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シンデレラ戦記  作者: 佐倉 杏
第1章 狙われた宝具
2/49

あれからの暮らしは

 太陽と競い合うかのような早い時刻に、少女は目を覚ました。

 もうすっかり冬めいてきたこの季節、早朝はもう肌寒い。ベッドの温もりを惜しむようにぎゅっと目を瞑り、勢いよく起き上がる。


 少女は身に染み込むような寒さに、ぶるっと震えた。ベッドの脇に掛けてあった、くたびれたガウンを羽織ると、少女が目を覚ましたのに気がついたねずみたちが、わらわらと集まってきた。


「エラ、おはよう」

「今日も朝寝坊だね」

「お腹がすいたよ、エラ。チーズが欲しいなあ」


 人間にとっては早すぎる刻限であるが、ねずみにはそんなことは関係ないらしい。すっかり活動を開始しているねずみたちは、もうお腹がぺこぺこだと、エラに食べ物をねだる。

 本来であれば、野生のねずみは自分で食べ物を取ってくるものだ。しかしこの屋敷のねずみたちは、食べ物はどこかから湧いてくるものだと信じていた。なぜなら狩りなどしなくても、エラのそばにいさえすれば食いっぱぐれることがないのだ。


 エラは愛おしそうに、一番近くにいたねずみを拾い上げると、その頭を人差指で撫でた。撫でられたねずみは、気持ちよさそうにエラの掌の上で丸くなった。それを見た他のねずみたちが、自分も自分も、とエラの掌に押し寄せる。


「痛ぁっ! 足を踏んでるよ!」


 はじめに掌にいたねずみは押され弾かれ、地面にぽてっと落ちてしまった。周りのねずみたちは、それを心配するどころか、容赦なく踏み台にしてエラに近付く。もみくちゃにされたねずみから、「ちゅう」と小さな抗議の声が上がったが、それは完全に無視された。


「お前たち、少しくらい落ち着けよ」


 大騒ぎの中、一匹のねずみが声を張り上げた。

 周りのねずみたちのサイズは、エラの片手よりも随分と小さいが、このねずみは、それより二回りほども大きかった。サイズだけが原因ではないのだろうが、大きなねずみは周りから一目置かれているらしい。騒がしかったねずみたちがぴたりと止まって、たまたま近くにいたねずみ同士、互いの口を互いの前足で塞いだ。

 エラは大きなねずみを拾い上げると、両手を広げて上に乗せた。


「おはよう、リオル」

「おはよう、エラ。よく眠れたかい?」


 リオルはこの屋敷のねずみたちの、リーダーのような存在だった。年も大きさも他のねずみより抜きん出ていたが、なにより彼は賢かった。エラはいつも、チーズの歯切れなどをリオルに渡す。そうすればリオルが、屋敷のねずみに平等に行き渡るように、きちんと計算してチーズを配分するのだ。


 エラはリオルを連れて静かに階段を降りると、キッチンに忍び込んだ。「残り物だけにしてね」と念を押してから、チーズの棚にリオルを降ろす。リオルはぺろりと舌舐めずりをすると、チーズの物色を始めた。


 エラはリオルから目を離し、顔を洗い、身支度を始めた。軽くウェーブのかかった長い金の髪を簡単にまとめると、冷たい水に触れたせいで桜色に染まった頬を軽く叩き、朝食の準備に取り掛かった。別に作れと命じられたわけではないが、朝食作りはもはやエラの習慣だった。






 ほんの少し前まで、エラは家族から召使いのように扱われ、朝食を作ることだけではなく、掃除も洗濯も、家事はエラの仕事だった。

 しかしお城で舞踏会があったあの日から、全てが変わった。


 この国は、高齢の国王が治める、小さいけれど平和な国だ。なんとしてでも領土を増やそうとか、そういった野心を起こさなければ、この国を攻めてくる敵もそうそういない。なぜなら、この国は周囲を海に囲まれた島国だったからだ。


 近年、船舶の技術が進んできているとはいえ、航海に危険が付き物である事実は変わらない。海に出るのは、いつだって命がけだ。特にこの国の近海には、巨大ダツ(剣のように鋭く尖った魚)や大海蛇が生息している。大軍を船に乗せて危険な航海をし、拠点もない島国に戦争を仕掛けるのは、あまりにリスクが大きすぎた。


