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シンデレラ戦記  作者: 佐倉 杏
第2章 攻守交代
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ユヴィナ港

 港町であるユヴィナ港は、王都と比べても遜色ないほどの活気に溢れた都市である。特に早朝の賑わいは目を見張るものがあり、代わりに夜は驚くほど静かだ。

 酒場でさえ最も繁盛するのは日が暮れて間もない頃なのだ。この都市の産業は主に漁業で成り立っており、烏賊漁などの特例を除けば、その仕事はほとんどが早朝に行われることが原因だろう。


 日が昇ったか登らないか、という時間から活動を開始する都市だから、すでに門は開かれ、多くの商人がその扉をくぐっていることだろう。もしかしたらその中に、トーマスがいるかもしれない。じわじわと迫る不安を無理やり飲み込んで、王子は両手に握った手綱に集中した。


 港町に来るのは初めてのことではない。王子はすべての国土に精通していなくてはならない、という歴代国王の考えにより、王族には各地の視察が義務付けられていた。

 もう何度となく訪れた港町であるが、塩の混じった湿った風には、どうも慣れない。馬を走らせれば走らせる程に、鼻腔に不快な刺激が混じる。


 遠く、遥か向こうに船が見えた。かなり大きな貨物船で、民家の二、三軒なら乗りそうなほど大きい。時間からしておそらく本日初の出航だろう。

 心なしか王子の馬が速度を上げる。


「殿下、あれは正規の船です。あれにトーマスは乗れません」

「……あ、ああ。そうだな。すまない」


 必要以上に力のこもった両手から、少しばかり手綱が緩んだ。馬が安心したように速度を緩めた。


 それからしばらく馬を走らせた王子たちの目に、ユヴィナ港を囲む大きな外壁が見えてきた。ユヴィナ港は海路の重要な交易場だったから、外壁の主な目的は商人の管理だ。外壁の通用門には兵士が在中し、許可を得た商人のみに営業を許す。


 海鳥たちの視点から見れば、ユヴィナ港を要にした扇のように広がる外壁が見えることだろう。その扇の端には、まるで飾り玉のように、入門待ちの商人の列が伸びていた。


 王都へと続く道に繋がった通用門を守る兵士は、王子たちの姿を認めるとひどく驚いた様子で飛び上がり、慌てて姿勢を正した。その様子を見た商人たちが、この旅人たちは一体何者だろうと訝しげに首を傾げている。


 入門のために並んでいた商人に割り込んで、王子一行は門をくぐった。王子たちに向けられる視線には、不満げなものも混じっている。王子は申し訳なさそうに首をすくめた。


「殿下、本日は視察ですか?」

「いや、調査だ。突然ですまない。入門許可をもらえるだろうか」

「もちろんです。どうぞ、お通り下さい」


 兵士はろくな調書も取らずに判を押すと、笑顔で王子一行を迎え入れた。緊急事態だから、それはありがたいのだが、マニュアルを見直す必要があるかもしれない。


「ところで、今夜遅くに、ここを通った兵はいるか?」

「いいえ。基本的に深夜以降の入門は禁止していますので。

 誰かお探しですか?」


 ダメで元々と思い尋ねてみたが、やはり明確な答えは得られない。そもそもここの城門は敵が攻めてくることを想定して作ってはいないので、乗り越えようと思えば、簡単に乗り越えられる。


「いや、大丈夫だ。ありがとう」

「もったいないお言葉です。お気をつけていってらっしゃいませ」


 王子とダグラス、ロビンの三人は馬を預けると、笑顔の兵に見送られ、とうとう目的地であるユヴィナ港へと足を踏み入れた。






 門の内側は、早朝にもかかわらず多くの人で賑わっていた。どうやらここは市場になっているようで、大通りの両脇の店は、雨に対応するためか、必ず大きな庇が付いていた。すでに早朝の漁を終えた漁師が庇の外に出て、気合の入った叫び声をあげて客を呼んでいる。


「安いよ! うまいよ! こんなに大きな鱈は他じゃあ買えないよ!」

「海老ならうち! お祝い事には海老がなくっちゃあ、始まらないよ」

「金目鯛のサンドイッチはいかが? ちょっと豪華に朝ごはん!」


 王子の外見は、明らかに貴族のそれだ。男でありながら、身なりにきちんと気を遣えるのは裕福な証であったし、従者を二人も引き連れて歩いているのだから、それは目立った。金持ちの多くは、金払いも良い。漁師たちはそれを知っていたから、王子が通りかかると声の大きさが二倍に膨れ上がった。


