第12話 ダルクの告白
ナジルから女官研修の特訓を受けたあと、イルーシャが夕食を済ませて寝室に戻る頃には日はすでに暮れていた。
せっかく用意された海の見える窓からはほぼ何も見えず、夜空に三日月が昇っているのが辛うじて確認できるくらいだ。
「もうくたくた……」
彼女は海風が吹き込んでくる窓を閉めたあと、ふかふかのベッドに倒れるように寝転がった。
王子付きの女官といっても以前と大して業務に差は無いのかな、と少し舐めてかかったのがいけなかった。
特に王家専属の女官は外国王家の世話も担うことがある、と教習官役のナジルに言われ、主要各国の礼儀作法をマスターするまでみっちり絞られた。しかも明日は今日覚えたことをテストするというので気分はブルー。
(安易に殿下の飼い犬になるなんて、承服しなけりゃよかったわ)
あのとき断っていれば……。
天井を見ながら数日前のことを後悔していると、聞き覚えのあるノックの音がした。
(だれか来たのかな)
一瞬、ナジルがやってきたのかと思ってドアの方に駆け寄るも、彼はノックした後すぐにノブを捻ってきたことを思いだし、立ち止まる。
(そう言えばナジルさんが誰も部屋に入れるなって――……あれ、冗談なんだっけ?)
あれこれ考えているともう一度ドアが鳴ったので、イルーシャは覗き穴からこっそり外を覗いてみた。
外は薄暗くてあまりよく見えなかったけれど、銀色の甲冑のようなものが見える。騎士か近衛兵のようだ。
「どちらさまです?」
ドアに耳をそばだてて問うと、廊下から陽気な声がした。
『僕だよ僕』
「僕じゃわかりません」
『僕だって!』
「オレオレ詐欺ならぬ新手の詐欺ですか?」
『そうそう、君を騙しに――ってそんなわけないよ!僕だよ!ダルク!!』
外からわめき声に近い声が聞こえてきたので再度覗き穴を確認すると、覚えのある端正な顎が見えた。
外には他に誰もいないらしく、このまま押し問答するのも可哀想なのでイルーシャは騎士の情けでカギを開けてやる。
「なんで僕の声が分からないんだよ!」
部屋に入ってきたダルクの開口一番はそれだった。
正直イルーシャはノックされた時点で大体察していたが、わざと意地悪してみたとは言わない。
また何の用かと思っていると、彼の手元に赤やオレンジで彩られた花束があるのが見えた。
「そのお花は?」
またクロードが持ってこさせたのかと思って聞くと、少し怒った表情をしていたダルクの顔が緩んだ。
「手土産みたいなものかな。よければ部屋に飾ってよ」
「あ、ありがとうございます」
文字通り束で贈られた花々を両手で抱え、イルーシャは苦笑いする。
でも、
「今更ですけど、どうして私の部屋がわかったのですか?」
いくら王子として親しくしているにしても、簡単に女の居場所を教えてもらえるものなのかしら。
特にあの王子の性格なら。
「昨日ナジルさんに聞いたんだ。君がここを寝室にしたって。ここは僕の妹が少し前に使っていた部屋なんだ」
「ダルクさんの妹さんが?」
「うん。今はミリアーナさまのもとで働いているはずだよ」
ミリアーナというとルシャトリア王国第二王女だったはず。なるほど、最初はクロード王子のお付きで、後からミリアーナ王女に鞍替えしたのね。ミリアーナ様は下々にもお優しいというし、案外そっちの方が幸せかも。
「今考えてみればここに来るのは久しぶりだよ」
ダルクはどこか懐かしそうな、昔を思い浮かべるような目で部屋を見渡し始めた。
しばらくここには来ていなかったのかな。
顔の表情を見てそう思っていた矢先、ダルクは突然なにかを思い出したかのように床をコンコンと靴の踵で鳴らし始める。
「何をしているんですか?」
「ここらへんに――あった」
と、靴音が変わった箇所にダルクは手を当てる。すると床の一部が急にポコッと盛り上がって、床の木目に沿って持ち手のようなものが出てきた。
しかもその持ち手を引くと、驚いたことに一部の床がパカッと開いたではないか。
「抜け穴ですか、それ」
「そんなものかな。本来は火事とか有事の際に使うんだけど」
ダルクは穴を見ようとするイルーシャに意地悪して床を閉じてしまう。
「抜け穴があるということは、裏を返せば外から入って来ることも可能なんだよね」
「誰がそんな悪事を?」
「王子殿下とか」
ニヤッとする彼の顔を見て一瞬脳裏にクロードの不敵な笑みが浮かんだ。それだけならよかったのだけど、キスされたことまで思い出して、つい視線を下に向けてしまう。
彼はそんなかすかな動揺も見逃さなかった。
「顔が赤いけど、どうかした?」
「そんなことありません!」
「……その様子だと早くも王子殿下に“何か”されたらしいね」
「別になにも」
悪戯っぽい笑みのダルクからイルーシャは顔を遠ざける。口づけされたなんて言えるはずがない。
でも彼はなかなか許してくれなくて、
「たとえばキスとか?」
「はえっ?」
くいっとダルクの指先がイルーシャの顎を引き寄せる。
目の前には彼の黒い瞳があって、その瞳に戸惑った様子の自分が映っている。一体これはどういう――
「そうなのかい?」
「い、いえ」
顎を持ち上げられた状況でかつ、真摯な眼差しを向けられれば誰だって視線を逸らしたくなる。
イルーシャが赤面しながら首を横に振ると、ダルクは愛おしげに微笑した。
「可愛らしいね、エレナ」
「え?」
「王子殿下が君に惚れた理由が分かる気がするよ」
殿下が惚れている?私に?
それはなんとなく知っている。でもイルーシャにとって分からないのは王子の気持ちではなく今のダルクの心だ。
「あなたは私を」
「どう思っているかって?」
図星だ。言うまでもないといった様子。
「そうだね……、もし僕が“エレナに惚れている”と言ったら?」
「え、ダルクさんが?」
彼は静かに首肯する。
確かに今思えば宮殿を案内してもらったときから様子が変だった。初対面でもどこか親しげだし、他の女官に話しかけられても素っ気ないのに自分が話しかけると……
「冗談ですよね?」
「さあね」
ニコッと笑むダルク。ほんの一瞬、笑った時の表情が誰かに――クロードに似ている気がして、彼女は王子がダルクに化けているのではないかと疑った。
でもそんなわけない、と思って喉まで出かかった言葉を寸のところで飲みこむ。
「でも私は――」
「おっと、そこまで」
正直に気持ちを伝えようとしたところで彼の手がイルーシャの口を塞いだ。
「要はこう言いたいんだろう?『私の心は王子殿下のもので、あなたのものじゃない』と」
「え、あのっ」
「いいよ、僕は所詮ただの近衛兵。他人の恋路を邪魔するつもりはないから」
じゃあね、と昨日のようにさっさとダルクは部屋を出て行こうとする。
それがまるで逃げるようだったので呼び止めようとするも、彼の「おやすみ、エレナ」という声に掻き消されて届かなかった。