理由
王子たちはそれからすぐに、魔女の家を目指して出発した。二人の部下が足止めしているとはいえ、いつまでもつかわからない。無論、あの二人が負けるなどとは露ほども思っていないが、万が一ということもあるし、逃げられてしまうことだって考えられるからだ。
リオルとクロウは時折後ろを振り返って、王子とエラがちゃんとついてきていることを確認しながら、どんどん森の奥へと進んでいく。先頭をふたりの使い魔が飛び、エラ、王子という順にそれに続く。
斜面を下っているから、山の頂上へと向かっているわけではない。だとするなら、西へ、西へと進み続ける彼らは、海の方へ向かっているということになる。
(なるほど、隠れ家にはもってこいというわけか)
ラトアの街の真西には大きな入り江がある。そこは大海蛇の巣と呼ばれる場所で、実際にたくさんの大海蛇の目撃情報が寄せられる。大海蛇の恐怖を知っているこの国の人間であるなら、まず間違いなく近づかない。魔女の隠れ家にこれほど都合の良い場所もないだろう。
(だが、だからといって、全く人が立ち入らないというわけじゃない)
何か事件があれば兵士たちは遠慮なく入るし、普段人気がないだけに、家があれば相当目立つ。リオルの話からして、マザーはかなり昔からここに住んでいるようだから、何度か兵士による調査もあったことだろう。
それにもかかわらず、マザーは一度としてその正体を明かされたことはないという。ただの人間のふりをしているのか、それとも魔法で家を隠しているのか。
王子が考え事をしている間にも、リオルたちはどんどん先へと進んでいく。気づけば王子は考え事に気を取られて、随分と進むペースが遅れていたらしい。エラでさえも平然と付いて行っている速度の行軍に、やや遅れがちになっていた。
リオルとクロウはエラにはとても気を使うが、王子に対してはその限りではない。その証拠に、ふたりが声をかけるのは、いつだってエラを心配したときだけだ。
「エラ、怪我は痛むかい? 少し休憩してもいいんだよ」
「平気よ、リオル。少し擦りむいただけだもの」
それから五分も経たないうちに、今度はクロウがスピードを落としてエラに並んだ。エラの目線の高さを飛びながら、クロウが優しく鳴く。
「疲れたらいつでも言ってくれよ。女の子には山道は酷だろ?」
「まあ、ありがとう。でも大丈夫」
そのまま半時ほど進んだ頃、エラがさすがに疲れてきたようで、ちらちらとクロウの方をうかがった。話しかけていいのか迷っている様子だ。クロウもリオルも前を向いているため、まだそれに気づいていない。
「なあ」
エラの代わりに、王子がふたりに声をかけた。
リオルだけがこちらを振り向き、クロウは速度を緩めずに飛び続けた。
「目的地までは、あとどのくらいかかるんだ」
もしまだ遠いようなら少し休憩を挟みたいという王子に、クロウが前を向いたまま大げさにため息をついた。
「なんだよ、もうへばったのか?」
「うるさい。こちとら空を飛んでるお前たちとは違うんだ。足場の悪い山道を行けば、疲れもするさ」
「エラだってまだ頑張っているってのに」
「エラだって疲れてるに決まってるだろ」
なあ、と王子に声をかけられて、エラは慌てた様子で後ろを振り向いた。頬は上気して赤く、額にはびっしりと汗をかいている。それを見た王子は思わず苦笑した。明らかに疲れきっているではないか。強情にもほどがある。
そのまま目線をリオルに移すと、リオルはすぐに王子の意図を把握した。
「少し休もうか、と言いたいところだけど」
リオルは首をすくめると、にやっと笑ってクロウの前方、進行方向へと目を移した。
「もう着いたよ」
王子は、大海蛇の巣の付近にマザーの家があると踏んでいたのだが、まだまだ考えが甘かったと思い知る。そこはまさしく大海蛇の巣、そのものだった。視界を遮る木々を抜けると、その全貌が明らかになった。
