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シンデレラ戦記  作者: 佐倉 杏
第2章 攻守交代
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船上戦

 王子が小さく叫ぶと、部下二人が即座に反応した。不審に思われない程度に早足になり、いつでも武器を抜けるように構えた。二人の後ろから、王子は部下を追いかける。


「殿下、どの男ですか」

 ロビンが問うた。


「あれだ。あの、甲板に出ている茶髪の男。口元を覆っている」


 つい指をさしそうになって、慌てて手を押さえた。気付かれたらいけない。


「出航間近のようですが、間に合いそうでよかった」


 ダグラスの言葉に頷くと、王子は急いで密航船のもとに向かおうとした。しかしロビンが手を上げて王子の行く手をふさぐ。


「おい」

 文句を言おうとした王子を無視して、ロビンがダグラスに言った。


「ダグラスさんは、殿下と港に残っていてください。殿下はもちろんですが、もしかしたらダグラスさんも、顔が割れているかも」


 自分一人で十分だというロビンの言葉に、ダグラスは素直に頷いた。


「そうだな。お前に任せる。

 それでよろしいですね、殿下」

「……仕方ないだろう」


 王子はフードを深くかぶりなおし、顔が見えないように俯いた。

 王子の風貌は目立つ。それに、城にいたトーマスは確実に王子の顔を把握しているだろう。荒事に持ち込むのならまだしも、王子本人が尾行をするなど、はなから不可能だ。


「そんな顔をなさらないでください。トーマスが見つかったのは、殿下の手柄ですよ」


 笑い声まじりにロビンが言うが、王子にはなんの慰めにもならなかった。ロビンは「では、行って参ります」と気軽に進んでいく。


 ロビンの体格は、王子とそれほど違わない。王子もそうなのだが、ロビンは特に軍人であるにも関わらず、かなり華奢な方であった。だのに王子の目には、ロビンの背中があまりに大きく見えた。


 ロビンは荷物の中から布を取り出すと、顔を隠すようにぐるぐると巻いた。どうやら国外逃亡を狙う犯罪者を装って船に乗り込み、トーマスに近づくようだ。

 船の入り口には、屈強な水主が二人立っていた。上半身は裸で、上着を腰に巻きつけている。ロビンはその男たちに近づくと、何やら話し始めた。王子のいる場所からでは詳しいことはわからないが、おそらく船に乗せてもらえるよう、交渉を始めたのだろう。


 やがてロビンが金貨の詰まった麻袋を水主の手に押し付けた。水主はその重さを確かめるように、一度じゃらっと袋を振ると、にんまりとした笑みを浮かべてロビンの乗船を許した。


「手慣れているな」


 桟橋を渡るロビンを見ながらつぶやく王子に、ダグラスが答える。


「あいつの仕事も、追跡や暗殺などの隠密活動が主ですからね。こういったことについては専門です。

 それより殿下、あまり視線を遣らぬよう。怪しまれますから」


「視線で気付かれることもあるのか!」

「我々が隠密活動の専門家なら、奴らは犯罪の専門家です。これまで逮捕されずに逃げ果せているのですから、なかなかに手強いですよ」

「犯罪者というのも、ある意味では才能がなければできないのだな……」


 変わった感心の仕方をする王子に、ダグラスは苦笑で返した。


「もちろん、全員が全員それほどの手練れというわけではありませんよ。用心するに越したことはない、ということです。

 もしすべての犯罪者がそこまでの手練れであったなら、この国は犯罪者で溢れかえってしまいます」


 ロビンは乗船すると、暇をつぶすようにふらふらとあたりをうろつき始めた。王子はロビンの余裕の表れかと思ったのだが、ダグラスがそれを否定した。


「いえ、あれは船の様子を頭に叩き込んでいる最中ですね。最悪、あそこが戦場になりますから、情報の有無は命取りになります。

 これから少しの間、ロビンは情報収集に徹するはずですから、時間があります。我々はそこの露店で朝食にいたしましょう。あそこなら船の様子が見えますし、長居しても怪しまれません」


「しかし、それではロビンが可哀想じゃないか。戻ってからでもいいだろう」

「ロビンよりも、殿下の方が大事です。それはあいつも把握していることですから、お気になさらず」


 ダグラスはためらうことなく言い放つ。


「その考え方は、嫌いだ」


「お嫌いであろうと、事実です。

 それにどのみち、ずっとここで立っているわけにはいきません。ロビンの様子を見るためにも、何かしらの立ち止まる口実が必要です。朝食、というのは最適な理由ですよ」


 理詰めで説得されて、王子は仕方なく頷いた。どう考えても、わがままを言っているのは王子の方なのだ。


 王子とダグラスは朝食を食べられる露店に向かった。そこでは新鮮な魚のあらでスープを作っており、魚肉を団子にして具材にしていた。「どうぞ」とダグラスがそれらを王子に手渡した。一口食べると、暖かさと美味しさが、身体中に染み渡る。まだ何も解決していないというのに、体は正直なものだ。