 そんな平和な国では、王族といえども政略結婚などとは無縁で、王子は自由に妃を選ぶ事ができた。年老いた国王には息子が一人いるが、もう適齢期にさしかかるというのに、婚約者どころか、恋人さえいなかった。各地の有力な貴族の娘たちが王子に気に入られようと、その美しさを磨いて王子を待っているのにもかかわらず、だ。


 その王子がある時、舞踏会を開くと宣言した。驚くべきことに、その舞踏会の参加資格は『この国の国籍を持つ者』であった。もはや参加資格など不要だと言われているのに等しい。


 これには国中が大騒ぎになった。貴族の家は、娘と王子がお近づきになるまたとないチャンスだと、金を湯水のように使い、こぞって娘を飾り立てた。その勢いや凄まじく、「王子は妃になるお人を、金で選んでいるに違いない」と噂されるほどだった。

 お金や権力を持たない貴族以外の家の娘は、祭りに参加するくらいの軽い気持ちで、でももしかしたら……なんて夢を見ながら舞踏会を待ち望んだ。


 エラはその舞踏会で王子と初めて出会い、意気投合した。身分違いではあるが、今でも王子とは友人として付き合いを持っている。


 継母は舞踏会の日以来、自らの行いに対する国からの罰を恐れてか、エラに命令をすることはなくなった。ただし、代わりに腫れ物に触れるようにエラに接するので、仲が良くなったとは言い難い。

 継母だけでなく、近所の住民もそうだ。エラが王子と友人になったと知るや、エラは好奇の目にさらされるようになった。これまで気にならなかった他人の視線が、今は痛いほどに感じられる。


 そのせいもあって、エラは最近、外出を最低限に抑えるようにしていた。人の噂も七十五日。きっとすぐに、そんな噂など忘れられるだろうから、それまでの辛抱だ。


 今日は裏戸の修理でもしようか。つい最近、近所の子供にでもいたずらされたのか、裏戸の鍵がゆるくなった。普段からそう使う扉ではないから放っておいても害はないのだが、暇にしているよりは、幾分有意義な時間の使い方だろう。外出できないと一日がやたらと長いのだ。


「エラ、エラ」


 名前を呼ばれて振り返ると、リオルが小さなチーズの塊をいくつも抱えていた。そのほとんどが随分古くなってしまったチーズだ。リオルはエラの言いつけを忠実に守っていた。

 エラ自身も、実はなるべく残りが出るように計算して、チーズを使っていたから、残り物だけでねずみたちには十分な量があるのだ。


「それがいいのね、わかったわ。私は朝食の支度をしてしまうから、先に部屋に戻っていてね」


 それからエラは、自分の分と継母、二人の姉の四人分の食事を作った。朝食だから、あまりボリュームのないものの方がいいだろう。朝が弱い姉たちは、きっと起きてくるのが遅いから、簡単に温め直せるものがいい。


 エラは火を起こすと、洗い物を乾かしていた台から大きな鍋を取り出した。もう慣れたが、この厨房は四人分の食事を作るには広すぎる。一人で厨房に立っていると、がらんとして寒々しく感じるほどだ。


 父が亡くなって、この広い屋敷に住んでいるのはたったの四人になった。普通このサイズの屋敷には、祖父母なども一緒に住むのだろうが、継母の両親は他界している。唯一、継母には姉が一人いるが、ずいぶん前に遊んでもらった記憶があるだけで、ここ数年会ってもいなかった。結果、広さの割には物が少ない厨房ができあがったのだ。


 エラは鍋に残り物の野菜を入れて煮込んだ。そこに、庭で飼っている鶏が産んだ新鮮な卵を落とした。これなら簡単に作れて、体も温まる。


 三人分のスープを鍋に残し、自分の分だけ取り分ける。せっかくならリオルたちと食べようと思い、自分のお皿とパンの欠片をトレーに乗せて自室まで運ぶ。

 エラが部屋に戻ると、ねずみたちはエラのベッドの上に乗って、一心に窓の外に目をやっていた。あまり外に身を乗り出すと、ねずみの姿が外から見えてしまう。エラは慌ててねずみたちを手で抑えた。