あたりはうっすらと霧がかかっていて、湾曲した入り江の対岸まで見通すこともできない。もしも霧がなかったら、およそ二百メートルほどの幅を持つ海岸線が見えたはずだ。少なくとも地図上では、そのサイズの入り江が描かれている。
もしここに海蛇が出没しなければ、ここも港として大いに栄えていたことだろうに。
実際、流れも穏やかで岩礁もないこの入り江は、船を出すのにこれほど適した条件もないだろうと思うほどの好条件が揃っている。
しかしラトアは穏やかな海を持つのにも関わらず、持っている船といえば、街のすぐ側に停泊したまま一度も動いていない観光船だけだ。大海蛇に襲われずに済むギリギリの場所に停泊した船は、一種の肝試しのような意味合いをもたせて、街の名物となっている。
観光船はかなり大きい。実際に使われているユヴィナの船と比べても遜色ないほどだ。そんな船を岸のすぐ側に停泊させていられるということは、この土地が港として優れていることの証明でもある。
このあたりの海域はすぐに水深を増すのだ。そのため水の青は暗く澱んでいた。空の青すら映さないのかと天に目を向ければ、さっきまで晴れていたのに太陽光は霧に邪魔されて届いていない。
「どうして、ここだけ霧が……?」
山の向こうの空と入り江の空を見比べながら、独り言のようにエラがつぶやいた。
「マザーの魔法だよ」
「魔法って、そんなこともできるの?」
「マザーにかかれば、霧を発生させるくらい朝飯前さ」
マザーは魔女の中でも、かなり優れた魔法の使い手だ。ここは霧を発生させるのに都合のいい条件が揃っているから、マザーはもう何年も、晴れない霧を入り江にかけ続けているのだ。そういったことを、彼女の使い魔たちは自慢げに言う。
「どうしていつも霧にしているの?」
マザーさんは日焼けがお嫌いなのかしらと首をかしげるエラが、一体どこまで本気なのか、王子にはわからなかった。もしかしたら冗談のつもりだったのかもしれない。
「そりゃあ、人間に見つからないためさ。この霧なら、海の向こうまでは見えないからね。
さあ、ここからはボートで行くよ」
クロウが羽ばたいて、入り江の隅に申し訳程度に設置された桟橋に繋がれた、粗末なボートに飛び乗った。漁船でももう少ししっかりした作りだろうと思うようなボートは、人間が三人も乗ればギリギリというような小ささで、端はどこかにぶつけたのか、いびつに削れている。オールが二本乗っているが、それさえ簡単に折れそうだ。
リオルがエラの肩に登り、さあはやくとエラをせっつく。
「お、おい、正気か?」
良くも悪くも素直なエラに任せていたら、本気であんなボートでこの危険な海を渡りかねない。そうなれば転覆、溺死は確実だ。いや、海蛇に食い殺されるなら溺死ではないか。
「なんだよ。怖気付いたなら、ここで尾羽を抱えて待っててもいいんだぞ」
クロウが王子をバカにしたように二、三回カアと鳴いた。
マザーの家はこの入り江の中心の、小さな島の中にあるという。どう足掻こうとも、海を渡らなければたどり着けない。
「臆病と無謀は違うだろう。こんな船では大海蛇の巣は渡れない! ラトアの観光船を持って来いとは言わないが、もうちょっと他にあるだろう!?」
「なんでもかんでも、自分たちの知識が最上のものと疑わないのは愚か者のすることだ。少なくとも、年長者の意見は聞くべきじゃねえのかな。
大きい頑丈な船に乗って、お前ら一度でも生きて帰って来れたのか?」
「そ、それは……」
クロウの言う通り、どれほど立派で頑丈な船であっても、この海域ではなんら役に立つことはなかった。皆一様に、哀れな残骸となるだけだ。
クロウは見た目こそ大きいカラスだが、その実マザーの使い魔であり、エラが生まれるよりも前から、マザーに仕えている。確かに年長ではある。もしかしたら、知識も人間より優れているかもしれない。
「じゃあ説明しろよ。僕は説明がなくては納得できない」
「面倒な奴だなあ。……まあ仕方ない。命がかかってるなら、慎重になるのもわからなくはないからな。
