物語の真相は
エラはドリスと一緒にアルベルタの部屋に訪れていた。アルベルタはベッドに横になったまま、白衣を着た初老の男と何やら話し込んでいる。その男はどうやら医者らしい。姉は体調について質問されていた。
アルベルタはさっきとは打って変わって、穏やかな様子で医者の質問に答えている。頰にはうっすらと朱色が差し、ずいぶんと体調は戻ったように見えて安心した。
部屋の中にいたのは医者の男ばかりではない。母のルイーゼや何人もの看護婦、王子と数名の兵士もいた。
王子の姿を認めた途端、エラは緊張してかしこまった。かくかくとした動作で礼をしたとき、医者と話していたアルベルタが、エラとドリスに気づいて声を上げた。
「ドリス! エラ!」
アルベルタは、ぱっと毛布をはねのけると、二人の妹のもとに駆け寄って、飛びつくように抱きしめた。驚いて身を硬くする妹二人。アルベルタは泣きながら、何度も謝る。
「ごめんね、怪我はない? ごめんなさい……!」
エラとドリスは顔を合わせて立ち尽くした。誰一人治っていないと聞かされていたのに、姉が元に戻っているではないか。
エラは姉の服をぎゅっと掴んだ。アルベルタだ。優しくてかっこいいアルベルタが帰ってきた!
「アルベルタ姉様……! よかった……」
「もう大丈夫なの? その、また暴れたり、しない?」
まだ不安げな様子のドリスの問いに、アルベルタは顔を曇らせた。
「残念だけど、絶対に大丈夫とは言えないわよ……。原因がわからないんだもの。でもこれからは、誰か私を取り押さえられる人を近くに置いておくから、心配しないで。
今回は何とかなったけれど、私のせいでお前たちに何かあったらと思うと、私……私……!」
「大丈夫よ。アルベルタ姉様。みんな無事だったんだもの。
そういえば、もう今は寒くないの?」
「……? ええ、寒くはないわよ」
「それで」
無事の再会を喜ぶ姉妹に、氷のように冷ややかな声で水を差したのはルイーゼだった。母の声は少々震えている。エラがこの場にいるのが気に入らなくて、怒りを抑えているせいだろう。現に母は顔を真っ赤にして、ずっとエラを睨んでいた。
「事の顛末を説明なさい。エラ」
ルイーゼはただ一言告げると、口をつぐんでしまった。まるでエラとは話もしたくないというように。しかし事情はとっくに使用人や王子に話し終えていて、今更何を聞かれているのかわからない。王子たちがこの場にいるのだから、ルイーゼが再度それを聞くとも思えない。エラが戸惑っているのを察したのか、医者の男が助け舟を出した。
「アルベルタ様はこれまでで唯一の回復例です。アルベルタ様がなぜ回復したのか、心当たりはありませんか? 治療法が見つかれば、今も苦しんでいる人たちを助けられるのです」
医者の真剣な問いに、隣にいたドリスが実に気軽に意見を言う。
「お風呂とか?」
しかしそれはすぐに否定された。
「湯でしたら、患者の一人が暴れた際に、誤ってかぶっています。軽いやけどを起こしただけで、彼は今でも、まともに会話もできません」
「なんだ、違うの」
がっかりと肩を落とすドリス。しかしエラは、『熱い湯』という言葉が引っかかった。先ほどの、何かに取り憑かれたようなアルベルタは、異常なほどに寒がっていた。エラももちろん寒かったが、それは川に落ちてずぶ濡れになったせいで、外気はむしろこの季節にしては暖かかった。
そのとき、エラの頭の中で何かが繋がった。
「あ、あのっ」
声を上げたエラに注目が集まる。エラは自分の頰が熱くなるのを感じた。
「その……冷気、じゃないでしょうか……」
「冷気?」
エラは頷いた。
「まず引っかかったのは、アルベルタ姉様が川に落ちたとき、すごい悲鳴を上げたことです。死んじゃうんじゃないかってくらいの叫び声でした」
「しかし……冷気で回復する病なんて、聞いたことがない」