「あっ、エラ」

「おかえり、エラ」

「ねえ見て、またあいつだよ」

「こっちを見ているよ」

「僕がかっこいいから?」

「エラを見てるんだよ、ばかだな」


 騒ぎ立てるねずみたち。その言葉を聞いてエラは、ああ、またかと思った。


 エラも、ねずみたちが指差す方に視線を向けた。エラの視力では、覗き見をしている人間を見つけることはできなかったが、ねずみたちは人間よりも鋭い。彼らが「いる」というなら、エラには見えなくても「いる」のだろう。


 今度はなんだろう。記者かなにかだろうか。

 今までで一番大変だったのは、王子のファンだと自称する女の人が家に押しかけたときだ。あのときは、姉のアルベルタがものすごい剣幕で、その女性を追い返した。ああいった強引さは、エラには真似できない能力だ。

 自身で視線に気付かなくても、私生活を見られるのは気持ちの良いものではない。エラはため息を一つつくと、シャッとカーテンを閉めた。






 王子がエラを見つけ出してから、もうすぐ一ヶ月が経つ。

 エラの読み通り、周囲の好奇の目は次第に落ち着いてきた。王子がエラを、恋人ではなく友人として扱っていることも一因かもしれない。


 普段通りの生活を送ることを待ち望んでいたのは、エラだけではなかった。エラと一緒にこの屋敷に住んでいる継母と姉たちも、エラと同様に噂や人の視線にさらされる立場だったのだ。


 二人の姉たちも継母も、これまで出かけにくかった鬱憤を晴らすように、今日はそれぞれ朝から出かけている。エラももうすぐ家を出発して、久しぶりに王子に会う約束だ。


「一国の王子が、なんとまあ気軽に出かけるものだね」


 皮肉とも、感心とも取れる口調でリオルが言う。

 エラは一心に縫い物をしており、リオルに耳だけ傾けて返事をした。


「あら、国民と王族の距離が近いのは、必ずしも悪いことではないわ」

「必ずしも良いことでもないけどね」

「もう」


 せわしなく動かしていた手を一旦止め、エラは頰をふくらませた。


「お優しい方じゃない。私のような、ただの国民にも心を砕いてくださるんだもの……。できたっ!」


 声を明るくして立ち上がり、縫い合わせていたドレスを掲げる。それは以前、舞踏会に行くために縫って、継母に破られてしまったドレスだ。


 エラが嬉しそうなので、きっと楽しいことがあったのだろうとねずみたちがエラに群がる。エラが抱えているドレスが、きっと楽しさの元だ。そう考えたのか、ねずみたちはドレスに登り始めた。


 ドレスは以前のものに比べて、華やかさを抑え、代わりに普段使いもできるような形状にアレンジされていた。スカートの裾を少し上げて、地面に引きずらなくて良いようにした。これで外も気軽に歩ける。

 特徴的なリボンの形をしたポケットを覗き込んだねずみが、ころっとポケットの中に落ちた。エラが笑いながら、目を回したねずみを救出する。


「なんとか間に合ったわ」

「今日、それ着ていくの?」


「ええ、そうよ。

 この前会ったときに、王子様にね、あの日の姿がまた見たいって言われたの。ドレスが素敵だったって。だから今日着て行って、驚かせたくて。でも、魔法のドレスはもうなくなってしまったから……」


 せめて、あの時のドレスの元になった、この服を着ていきたいのと嬉しそうに笑う。


 あのドレスが手元にない以上、王子の望みを叶えてあげることはできない。事情を伝えることもできない。魔法のドレスと魔女のおばあさん。彼がどれほど高潔な人物であっても、それを打ち明けるわけにはいかないからだ。そのことを考えると、ほんの少しだけ気が重い。

 リオルは何か言いたそうにしていたが、結局何も言わなかった。代わりに大きくため息をつく。


「エラが幸せそうだからね。僕はそれで充分だもの」


 自分に言い聞かせるような口調だった。


「でも気をつけてね。少し落ち着いてきたとはいえ、エラはもう有名人だから。いつ何が起こるか、わかったもんじゃない」


 エラは大丈夫よと安請け合いして、すぐに服を着替えた。リオルの忠告は、縫い直したドレスの魅力には到底敵わなかった。


 エラはいそいそとドレスに着替えると、自分の格好を見下ろす。縫い直したドレスは以前とは違う魅力があり、自然と笑みがこぼれた。

 鏡の前で何度も回り、その度にねずみたちがぽてぽて落ちる。それが楽しくなったのか、落ちたねずみは再びエラのドレスによじ登った。登っては落ち、落ちては登り、また落ちる。