魔女の使い魔であるこの俺が、人間ごときに講義をしてやる。ありがたく聞けよ。
まず、そうだな。なぜ、大海蛇がお前たち人間の船を襲うと思う?」
クロウがボートを離れて、王子の頭の上に飛び乗った。
「痛っ! おい、なんで乗るんだ」
鋭い爪が王子の頭に刺さる。痛いで済んでいるのは、一応クロウが王子に気を使っているからなのだろうが、気分のいいものじゃない。しかし王子が頭を振っても手で追い払おうとしても、クロウは危なげなく王子の頭に乗ったまま微動だにしない。
「とっとと答えろ」
クロウは楽しそうに、鋭いくちばしで王子の頭を突く。仕方なくクロウを追い払うのは諦めて、答えを考える方に集中することにした。
「食べるため……?」
「残念でした。そりゃあ、殺せば食らうがな。本来はそれが目的じゃねえよ。
相手は海洋生物なんだぞ。主食が陸上で生活している人間ってのは、おかしな話だろうが」
見た目は鳥類のくせに、随分と理詰めで王子を責めてくる。王子が顎に手を当てて悩んでいると、エラが右手を挙げて口を挟んだ。
「縄張りを侵されたと思ったからじゃないかしら」
「大正解!」
クロウが王子の頭の上で飛び跳ねた。ばさばさという音がして黒い羽が降ってくる。鼻にかかってむずむずした。
「さっすがエラだな! 王子とは頭の出来が違う!」
「ちょ、ちょっとクロウ」
エラがクロウを落ち着かせようとするが、クロウは御構い無しに王子の頭の上で暴れ続ける。
「ほーら見たか王子! エラの洞察力を! これぞ魔女の知恵!」
「うるさいな! 暴れるなら降りろって本当に!」
そろそろ本当にうっとおしくなって、力づくでクロウを捕まえようと手を伸ばす。クロウはひょいと王子の手を避けると、再びボートへと飛び移った。
「さあ、じゃあお勉強の続きだ。
お前たちの船がこれまで破壊されていたのは、なぜだ?」
それは、敵が攻めてきたと大海蛇が勘違いしたからだ。ならばどうすれば回避できるか。簡単なことだ。大海蛇が敵だと認識しなければいい。つまり、小さなボートならば、大海蛇は襲わない。
「まあ、他にも大海蛇に襲われる条件はあるけどね」
でも今回は該当しないから気にしなくていいよ、とのこと。リオルの追加の説明に、エラが興味深そうに頷いている。
「どんな条件なの?」
「まずは血の匂いだね。怪我してる時に海には絶対に入らないこと。あと、炎」
「炎? なぜ?」
「炎は大海蛇にとって、戦いの合図なのさ」
大海蛇は狩りのときに炎を使う。火炎袋という特殊な臓器を持っていて、そこから炎を吐く。魚の群れを炎で追い込んで、群れごとパクリと頂くらしい。大海蛇は仲間の炎を合図にして、餌場に集まる習性があるそうだ。
「人間の船が夜に松明で海を照らしながら進んだりするだろう? あれは、大海蛇に食ってくださいと言っているようなものなのさ」
さあ、これで分かっただろう、とクロウは王子を翼で指差した。このボートは小さいけれど、大海蛇の襲撃を避けるには最適だ。ボロボロに見えるのは、真新しい立派な小舟がこんな海域にあっては、人間が不審に思うからだそうだ。
王子は肩をすくめた。
「わかった、わかったよ。僕が間違っていた」
王子は素直に謝って、クロウがまたもや暴れたせいで揺れに揺れているボートに乗り込んだ。最後に乗り込むエラに手を貸そうとして振り返り、その向こうに人影を見た。
マザーの居場所が人間に見つかってはいけない。だから、誰かにこのボートで海を渡るところを見られてもいけない。けれど王子はそれについて、あまり心配してはいなかった。だって、ここは普段、全く人が寄り付かない場所だったから。
けれど王子が驚いたのは、こんな場所に見知らぬ誰かがいたからではない。そこにいた人間が、予想外の人物だったからだ。
「なぜ、ルイーゼさんがここに」
ルイーゼは薄く微笑みを浮かべて、魔の入り江に一人立っていた。