「殿下」


 小声でダグラスが話しかけてきた。視線だけ後ろにやって、先を促す。


「何かお召し上がりになりますか? 朝食には少し早すぎる刻限ではありますが、お腹がお空きでしょう」

「いや、大丈夫だ。それよりも、まずはとにかく港に向かおう」


 市場をこのまま突っ切って進めば、ユヴィナ最大の船着場がある。密航船はおそらく正規の船を装っているだろう。木を隠すには森の中。ユヴィナを出るには、この港を使うのが一番現実的なのだ。


「かしこまりました。くれぐれも、ご無理はなさらないよう」

「わかっている」


 王子は唇を尖らせた。一食抜いた程度で死ぬわけでもあるまいに、ダグラスは心配性が過ぎる。不満げな王子を見て、ロビンが微笑んだ。


「でしたら、近道がございます。ここをまっすぐ行くよりも早く着きますよ。それに、港の中でも端の方に出られますので、密航船の出没しやすい場所から探せます」

「なに、それは本当か」

「ご案内いたします」

「頼む」


 先頭を歩いていた王子は、体を半歩ずらしてロビンを通した。王子のそばを通る時、ロビンは軽く頭を下げた。

 それからロビンは、知らないでいたら通り過ぎてしまいそうな、小さな路地へと向かった。王子一人では決して通らないし、そもそも通っていいのかもわからない。成人男性が二人並んで歩くのさえ躊躇われるほどに狭いのだ。


 しかしロビンは「少々手狭ですが」と声をかけただけで、特に気にした様子もなく先へと進んでいく。両隣は民家だろうか。壁から生えている排気口からは、美味しそうな朝食の匂いが流れてきた。


「お前は、こういう道をよく使うのか?」

「そうですね。大通り以外の道も熟知しておかなくては、効率の良い追跡はできませんから」


「ユヴィナに来ることも多いのか」

「ユヴィナとオルトラは、仕事柄どうしても多くなりますね。

 ですが、殿下には本来必要のない知識ですよ。こうしたことは、部下である我らに任せていただければ良いのです」

「……そうか」


 やがて細い通路が終わり、海に面した大通りにつながった。強い潮の香りが風に乗って叩きつけられる。朝日はとうに登り、水面に反射した光がキラキラと眩しく見えた。白く砕けた波は穏やかで、出航には最適だった。

 向かって左手側には港があり、大きな船が何艘か停泊している。屈強そうな水主たちが、子供の背丈ほどもある大樽を担ぎ上げては船に積み込んでいた。


「わっ」

「殿下!?」


 王子の驚いたような声に二人が反応する。


「いや、大丈夫だ。なんでもない。ただ、ねずみが」


 先ほどまで王子の外套のポケットでおとなしく眠っていたねずみたちが、ちゅうちゅうと騒ぎ始めた。


「大方、初めての潮の香りに驚いたのでしょう」


 ロビンは安心したようにそう言うと、懐から木の実を二欠片取り出して、ねずみに与えた。するとねずみたちは、さっきまでのうるささが嘘のように、黙って木の実をかじり始めた。


 そんな騒ぎのなか、ダグラスとロビンは一艘の船に目をつけた。その船は国外へ向かう貿易船で、王子の目からは、なんら他の船との差は見当たらない。しかしなにやら目印でもついているかのように、部下二人の歩みには迷いがない。


「あの荷をご覧ください」


 戸惑う王子に、ダグラスが小声で話しかけた。ダグラスが示した先には、他となんら変わらない景色が広がるだけだ。水主はよくあんな重そうな荷を軽々と持ち上げるものだと感心するばかりで、特に思い当たる不審な点はない。


「樽の大きさ、他よりも少し大きいと思いませんか?」


 言われて改めて荷を見る。確かに、言われてみれば少し大きい気がする。ただ他の船に運び込む荷は、少し離れた場所に置いてあるため、気のせいだと言われればそんな気もしてくる。


「国外に運ぶ樽は、その大きさが定められています。それなのに、あれは大きすぎます。おそらく規定の検査を受けていません」


 言われてようやく思い出した。王子もその法律は知っていたのだ。もしその規格を超える大きさの荷を運ぶのであれば、目印に証紙を貼らねばならない。しかしその証紙は、荷のどこにも付いていないのだ。


「よく、大きさの差に気付いたな。どれもこれも似ているように見えるのに」

「経験ですよ、殿下。大したことではありません」


 部下の有能さに改めて感心して、王子は船を見た。そのとき、不意に視界にとある男が入り込んできた。口元を風除け布で覆っているが、あの茶色い髪、眉の形、瞳の色、あれは……。


「トーマス!」


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