 ひとしきりねずみたちと遊んで、ドレスに満足すると、今度は床板の隙間からガラスの靴を取り出した。

 この床板の隙間は、エラの宝箱のような役割を果たしている。鍵などもちろんないが、ねずみたちが教えてくれなかったら気付かなかったであろうわずかな隙間は、物を隠すにはぴったりだった。いくら小さい隙間といっても、ガラスの靴をしまうくらいの大きさはある。


 ガラスの靴を履くと、ひんやりとした奇妙な心地よさがエラの体を駆け巡った。はじめのうちは、ガラスの靴なんて、足が痛くて歩けないのではないかと疑っていたのだが、それは杞憂だった。ガラスの靴は、まるでエラのために存在するかのようにフィットした。


 次に、同じく床板の隙間から取り出したアメジストのネックレスをつけると、一気に華やかな気分になった。このアクセサリーは生前に父が買ってくれたもので、エラが持っているもので一番高価なものだ。

 エラは鏡に映る自分の姿を見て、それからリオルを振り返った。


「どう?」

「とっても素敵だよ」


 リオルの返答を聞いて、エラは満足げに笑った。






 朝方まで雨が降っていたおかげで、その日はいつもより暖かかった。マフラーをしっかりと巻いていると、汗ばんでしまいそうなくらいだ。


 エラは大急ぎで王子と待ち合わせた広場に急いだ。ドレスの完成に喜んで、つい時間を使いすぎたのだ。広場は滅多に行かない貴族街にあるから、エラには土地勘がない。もし道に迷ったら遅刻してしまうだろう。


 道幅の広い通りに差し掛かると、あちこちから商人の声が響いてきた。どの商人も、自分の店のものが一番だと口々に叫ぶ。魚や野菜など、たくさんの食料が露店に並んでいた。


 この国は周囲を海に囲まれた島国だったから、肉よりも魚の方が食卓に上る機会が多い。露店のなかに、非常に安く魚を売っているお店を見つけて、一瞬足が止まったが、そんな理由で王子を待たせるわけにはいかない。

 なにより、鮮魚を持って王子に会いに行く娘が、どこの世界にいるのだろう。


 エラは必死に欲と戦いながら、なんとか商店街を通り抜け、大通りに出た。

 たくさんの馬車が行き交う大通りを、大急ぎで駆け抜ける。しかし急いでいたせいなのか、エラは目の前の水たまりに気付けなかった。


 あっと気づいた時には、もう水たまりは目の前に迫り、とても避けられるような距離ではなくなっていた。せっかく縫ったスカートの裾が、泥で汚れてしまう!


 勢いのまま駆け抜け、水たまりを通り越してから、恐る恐るスカートを見下ろす。


(汚れて、いない……?)


 スカートに汚れは見当たらなかった。その場でくるくる回って、何度も何度も確かめるが、結果は変わらない。

 エラは後ろを振り返った。エラが通った道には、大きな水たまりが確かに存在する。でもそれは、綺麗な円形をしているわけではなかった。運良く、水たまりを踏まずに通れたのだろうか。あれほど大きな水たまりを……?


 腑に落ちなかったが、あまりのんびりもしていられない。きっと、神様が見ていて助けてくださったのだ。そう思うことにして、エラは貴族街の方へ足を向けた。


 エラが家を出てから十分以上歩いた頃、ようやく貴族街の入口が見えてきた。


 待ち合わせの広場は、貴族街の入口近くにあった。広場は大きく、地図上では隣に位置するはずの教会が、ひどく小さく見える。薔薇で作られたアーチや植木がエラを出迎える。今は季節外れで、枝や支柱の骨格が見えてしまっているが、花が咲く季節には、息を飲むほど美しい光景になるのだろう。


 王子は広場の中心の、白いベンチに腰掛けていた。

 王子は短い黒髪と黒い瞳、端正な顔立ちをしている。しかし彼に初めて会った者は、まずその目に惹きつけられる事になるだろう。澄んだ瞳は聡明さと優しさに満ち溢れ、着ている青い軍服とは幾分不釣り合いに感じられた。剣を振るうよりも、書類に向かい合っている方が似合いそうだ。この国は現在、戦争はしていないが、軍隊は保有している。きっと彼もそこに所属しているのだろう。


