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閑話 ナジルさんの秘密

閑話です。



 ここ、ルシャトリア王国の王城には“裏庭”と呼ばれるところがある。


正門を入って正面に広がる庭園とは別に、宮殿の北端に並木道が存在するのだ。

並木道と言っても水路の脇にいくつかの木々が並んでいる程度で、細い路地といってもいい。

人目につきにくいところに位置しているせいか人通りもあまりなく、人と人がせわしく行き来する王城の中では唯一静かなときを過ごせる場所でもある。


(ああ、ようやく落ち着けるわ)


イルーシャは水路脇の岩に腰を下ろして息をつく。


地面を覆う芝の道が緩やかなカーブを描いて宮殿の方に続いている。風に揺られてさわさわと揺れる木々の音色がまた心地よい。

主であるクロードが議会に出て不在の間はこうして体を休めるのが彼女にとってのマイブームだった。


(殿下はお昼まで戻って来ないし、今日はゆっくりできそう――)


いつものお気に入りの場所で寝転がろうとしたそのとき、普段は滅多に人が通らないはずの路地に誰かが早足でやってくる音がした。

ザッザッと大股で近づいてくるその靴音はどこか急いでいるようで、イルーシャは仕事をサボっているのが他の人に見つかるのを恐れて飛び上がった。


(まずいわ、隠れないと……)


隠れると言っても適当な穴があるわけでも物陰があるわけでもない。今から東棟の方に逃げても絶対に見られちゃうし……

おろおろしている間にも何者かの影は通路の方にやってくる。結局どうすることもできず、イルーシャは咄嗟に岩陰にあるツツジの後ろに身を隠した。


「……………。」


彼女が身を潜めたのとほぼ同時に、何者かが路地に続く建物の角を曲がってきたのがわかった。

茂みの中からではあまりよく見えないものの、上から下までを覆うマントのようなものが確認できる。

背も高いし男性らしい。


(誰だろう)


近衛兵にしては格好が大きく異なる。それにあの黒装束はどこかで見覚えが――


全身黒で覆われた何者かはイルーシャのいる茂みのすぐ前で止まり、辺りをキョロキョロ見回し始める。


(まさか曲者(くせもの)だったりして……)


ルシャトリア王国は隣国とよく小競り合いを起こしている。そんな中では敵国のブレーンを狙った暗殺もよくある話だ。

どこかの国からやってきた刺客じゃないかと案じるイルーシャ。しかしその妄想は男の声によってすぐに打ち消されることとなった。


「よし、もう出てきて大丈夫だぞ」


と、茂みの前で立ち止まる男がしゃがみこみ、懐から2匹の子ネコを取りだしたのだ。

しかもその声は、


(あれ、ナジルさん!?)


俯く横顔と声は間違いなくあの人だ。加え、いつもと変わらぬ黒装束はやはり……


「ほれ、今日のメシだ、苦労して女官の食堂から掻っ攫ってきた魚だぞ」


よしよし、と子ネコの頭を撫でる男は間違いなくナジルだった。ネコの方も随分と懐いているらしく、彼がポケットから取り出した二尾の小魚を前にゴロゴロと喉を鳴らしてじゃれついている。

というか今、食堂から盗んできたとか言っていたような。


「ニャンゴロウには煮干し5つだ。なにせ昨日会えなかったからな、しっかり食べ――あ、こら、そのメシはニャンキチお前のものではないと言うに。まったく仕方ない奴だのう」


(ええっ)


ぷっ、とイルーシャの口が音を立てる。


(ニャンゴロウ、ニャンキチ?)


