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シンデレラ戦記  作者: 佐倉 杏
第1章 狙われた宝具
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誰もいない家

 エラが城に来てから、三日が経った。


 この三日間は、お世話になる人への挨拶にすべての時間を費やしてしまった。一つの部署にずいぶん長くお邪魔してしまい、エラは申し訳なく思っていたのだが、ステラの「仕事をサボるいい口実なのよ」という言葉のおかげで随分と気持ちが軽くなる。きっと気を使ってくれたのだろう。ステラの職場である侍女の控室では、特に長居した。おかげでステラと同僚の、カミラやレオノーラともすっかり仲良くなった。


 そして三日目にしてようやく、暇な時間ができた。

 今日は一度、元の家に帰ろうと決めていた。新しい友達ができたことは嬉しいけれど、ねずみたちに会えないのは、やはりどうしても寂しい。だから今日は、ねずみたちに会いに行くのだ。


 いつも通りに早く起きて、豪華すぎる朝食をとる。その一部を、お土産に持って行くつもりだった。しかし、なんとも都合の悪いことに、今朝に限って、朝食がシロップのたっぷりかかったパンケーキ。

 さすがのエラも、これをカバンに入れることはためらった。紙で包もうにも、甘くてペタペタなシロップが染み出してしまいそうだ。


 そのとき、エラに良い考えが浮かんだ。シロップの掛かっていないパンを、おやつとして自分の部屋に持ってきてもらうことはできないだろうか。

 もちろん居候している身で、図々しいお願いだとは思う。けれどほんの少しだけなら、許してもらえるのではないか。


 思い立ってしまったら、もう我慢することなどできなかった。エラは城の全体像など知らない。でも使用人たちがいる区域はわかっている。そのあたりのどこかに必ず、厨房があるはずだ。


 エラは大体の見当をつけて、部屋を飛び出した。エラの部屋の出入り口を固めていた二人の兵士に挨拶をして、走るように廊下を進む。


 エラの部屋は三階にある。上階は基本的に王族貴族の部屋や、客人用の部屋に使われているらしいから、下の階から探すのが妥当だろう。


 一階に下りると、中庭に面した一角に出た。そこは兵の訓練場になっているため、驚くほど広い。長方形に整えられた中庭の端には、訓練用の剣や槍、弓矢が立てかけてある。ちょうどエラの反対側の壁には、ずらっと弓の的が並んでいた。弓を射る定位置は、最低でも五十メートルは離れているだろう。


 どうやら今は業務時間外らしく、訓練をしている者はほとんどいなかった。端の方で準備運動をする者や、早朝練習でも行ったのか、汗だくの顔を拭う者らがちらほらと目に入る。

 エラの姿に気付いて、何人かが礼をした。エラも慌てて頭をさげる。エラは兵士が苦手だった。彼らは少し、規則に厳しすぎるのだ。エラに対しても、まるで貴族に相対したかのように振舞うから、エラとしては背中がムズムズして仕方ない。なんとも居心地が悪くなって、エラは踵を返した。


 エラは兵の視線から逃げるように移動するうちに、どうやら物置のような場所に入り込んでしまったらしい。壁に沿うようにうずたかく荷物が積まれていて、ひどく視界が悪い。どうやらここは、予備の訓練用の武器庫のようだ。剣や槍が保管してあるが、近くで見ると、その刃はどれも潰してあった。簡単に入り込める、鍵どころか扉さえ存在しない物置だ。置いてある物の重要度が低いのは当然だろう。


 エラは小さくため息をついた。変なところに迷い込んでしまったものだ。もし誰かに見つかって、何をしているのかと問われたら、エラは返答に困るだろう。

 とにかく何処かへ抜けようと思い、明るい方へ進みかけると、ふと誰かの話し声が聞こえた。


 エラはその場でしゃがみこみ、木剣がたくさん刺さった水瓶の陰に隠れた。なんとなく悪いことをしているような気分になる。だが本来、そもそも隠れる必要がないのだ。隠れてなどいたら、逆に不自然ではないか。それならいっそ出て行こうかと腰を浮かせかけたとき、耳に馴染んだ怒鳴り声が聞こえた。


「どうしてまともに取り合ってくれないのです!?」


 母の声だ。


 相手が誰だかはわからない。でも、母が相当怒っているのだけは間違いなかった。相手が冷静に話しているためか、感情をそのままぶつけたような母の金切り声しか聞こえない。

 ルイーゼの怒鳴り声を聞いて、エラは体を縮めた。母の怒鳴り声は苦手だ。脳に直接響くような高音がけたたましく響き渡る。


「それでは不十分です! あの娘は呪われているのですよ!

