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シンデレラ戦記  作者: 佐倉 杏
第1章 狙われた宝具
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襲撃者

 エラが夜中に目を覚ましたのは、耳元で自分の名前を叫ぶ懐かしい声が聞こえたからだ。


「エラ! 起きて! 早く!!」


 そこにいたのはリオルだった。エラは懐かしさで胸がいっぱいになった。リオルだ。リオルがいる。夢じゃない! 可愛らしい耳も、元気に跳ねる尻尾も、トンボ玉のような澄んだ瞳も、何もかもが愛おしかった。


 しかしリオルは久々の再会にも関わらず、切羽詰った様子でエラに起床を促し続ける。仕方なしにエラは体を起こし、少しむっとした様子でリオルを掌に乗せた。


「ほら、起きたわ。

 ねえ、今までどこに行ってたの? みんなはどこ? 聞きたいことがたくさんあるのよ!」


 エラの二つ目の問いは、すぐに答えがわかった。ねずみたちのやかましい声がすぐそばから聞こえてきたからだ。

 エラは嬉しくなってそちらを向いて、そのまま固まった。


 そこには大量のねずみにたかられている、一人の男の姿があった。薄暗い月明かりのなかでも、男がこの国の兵士の格好をしていて、恐ろしいことに抜き身の剣を持っているのはわかった。目の下から首までを黒い布で覆っているせいで、顔は分からない。


 その男はこげ茶色の髪を振り乱すことなく、登ってくるねずみを静かに振り落としている。まさかねずみに襲撃されるとは思ってもいなかったのであろう。敵の凶刃を防ぐ鎧は、関節部に噛み付く小さなねずみの牙を防ぐのには役に立たなかった。


 男のすごいところは、これだけの襲撃に遭っているというのに、ほとんど物音を立てていない点だろう。柔らかな絨毯は確かに足音を吸収するが、エラが目覚めないほど静かに、男はねずみと戦っていたのだ。


 その時、男にとっておそらく最大の誤算が生じた。一匹のねずみが男の顔に到達したのだ。男は苛ついた様子でねずみを振り払う。ねずみは振り落とされまいと、手近な布にしっかりと爪を引っ掛けた。あっと思った時には、男の顔を覆う布が外れ、男の素顔があらわになった。


 エラは甲高い悲鳴をあげた。

 男は弾かれたようにエラの方を見る。驚きと失望が男の瞳に浮かんだ。男は束の間どうするか迷っているようであったが、やがてエラの荷物に手を突っ込み何かを掴み出すと、踵を返して逃げていった。

 すぐにリオルが男を指さした。するとねずみの群れの中から二匹が飛び出し、逃げる男を追い始める。


 あっという間の出来事だった。エラは恐怖に足が竦んだが、恐々と男が逃げていった方へゆっくりと進んだ。大きく開け放たれたドアから外に出ると、魚を捌いた時のような生臭い匂いがした。


 原因はすぐにわかった。ドアを挟んだ両隣で、人が死んでいる。


 エラを警護していた二人の兵士だ。兵士は二人とも、鎧のわずかな隙間をぬって、短刀で首をかき切られていた。多量の出血を避けるためだろうか、短刀は刺さったまま放置され、兵士のシルエットをおぞましく変えていた。

 綺麗な銀の鎧は傷をつけられもせず、白銀の刃は鞘から抜かれることさえ許されなかった。


 昼間に二人の兵士と話したことが、思い出されては消えていく。豪胆で気さくな兵士。はにかんだ笑みを浮かべる兵士。つい数時間前まで、彼らはここでクッキーを食べ、話し、笑い合っていたのに。


 先ほどのエラの悲鳴を聞きつけて集まってきた、たくさんの人のざわめきを聞きながら、エラはその場でしゃがみこんだ。


 駆けつけた兵士や文官たちが惨状を見て息を飲む。しかしすぐに犯人の追跡を想定し、責任者と思われる男が兵に指示を与え始めた。その男自身は部屋着であったが、周りの兵の対応からも上官であることがわかる。まるで想定された事態へ対処するかのように、あまりに滑らかに事態は進んだ。


 その中心でうつむいたエラは嗚咽を抑えきれずに、ただただその場で涙を流した。すっかり忘れていたはずの「あの娘は呪われている」というルイーゼの叫びが、なぜだかエラの頭の中で木霊していた。






 エラは部屋を変え、机に突っ伏して泣いていた。リオルがエラの背中をさすり、精一杯慰めている。あれほど聞きたかったリオルの声も、しかし今はなんの救いにもならなかった。

