、エラはあれがリオルとクロウのせいだとは言わないんだな)


 難儀な性分だと思う。誰かのせいにしてしまえば、よっぽど楽なのに。

 二人は互いに沈黙したまま、ゆらゆら光り続ける草木を眺めていた。やがて、エラが独り言のようにぽつりと言った。


「王子様、魔女兵団の事なんですけど」

「……うん」


 期せずして声が沈んだ。


「怒らないでくださいね。うまくいかなかったけれど……私、少しほっとしているんです」

「え?」


 王子はエラの横顔を見た。光る花を見つめたままのエラは、先ほどと同じ単調な口調で、話を継いだ。


「お母様が叫んでいたことを、覚えていますか」

「叫んでたこと?」


 鸚鵡返しに問う王子に目を合わせて、エラは頷いた。


「魔女は人間よりもずっと強い。そんな相手がそばにいて、安心して暮らせるはずがない。私たちは、分かり合う事などできない、と」


 そういえば、そんな事も言っていた気がする。


「それが、どうしたの?」

「今回の開戦も、同じなんじゃないでしょうか。だとすれば、魔女兵団という力を手に入れても、戦争は回避できないと思うのです」


 魔女兵団という大きな力を持つ国が隣にあっては、安心して暮らせない。だからロロワ帝国も何かしらの大きな力を得、やがて戦争を仕掛けるだろう。

 魔女という力が失われるまで魔女と人間が争ったように、どちらかが滅ぶまで終わらない戦いが始まるかもしれない。

 王子の目が驚愕に開かれた。心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走る。


「でも、それは……それじゃあ!」


 いつになっても、どのような手段を用いようとも、戦争は避けられないではないか。信じたくない話だったが、エラの言葉には説得力があった。王子自身が納得してしまった。

 整った髪をがしがしとかきむしる。


「ちくしょう。もう、なんなんだよ……」


 今にして思えば……王子が魔女兵団について提案したとき、ダグラスの表情は少しおかしかった。きっと彼には王子の考えの欠陥に気づいていたのだ。それでも王子の意見を尊重して、反対はしなかった。もしかしたら、魔女兵団を本当に戦力として使うつもりだったのかもしれない。

 そばにエラがいる事も忘れて、王子は毒づいた。


「自分の出来の悪さに腹がたつ! どうしろってんだよ。どうすればよかったんだよ!」


 ずっと溜め込んでいた不安と焦りが、堰を切ったように流れ始めた。せめてエラの前で吐き出すべきではないとわかっていても、一度流れ出した感情は止まらない。一言一言に力がこもる。


「なんでっ……僕はこうなんだ。いつも、何も、できない!」


 結局王子は、ただ血に恵まれた、それだけの人間だった! 一番なりたくなかった人間に、王子は今なっている。それがたまらなく悔しい。

 特別な事など何もできない。武芸ではダグラスやロビンに、知識ではエラやマザーに、遠く及ばない。こんなざまで肩書きだけは王子だとは、笑わせる。


「王子様……?」


 エラの声がひどく戸惑っている。完璧に見えていたであろう王子という仮面のほころびを、エラが見出したに違いない。自嘲の混じった笑みが浮かぶ。しかし続いて聞こえたエラの声には、王子を避難するような色は混じっていなかった。


「特別なことが、そんなに大事なのですか?」


 エラの口から飛び出した予想外の言葉に、ぽかんと口を開ける。


「いや、大事だよ。そりゃあ」


 己は王子だから、誰よりも強く賢くあらねばならない。しかし王子の心情を、エラはあっさりと否定する。


「それは無理ですよ。

 だって、誰よりも強い人と、誰よりも賢い人は、同じ人ではありえないですもの」


 エラは王子の言葉が理解できないというように、首を傾げている。


「王子様はそんなことよりも、ずっとすごいものを持っているではありませんか」


 力が必要なら、兵を動かせばいい。知恵が必要なら、学者を呼べばいい。人が使える力は一人分ではない。まして王子は王子なのだから、使える力の数は国民の数に等しい。

 だから王子に必要な力は、もっと違うものだという。


「誰にでも、簡単にできることがあります」


 例えばそれは、部下の全てに心を配ることだ。部下の顔と名前、趣味やその考えをしっかり把握することだ。

 あるいはそれは、どれほど優れた状況下でも慢心せずに、前へと進もうとする気概を持つことだ。

 けれどそれを実行できる人間は極めて少ない。


「例えばそれは、不遇な環境に置かれた一人の国民に声をかけ、友達になろうと笑いかけることです。

 それはきっと、ほんの少しの勇気があれば、誰にでも簡単にできることなんです。

 けれど……それをしてくれたのは、王子様だけでした」


 誰にもできないことができる人より、誰にでもできることを、けれど誰もがやろうとしない尊いことを、やってくれる人のほうがいい。


「私が王子様に、どれほど救われたことか。今更ですが、本当に感謝しているんですよ」

「けどそれは……打算があったことなんだ」


 エラの無邪気な微笑みが、今の王子には毒だった。

 魔女だという情報があったからエラに興味を持った。そのことはすでに伝えてあるはずだ。

 しかしエラは首を振る。


「打算があるとか、そんなことどうでもいいのです。

 大事なのは、私が王子様に救われたのだという、その事実です」


 打算、大いに結構。打算があろうとなかろうと、救われた事実は消えやしないとエラは言う。

 エラの一言ずつが、染み渡る。胸に迫る思いだった。救われているのは一体どちらの方か。このままでいいと言われるだけで、こんなにも心が軽くなるのか。


 王子が無力であることは変わらない。変わらないのに……。


「王子様、私は戦争なんてしたくありません。そこで一つ提案があるのですが、聞いていただけますか」

「なに?」


 エラは王子に考えを告げた。王子一人が頭をひねったのではきっとどれほどかかっても思いつかなかった答えを、エラは導き出す。

 王子はそれを聞いて、またもや驚かされることとなった。


「……本気か?」


 ようやく絞り出された王子の声に、エラは黙って頷いた。

 エラがここまでしようとしてくれているのだ。もはや王子に否という選択肢はなかった。


「エラ」

「はい」

「僕には、力がない」

「はい」

 ちょっと笑って、エラが答えた。つられて王子も少しだけ頬が緩む。


「だから、僕にエラの力を貸して欲しい。

 僕一人ではできないけれど、エラがいてくれれば、できるような気がするんだ」

「ええ。もちろんです。

 あ、でも。リオルにばれたら、きっと怒られちゃうので、内緒にしてくださいね」


 エラは唇に人差し指を当てて、いたずらっぽく口の端を歪めた。

 あくまでも穏やかに笑うエラの目には、マザーと同じ強い光が宿っていた。

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