 朝食をとっていると、やがて屈強な水主たちが船に乗り込んだ。


「えっ!」

 水主たちは王子が見ている先で錨をあげ、出航しようとしている。


「お、おいダグラス!」

「大丈夫です。そろそろですよ」


 ダグラスは早急に食事を終えると、海の向こうに目線をやった。つられて王子もダグラスの視線を追った。すると岬の向こうから、三艘の大きな船が悠然と姿を現した。


 その船は一見してわかるほどに、他の船よりも造りが良かった。他の船がすべて木造であるのに対し、新しく現れた船は要所要所が金属で補強されている。舳先は鋭く、ぶつかっただけでも相手の船は致命的な傷を負うことだろう。


 三つの帆は風を受けて膨らみ、その存在感は圧倒的だ。海と空が美しい藍であるのに対し、帆は赤と金の色で、王家の紋が描かれていた。

 船には武装した兵が幾人も乗っており、それぞれが手に武器を掲げている。特に弓兵は弦を引き絞り、いつでも矢を放てるように準備していた。


「正規兵です。一度出航してしまえば逃げ場はありませんから。妥当な判断でしょう」


 ダグラスの言葉の直後、軍艦から雨のように矢が降り注いだ。密航船に乗っている大半の人間が突然の事態についていけずに、ただおろおろと物陰に身を潜める。彼らには気の毒だが、密航船に乗っている時点で犯罪者だ。この際致し方ないだろう。


 巨大な軍艦が距離を詰めて、密航船の横につけた。兵士たちが雄叫びをあげながら殺到する。その頃になると、港にいる一般人たちも異変に気付いたようで、あちこちで指をさして密航船を見つめていた。


「ロビンは大丈夫だろうか」

「先ほど、トーマスの方に寄っていくのが見えました。そろそろ仕留めているかもしれませんよ」

「だといいのだがな」


 苦い口調でつぶやいた。王子の消極的な意見に、ダグラスが意外そうな顔をするのが見えた。

 王子は自分でも、今どうした心境なのか、理解できなかった。トーマスが捕らえられたら、それで今回の件はひとまず解決だ。なのに、なんだかそれが納得できていない。


(僕も、戦いたかったな)


 ぼんやりと考えて、はっとした。何を考えているのだろう。別に王子は、戦闘狂ではない。決して戦いを好むたちではないのだ。なのに。


(ロビンが、ダグラスが、羨ましい)


 必要とされたかった。ロビンもダグラスも、強い。この国を守る戦力として申し分ない。兵士たちもそうだ。皆精一杯に訓練をして、それに見合う実力を身につけている。実戦の経験がないのは致し方ないことだ。

 なのに、自分ときたら、いったいなんに役に立つのだろう。


(王家の血……か)


 王子には、王家の血が流れている。ではそれ以外に、自分の特筆すべき長所はなんだろうと考えて、何も思い当たらないことに絶望する。王子であるという、ただそれだけでこれまで何度も感謝されてきた。先の村でもそうだ。活躍したのは、本当は誰だ?


 今だって、戦う兵を見ているだけ。これで事が解決してしまったら、王子など必要なかったのだと、認めることになるのだろうか。


(違う、やめろ。考えるな)


 今はトーマスを捕らえることが先決だ。弱いことを後悔するなら、またダグラスに訓練でも頼めばいい。


 王子の視界に、トーマスが映った。そしてその傍らには、ロビンがいる。遠すぎて、二人が振るう剣が爪楊枝のように見える。打ち合っては離れ、また打ち合う。実力は拮抗しているらしい。


 無意識のうちに、握る拳に力がこもる。ああ、でも、やっぱり。


(いいなぁ……)


 王子がロビンを見つめていると、ふわりと風が吹いた。風が王子のフードをひらりと外すと、黒髪が海風になびいた。


「殿下……?」

 どこかで声がした。

 声はさざなみのように広がり、王子はあっという間に人々に取り囲まれた。


「王子さま、いったい何が起こっているのですか!」

「戦争ですか!」

「こっちまで被害は来るの!?」

「なんとか答えてくださいよ!」

「あれは何者!?」


 パニックになった人の群れが王子に押し寄せる。しかし王子の目は、未だロビンを見つめたままだ。動かない王子に苛立ったように、手を伸ばして王子に触れようとする者まで出始めた。ダグラスが慌てて間に入る。


「落ち着いてください。皆さんの安全は保証しますから!」


 これが落ち着いていられるものかと、民間人は容赦ない。すぐそこで、戦争かと思うほどの戦力が投入された捕り物劇が繰り広げられているのだから、無理もない話だ。

 その時、王子がガタンと席を蹴って立ち上がった。


 トーマスが、海に落ちた。

 ロビンの剣を肩に受けて、バランスを崩したらしい。ロビンは浮かび上がってくるトーマスを仕留めようと、海面を凝視している。


(遅くないか……?)


 あれから、何秒たった? それとも何分? 人間はこれほど長く、息を止めていることができただろうか。

 トーマスは溺れたのか? それとも泳いで逃げたのか?


(靴は……靴はどうした)


 船に積んであるのか、それともトーマスが持っていたのか。海に落ちたのか。だとしたら、海の底に沈んだのか。いや、水面を渡る能力のある靴のことだ。海水に浮くことも想定すべきだろう。だったら、もしかして波にさらわれた……?


 それは恐ろしい事態だった。少なくとも靴だけは、確実に手に入れなくてはならない。


 ふら……と王子の足が動く。ダグラスは民間人の相手で手一杯で、王子を見ていない。今しかない。

 王子は静かにその場を離れると、逃げるようにして喧騒にあふれた港を後にした。


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