 王子はまだエラに気付いていないのか、静かに本を読んでいた。その姿はまるで一枚の絵画のようで、自分がそこに加わったら、絵の均衡が崩れてしまうような気さえした。


 エラが近付くのをためらっていると、何か感じたのか、王子がふと顔を上げ、エラと目が合った。王子は本を閉じ、にっこり笑うとエラを呼んだ。


「おはよう。こっちにおいでよ」


 呼ばれて、エラは少し安心して王子に近づいた。王子の目の前まで来ると、スカートの裾をつまみ恭しく礼をした。


「おはようございます、王子様」

「やあ、エラ。来てくれてありがとう」

「もったいないお言葉です」


 顔を伏せたまま硬い口調で話すエラに、王子は苦笑する。いつも王子は、もっと楽にして良いと言ってくれるけれど、相手は王子だ。頼まれても気軽に接することなどできなかった。


「今朝方、雨が降っていた時はどうしようかと思ったのだけど、晴れてくれてよかった。雨の中の散策というのは、いまいち気乗りがしないからね」


「きっと神様が見ていてくださったのです。綺麗なお空ですもの」

「なるほど、君の日頃の行いがよかったおかげかな」


 顔を真っ赤にして否定するエラを見て、王子はおかしそうに笑った。


「エラは面白いなあ。

 ……あ、そこ段差があるよ。足元注意してね」


 王子はエラに注意を促すと、ふと気づいたようにエラの靴に目をやった。


「あれ、エラ。もしかして、その靴……?」


 驚きと期待を含んだ王子の声に、エラの声が少し高くなる。


「はい、そうです。ガラスの靴です。王子様に初めてお会いしたときに履いていた、あの靴です」

「履いてきてくれたの? ありがとう! ドレスが違うから、すぐには気付かなかったよ。

 ……ああ、そうか。そうだよね、ドレスは普段使いには向かないよね」


 合点がいったようにぽんと手を打つ王子に、エラは少しだけしゅんとなった。王子はそんなエラの様子に気付かないまま、いつかドレスを着てこれる場を用意すると言った。エラの表情がみるみる暗くなる。


「……申し訳ありません。それは、ダメなんです。

 その……、舞踏会に着て行ったドレスは、もう、ないのです」


 エラは申し訳なさそうにうつむいた。王子は不思議そうに首を傾げている。


 できることなら、全てを王子に打ち明けてしまいたかった。お城に向かう途中で魔女のおばあさんに出会ったこと。魔法のドレスのこと。そして、十二時の鐘とともに、魔法が解けてしまったことを。


 信じてもらえないかもしれないけれど、それでもよかった。でも、それはできない。この国で、いや、この世界では、魔女という言葉は禁句なのだ。こんなに親切な王子に隠し事をしている罪悪感が、エラの胸を締め付けた。


 話してしまおうか。だって嘘をつくよりもずっと、真実は尊いはずだもの。


 エラは少しだけ顔を上げる。すると偶然、王子の顔の向こうに教会が見えた。その教会は尖塔に鐘を掲げ、神を讃える十字架の文様が複雑に鐘に堀込まれていた。その文様はここからではよく見えなかったが、十字架に人が磔にされている様が描かれているはずだ。


 それを見た途端、エラは真実を話そうという気を失ってしまった。それを話したら、どうなるか。考えるだけで恐ろしい。


 魔女は悪しき存在だ。人心を惑わし、悪魔と取引をする。それがこの世界の常識だった。だから魔女は発見され次第、火炙りにされる。魔女と取引をした人間も同様だ。その習慣は魔女狩りとか、異端審問と呼ばれた。数年前に禁止されたらしいけれど、その恐怖は未だに国民の心に根付いている。


 エラは魔女のドレスを着て王子と出会った。もしもそれがばれたら、王子を魔法で誑かしたといって、火炙りにされる可能性は充分にあった。

 エラ自身、魔女のおばあさんに会ったときには、恐怖で足が竦んだのだ。でも不思議とエラには、あのおばあさんが悪い人には見えなかった。確信めいた何かが、信頼できると叫ぶのだ。


 しかしそれを、他の人たちに信じてもらうことは難しい。もし王子が信じてくれたとして、何になる? 重い秘密を王子に押し付けても意味はないのだ。


「……ごめんなさい」


 きっと王子は、エラが何かを隠していることなど気付いているのだろう。でも、それを追求することはなかった。エラは心底ほっとして、感謝した。きっと王子は、エラの様子を見て気を使ってくれたのだ。