 このままでは私たちまで巻き添えになります!」


 一体何を話しているのだろう。話し相手は誰だろう。気にはなったが、ここ数年ルイーゼに叱られ続けているエラは、その身に染み込んだ習慣から身動きが取れない。叱られている最中に身動ぎされることをルイーゼは嫌った。


「ちょっと待って! まだ話は……!」


 どうやらルイーゼの話が終わるより先に、相手が立ち去ってしまったらしい。「すまないが私も忙しいんだ」という、少し苛立ったような男の声が聞こえた。

 男の足音が完全に遠のいてから、母は男に対する不満をぶちまけ、続けて毒づいた。


「やはり、もっと早くに殺してしまうべきだったのだわ。

 私に、勇気があれば……」


 母はヒールの音を響かせて、エラから離れていった。それからたっぷり数分ほどの時が経って、靴音が全く聞こえないほどに母が遠くに行っても、エラは痺れたように動けなかった。


 自分の心臓をぐっと両手で抑えて、小さく縮こまる。握り締めた手は固まってしまって、爪が皮膚に食い込んだまま、離れてくれない。けれど、そんなこと全く気にならないほどに、エラは衝撃を受けていた。

 母は、誰かを殺してやりたいと言っていた。呪われたという娘を。


(……たぶん、私を)


 それはきっと間違いないだろう。母が「あの娘」なんて呼ぶのはエラくらいだ。それにこの城にいる人間で、「もっと早くに」母が殺すことが可能だったのは、エラと二人の娘だけ。どう考えても実の娘二人を母は殺したいなどとは言わない。


 嫌われていることはわかっていた。でも、殺したいと叫ぶほどだなんて、思わなかった。エラは泣きたいような、怒りたいような、不思議な気分だった。


 父が亡くなる前までは、母もエラに優しかった。あの頃からずっと、エラを殺したいと思っていたのだろうか。あの頃の母は、まるで実の母のように暖かく、大好きだった。もちろんさっきの言葉は本気じゃないだろう。少し言いすぎただけなのだ。でも、それでも、そんな言葉、聞きたくはなかったのに……。


 油断をすると、視界がじわりと滲んだ。その度に唇をキュッと噛んで、涙を抑えた。大丈夫、嫌われているからなんだというのだ。そもそもルイーゼがエラに辛く当たるのは、今に始まった事ではないのだから。


 エラはのろのろと時間をかけて立ち上がり、物置の外に出た。もう食堂に向かおうという気はすっかり失せていた。


(リオル……。そうだわ、リオルに会おう)


 会って、話がしたい。聞いてほしい。きっと本気じゃないよ、と笑ってほしい。


 エラはすぐに侍女たちの部屋に向かった。誰かに出かけることくらいは告げておかなくては。


「え、エラ!?」


 控え室には、休憩中だったレオノーラがいた。レオノーラはステラの同僚だ。艶やかな茶色の髪を簡単に結い上げ、意志の強そうな、つり上がった瞳を持つ気の強い娘だった。

 レオノーラは手に小さな花束を抱えていた。小さくて赤い、可愛らしい花だ。エラが花束を見つめていることに気付くと、レオノーラは慌てて花束を自身の陰に隠して、ぶんぶんと首を振った。


「ち、違うの。別にこれは、贈り物とか、も、もちろん恋人とかじゃなくてっ! そのっ……。そう、自分で! 自分で買ったの!」


 しかし今のエラにとってレオノーラが持つ花束のことなど、どうでもよかった。エラは力なくレオノーラに告げる。


「少し、でかけるわ」

「え、ええ。それは構わないけど……。

 顔色が悪いわ。ハーブティーでも淹れましょうか?」


 花束の件にエラが関心を示さなかったことにほっとして、レオノーラは心配そうにエラの顔を覗き込んだ。

 エラは無理矢理に笑って、大丈夫と断った。まだ不安げなレオノーラを残してそそくさと部屋を出ると、エラは城の外に向かった。幸いなことに、すでに城の内部にはかなり詳しくなってきていて、迷うことなく出口へと辿り着くことができた。