首を振る医者に、エラは言い募る。
「でも、そもそもこんな症例、聞いたことありますか?」
「それは、そうなんだが」
「……一つ、仮説があります。
確証はありません。もしかしたら、全然関係ないかもしれません。でも、可能性はあるんじゃないかと思っています」
視線を彷徨わせながらおずおずと言うエラ。王子に「大丈夫だから、言ってみて」と声をかけられて、ようやく決心がついたように話し始めた。
「まず、最初の被害者なんですけど。私は、コックさんではないと思っています」
「え、いや、それは間違いないと思うけど……」
呆気にとられたように否定する王子。しかしエラは首を振った。
「いいえ、違うんです。誰にも気づかれない被害者がいたんです。
それは、庭師のおじいさんです」
「庭師のおじいさん……? ああ、ロバート翁か。確かに、タイミング的にはぴったりだけど、あの方は事故で亡くなったんだよ」
「はい。用水路で溺れて亡くなったんですよね。
でも、どうして用水路に近づいたのですか? あの方は足が悪かったと聞きました。普段、危ない場所に行く用事は弟子の皆さんに任せていたとも。
なぜ、あのときに限って、一人で用水路まで行ったんですか?
もしかして、庭師のおじいさんは、被害にあってまともな思考ができなくなっていたのではないですか?」
「可能性がないとは言わないが……少し突飛に思えますね」
医者は眉間にしわを寄せて考え込んでいる。エラの考えに納得できないのだろう。
「私がそう考えたのには、他にも理由があります。
それは、焼却炉です」
「焼却炉?」
「被害にあった方たち、皆さん焼却炉に近づく可能性がある人たちですよね。コックさんも、掃除婦の方も。四人目の方だけは確証がないのですが……」
「たしかに、四人とも焼却炉には近づきますね。厨房では生ごみが出ますし、掃除婦は言わずもがなです」
王子の背後に控えていた使用人と思しき人物が、エラの想像が正しいと証明してくれた。エラはそれに励まされたように、さらに饒舌になる。
「そして庭師も、焼却炉に近づくお仕事です。雑草とりが仕事にありますから。
ここからは、私の完全な想像なのですが……。
庭師のおじいさんは、庭に生えていたある花を処分するように、弟子の方に言いつけたのではないでしょうか」
「ある花?」
「はい。その花の名は、アカヒメノといいます」
「アカヒメノ? 確か前に、エラが話してくれた、幻覚作用のある花?」
たしかに以前、エラは王子にアカヒメノについて話したことがあった。あれは城に来る前、王子と貴族街にある庭園を散歩したときだ。
(覚えてくれていた……)
エラはこんなときなのに、王子がエラの話を覚えていたというだけのことを、とても嬉しく思った。
「そうです。その花です。特徴は、高温を好むということ」
アカヒメノが好む高温は、通常の植物の常識を大きく離れている。なぜなら、アカヒメノの群生地は本来、火山の火口付近だからだ。他の生物が生存できない場所を群生地に選ぶことで、アカヒメノは他の生物と生存競争をしなくて済むように進化した。さらにアカヒメノは表面には特殊なコーティングがされており、炎の中でも咲き続けることができる。一説では、マグマの中に咲く花と称されたこともあるという。
「つ、つまり、その花は焼却炉の中で、今も咲いていると……?」
「はい」
「有り得ない!」
医者が叫んだ。
「炎の中で咲く花? そんなものが存在すると、本気で思っているのですか!」
「私も、実際に炎の中で咲いている様子は見たことがありません。でも、それがあることは知っています」
「なぜ知ってるんです? なぜ信じられるんです? 有り得ない!」
「お気持ちはわかります。
でも、魔女が存在するこの世界で、有り得ないものなんて、本当に存在するんですか?」
「しかしっ」