「そんなことより」


 王子はパチンと手を合わせると、見せたいものがあると言った。

 この広場は、四つの庭園に分かれていて、それぞれが春夏秋冬に割り振られている。今は秋の庭か冬の庭が最も美しい。王子と待ち合わせたのはエラの家に一番近い春の庭だったから、花が咲いていなかったのだ。


「さあ、ほら。こっちだよ」


 王子はエラの手を引くと、秋の庭に連れて行った。春の庭の寒々しい雰囲気から一転、鮮やかな紅色が目に飛び込んできた。


「わあ、きれい」


 エラはつい、声に出して賞賛していた。

 秋の庭園を囲う木々は全て赤か黄に色付き、見る者の心を楽しませている。風が吹くと枝葉が揺れて、その色合いに変化を生じさせた。庭の中心には小さな湖があり、反転した紅が湖面に揺れている。湖の中心には浮島があり、琵琶や寒椿、柊の花が咲き乱れる。


 春の庭にはまったく人気がなかったが、ここにはちらほらと人影が見える。王子に気付いた何人かが頭を下げた。


「ここはね、国が管理している広場なんだ。国民のために作ったんだけど、作った場所のせいで、ほとんど貴族しか寄り付かなくなっちゃったんだよ。せっかくなら誰でも気軽に来れる場所にするべきだったのに」


 たしかに、エラのような人間はそもそも貴族街には近寄らない。


「でも、もしも下町に広場をお作りになるのでしたら、きっとバザーが開けるような、大きな広場が喜ばれると思います」


 この広場が美しいのは、緻密に計算された植物の配置のおかげだ。しかし下町で喜ばれるのは、繊細な美しさよりも実用的な機能だ。


「そうか、何事も適材適所なんだな。

 ……おいで、エラ。こっちも案内するよ」


 王子は楽しそうにエラを連れ回しては、あちこちにある草花について説明する。どの話もエラの知らない事ばかりで、とても面白かった。


「エラは、花が好き?」

「ええ、好きです。花も木も、それに鳥や虫も。

 私、植物にはそこそこ詳しいつもりだったのですけれど、まだまだ知らないことが多いのですね。驚きました」


 しゅんとして肩を落とすエラに、王子は笑って「これから覚えていけばいいよ」と言った。


 そのあとエラは、日が傾くまで王子と広場にいた。草花のこと、国のこと、王子の子どもの頃のこと、エラの生活のこと、話は絶えなかった。


「へえ、お父上は薬剤師をなさっていたのか」

「そうです。なので、薬になるような珍かな植物なら、少し知っています」


 王子は植物が好きなのか、これには興味を示した。エラは少し照れながら、知っている薬効のある植物について話した。


「そうですね、例えば……、コノハミという高山に生息する草は、湿らせると布のように柔らかくなります。さらに鎮痛剤としての効果もありますから、打撲傷に貼るといいです。あとは、アカヒメノという高温を好む花は、多量に用いると幻覚効果があって毒ですが、少量では麻酔に使用されます。最近見つかったばかりの例では、砂漠に生えるサボテンの一種から取れる蜜が、蕁麻疹に効果があるとわかりました。でもこれはまだ副作用も不明なので、一般での扱いは禁止されています」


 流れるように説明するエラを見て、王子は目を丸くした。


「……驚いた。本当に詳しいんだね」

「私もいつか、父のような薬剤師になりたいんです。だから、今から頑張らないと」

「すごいね。今から目標があるなんて」

「王子様だって、立派な王様になるために、今から努力なさっているのでしょう?」

「そうだね。……僕は立派に国を治めなきゃいけない」


 王子は少し言葉に詰まった様子だった。国王という役職は、きっと王子にとって輝かしいばかりのものではないのだ。当然だ。国民の命が国王の両肩に乗るのだから。


 エラは失言を恥じた。今この時間は、王子に役目を忘れて楽しんでもらいたいのに。エラは慌てて話題を変えた。王子はなんら気にした様子もなく、エラの話に乗ってくる。エラは胸中でそっと胸をなでおろした。


