逆襲
教会の戸には鍵がかかっておらず、軽く押しただけであっさりと開いた。灯りのない中は薄暗く、人の姿は全く見られない。しかし、無人というわけではなさそうだ。何列にも並んだ椅子の陰から、太い支柱の陰から、あるいは前方の十字架の向こうから、人が呼吸をしている気配が伝わってくる。
しかし王子一行を囲んでいる人間は、ただ息を殺してその動向を眺めているだけだ。邪魔をするでも誘導をするでもない。王子には、そのことがむしろ薄気味悪く感じられた。
一行は王子を先頭にして、油断なく先へと進んだ。王子たちの目的は馬だ。馬が通れるほどの大きい扉はそう多くないから、進むべき道を間違えることはなかった。
「うう……」
気味が悪そうに、娘が小さく呻いた。つい先ほどまで教会の人間に捕らわれて、危うく殺されるところだったのだ。娘が教会を怖がるのも無理もない話だと思う。だが、服の裾を掴むのはやめてほしい。とっさの時に動きにくくて仕方ない。
どうせ掴むのなら、先ほどから娘を助けているダグラスの服にしてほしいと胸中でつぶやく。ダグラスならば、服の裾が掴まれていようとそれほどのハンデにはなるまい。
しかしダグラスはもともと無愛想で無口のため、特に女性からは怖がられることが多い。よって、話しやすく人当たりのいい王子に、その付けが回ってくるのだろう。
王子の視線にダグラスが気づいた。困ったように眉をひそめる王子を見て、口の端をほんの少し歪めた。王子のそばまで近づいてきて、娘に聞こえないように「ご安心を。敵は私が対処しますから」と言う。
思わず言い返そうとしたのだが、ダグラスは言いたいことだけ言い終えると、すぐに一行の最後列に戻ってしまった。王子はぐっと言葉を飲み込むと、仕事に集中することにした。
教会の奥の方へ来ると、馬が通れそうな戸が二つ見つかった。さてどちらに行こうかと悩んでいると、またしてもあの鳴き声が聞こえてきた。
小さな鳴き声は、先頭にいた王子と、恐ろしく性能のいい耳を持つダグラスにしか聞こえなかったらしい。王子がふとそちらに目をやる。
一匹のねずみが、左の扉の前にいる。そのねずみの耳には、いつか見た特徴的な傷跡があった。
王子とダグラスは顔を見合わせた。ねずみを信用すべきだろうか。しかし先ほどねずみを信じてついて行った結果が、今の状況である。正直なところ、黙ってでも馬を借りて、さっさと先に行くべきだったのではないか、という思いは拭えない。
一方のねずみは、王子たちのことなど見向きもせず、ねずみの力では開かない戸を必死に引っ掻いている。その様は切羽詰まっているようにも見えた。
ダグラスは王子の判断に従うだろう。娘は言わずもがな。決断は王子に任されている。
(エラなら、あのねずみを見捨てたりは、きっとしないだろうな)
王子が悩んでいる間にも、ねずみは開かない戸を、一心に引っ掻き続ける。雨だれ石を穿つとは言うが、さすがにこれは無理だろう。
王子はどこか諦めたように首を振ると、左の戸に手をかけた。王子が力を込めると、大きな戸はあっさりと開いた。鍵はかかっていないらしい。
突然動き出した扉に、ねずみは驚いたように飛び上がると、一目散に中へと滑り込んだ。王子も続いて中へと進む。
戸の向こうは、いきなり下り階段になっていた。冷たい石壁に、等間隔に燭台が張り付いており、足元を照らすのに辛うじて足りる程度の明るさはある。一歩歩みを進めるたびに、こもったような足音が響く。
最後尾のダグラスは体を反転させ、油断なく背後を警戒しながら、後ろ向きに階段を降りている。教会内で息を潜めている気配は動くことなく、王子一行を見送っていた。
階段は長く、暗さのせいもあり息がつまるようだった。階段は一直線に下りていき、すでに入り口の明かりは遥か向こうに見える。もうどれほど下っただろうか。地下一階や二階など、とうに超えた深さになる。
やがて階段が初めて湾曲した。ちょうど反対を向くと、そこには両開きの扉が付いていた。暗すぎて色や詳細などは分からないが、金属の縁取りがされた大きな扉には、何やら絵が彫り込まれているようだ。
王子が扉に手をかけたとき、足元で何かがうごめき、それが足を這って登ってきた。王子はこの日初めて恐怖に顔を歪ませた。
「うわあっ!」
「殿下!?」
ただならぬ様子の王子に、ダグラスは大急ぎで振り返った。
王子は『何か』が腹を登り、とうとう左肩まで到達したのを感じた。もぞもぞとうごめく『何か』は王子の首筋に触れた。タランチュラか、百足の類だろうか。細かい毛がびっしり生えたような感触に、王子は鳥肌を立てた。
タランチュラであるなら、毒を持っているはずだ。あの毒はたしか、人を殺すほど強くはなかったと記憶している。しかし毒があろうがなかろうが、握りこぶしほどもある蜘蛛が体を這っていると考えるだけで目眩がしそうだ。
タランチュラより毒性の強い生き物だったら、どうしよう。刺すのだろうか。それともこの毛に触れただけでダメなのだろうか。
心なしか視界が歪んだ気がした。血の気が引いていく。ああ、やっぱり毒だ!
