殺意
ここまで感情をあらわにしたルイーゼを見るのは、初めてだった。愛憎とはよく言ったものだ。エラはやはり愛されていた。それはとても嬉しく思う。けれど、ルイーゼが亡くなった母親を愛した分だけ、エラを憎んでる。
「マーフィー一家の不幸は、存じてますよ」
船を降りた王子が、エラとルイーゼの間に立ちふさがった。エラをかばうようにして左腕を広げる。
「あなたが生まれた村の、教会の記録に残っていました。事件発覚が遅れてしまい、大変申し訳有りませんが……。その時の賠償は、必ずいたします。それで、納得しては頂けませんか」
「賠償? そんなこと、どうだっていいのよ」
王子の提案を、ルイーゼは鼻で笑う。手の中で持て余したナイフを指先で持ち遊ぶ。人差し指の先が切れ、小さな赤い玉がふくらんだ。
「私は、娘たちが無事ならばそれでいい。あの子たちが健やかに、幸せに暮らせればそれでいい」
そのために、魔女は邪魔だ。
「そ……それなら、大丈夫よ!」
エラは叫んだ。魔女は皆が考えているような悪い存在じゃない。魔女狩りは禁止された。今も王子たちが一生懸命に取り締まっている。じき、魔女狩りは無くなるだろう。
しかしルイーゼはエラの説明にも、首を縦には振らなかった。
「お前は知っているでしょう。魔女は人間より強い。はるかに強い。
そんな奴らがそばにいて、いつ私たちを襲うかもわからない。襲われても文句の言えないようなことを、人間はした」
もし魔女狩りがなくなっても、今度は魔女の報復を恐れなくてはならない。
「私たちは分かり合うなんて、不可能なの」
ルイーゼがナイフを振りかぶった。小さく悲鳴をあげるエラを王子がかばって、エラの視界が王子の背中で埋まる。
ルイーゼの手からナイフが放たれた。王子の背中にいたエラにそれがわかったのは、ナイフがエラの方へと飛んできたわけではなかったからだ。
ナイフは近くに生えていた木の中へと吸い込まれていった。どさっと音がして、ロープに繋がれた大きな石が落ちる。無論、これが自然物のはずがない。
「しまった!」
王子が叫んだ。さすがのエラにもなんとか状況が理解できた。罠だ。
エラと王子に向かって、何かがすごい速さで飛んできた。それは細い糸を張り巡らせて作った縄だった。避けることもできず、二人揃って魚のように網に絡め取られる。ろくに身動きが取れない。動こうとすればするほど、網は絡んでくるようだ。
王子は剣を抜こうと躍起になっているようだが、その程度の動きさえとれないほどに、網は体にまとわりついてくる。ところどころにとりもちのような物が付いていて、さらに自由を制限される。
ルイーゼは懐からもう一本ナイフを取り出して、エラに近づいてくる。王子のことなど目に入らない様子だ。
「これで、ようやく……」
悲しさと愛しさと憎しみを混ぜたような、壊れた笑みを浮かべるルイーゼは、恐ろしさよりも胸を突く切なさを感じさせられた。
(命が危ないっていうのに、こんなことを考えているなんて、私はどこかおかしいのかしら)
母の苦しみが痛いほど伝わってきて、エラは痺れたように動けなくなった。エラが死ねば、母はこの苦しみから解放されるのだろうか。
なんとなくわかった。殺された魔女たちはきっと、人間のために死んであげたのだ。己が死ねば人間は恐怖から解放されるから。たくさんの人のために、己を犠牲にしたのだ。
(でも、私にはできない)
魔女の血が薄いせいだろうか。それとも己の性分が自分勝手だからなのだろうか。わからないが、とにかくエラはルイーゼのために死のうとは思えなかった。
エラは大きく息を吸った。
ルイーゼはここにいるのが三人だけだと思っている。
「助けて。リオル、クロウ!」
エラの言葉を待っていたかのように、ふたりが動いた。クロウが矢のような速さでルイーゼに突っ込んでくる。ルイーゼの周りを飛び回り、その歩みを止めさせる。