 あっという間に夕刻になり、冷え込みが強くなってきた。エラは王子と別れ、家路に向かう。


「またね、エラ」


 王子はそう言ってお城へと帰っていく。エラは深々と頭を下げて、王子が見えなくなるまでずっとその姿を見つめていた。


 スキップしながら家に帰り、自宅のドアを開ける。靴を見る限り、まだ継母も姉たちも帰ってきてはいないらしい。


 ただいま、と上機嫌に叫ぶエラの元に、大慌てでねずみたちがやってきた。

 我先にとエラの元に走り、手のひらに飛び乗ったねずみが、何かを必死に訴える。


「大変だよ」

「怖かったんだよ」

「知らない人がいたんだよう」

「僕らを蹴ってきたんだよ」


 口々に、知らない人を相手に勇敢に戦ったのだと伝えてくるが、ねずみたちの証言はいまいち要領を得ない。


 きょろきょろと辺りを見回し、リオルと目が合った。リオルならば、わかりやすい解説ができるはずだ。しかしリオルは肩をすくめて首を振るばかりで、何の説明もしてはくれない。仕方なく、ねずみたちに向かって話しかける。


「ちょっと待ってね、まずはお部屋に行きましょう。それから、なにがあったのか、もう一度聞かせてちょうだい」


 エラはねずみたちを連れて部屋に戻ると、暖かいミルクを浅い皿に入れて、ねずみたちに飲ませた。ひとしきり飲み終えると、ねずみたちは幾分落ちついた様子になった。


 エラはゆっくり、何が起きたのかを尋ねる。ねずみたちの話は誇張されたり、勘違いしていたりすることが多い。だから、聞くときは慎重にならなくてはいけない。ねずみたちはときに脱線し、ときに喧嘩をしながら、今日起こった出来事を語る。


 曰く、今日エラの部屋に見知らぬ男の人が入り込んできて、何かを探しているようだったらしい。エラの、というか、自分たちの空間に侵入したことに怒り、ねずみたちは男に噛み付いたが、男に蹴り飛ばされてしまったそうだ。


 それからねずみたちは男を怖がり、震えながら、陰から男を見ていたのだという。

 男は結局、目当てのものを見付けることができなかったようだ。何も盗むことなく、悪態を一つつくと、部屋を元どおりに戻してその場を後にした。


 ねずみたちは、怖かったと口々に言う。そして何も盗まれずに済んだのは、自分たちが噛み付いたからだと主張した。


「とっても勇敢だったのね」


 エラに褒められて、ねずみたちは満足げであったが、一方のエラは浮かない顔をしていた。知らない男が勝手に部屋に入り込んでいるなんて! とても怖くて、今日はこの部屋で眠ろうという気にはなれなかった。


 改めて自分の部屋を見回した。いつもと何も変わった様子はない。だが今は、むしろそのことが気味悪く感じられた。つまり侵入者は何の痕跡も残さず、エラの部屋に侵入できたということなのだから。


 エラはねずみたちに、男の容姿や年齢など詳しいことを聞いてみたが、ねずみからしたら人間の容姿など皆同じに見えるらしく、結局何もわからなかった。


「ごめんよ。僕は、こんな大事なときに出かけていたなんて」


 リオルが耳を下げてしょんぼりと言った。


「気にしないで。リオルのせいじゃないわ」


 だがとにかく、対策は考えるべきだろう。ねずみたちの証言を聞く限り、男の狙いはエラのようだが、継母や姉にも無関係な話ではないのだ。


 エラはその夜に、誰かが侵入した形跡があることを継母に伝え、とりあえず今日のところは空き部屋で眠ることにした。

 明日は家の鍵を付け直して、今後どうするべきなのかを、真剣に考えなくてはならない。恐怖と不安で頭が冴えて、寝返りばかり何度も打った。その夜は、なかなか眠りにつくことができなかった。






 長い時間をかけてようやく眠りについた後、エラは夢を見た。


 真っ暗な夢の中、エラは誰かに追いかけられていた。逃げても逃げても、誰かは後をついてくる。助けてと叫びたいけれど、もし叫んだら追いかけてくる誰かに聞こえてしまう。エラは恐怖と戦いながら、ひたすら逃げ続けた。


 やがて、前方にリオルの小さな背中を見つけた。ほっとしてリオルの元に駆け寄り、その肩を掴む。するとリオルは風船のようにどんどん膨れ上がって、人と同じ大きさになった。振り向いたリオルは、いつの間にかねずみではなくなっていた。怒り狂った継母の顔をしたリオルは、エラに向かって牙を向けて「お前のせいだ」と叫んでいる。


 慌てて継母から逃げ出すと、今度はエラを追いかけてきていた誰かに鉢合わせした。誰かは黒い服を着て深いフードを被っているため、顔は見えない。その人物がゆっくりとフードに手をかけた。エラはその途端、凄まじい恐怖に襲われた。見たくない。お願いだからフードを脱がないで。その願いもむなしく、その人物の顔が露わになる。

 口が見え、鼻が見え、その瞳がエラに向けられる。


(だめ……)


 目を逸らすことさえできずに、エラは凍りついたように動けない。それ以上はだめだ。見てはいけない。


(やめて!)