早く取ってくれとダグラスに催促するが、ダグラスは呆然とした表情で見ているだけだ。
視界の端に娘の姿が映る。先ほどまで怖がっていた娘さえ、焦っている様子など微塵もない。それどころか、少し笑っている。
「殿下、それ、ねずみですよ」
ダグラスが笑いを抑えきれずに言った。
ぎりぎりまで首を傾けて自分の肩を見やると、そこにはあのねずみがいた。ねずみは不思議そうに首を傾げている。
恥ずかしさで顔を赤くしながら、王子は咳払いをした。無論ごまかしきれてなどいないだろうが、それ以上追求する者はここにはいなかった。
ロビンがいなくてよかった。彼はダグラスほど自分の感情を隠すのが得意ではない。
「開けるぞ」
王子は幾分か不機嫌そうに、ゆっくりとその扉を開いた。薄く開いた扉の向こうから、僅かな明かりが差し込む。どうやら、暗さはここと大差ないらしい。
そこには、大広間とも呼ぶべき広さを持つ空間が待っていた。暗さのせいで、その全体がどれほどの広さを持つのかもよく分からない。遠方は暗闇に溶け込んでいる。
中央には篝火が煌々と焚かれ、地面には魔法陣のような文様が描かれている。その魔法陣の中央には、人の大きさほどもある十字架が立てられていた。その十字架の端には、拘束具のような歪なシルエットが見て取れる。
一見して、この広間に馬はいない。肩のねずみを責めるように睨むが、ねずみはなんら気にすることなく周囲を見回している。
白装束を着た人たちが、魔法陣を取り囲むようにして円陣を組んでいる。
そのうちの一人が、円の中から抜け出て、王子たちの方へと進み出た。
「ようこそ」
王子を一行のリーダーと認めたのだろう。白装束が低くしわがれた声で、王子へと向き直る。フードのせいで見た目にはわからないが、どうやら彼は老人らしい。小柄な体格で、身の丈ほどの杖をついている。
「少し、話をしようじゃないか」
「話?」
「応とも。どうやら貴殿らと我らには、多少のすれ違いがあるようだから」
老人は杖で王子の後ろに控えている娘を示した。
「その娘を渡してほしい。貴殿らは知らないのだろうが、それは魔女だ。ただちに清めなくてはならない。
娘さえ渡してもらえたら、馬は返そう。存分に旅を続けるといい」
「魔女狩りは、国が禁止したはずだ。そもそも彼女が魔女であると断じる根拠が乏しい」
にべもない王子に、老人はわずかに苛立ちを見せた。振り上げた杖をたんっと床に突く。高い音が余韻を残しながら響いた。
「国は判断を誤った。魔女は人心を惑わし、この世の混沌を喰らう。放っておけば、必ずやこの国は転覆してしまうだろう。
貴殿はまだ若く、魔女の実態を知らんのだ。魔女の恐ろしさは、後ろの方ならご存知ではないのかな?」
老人はダグラスに声をかけた。ダグラスの世代ならば共感を得られるとでも思ったのだろう。しかしダグラスは直立不動のまま、表情を揺らすことさえしなかった。
おそらくダグラスは、娘を見捨てて馬を取り返すという手段も、本気で検討したに違いない。しかし王子の判断を優先し、老人に向けて毒を吐く。
「もし彼女が魔女でなかったら、どうする。火にあぶって殺したあとで、その遺体に謝罪するのか? それで許されるとでも?」
「……もっと分別のある方だとお見受けしていたのだが、どうやら、既に遅かったようだ。こちらのお二方は、すでに魔女に毒されている」
清める相手が増えてしまった、と首をふる老人の、その言葉を合図にして、白装束たちが王子の周囲に展開した。手には剣や槍を携えている。その数は十二。残りは武芸をたしなんでいないのだろう。観戦の姿勢だ。
