帰還
出立した二日後の夕方になって、王子が城に戻ってきた。
トーマスを追っている間に何があったのか、王子は語ろうとはしないが、王子もお付きのロビンという青年も、傷だらけになって帰ってきた。唯一無事であったダグラスという武人も、エラには判断がつかなかったが、彼にしては珍しく疲れを見せていたという。
王子が城に戻ってきたという知らせを受けると、エラは王子の元へと急いだ。様々な思惑が交差した結果であるとはいえ、エラの靴を取り戻すことが目的であるのだから、本来ならばエラが出かけてしかるべきだ。
エラが王子を出迎えたとき、その痛ましさに胸が締め付けられるようだった。治療してあるとはいえ、文字通り身体中傷だらけなのだ。無傷で安全な城に閉じこもっていた自分が情けない。
しかし王子一行が近づくにつれて、胸が詰まるような苦しさが一気に和らいだ。
入城した王子は、ダグラスと何やら言い争いをしていた。言ってみればそれは子供のわがままのようにも見え、部下であるはずのダグラスの物言いは容赦がない。間に挟まれたロビンがおろおろと二人をとりなす様子がおかしかった。
それはエラの知らない、王子の意外な一面だった。これまでエラが見てきた王子は完璧で、悪く言えば人間らしさに欠ける人物でもあったのだ。しかし今の彼は、言うなれば庶民くさい。
笑いをこらえきれずにいるエラに気づくと、王子は少し赤くなって、あわててしゃんと前を向いた。しかしそれが、より王子の人間臭さを際立たせているのだということに、きっと王子は気づいていない。
「王子様!」
駆け寄るエラに、王子はにっこりと余所行きの笑顔を浮かべて馬から降りた。それを見てちくりとエラの心が痛む。
そのとき王子の外套のポケットがもぞもぞと動き、ねずみが二匹飛び出してきた。急に動いたポケットに驚いて飛び上がる王子には見向きもせずに、エラの元に駆け寄る。
「エラ!」
「ただいま!」
「大変だったんだよ!」
「話を聞いてよ」
エラに不満やら自分たちの活躍やらを聞いてもらおうと、ちゅうちゅうと騒ぎ始める。
「あの人間の役に立たないことったら!」
「僕たちがいなければどうなったか」
「そう! 僕たちが靴を取り戻したの!」
「あやうく溺れるところだったんだよ!」
エラは矢継ぎ早に繰り出されるねずみたちの話に頷きながら、人差し指でその頭を撫でた。ねずみたちは日頃から、寂しがりで甘えん坊なのだ。エラが思う以上に、彼らには辛い旅路だったにちがいない。
「そう、活躍したのね。すごいわ」
エラに褒められて、一応は満足したらしく、ねずみたちは誇らしげに胸を張った。
その様子に苦笑しながら、馬を兵に預けた王子がエラに近づいた。
「ただいま、エラ」
「ご無事で……、ご無事と呼んで良いのかわかりませんが。その。とにかく、おかえりなさい」
「無事だよ。僕は大丈夫。
ねぎらうなら、部下たちに言ってあげて。彼らは本当に頑張ったから」
王子の言葉にエラは素直に頷くと、王子の後ろに控えていた二人の従者に向けて、丁寧にお辞儀をした。
「本当にありがとうございました」
「恐縮です」
形式じみた言葉でダグラスが返礼した。しかしすぐにエラからは視線を外すと、王子に向けて言った。
「殿下、まずは靴の確認を」
「今に始まった事ではないが……ダグラスはもう少し愛想とか覚えたほうがいいと思う。まあ、でも、その通りだな。
エラ、靴を取り戻したんだ。本物かどうか、確認してくれないかな」
王子の背後からロビンがすっと出てきて、エラに靴を手渡した。
エラは戸惑いながら靴を受け取り、まじまじと観察する。材質はガラスだし、デザインも同じだと思う。けれど王子が聞きたいのは、これが魔女の遺産で間違い無いかということだ。
エラには、ただのガラスの靴と魔女のガラスの靴の判別はつかない。
「デザインとかは、同じだと思いますけど……」
「本物だよ」
エラの言葉を遮って、頭上から声が降ってきた。リオルがエラの頭の上にちょこんと乗っている。
「わかるの?」
「うん。この靴からは、マザーの魔力を感じるよ」
リオルが断言する。リオルがここまで言うのなら間違い無いのだろう。しかしエラ以外にはねずみの言葉はわからないので、エラが通訳する。
ガラスの靴が本物だとわかると、王子は安心したように肩を落とした。
「そう、それなら良かった」
「エラ嬢」
ダグラスが王子の言葉に重ねるように言った。
「申し訳ありませんが、後ほどガラスの靴の実験に付き合ってはいただけませんか」
「実験、ですか?」
首をかしげるエラに、ダグラス頷いた。
「はい。我々は、そのガラスの靴の能力について、言い伝えのような不確かな情報しか持っていないのです。ガラスの靴の能力を正しく理解することは、船舶技術の向上のためには不可欠ですから、是非ご協力頂きたく」
ダグラスの言葉に、リオルが明らかに気分を害したらしく、エラの頭の上で後ろ足をたんっとついた。しかしリオルが文句を言うより先に、王子がダグラスをたしなめる。
「おい、ダグラス。
順序が違うだろう。まだ彼女は、ガラスの靴について僕たちが知っている情報を知らない。それに、その能力を利用したい旨について、まだ一言も話していないんだ。全てはそれからだろうに」
「それは、大変失礼いたしました。
しかし殿下。おそらく彼女は、ガラスの靴についてはご存知のようですよ」
「なに?」
王子が首をかしげた。ダグラスはすべてお見通しというような様子で、リオルに目をやる。
「どうやら彼は、私たちが知り得ない情報をお持ちかと」
するとそれを受けて、リオルが答えた。
「もちろん、そうだね。君たち人間よりは色々知ってると思う。でもそれを話すかどうかは、僕が決めることだよ」
エラはあまりに驚いて、言葉を失った。王子もそれは同じようで、目をまん丸にしてリオルを凝視していた。言葉をかけたダグラス当人さえ、ピクリと眉を動かした。
リオルは人間の言葉を話していた。
お待たせいたしました!
最終章が始まりました。たくさん休んだので、本日よりまた、週二回の掲載を続けます。
ここからは場面によってエラ目線のときと王子目線のときがありますが、話の途中で変わることはありませんので安心してください。
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