 そう叫んだとき、エラは目を覚ました。


 あたりはまだ暗く、月が昇っていた。エラのベッドのすぐ脇では、小さなリオルがすやすやと寝息を立てて眠っている。

 エラはびっしょりと冷や汗をかいていた。まるで全力で走ってきた後のように息が上がっている。エラはきゅっと目を瞑り、自らの体を抱きしめて眠れぬ夜を過ごした。






「エラ! 大丈夫だった!?」


 翌日の夕刻。家の鍵を総取っ替えしていたエラのもとに、いきなり王子がやってきた。突然の王子の訪問に、姉二人はきゃあきゃあ叫んで、ボサボサの髪や化粧のしていない顔を隠すように、部屋の奥に消えた。

 エラ自身もとても驚いて、大慌てで汚れた手をエプロンでぬぐうと王子を出迎えた。


「お、王子様! どうしてこちらに?」

「近衛に聞いたんだ。エラの家に泥棒が入ったって。なんともないかい? 盗まれたものは?」


 継母が、泥棒が入り込んだことを衛兵に伝えたはずだ。きっとその話が王子のところまで届いてしまたのだろう。


「大丈夫です。幸い、盗まれたものはありませんでした。ですから、正確には泥棒ではなく、不法侵入者がいたのです」

「そうか、盗まれたものはなかったのか……」


 王子は心底ほっとした様子で、胸をなでおろした。


「でも、心配だね。これからも同じことがないとは限らない。

 そこで、ひとつ提案があるんだが、どうだろう」

「提案?」


 首をかしげるエラに、王子は自信たっぷりに頷いてみせた。


「この騒動が落ち着くまで、うちにおいで。もちろん、ご家族も一緒に」

「え……、それはお城に、ということですか?」

「そうだよ。幸い、広さだけはあるからね。君たち四人分の部屋くらい、すぐに用意できるよ」


 王子の豪快な提案に、しかしエラは首を横に振った。


「いけません、私のような者をお城に住まわすなど、王子の……王家の信用に関わります!」


 すると王子は困ったように眉をひそめた。


「でも、きっとこの騒動の原因は、僕だろう? 僕が関わったせいで、エラの家が有名になってしまったんだから。

 僕のせいで国民が辛い思いをしているというのに、見て見ぬ振りをしているだなんて、それこそ信用に関わるよ。だから、どうか助けさせてほしい」


 王子にそこまで言われ、頭まで下げられた。それでもエラがためらっていると、髪を整えた姉たちがやってきて、きゃあきゃあ騒ぎ始めた。


「お城に行けるの!?」

「違うわ、お城に住めるのよ!」


 継母は少しばかり悩んだ様子であった。浮かれる娘たちを見て、そして再び考える。もしかしたら継母自身にも、王城への憧れのような感情があったのかもしれない。とうとう継母は恭しく王子に頭を下げた。


「お心遣い、痛み入ります。

 では僭越ながら、お言葉に甘えさせていただきます」


 継母までもがそう言いだし、エラは否とは言えなくなってしまった。

 王子は荷物をまとめて置くように言い残すと、荷物を運び込むための馬車を手配させ、自身も城に帰って行った。色々と準備があるのだろう。


 今思えば、このときに城に行く選択をしたことが、エラの運命を変える大きな岐路になったのだ……。


お久しぶりです。佐倉です。

シンデレラ戦記ようやく始めることができました。

初めての連載で、投稿の方法からもうやり方が難しくて大変でした笑


ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます。

楽しんでいただけるようなお話を、頑張って作っていきたいと思います。


一つ皆様にご協力をお願いします。

どうか、感想やよかった点、悪かった点を教えてください。

皆様の意見を参考に、投稿した話を修正しながら、シンデレラ戦記を作り上げていきたいと思います!

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