五話《いない少女の証明》
「ここら辺だったかしら。」
「あー、じゃあそこに止めてください。」
「はいは~い。」
俺達の乗った車はとあるアパートの前に止まった。
「わざわざありがとうございます。」
「いえいえ~。」
東京区第三地域の一角。カメリアと名付けられたこのアパートの109号室が俺の、110号室が峰木の家だ。
「では先生、また明日。」
「そうね。また明日。」
俺達は車から降りてそのまま先生を見送った。
既に日は沈んでいる。虫の声が更に夏の夜を引き立てようとしていた。
「さて、と。」
俺は振り返った。
「───欅ちゃんも心配してるだろうし、帰ろうぜ。」
「そうね。」
欅ちゃん......最近はなかなか顔を合わす機会もなかったが元気にやってるだろうか。
「ところでさ、そのキャンプには欅ちゃんは連れてくの?」
「う~ん。出来ることなら連れていかない方がいいと思うんだけどね......。」
「連れていかないの!?」
俺は驚いた。てっきり連れていくものだと思っていた───いや、連れていくほか無いと言った方がいいかもしれない。
「───なら家に残しておくのか?」
「有栖川先生の家とかは?」
「いやいや、それじゃあここまで隠してきた意味が......。」
「先生なら信用できそうじゃない?」
いや、ここはむしろ先生だからこそ気をつけた方がいいと思うのだが......。
別に先生が信用できないわけじゃない。ただ、少し世間知らずなところが裏目に出てしまうのが怖いのだ。
「連れてった方がいいと思うけどなぁ。」
確かそれこそリスクがあるかもしれないが、側にいるなら安心はするだろう。
「......ふたりっきりがいいのよ。」
峰木が呟いた。が、その声は虫達の音色にかき消されて俺には届かなかった。
「ん?」
「何でもないわ。」
そうこう話しているうちに俺達はドアの前に立っていた
「んじゃ、また明日な。」
「ちょっと待ちなさいよ。」
峰木は鍵を開けながら言う。
「ん?なんだ?」
「少しくらい欅ちゃんと会ってったら?」
予想外の言葉だった。俺と欅ちゃんはあの件以来───と言うか初めて会った時から毎度会う度にぎこちない空気になってしまうので、実は最近は避けていたのだ。
「えー、今日はやめておこうかなーなんて......。」
という言葉を言い終わらないうちに、俺は自分の手首が強く握られていることに気付く。見上げると峰木がニコニコと笑顔で俺に訴えかけている。
こうなってしまったらもう逃げようがないことを俺は知っていた。
「......仕方が無いな。」
「よかった!」
峰木はそう言うと、俺の手首を掴んだままドアを開けた。
「ただいまー。」
峰木が言う。その声に続いて聞こえたのは、小さな女の子の声だった。
「おかえりなさい。」
その子はバタバタとした音が聞こえた後、奥の部屋から出てきた。。
が、俺の姿を見ると慌てて近くの部屋に隠れた。
「.........。」
少女は壁に身を隠しながら、チラチラとこっちを覗いている。
「....あれ?」
「......ほらな。」
だからやめておくと言ったのに......。
「きっと恥ずかしがってるのよ。」
「普通に嫌われてんだよ。」
「そうかしら......。」
少女は壁から半分だけ顔を出しながら、じっと俺を見つめていた。いや、見つめているというよりかは睨んでいるように見える。恥ずかしがってるかどうかは分からないが、明らかに警戒はしているようだ。
俺はしゃがむと、少女を見つめ返した。
かつてあったはずの顔の傷はもうすっかり治っていた。
「......欅ちゃん。」
少しの間俺達は見つめ?睨み?合っていたが、それを遮るように峰木が俺の前に立った。
「ちょっと。少しは話でもしたら?」
「いや......そうは言っても......。」
「欅ちゃんもそんな隠れてないで、出てきなって。」
峰木に連れられて少女は俺の前に立った。
彼女は天芽欅だ。両親は行方不明、兄はどっかのチンピラに殺されたらしい。年齢は7歳で小学二年生だが、学校には行っていない。その上、彼女がここにいることを知っているのは俺と峰木の2人だけだ。なぜなら彼女は東京区に住民登録ができていないのだ。
「怪我の具合はどうだ?」
「......治った。」
改めて見ると、以前のように包帯をしているようでもなく、痣さえもそこにあった事を思わせない程綺麗に治っていた。
「そりゃあ良かった。」
「......ええ、本当に治って良かったわ。」
「そうだ。峰木にいじめられたりしてねーか?コイツ、すぐ暴力に走るから気を付け───」
