第22話 お見合いの話
仮面舞踏会の行われた次の日、イルーシャは体調が優れない気がしてクロードの執務室に出勤するのが嫌だった。
とはいえ身体はピンピンしているので、正しく言うと精神的な疲れがひどい。
「うう……」
王宮の階段をあがるイルーシャの足取りは重い。
正体がバレてしまったということは、彼がそのことを公言すると大変なことになってしまうということ。
今の時点で弱みという名のカードを握っているのはクロードだ。
万が一にも彼の機嫌を損ねてしまわぬよう、これからは自分の振る舞いにも気を付けなければならないと思うと、余計に辛くなる。
(今日くらいはお休みしたいな)
いっそのこと仮病を使ってお休みをもらおうか
いや、だめだ。仮病なんて使うと彼が余計に反応して“看病”という大義面分を掲げてやって来るに違いない。
出勤しても地獄、しなくても地獄。
そんなことを考えながらついに王子の執務室の近くに来た時だった。突然イルーシャの耳に怒号が飛んできた。
『だから俺は行きたくないと言っているだろう!』
『しかし殿下、そうは仰られましても……』
『適当な理由をつけて延期してもらえ!』
大きな声は執務室の中からだった。
声の主はどうやらナジルとクロードの二人であるらしく、興奮気味に怒鳴る王子を諌めるように側近のナジルがブツブツと言っているのが聞こえる。
(とばっちりだけはやめてよね……)
あれはどう考えても口論だ。ただでも疲れているのに機嫌の悪い二人とあまり関わりたくない。
出勤時間をとっくに過ぎてもなかなか部屋に入れないでいると、ヒートアップしていた口論が急にパタリと止んだ。直後、キィと錆びた音と共にドアが開いて、中から黒ずくめの格好をするナジルが出てきた。
「殿下、これは国王陛下のご意向ゆえ、少なくとも会には参加はしていただきます」
彼は部屋の奥に向かってそう言い放つと、ドア横のイルーシャに不機嫌そうな一瞥を投げかけて去って行った。
なにがあったのだろう。
見慣れない光景だったので訊きたくなったが、よく考えると訊きたくない。というか、訊けない。
安易に「随分お怒りでしたねえ」なんて口にしてしまえばそれこそ火に油だ。
やっぱり今日はお休みしようかな。でもここまで来て――しかもナジルさんに見られた以上ノックしないわけにいかないし……
「あの、失礼します」
怒鳴られてもすぐに逃げられるよう、イルーシャは半ば引け腰になりながらドアの隙間から奥を垣間見る。
すると執務机からものすごい形相でとこちらを睨むクロードの顔が見えて、思わずビクッと身を縮めた。
「イルーシャか」
「お、おはようございます……」
ドアを開けた人間がイルーシャだとわかると、クロードは机に肘をつきながら優しげな笑みを浮かべた。
とはいえ表情は少し硬い。まだイライラしているのだろうか。
イルーシャはいつものように彼の仕事を手伝うべく、書類の整理と茶器の用意をはじめた。
なるべく平静を装って簡単な掃除や書類の仕分けを行う。
でもその間は不気味なくらいに無言で、執務机の横にある棚を片付けているときは気まずくて仕方なかった。
しかも自分がエレナ本人でないと露見してしまってすぐだ。何て声をかけていいのかわからない。
「昨日はよく眠れた?」
朝の片づけが終わったところでようやく会話が再開された。
「はい。よく寝ました」
「よかった。昨日は夜も遅かったから、てっきり今日は来てくれないものだと思ってた」
その瞬間、イルーシャは今日お休みすればよかったと後悔した。
昨夜、クロードが談話室を出ていってしばらくすると夜会はお開きになり、疲れ果てた様子の彼が帰ってきた。
でも会に参加した令嬢らの見送りやらで結局深夜まで休むことができず、王子はイルーシャを寝室に無事送り届けるとまた大広間の方に戻って行ったのだ。
そう思うと自分だけ疲れた風を装うのは失礼だと思えてきて、
「これがお仕事というか、私は全然そんなこと気にしていないです」
「そうか、イルーシャは優しいね」
表向きは笑んでみせるが口調は落ち込んでいる。表情もなんだか冴えない。
むしろ疲れているのは彼の方じゃないかと思い、イルーシャは心配そうに声をかける。
「殿下、今日は少し顔色が優れないようですけれども大丈夫ですか?」
「やっぱりわかった?」
「はい」
「心配してくれてる?」
「そ、それはもちろん……」
急に彼が立ち上がったかと思うと、右手が伸びてきてイルーシャの顎をすくいあげた。
今にもキスされそうな至近距離まで顔が近づいてきて、彼女はどぎまぎしながら問いを続ける。
「と、ところで先ほど『会』がどうのこうの、と聞こえたのですが」
「ああ、その件か」
ピタッと彼の手の動きが止まる。