娘を王子に押し付けると、ダグラスがぐいと前に出た。両の手にはすでに抜き身の双剣が握られている。白い刀剣が地下室のわずかな光を吸収するように輝きを放つ。その威圧感はすさまじく、後ろにいた王子さえも緊張に固唾を飲んだ。
数の上では圧倒的に有利であるはずの白装束も、なかなかダグラスに向けて突撃はできない。
白装束たちの構えを見ればわかる。彼らは決して素人ではない。しかし、名前こそ知られていないが、王国でも最上級の勇者であるダグラスは、その威圧感だけでも格の違いを見せつけた。
数で押せば、あるいは勝てるかもしれないが、最初の一人二人は確実に返り討ちにあうだろう。それを理解しているから、誰も最初に斬りかかろうとはしない。
やがてしびれを切らしたように、白装束の一人がダグラスに斬りかかった。ダグラスは右手の一刀でそれを防ぐと、左の一刀でその手を斬った。白装束は利き腕から盛大に血を吹き出しながら、剣を放り出して絶叫する。完全に戦意を失ったようだ。着ている白が紅に染まっていく。
ダグラスはその男を蹴飛ばした。無益な殺生を王子は嫌う。止めを刺さなかっただけ、随分と親切であると言えよう。
ダグラスの強さを思い知った白装束の一人が、標的を変えた。ダグラスの脇を通り、娘を守る王子へと向かう。それを見た途端、ダグラスの顔色が変わった。
凄まじい勢いで白装束に追いつくと、今度は寸分違わずにその首へと刃を振り下ろす。白装束は体をひねってその一撃をかわした。薄く切られた首から鮮血がほとばしる。白装束はそれでもダグラスに一矢報いようと、剣を突き出した。
ダグラスは左の剣で刃をいなすと、手首を返して今度こそ白装束の首を貫き、息の根を止めた。返り血を浴びたダグラスは、力なく倒れこむ白装束には見向きもせずに、残る十人に殺意のこもった視線を送った。
「あのお方に手を出したやつは、何人たりとも生かしてはおかない」
地の底から響いてくるような声は、決して大きくはない。しかしその声を聞いた途端、骨の髄まで沁み渡り内臓を直接握られたように、どっと冷や汗が出てくるようだった。
完全に腰の引けている白装束に苛立ちを隠しもせず、老人が声を張り上げた。もはやその声に余裕はない。
「構わん! 娘を射殺せ!」
しかし老人の声に反応する者はいない。
「どうした! 早くせい!」
老人が腕をふるう。そのときに、ちらりと老人の服の裾がめくれ上がった。ゆったりとしたローブの内側に、小さな鉄の檻がぶら下がっていた。
それを目にした途端、ねずみが王子の肩から飛び降りた。
あわててねずみを抑えようとするが、王子の手をかいくぐり、ねずみは老人の方へ向けて、颯爽と駆けていく。
(まずいっ)
魔女狩りを行う教会にとって、ねずみは一種のタブーであった。ねずみ、烏、蛇という三種類の動物は、魔女が使役すると言われているからだ。エラがねずみを使役していることを踏まえると、あながち間違いではないのかもしれない。
老人が持つ檻には、ねずみが一匹入れられていた。魔女狩りの前座として、火あぶりにする予定だったのだろう。
(そうか、あのねずみは仲間を助けに来ていたのか)
ようやくねずみの狙いがわかった。ねずみは王子をトーマスの元へ導いたのでも、魔女狩りに遭った娘を救おうとしたのでもない。ただ、仲間のねずみを救いたかったのだ。
(なにが、トーマスの元へ導いてくれるはず、だ!)