その間にリオルがエラたちを拘束している網をかじり始めた。やはり使い魔という称号は伊達ではないようで、あっという間にエラたちは網から解放された。
「てっきり僕たちのこと忘れてるんじゃないかと思ったよ」
言葉とは裏腹に、リオルは嬉しそうにしっぽを振ると、エラの肩に登った。
「クロウが時間を稼いでいるから、今のうちに出発しよう」
「え、いいの?」
魔女の居場所を特定されてはいけないのなら、ルイーゼがここにいることは、リオルたちにとって喜ばしいことではないだろう。目を白黒させるエラに対し、リオルは平静だ。
「大丈夫だよ。彼女は、それどころじゃないだろうからね」
あっさりとしたその物言いに、どことなく不吉なものを感じ取るも、とにかくリオルの言う通りにボートに乗り込んだ。やがてゆるりと船が滑り出す。それに気づいたルイーゼが金切り声をあげた。
「ほら、やっぱり気づいてるわ!」
どうするのかと問うエラに、リオルは前を向いたまま答えた。
「エラ、前を向いていて。君には、あまり見せたくはないんだ」
リオルの言葉の直後だった。背後から、先ほどまでとはまた違う叫び声が響いてきた。エラはついリオルの忠告を無視して振り返った。
ルイーゼが、右目を両手で抑えてうずくまっている。溢れ出る血がぼたぼたと両手から零れ落ちてくる。リオルの言葉通り、ルイーゼはもはやエラたちを追跡するどころではなく、己の身を庇うのに精一杯だった。
クロウの光沢のある黒い嘴が、真っ赤に染まっていた。
エラは両手で口元を押さえた。
「お継母様!」
急に身を乗り出したエラを、王子が取り押さえた。エラが暴れるせいで、小さな船は大きく揺れる。
「落ち着いて、エラ!」
「けど……けど……お継母様が!」
泳いででも母の元へ行こうとするエラを押さえつけておくのにも、限界がある。王子は顔だけをリオルに向けた。
「リオル、もう十分だろう。クロウを戻すんだ。すぐに!」
「まだだめだ。こちらの船が完全に霧の中に隠れてからでないとね。方向だけでも教えたくはない。特に彼女は魔女を恨んでいるようだし」
けれどクロウも、これ以上は手を出さないだろうという。
「もう彼女に戦意はない。向こうから手を出さなければ、クロウだって何もしないさ」
「でも、すぐに医者を呼ばなければ」
食い下がる王子に、リオルは冷たい眼差しを向けた。
「ねずみの僕やカラスのクロウが、どうやって?
平気だよ。ここから街まではすぐなんだ。さっきは回り道をしたから時間がかかったけれど、まっすぐ街へ向かうなら、あの傷でも十分にたどり着くさ。
もっとも、もし彼女がまだ抵抗して反対の目まで失ったら、街に行くのは随分と難しくなるだろうけどね」
これでも我慢しているのだ。エラを苛め抜いて、あまつさえ殺そうとしたルイーゼを、本来ならば殺してやりたいと、平然と言う。
王子は言葉を失った。人間の目を一つ潰しても、使い魔たちは淡白に語る。今更ながらに価値観の違いを思い知る。リオルたちはエラのことは大切にするが、その愛情はエラの周りの人間までは届かない。
リオルは氷のような目でそう言った後で、大きくため息をついた。
「……と、言いたいところだけどね」
リオルは心底不服そうに、吐き捨てるように言った。
「あんな女でもエラの母だ。エラが悲しむのは本意じゃない。
クロウには、この後でダグラスたちのところに行かせるよ」
それは使い魔である彼らにできる、最大限の譲歩だった。ダグラスたちならば、腕の良い医者を呼ぶことができる。
エラが戻って助けを呼ぶよりも、その方がいいかもしれない。エラが戻ったら、ルイーゼは再び殺意に火を灯す可能性もある。それがわかっているから、エラは何もしない。何もできない。
「お継母様……ごめんなさい。ごめんなさい……!」
もう母の方を見ることさえできなかった。目を伏せて泣きながら、エラは母の無事を祈った。