 エラが泣き疲れてうつらうつらとし始めた頃、部屋の戸が遠慮がちにノックされた。


「……どうぞ」


 誰にともなくつぶやくように、エラが言った。

 音さえ立てずに部屋に入ってきたのは、深夜だというのに軍服を完璧に着こなした王子だった。いつだったか昼間に見たときは、なんて美しいんだろうと思った王子の装いも、今のエラには恐ろしく血生臭いものに感じられた。王子はきっと、これから犯人の追跡に行くのだろう。


「エラ……」


 王子はかける言葉が見つからない様子で、ただ一言名前を呼んだ。エラに近づくなと警告するように、リオルが王子に向けて唸り声を上げた。王子はぎょっとした様子で、半歩だけ後ずさる。


「ごめん」


 エラは何も応えなかった。

 王子が謝っているのは、一体何に対してなのだろう。泣いてるエラに無遠慮に近づいたことだろうか。警備の不十分さに対してだろうか。それとも……。


 エラは頬を伝う涙の跡をぬぐうと、真っ赤に腫らした目をまっすぐに王子に向けた。口調こそきつくはなかったが、その言葉には有無を言わせぬ強い意志が感じられた。


「何を、ご存知なのですか?」


 王子は答えなかった。

 しばらくの沈黙の後、しびれを切らしたようにエラが再び口を開く。もしかしたら二人の兵が死んだのは、自分のせいかもしれないという思いが、エラの中を駆け巡る。どうしても少しずつ口調が強くなる。


「どうしてあの二人が、殺されなくてはならなかったのですか?

 私が……私がこの城に来たせいですか? だったらそれは私のせいじゃないですか。どうして私が生きているのに、あの二人は死ななくてはいけなかったのですか?

 それに、どうして皆さん、あんなにひどいことがあったのに全く驚かないのですか?

 ……皆さんは一体、私に何を隠しているのですか?」


 ずっと気にはなっていたのだ。エラの周囲の異常なほど厳しい警護。まるでエラが襲われることを予測していたかのような、持ち場を離れるなとの命令。


 もしかしたら、ルイーゼも何か知っているのかもしれない。エラが狙われることを知っていたから、娘たちをエラに近づけることを拒んだのではないか。

 でも、もしそうだとしたら。ルイーゼが言っていた通り、エラは本当に呪われた娘だ。それどころか周りに災厄を振りまく、厄病神ではないか。


「教えてください。知りたいです。何もわからずにいるのは嫌です。亡くなった二人に顔向けできません。

 王子様は、いったい何をご存知なのですか」


 最後には王子につかみかかって、そのまま王子の胸で嗚咽を噛み殺した。

 王子は視線をぐらつかせ、少しの間迷っている様子だった。しかしエラのあまりにも真剣な様子を見て、とうとう折れた。


「……彼らが殺されたのは、あるものを盗むためだ。

 それは君が持っていた、あのガラスの靴だよ」


 質問を重ねようとエラが口を開きかけた時、ばたんと大きな音が聞こえ、ノックもなしに部屋の戸が大きく開け放たれた。


「殿下!」


 扉を開けたのは、慌てた様子の一人の兵士だった。よほど急いで来たのか、息が上がっている。


「お話中、大変申しわけありません。

 第一師団、準備が整いました。指揮をお願いいたします」


 ピシリと背筋を伸ばし、兵が言う。

 犯人の男が逃走してから、すでにかなりの時間が経ってしまっている。一刻も早く追いかけなくては、犯人に追いつけなくなってしまうだろう。


「ああ、すぐいく」


 王子はぴしゃりとした様子でそう答えると、エラに大きく頭を下げた。


「ごめん。もう行かなきゃ。

 戻ってきたら必ず全部説明する。初めから、全部」


 エラは唇を噛み締め、王子をしっかりと見た。


「……ねずみたちが、あの人を追跡しています。もし、ねずみがあなたの前に現れたら、決して乱暴にしないで。王子様の顔は知っているはずだから、敵だとは認識しないでしょう。きっとあの人のところまで導いてくれるはずです」


 王子は少し驚いた様子だったが、先ほどリオルのねずみらしからぬ様子を見たせいか、あっさりと頷いた。


「わかった。ありがとう」


 エラは何を言うべきか迷って、一言だけ追加した。


「待ってます」

 王子は頷いて、エラの頭にぽんと手を置いた。


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