ルイーゼ
王子の声を言いて、エラは弾かれたように振り返った。そこにいたのは間違いなくルイーゼだった。いつものドレス姿ではなく、それより幾分か動きやすそうな服を着ている。
いつも綺麗なドレスを着て、清潔な室内にいる印象が強いから、こんな入り江にルイーゼがいることに多少の違和感を覚えた。でもそれ以上にエラを戸惑わせているのは、ルイーゼの表情だ。
笑顔のルイーゼを見るのなんて、何年ぶりだろう。いつもエラを見る目は冷たくて、姉二人に向ける笑顔さえ、エラがその場にいるというただそれだけで強張っていたのに。今のルイーゼは間違いなく、エラに向かって微笑んでいる。
忘れていた。懐かしい。継母は、笑顔を浮かべればこんなにも美しいのだ。
「お継母様……?」
ルイーゼはエラの方に近寄って、ボートに片足を乗せていたエラを降ろした。反射的によけようとしたエラの髪を、父が生きていた頃のように、ゆっくりと撫でる。
「エラ、大きくなったわね」
なんと言ったら良いのかわからなくて、エラはただ固まっていた。人が変わったように優しく話しかけてくるルイーゼを突き放すこともできないが、素直に甘えることができるほど、警戒心がないわけでもなかった。
「今まで……本当にごめんなさいね」
瞳を伏して、エラの金の髪に顔を埋めてルイーゼがつぶやく。静かに雫がこぼれ落ちた。
「わかっていたの。エラは何も悪くないことくらい。わかっていたけれど、どうしようもなかったのよ」
しきりにごめんね、ごめんなさいと繰り返すルイーゼは、しかしその理由を語ろうとはしなかった。
エラは、かつてルイーゼを疑った自分を恥じた。
(ほら、やっぱり。お継母様は私を嫌ってなんかいなかった)
何か理由があったのだ。呪われてると言ったのだって、きっと本心じゃあないに違いない。そして今、ルイーゼは正気に戻っている。
よかった。これならきっとまた、家族四人で仲良く暮らせる。父が生きていた頃のように、笑いあえる。ああ、ローズに約束したことも、これで果たせる。きちんと仲直りしたよ、ローズ叔母様。
ルイーゼの両腕がエラを包み込もうとしたとき、エラの体は不意に後ろに大きく引かれた。
エラの腕を掴んでいたのは王子だった。額に汗さえ浮かばせて、王子は思い切りエラを引っ張った。よろめいて、数歩分たたらを踏む。ぱしゃんと音がして、エラの片足が海の中に落ちた。
「しっかりしろ! エラ!」
ぴしっと背中を叩かれて、王子が前を向くように促した。
前、と言われても、前にはルイーゼしかいない。いつもと違う服に身を包んで、いつもと違う優しげな表情を浮かべた、懐かしい大好きな……。
(え?)