 石壁に囲われた塀を通り抜けると、天に登りつつある太陽が刺さって目が眩んだ。なぜだか日の光を浴びるのが、随分と久しぶりな気がする。


 エラは外に出ると、迷わず家に向かった。貴族街の豪奢な通りを過ぎ、馴染んだ街の大通りに差し掛かる。そこからはどこをどう通ったのかもよく覚えていないが、何も考えなくても足が勝手に家へと運んでくれる。


 エラは一時間もしないうちに、家の前まで来ていた。たった数日留守にしただけの家が、なんだか長く放置された空き家のような、見知らぬ物に感じられた。雑草も伸びた気がする。


 大きく古い戸口の鍵穴に、小さな金の鍵を差し込む。慌てているせいだろうか、うまく刺さらなくて三回ほど縁にぶつかる音がした。

 ようやく鍵がまわり、重苦しい音を立てて鍵が開く。勢いよくドアを開けて、叫ぶ。


「リオル! みんな!」


 いつもなら呼ばれなくても傍に来るというのに、今日に限って誰も近くにこない。もう一度名前を呼ぶが、家からは物音一つ聞こえなかった。


 エラはどうしてだか、言いようもなく不安になった。みんなはどこに行ってしまったのだろう。もしかして……もしかして、みんなを置いて出て行ってしまったエラに愛想をつかして、他の家に移った、なんてことも……。


(違う、違うわ。例え私を嫌いになっても、家主のいない家から出て行くなんて、するはずがないもの)


 ねずみにとって人間のいる家は、ただそれだけで危険なのだ。

 もしかしたら野良猫でも入り込んだのだろうか。猫がいるなら、ねずみはきっと逃げ出すだろう。そう思って窓を確かめる。猫ほどの大きさがあれば、ねずみと違って侵入は困難になる。しかし猫が入り込んだ形跡は一切ない。


 エラは突然、はっと気づいた。そうか、部屋にいるのだ。みんなきっとエラの部屋にいるから、聞こえなかったのだ。


 エラは階段を駆け上った。お城とは違って、この階段は勢いよく駆け上ると、きいきいと軋んだ。階段の長さはほんの数メートルなのに、部屋が遠い。大丈夫だ。このドアを開ければ、突然帰ってきたエラに目を丸くしたねずみたちが迎えてくれる。だから、大丈夫。


 バタン、と大きな音を立ててドアが開いた。期待が急速にしぼみ、不安がどんどん加速していく。……誰もいない。


 ずっと暮らしてきたなつかしい部屋。でも足りない。ガランとして、広すぎる。単純な広さなら、圧倒的に今住んでいるお城の部屋の方が広いのに。


 エラはほとんど泣きそうになりながら、リオルが大好きだったベッドの隙間に、乱暴に手を突っ込んだ。もし本当にリオルがここにいたら、突然現れた指に驚いて、噛み付いていただろう。でも指先は固くなったマットレスに当たるだけ。


「みんな……どこなの?」


 もう一度声をかけるが、返事はない。もし城で出た美味しいパンを持ってきたら、みんなは出てきてくれたのだろうか。


「そうか、パンだわ!」


 キッチンだ。そこしか考えられない。あの賢いリオルでさえ、食べ物が大好きなのだ。誰もいないこの家でリオルたちがいるとしたら、そこしかない。どうして今まで思いつかなかったのだろう。


 エラは大慌てでさっき登った階段を駆け下りた。二段飛ばしで降りると、足をつくたびに、どんどんと床が抜けそうな音がした。それを無視してキッチンのドアを開ける。当然のように静まり返ったキッチンがそこにはあった。いつも掃除しているから、汚れも目立たない自慢のキッチン。


 震える手で、リオルが一番好きなチーズの棚の戸を開ける。リオルが入りやすいように、そして万一の時に見つかりにくいように、手前側と奥側に大きく隙間を残してある棚だ。出かけた時よりも、チーズはだいぶ減っていた。でも、肝心のねずみは一匹もいない。


 エラは脱力して、その場にしゃがみ込んでしまった。


 結局この家にはもう、どこにもねずみはいなかった。


今回も読んでいただいてありがとうございます。


今回の章で始はじめて継母が明確な悪意をエラにぶつけます。

不安で仕方ないエラの、ねずみがいない家に感じた物寂しさを感じていただけたら嬉しいです。

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