第27話 問い
クロードは長めの口づけを終えると、またいつもの口調でイルーシャに問いかけを始めた。
「なぜ俺に内緒で広間を出ていったりしたんだ?」
「それは……」
「俺には言えない?」
アイリーンと仲睦まじげにしているのを見るのが嫌で逃げ出した、だなんて口が裂けても言えない。
うっすらと涙を浮かべて横を向くと、彼の大きな手の平がイルーシャの髪をそっと撫でた。
「まあいい。お手洗いに行って、そのとき立ち寄ったラウンジで居眠りしたということにしておくよ」
「…………。」
「さて、そうはいっても仕事中に“お寝んね”なんてな。しつけも兼ねてなにか罰でも与えないと」
「ば、罰!?」
「そうだな、今から俺が言うセリフをイルーシャが言って、俺にキスしてくるってのはどうだ?」
「怪し過ぎるのでできません!」
何を言わされるかわかったものじゃないうえに、キスしてこいだなんて……。
「そこは『よろこんでお受けします』だろ?」
「いやです」
「おやおや、イルーシャはご主人さまに迷惑をかけたのに、“お詫び”の一つもしないのか?」
「あうう……」
そんな意地悪な言い方をされたら断れないのはわかっているだろうに。
イルーシャが何も言い返せないと見るや、クロードはさっそく彼女の体を起こして耳元に何かを囁こうとする。
自分に言ってほしい言葉を耳打ちするつもりらしい。
でも彼の顔が自分のすぐ横にあると思うと急に恥ずかしくなってしまって、耐えられずに身をよじって逃れた。
「ほっ、ほんとうにしなくちゃいけないんですか?」
「なにをいまさら。君は俺のお付きの女官で何でもしてくれるんだろ」
「そうだけど……そうじゃないです……」
今まではクロードの方から唇を求めてきたから常に受け身の体勢で良かったけれど、今度は自分からしなくてはいけない。
(そんなのできるわけがない)
自分はあくまで女官。上の立場の者から下の立場の者への行為は許されるが逆は許されない。
だから物には限度というものがある、と教えようとしたのだけれど、無駄だった。
「じゃあキスは大目に見てやるから、今から言う言葉をイルーシャが言ってよ」
「でもそれは――」
「こっちを向いて言ってくれるだけでいい」
「……なんて言えば?」
「王子殿下のことが大好きです、愛しています――って」
その瞬間、イルーシャの体にビクッと電撃のようなものが走った。
真っ先に思いついた感情は羞恥。
たとえ思っていてもそれを言うには非常に勇気のいることで、まして相手が王子で二人っきりともなると緊張が先回りして口が動かない。
もう一つは言葉に表すのは難しい感情だった。強いて言うなら嫉妬に近いもの。
(殿下はアイリーンさんと良い思いをしておきながら、私にはこんなことを言わせるのね)
あれほど自分のことを好きだのなんだのと言っておいて、アイリーンと仲睦まじげにしていた彼に、怒りではないけれど、ズルいものを感じてこちらも意地悪の一つくらいしないと気が済まない。
だから、
「そういうことは私ではなく、アイリーン様とされるべきだと思います」
半ば投げやりな風に言い放つと、クロードの表情が一瞬だけ凍った気がした。
でもすぐに彼の手はイルーシャのお腹の方にまわって、彼が後ろから抱き締める格好になる。
「まだご機嫌ナナメなのか?」
イルーシャは何も答えず俯いたまま黙り込んだ。こうすればきっと彼が慰めてくれると思ったからだ。
もし何もしてこないのであれば、自分は彼のものではない。アイリーンが園遊会のときに言っていた“他人”になる。
そう思った。
イルーシャが何も言わずにじっとしていると、クロードが寂しそうに顔を彼女の背にもたげてきた。
「ちょっ、殿下やめてくださいってば!」
「イルーシャが振り向いてくれるまでこのままだ」
「手つきが変態すぎます!」
「じゃあこっち向けよ」
「…………。」
いくら身をよじっても“うなじ”に口づけてくるクロードにイルーシャは苦い顔をする。こちらに伸びてくるイヤラシイ手を払って遠慮がちに振り向くと、なにかを憂う表情のクロードが瞳に映った。
「まさかイルーシャは妬いているのか?」
「そんなことないです」
「勘違いの無いように言っておくが、アイリーンとは何もない。本当だ」
嘘だ。あんなに幸せそうにしていたのに何も無いわけがない。
「なにも無いというのならどうしてあんなに楽しそうになさっていたんですか!ずっと手を繋いで仲も良さそうに。確かに私よりアイリーン様の方が何十倍も何千倍も魅力的ですよ!身なりも容姿も身分さえも全然違うし!」
「イルーシャ」
「嘘をつくなと言ったくせに私には嘘をつくんですね。もう知りません。私なんかに構わないでどこかに行ってください!早く解雇するなり追い出すなりしてもらえれば――」
「イルーシャ!」
ガッと強く肩をつかまれ、我に返ったイルーシャはようやく口を止める。同時に大粒の涙がボロボロと際限なくあふれ出てきて、彼女はベッドの上で泣き崩れた。
堰を切ったかのように心の中に負の感情が流れこんでくる。
こんなことを言う自分自身がすごく惨めに感じたし、彼に裏切られた気持ちにもなった。
(信じていたのに)
「こんなときに落ち着けという方が無理かもしれないが、結論から言うと俺はアイリーンと二度と会わない約束をしたんだ」
「えっ……?」
思ってもみない回答にイルーシャははたと顔をあげる。
「園遊会が終わって宮殿で一緒に踊ったとき、俺の方からそう言った。だからもう彼女とは会わない」
「どうしてそんなことを」
「お互いに結婚願望が無かったからかな。アイリーンには『君と結婚するときじゃない』と言って婚約は拒否した。どっちにしろ彼女とは結ばれない運命だった」
「……では王子殿下は縁談をお受けにならないのですか?」
「当然。俺はイルーシャを正妃にするまで結婚するつもりはない」
「正妃!?」
(正妃って――どういうこと?)
イルーシャは目を丸くしながら言葉の意味を考える。
文字通りに解釈すればそれは正室になるということなのか。いや、自分には不釣り合いな身分だ。
人の家に仕えて日銭を稼ぐような人間が、王家に嫁入りなどしたらそれこそ外国からどう見られるか。
「ご、ご冗談はおやめください。私は殿下のお嫁さんにはなれません」
「俺はイルーシャだけが欲しいんだ」
「お気持ちはありがたいですが、今のままが一番です。正妃なんてできません」
身分差を超えて結婚なんて絶対に無理だ。特に立場というものがハッキリしているこの国ではなおさら。
それに王子の妃は将来の王妃でもある。下賤な身分で妃になってしまったら夫の面目も丸つぶしにしかねない。それならずっと彼の傍でお仕えできる今の身分が一番安全で心地よい。
でもその考えにクロードはどこか不満そうで、無表情のまま怪しげな手の動きを見せる。
「どうしてもか?」
「あの、なにを――」
イルーシャの言葉はそこで途切れた。
正しく言うと、不意を突かれ強く抱きしめられたせいで言葉という言葉が出なかったのだ。