未だ叫び足りない医者を王子が手を上げて制した。「続けて」とエラに言う。エラは頷いた。
「さっきも少し言いましたが、アカヒメノの花粉には幻覚作用があります。
そもそもアカヒメノが生えている火口には、太陽の光が届かないことが多いんです。それでも生きていられるのは、アカヒメノが昆虫を捕食するからです。よく見ないと気づかないんですが、アカヒメノの中央には口に当たる器官があるんです」
アカヒメノの美味しい蜜の匂いにつられた昆虫は、その花粉によって操られる。自分の群れに一度帰って、仲間を連れて再びやってくるのだ。そうして増えた餌を、アカヒメノは捕食する。
エラは、老庭師がアカヒメノを燃やすように指示した後でその生態を知り、大慌てで焼却炉に向かったのだと考えた。そしてそこで、運悪く花粉の幻覚に捕まってしまった。
「人間ほどの大きさの生物を、アカヒメノが完全に操れるとは思えません。ですが、それによって正気を失うというのは、十分に考えられるかと。
さらにアカヒメノの幻覚作用は、低温で失われます。本来が火山で使われるものですから」
「それで、冷水で正気に戻ったってことか」
納得したような様子の王子に、医者が悲鳴をあげる。
「殿下! まさか信じたのですか? あのとっぴのない話を?」
「ブルーノ。たしかに信じがたい話だ。でも筋は通ってる」
「そもそも炎の中で咲く花という時点で筋が通っていませんよ」
「まあ、そうだね。でもさ、他に有力な仮説もないんだ。だったら、だめで元々。確かめてみても、損はないだろう」
「それは、そうですが……」
「エラ、どうしたらいい?」
エラは少し考えた。なにしろアカヒメノの生態を学んだのは、父が生きていた頃。もうずいぶん前のことなのだ。懸命に父の説明を思い出す。
そう、たしか、使い終わったアカヒメノを処理するには、凍らせればいいと言っていた。アカヒメノは炎には強いが冷気には弱い。一度凍らせてしまえば、その時点でアカヒメノは死んでしまう。その後ならば燃やしても埋めても、二度と芽を出すことはない。
「でも念のため、冷水を用意したほうがいいと思います」
「よし、ではすぐに始めよう。
まずは焼却炉の火を消そう。……そういえば、普段焼却炉の火はどうしてる?」
王子の問いに、背後の使用人が答えた。
「普段は夜中に火を消して、翌日の早朝、まだ日が登るよりも前に火を点けます。場合によっては点けっぱなしの日もありますが。この時期に最も冷え込むのは明け方ですから、今日のうちに火を消した焼却炉の中に水をかけて、明日の点火を遅らせればよろしいかと」
「よし。じゃあそのように。ただし、用心は怠るな。
実行するのは、他の患者が冷水で正気に戻るのを確認してからだ」
「かしこまりました」
王子はエラのほうに向き直った。申し訳なさそうに頭をかいている。
「悪いんだけど、エラも一緒に来てくれる? 何かあったとき、僕らだけでは心細い」
「もちろんです。私でお役に立てるなら」
「皆も、それで良いね」
王子の決定に、異論のある者などいなかった。
翌日の昼前になって、エラは王子や医者、兵士たちと一緒に焼却炉の前に並んでいた。まだ肌寒いこの時間、エラはマフラーをきつく巻きつけて震えていた。静かに佇む焼却炉には火は点いておらず、その排気口からは出るべき煙が出ていない。
兵士たちは皆、桶一杯の氷水を抱えており、いつ誰が発狂しても抑えられるように周囲を警戒していた。全員、花粉を吸い込まないように顔を布で覆っている。
昨晩のこと。他の患者たちにも冷水を浴びせてみると、全員が狂ったような叫び声を上げた後、意識を回復した。エラの仮説が真実味を帯びてきたことを確認し、焼却炉の火を落とすと、急ぎ焼却炉の蓋の隙間から水をかけた。
エラの予想通りなら、この蓋を開ければ、凍りついた赤い花が見えるはずだ。
