無人の村
王都から東、ユヴィナ港へと続く大きな街道を、五頭の馬が疾走していた。この辺りは広大な平野で、石を敷き詰めただけの簡単な道が、どこまでも続く草原に白い線を引いている。ここは主に放牧で生計を立てる地域であり、遠くの方に牛舎やサイロが見える。この時間ではまだ牛たちは放牧していないようで、動物の姿はなかった。
先頭を走るのは黒い駿馬に跨った王子で、ロビン、ダグラスがあとに続く。しんがりを務める二人はダグラスの部下だ。
夏場であればもう日が昇る頃だろうが、冬である現在、太陽は未だ姿を見せず、そのことが多少なりとも馬上の五人に安心感を与えていた。いくら密航船であろうと、岩礁の多いユヴィナ港を発つには、月光よりも強い明るさが必要だからだ。
王都を出て数時間、これほどの速度を保ち続けていられたのは、ひとえに馬たちの優秀さ故であった。しかしいくら優秀な馬でも、そろそろ限界が見えてきた。泡のような唾を吐きながらたてがみをなびかせる馬は、苦しげに息を吐いている。
そろそろ休憩させてやりたいが、時は一刻を争う。どこかの村で馬を預かってもらい、代わりの馬を借りるのが最善だろう。幸い、この辺りの村はどこでも馬を飼っている。身分を明かせば馬を借りることも容易い。
ロビンも王子と同じことを考えたのだろう。馬の腹を軽く蹴り、少し速度を上げて王子に並ぶと「そろそろ馬を代えませんか。このままの速度で追跡し続けるのは無理です」と告げた。もちろん王子に異論はない。
「ここからでしたら、すぐ向こうに村があります。馬も上等な奴がいたはずです。そこに行きましょう」
王子はロビンに先頭を譲ると、その案内に従って進路を変えた。簡素ではあったが整った道を外れると、とたんに尻への衝撃が強くなる。無論その程度でうろたえたりはしないが、知らず知らずのうちに、王子は眉間にしわを寄せていた。
ロビンの案内に従って林を抜けると、確かに小さな村があった。時刻が早いせいで皆寝静まっているのか、村には人気がない。叩き起こしてしまうことに多少の罪悪感を感じながらも、大きな馬小屋を持つ家を探し、その戸を叩いた。
「どなたか、いらっしゃいませんか!」
しかし何度叩いても、誰も出てくる気配がない。いぶかしむ王子を押しのけ、ダグラスがそれこそ容赦なく戸を叩く。王子は戸が壊れるのではないかと思ったが、さすがにそこまでの力は込めなかったようだ。
「おかしいですね。これでも出てこないなんて」
「むしろ怖がって出てこないとか、ないですかね? いや、俺はダグラスさんのそういう男らしいところ、好きですけど」
ロビンの苦笑いの一言に、王子はなんとなく納得してしまう。これでは賊と勘違いされても文句は言えまい。
ロビンは「ちょっと待っててください」と言うと、手近な木にするすると登って、家の二階にある窓から中を覗き込んだ。すっと手を伸ばして窓を押すが、どうやら鍵がかかっているようだ。
そのまま足だけで木の枝を挟み器用にバランスをとると、懐からなにやら取り出し、窓の鍵をいじった。それほど時間もかけずに、ロビンは窓の鍵を開けて中に侵入する。
王子はその手際の良さに半ば感心したように、半ば呆れたように笑みをこぼす。やっていることは犯罪すれすれ、というか犯罪そのものであるが、全くもって優秀な部下である。
やがて家の戸は内側から開いた。ロビンが自慢げな表情を浮かべ、四人を中に招いた。
「どうやら出かけているみたいですね。誰もいません」
「出かける? こんな早朝に、馬も置いて?」
「まあ、おかしいですけど。実際、誰もいないんですよ、この家」
「……もしかしたら、この家だけではないかもしれませんね」
ダグラスの言葉に、王子が振り向く。
「なぜそう思う?」
「殿下もそうでしたが、特に私は、かなり力を込めて家の戸を叩きました。誰かいないかと誰何の声もあげました。
この家は無人であったので、反応がなくても当然ですが、少なくとも隣の家くらいまでは、私たちの声が聞こえたはずです」
乱暴な旅人を恐れて出てこなかったのだとしても、家の中から物音一つ聞こえないのはおかしい。最悪の場合、村ごと無人である可能性もあるとダグラスは言う。
不審な点は多くあったが、今の王子一行には他人事に構っている余裕はなかった。もちろん愛すべき国民のため、必要とあらば兵を出すことも厭わないが、それはトーマスを捕らえてからだ。今王子がすべきことは、一刻も早く馬を手に入れる事だ。
しかしながら、勝手に馬を拝借するのも気が引けた。たとえ後で金を払うつもりだったとしても、仮にも王子が泥棒の真似事などをしては、王家の威信に関わる。
王子は隣の家の戸も叩き、誰かいないかと叫び続けた。隣人に馬を借りる旨の伝言を残そうと思ったのだ。しかし王子の叫びをあざ笑うように、どの家からも返事はない。ダグラスの予想の通り、この村には人がいなかった。
「一体どういうことだ」
苛立ちを隠さずに王子が髪を掻く。目をつむり、必死に思考を巡らせた。
こんなところで足止めを食っている場合ではないのだ。王都から連れてきた駿馬たちは、村の厩につないだ途端、水をゴクゴクと飲み、一様に疲労の色をにじませた。彼らをもう一度走らせるのは、効率的にも心情的にも避けたい。
もうこの際、手紙でも残して村の馬を勝手に連れて行こうか。いや、もしここの住人が文字を読めなかったら、手紙などには何の意味もなくなってしまう。ちゅう。しかし、トーマスを逃せば、それこそ取り返しのつかないことに……。
「……ちゅう?」
王子は自らの思考に、ありえない文字の羅列が入り込んできたことに気付いた。目を開けると、王子の目の前には一匹のねずみがいた。耳の後ろに特徴的な傷跡がある。驚く王子にねずみは再び「ちゅう」と鳴く。
あっけにとられる王子の前から不遜なねずみを追い払おうと、ロビンが手を振り上げるが、「待て!」という王子の鋭い声に制された。
「お前、もしかして……エラの家のねずみか?」
ねずみはもう一度ちゅうと鳴くが、王子にはそれが肯定か否定かわからない。ねずみは王子の目をまっすぐに見つめる。王子はその瞬間、ねずみがエラの……魔女の使いであると確信した。
「トーマスの居場所へ、案内出来るか?」
ねずみは積まれた角材の上から飛び降りると、ててて……と村の奥へ進む。そして王子たちがそれを見失う前に立ち止まると、ちらりと王子を振り返った。その姿はまるで、ついて来いと伝えているようだ。
知性を持たぬはずの小さな獣のありえない行動に、一行は息を飲んだ。
「行こう」
王子の一言に、一行は緊張を露わにして、ねずみの案内に従った。