ルイーゼの手に、抜き身のナイフが握られていた。それはエラの方に向いていて、王子がエラの腕を引っ張らなければエラの左胸を貫いていただろう。
それはつまり……本気でエラを殺そうとしたということだった。
「お継母様……どうして」
声がかすれた。これまで何度か、命の危険を感じたことはあったけれど、ここまで動揺したのは初めてかもしれない。
「ごめんね、エラ。お前のことが嫌いなわけじゃないのよ。本当よ」
微笑みを浮かべたままで、ルイーゼは言う。つい先ほどエラを殺そうとしたというのに、お前を愛しているとのたまう。
「けど、どうしても、お前を許せないの」
エラが生きているだけで、ルイーゼは不安で仕方ない。エラが笑うたびに、ルイーゼは背筋が凍りつくような恐怖に襲われる。
命よりも大切な家族が、アルベルタが、ドリスが、エラの為に死ぬかもしれない。それを思うと、エラが悪くなくても、どれほどいい子でも、ルイーゼはそれを許せない。
「私は、もう二度と、魔女に家族を奪われるのは嫌なのよ!」
ルイーゼが初めて、笑顔を崩した。目に涙さえ浮かべて、左手で口元を覆う。
何が何だかわからなくて、エラはただただ戸惑った。
ルイーゼは何度か深く呼吸をして、指で涙をぬぐった。取り乱したことを恥じ入るように、赤く腫らした目をエラに向けた。
「私の生まれた村はね、エラ。魔女狩りがとても頻繁に行われる村だった」
それは美しい村だった。自然は豊かで災害は少ない。広い草原は馬を飼うのに最適で、小さな村の割に良い馬が揃っていると話題であった。
ルイーゼが生まれたばかりの頃は、彼女の家族はそれほど裕福でなかったが、両親の商才は随分と遅咲きだったようだ。少しずつ、しかし確実に商売は大きくなり、いつしか村でも指折りの商家となった。
特にルイーゼの母は、あるいは父よりも商売に夢中になり、多くの金を集めた。ルイーゼは母の背中を見て育ち、いつか自分もそんな大人になりたいと憧れていた。
「強くてかっこいい、自慢の母だったわ」
でもそれが、魔女狩りの目に止まった。
当時の魔女狩りは、教会が金銭を横領する為に行われた。だから、地位の高くない小金持ちのルイーゼの家は、格好の標的だった。
幼いルイーゼにはそんなこと理解もできず、身に覚えのない罪で炎の中で叫び続ける母の泣き声が、ただひたすらに脳裏に焼き付いた。姉と二人、互いの身を抱いて泣き喚いた。
父が娘二人の身を抱きしめながら、歯を食いしばって泣いていた。後にも先にも、父の涙を見たのはあれだけだ。
父が涙を堪えるたび、苦しみが、悲しみが、父の手を伝わってルイーゼの中に流れ込んでくるようだった。行き場のなくなった愛が、ルイーゼの体を引き裂かんと暴れ回る。
母も、家も、財産も燃えた。幸せな記憶さえ、炎に焦がされ煙となって天へと消えた。居場所すらも失って、親子三人は当てのない旅路へと放り捨てられた。
こうなったのは、誰のせいだ。己のせいではない。もちろん母のせいではない。じゃあ誰のせいだ。
魔女だ。魔女が悪い。魔女が母に、罪をなすりつけたのだ。
教会を善だと信じていた幼いルイーゼには、魔女に責任を押し付けることでしか、心の平穏を保つことができなかった。
「かわいい、かわいい私の娘。お前が魔女だと知ったとき、私は気が狂いそうになった」
ルイーゼがそれを知ったのは、エラの父が死んだ時だったという。死の間際、血の海に沈む彼はルイーゼにエラの秘密を託した。エラが成人したら、教えてやってほしいと。
「ふざけるなと思ったわ。私がどういう生まれか、あの人は知っているはずなのに!」
それでもまだ、魔女を育てろと言うのか。己の幸せをめちゃくちゃにした魔女を、守れというのか。
しかし、エラたちがルイーゼの屋敷にいるうちに、ルイーゼはエラを愛してしまった。可愛い娘たちと同様に扱ってしまった。エラが優しい娘であることを知ってしまった。だから、素直に憎めない。
もしも何も知らなければ、ただエラを愛せたのに。けれど知ったからには、それすらも出来なくなってしまった。
ルイーゼは夫が死んですぐは、エラへの態度を決めかねていた。心のどこかでわかっていたのだ。エラは何も悪くないのだと。それでも少しずつ、ルイーゼの中で魔女への憎しみは募った。
そんな折、城から舞踏会の知らせが届いた。
「たとえどんな手段をとっても、エラを舞踏会へ連れていくわけにはいかなかったわ。万一にも、魔女の血を王家の血に混ぜることがあってはいけないもの」
だから、城に匿名で手紙を送った。エラのドレスを破り捨てた。それでもエラは、舞踏会に現れ、あろうことか王子と踊った!
「やっぱり私が睨んだ通りだった! エラは、殺さなきゃいけなかったのよ!
ああ……エラ。私のかわいい愛娘」
どうか。せめてこの手で、葬らせてはくれないだろうか。