王子はエラに向けて文句を言いたくなった。
しかしとにかく今は、エラのねずみを見捨てるわけにはいかない。ダグラスが主だった敵を引き受けてくれているから、娘のそばを離れても、少しの間なら大丈夫だろう。
ねずみを追って駆け出した王子に気づくと、ダグラスが悲鳴をあげた。
「何をしているのです!」
それを好機と見て、白装束がダグラスに殺到した。さずがのダグラスも、しのぐだけで手一杯となる。
何人かの白装束は、王子や娘へと向かった。娘が悲鳴をあげる。
「ロビン! 彼女を守れ!」
そちらの方を見もせずに、王子が声を張り上げた。諾との返答は聞こえなかったが、代わりに矢が風を切る音が響いた。
続けざまに飛んでくる矢は、娘を襲おうとした白装束を射抜く。一人ずつ倒れ伏し、娘のそばに到達できる者は皆無だった。
王子は腰の剣を抜き、自らに向かってくる敵に向けて剣を向けた。
王子の胴を薙ぐように剣を振るう白装束の刃を受け止めて、返す刀で腕を浅く切り裂いた。握力を失った白装束は剣を取り落とす。しかしすぐに王子に向き直ると握った拳を振り上げた。
その拳をひょいと避け、王子は敵の額を斬る。目の上から出血した白装束は、まともに目を開けることができなくなり、王子の姿を見失った。
そんな白装束を放って、王子は老人の元へ到達した。
「ひぃっ」
小さく叫ぶ老人の白い外套を切り裂いた。王子は内側に隠してあったねずみの籠を奪い取ると、脇に抱えた。
恐怖におののき座りこむ老人に、鍵を要求する。老人は懐を探り、小さな鍵を取り出した。
王子は鍵を開けると、ねずみを解放した。解放されたねずみは、もう一匹のねずみと元へ駆け寄り、その無事を喜びあうように尾を振った。
「神をも恐れぬ愚か者め……」
老人が王子を指差し、絶叫した。
「貴様には神罰が下るぞ! 必ずだ!」
しかし王子が刃を首筋に突きつけると、うるさい口をピタリとつぐんだ。
「僕は神罰よりも、魔女の恨みの方がよほど怖いね」
指導者である老人が捕らえられ、周囲の白装束に動揺が走る。ダグラスを囲んでいた男たちはさらに殺気立ち、一方で非戦闘員たちは状況についていけずにおろおろと周囲を見回した。
王子は老人の手を後ろに回させて、手早く縛り上げた。そのまま老人を立たせると、大声で叫んだ。
「お前たちの指導者は捕らえた!」
白装束たちが王子に注目した。ダグラスと斬り結んでいた者たちも、いったん距離をとって王子を見る。その瞳には静かな敵意が見て取れた。
「魔女狩りと称し、人々を悪戯に虐げる行為を、この国の王子として許すわけにはいかない。
民よ、今こそ弱者であることを捨て、抵抗せよ。神の加護はお前たちと共にある」
王子がその正体を明かした。白装束にさらなる動揺が走る。
「戦え! そして勝利と栄光を掴み取れ! 邪悪なる教会のしがらみを、今こそ断ち切るのだ!」
王子の叫びに、白装束の一人がゆっくりと反応した。周囲を取り囲むだけだった彼は、手に棍棒を持ち、剣を持った白装束を後ろから殴った。味方であるはずの彼にいきなり殴られ、ダグラスに向かい合い、剣を構えた白装束は、なすすべもなく倒れ伏す。
棍棒を持ち、白装束を着ていた男は、その外套を脱ぎ捨てた。
「この人殺しめ! 国が、殿下が気付いてくださった! もうお前たちの好きにはさせないぞ!」
それを合図に、あちこちで白装束を脱ぎ捨てた村人の逆襲が始まった。王子やダグラスたちが抑えなければ、死人さえ出ていたかもしれない。
力で脅され、屈していた村人たちは奮起した。生き残っていた教会の関係者も、数の暴力には勝てず、たちどころに捕らえられてしまった。
「待って待って! 味方ですって! 本当に」
知った声が遠くから聞こえてきた。そちらに目をやると、両手を挙げたロビンとダグラスの部下二人が、王子に助けを求めている。
村人は、武芸の心得のある者は皆、教会の手先だと判断したらしい。ロビンたちにも容赦なく剣を向けている。
「殿下、なんとか言ってくださいよ」
密かに潜伏して教会の伏兵を斃し、娘を教会の魔の手から救った英雄の、あんまりな姿を見て、王子は場違いな笑い声をあげた。