いやいやいやいや、あの顔でネコにエサをやっている時点で驚きなのに名前までつけて……

彼女にとってナジルとあろう者がネコにエサを与えるなど、獅子(ライオン)がウサギにニンジンを献上するような光景にさえ思える。

要するに信じられないのだ。


ナジルは普段王子の側近として近衛兵長を務める傍ら、イルーシャの研修官役も担っていて、彼女がヘマをすればすぐに雷を落としてくるような人だ。

イルーシャに限らず他の女官からも冷徹かつ厳格なおじさんとして一目置かれている彼が、子ネコ向かって猫撫で声を発するなどもはや狂気の沙汰かと疑うレベル。

しかもとんでもなくぶっ飛んだネーミングセンスに彼女の口はさらに失笑をのぞかせる。


「うぷぷっ」

「だ、誰だ!」


抑えたつもりだったが思い出し笑いをしてしまい、声を聞いたナジルがあわてた様子で立ち上がる。

彼は腰のポケットからボトボトと大量の煮干しを落としながらツツジの茂みにやってくると、その奥で口を押えながらうずくまるイルーシャを見て、得も言われぬ顔になった。


「……おい娘」

「は、はひ」

「いつからそこにいた」


問うというよりは懸念を吐露するような言い方だった。

怒っているのだろうか、恥じているのだろうか、頬があからさまに引き攣っている。しかも妙な笑みのようなものを浮かべていて、逆にそれが不気味でイルーシャは笑えなくなった。


「えっと、その」

「もう一度きく。いつからいた」

「さ、最初から」

「…………。」


それ以上の説明は要らなかった。一を聞いて十を知るという言葉がそのまま当てはまりそうな状況で、彼はふうと息を吐いて懐に手を入れる。

次の瞬間、彼がこちらに突き出して来たのはナイフ――


――ではなく、


「ときに娘よ、カネが欲しくは無いか?」

「え?」


彼がこちらに差し出して来たのは数枚の金貨だった。ちなみにルシャトリア王国で金貨一枚あれば少なくとも10人前の豪華な厚切りステーキが楽しめるだけの価値がある。


「ほれ、お前に10枚やろう」

「う、嬉しいですけど何か“手付け金”みたいな言い方なのでお断りします!」

「心配するな、お前のような胸の小さな娘に援助交際を求めるほどわたしも耄碌してはおらぬ」

「……今の言葉、そっくりそのままクロード王子殿下に言いつけちゃいます」

「あ、いやすまぬ!本心だが本心で言ったわけではないのだ!」

「どっちなんですか!?」

「いや、だから――」


と、そのとき。ナジルがこちらに一歩踏み込もうとしたら、足元に駆け寄ってきた二匹の可愛らしい子ネコがエサをねだる声をあげた。

こちらの事情など知ったこっちゃないと、子ネコはナジルの革靴に爪を立ててカリカリと掻きはじめる。


「……あの、ナジルさん。嫌ならお答え頂かなくてもいいんですけど、そのネコどうしたんですか?」


すると彼は足元のネコとイルーシャを交互に見ながら、最後には二匹を抱え上げて平静を装って言う。


「こ、これはだな、その、城に迷い込んだ極めて不届きなニャンコであってだな、すぐさま追い出そうと――」

「でも名前までつけてエサもあげてましたよね」

「うぐっ」


元軍人のくせにナジルが白旗をあげるのは意外に早かった。

しまいにはコッソリ城で飼っていることを明かし、さきほど差し出してきた金貨にさらに数枚上乗せしてイルーシャに渡してくる。


「後生だ、このことは絶対に――絶対に誰にも言うな!特に殿下にな!」

「こ、このお金は?」

「口止め料だ。見て分からんか、愚か者」

「ナジルさん、東洋の島国の格言で『人の口には戸が立てられぬ』という言葉があってですね」

「ああもう、わかったわい!金貨さらに上乗せして20枚だ、いいか、これだけの大金をやるのだから絶対に言わぬようにしろ」

「しろ?」

「してください!」


ナジルは金貨をありったけイルーシャの方に放り投げると、子ネコを抱えてどこかに行ってしまった。

文字通り『尻尾を巻いて』逃げた彼だが、あの子ネコが実はミリアーナ第二王女の飼い猫であったとわかるのは、また後のことであった。



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