兵士の一人が前に進み出た。蓋を掴み、王子に視線をやる。
「開けろ」
王子の命令を聞き、兵士はゆっくりと重たい鉄の蓋を開いた。兵士は中を覗き込み、息を飲む。
「あ、あります……。赤い花があります!」
ざわめきが波のように広がった。いくら王子の命令でも、炎の中で咲く花なんて信じられないと思っていた者が大多数だったのだ。
その中でも筆頭の医者が、兵士を押しのけるようにして焼却炉を覗き込んだ。しばらくそのまま固まっていたが、やがて「そんなばかな……」とつぶやくと脱力したようにその場にしゃがみ込んだ。
その医者の後ろから、エラは焼却炉の中を覗き込んだ。焼却炉の中には小さくて赤い、可愛らしい花がびっしりと咲いていた。つい数時間前までここは炎の中であったのに。
まるで焼却炉の中を埋め尽くすように咲き乱れるアカヒメノは、今朝の冷気と昨晩の水気のせいで、表面を凍りつかせていた。うっすらと白く凍りつく花はドライフラワーともまた違う趣があり、妖しくも美しかった。
王子が一本手折ろうと手を伸ばす。しかし少し力を込めた途端、アカヒメノはガラスが砕けるような澄んだ音を立てて、粉々に砕けてしまった。もう一本、今度は先程よりもずっと注意して手折る。エラが言った通り、花弁の中央に空洞がある。
王子はそれをエラに見せた。間違いなく本物だ。それを確認すると王子は大きくうなずき、調べるようにと命じてアカヒメノを兵に手渡した。
エラは自分の想像が正しかったことに大いにほっとした。自信はあったが、この推理はエラの想像でしかなかったのだ。これで、この事件も収拾がつくだろう。
「ま、魔女……」
エラの背後から震える声が聞こえた。
そちらに目をやると、未知の恐怖に目を見開いた医者が、エラを指差している。
「魔女だ!」
突然怒鳴られて、エラは目を白黒させて黙る事しかできない。兵たちが医者の声に反応して、ざわめきが、さざ波のように広がっていく。
「殿下、お下がりください。その娘は魔女です。危のうございます」
「何が危ない。エラはこの城を救った恩人だぞ」
ぴしゃりと言い切る王子に、しかし医者は一歩も譲らない。
「あの花は魔女の眷族です。炎を好む花なんて、まともじゃない。それを知っているこの娘も、まともではあり得ません」
アカヒメノの秘密を知るエラを魔女だと主張する医者に、王子は極めて冷たい視線を送った。
「なるほど。それなら、この花の存在を知った僕も、お前も、今日から魔女か」
「そ、それは……」
「エラが魔法を使ったか? 違うだろう。エラはその知識を僕たちに貸してくれただけだ。それをお前は魔女と呼ぶのか」
王子の迫力と、その言葉の説得力に、医者は先ほどまでの勢いを失い、恥ずかしそうにうつむいて「疑って申し訳ありませんでした」と言う。
王子は「それは僕に言うべき言葉じゃないだろう」と眉を顰めてエラを見る。エラは気にしないでくれと言うように笑って手を振った。
兵たちは、特に老齢の者ほど動揺を隠しきれてはいなかったが、少なくとも表面上は、王子の言葉に納得したのだろう。特に騒ぎ立てる事はなかった。
「エラ、今回はお手柄だったね」
「いえ、えっと……。お、お役に立てて光栄です」
赤らんだ顔を王子に見せたくなくて、エラはうつむいて返事した。王子の役に立てたことが、この上なく幸せだった。
この展開はギリギリまで悩みました。正直、今もまだ悩んでます。
炎の中で咲く花というのが、あまりに現実離れしているため、花を燃やした灰が原因であるという展開にしようとも考えたのですが、炎の中で咲く花の映像が綺麗で、どうしても入れたくなりました。もしかしたらあとで、灰バージョンに変更するかもしれません……。一応どちらでも今後の展開に影響はありませんので。たぶん。
魔法が存在して、平然と動物が喋る世界観ですので、受け入れてもらえるかな……。