俺はそういいながら「しまった。」と思った。だが、そう気付いた時には既に遅かった。
「───あだだだだだ!」
峰木の指が俺の首にくい込む。そのまま俺は上に引き上げられた。
「私ってそんなに危なっかしい女かしら?」
「い...え...そんなことは...ございませんので......どうかその腕を...下ろして頂けないでしょうか...。」
「ふふふ。分かってるじゃない。」
峰木が手を離すと、俺は床に崩れ落ちた。
「あはは。容赦ねーなー。」
俺はふと見上げた。すると、そこには、俺に手を差しのべる欅ちゃんの姿があった。
俺は驚くよりも先に反射的にその手をとった。
欅ちゃんはその小さい身体で俺の身体を引っ張ろうとする。
「ん......んっ...。」
が、なかなか起き上がらない。
そこに、峰木が更に手を差しのべた。俺はその手をとり、彼女らの力のままに引っ張られた。
「......せーのっ!」
左右の引っ張られる高さの違いからバランスを崩しそうになるが、何とか踏みとどめる事に成功した。
「あ...ありがとう。」
「どういたしまして。」
欅ちゃんは無愛想に呟いた。
「どうする?夕飯、祐也の分も作ってやらなくはないけど。」
「今日はいいや。昨日の余りが残ってるんでね。」
もう十分だろ?と、いう表情で俺は峰木を見た。
「そう......。まあいいわ。」
「ああ。じゃあまた明日。」
「うん、明日。」
「......また。」
峰木に続いて欅ちゃんが言う。
俺は小さく微笑んでドアを開けた。
さて、昨日残してしまったレポートを終わらせなければ。
俺は空を見上げた。夏の綺麗な星空だった。......その闇に紛れた天使にさえ気付かなければ。
助手の朝は早い。
まあ全ての助手が当てはまるわけではないが......。と言うかこんな助手が他にいるとも思えないのだが、とにかく俺の朝は早いのだ。
午前5時。
俺は朝食も食べずに家を出る。
目的地は、ここから電車で二駅の場所にある先生の家だ。
駅まで徒歩10分。その後電車で5分。更に降りてから徒歩15分程度の場所にある
にしても朝は眠いから嫌いだ。
夜寝たらそのまま起きない方が幸せではないのかと思えるのは俺だけだろうか。
俺はそんなことを考えながら駅まで全力疾走をした。
先生の家は普通の戸建てだ。奴らが来て俺達が東京区に移り住むことになる前から彼女はここに住んでいるらしい。
鍵はドアの前の植木鉢の下だ。俺はそれを当たり前のように取ってドアを開けた。
家の中は静まり返っていた。
先生は独身だ。
モテるはモテるらしいのだが、元々お金持ちの家のお嬢様だったが故にあまり常識がなってないらしく、結局は別れてしまうそうだ。
「お金持ちだった」と言うのは、家を飛び出してきたとかで今は違うという事だ。とはいえども、勝手に助手を雇えるほどの財力はあるのだから恐ろしい。
俺は廊下をまっすぐに歩き、突き当たりのドアを開けて中に入った。
それとすれ違いに飼い猫のソラが部屋を出ていった。
ソラはロシアンブルーと言う種の猫だ。飼い主に似てか元からか、自由気ままで誰にでもすぐ懐き、すぐに人を信用してしまう。野良猫になったら他の猫に苛められてしまいそうな子だ。
「さてと、今日はどうすっかなー。」
そんなことを呟きながら冷蔵庫の中を眺める。
そうして冷蔵庫の前で開け閉めを繰り返しながら考えること数分後、俺は再び冷蔵庫を開けて各材料を取り出した。
今日の朝食は焼き鮭にご飯、スクランブルエッグの三品だ。
いつもの事ながらついでに昼食も一緒に作ってしまうつもりだ。
俺はエプロンを着て料理を作り始めた。
元々俺は料理が得意なので料理に関しては特に苦でもない。むしろ楽しいくらいだ。
そういえば峰紀も料理は得意だと言っていたような気がする。アウトドアでもしていたら料理する機会も多いものだろう。
そんなことを考えながら俺は卵をフライパンの上に流す。
「卵焼き?目玉焼き?」
「残念、スクランブルエッグです。って、起きてらっしゃったんですか。」
ふと、隣を見ると、千春先生がパジャマ姿で立っていた。
「おはよ〜。」
「おはようございます。先生。」
「何か手伝えることはあるかしら〜。」
「それなら......───」
と、ここで俺はあることに気付いた。
「────あーそうだ、猫にご飯をあげてきてもらえます?」
「りょーかーい。」
危ない危ない。料理を任せてしまうところだった。
何故それが危ないのかと言われれば、簡単だ。先生は料理が上手ではないのだ。いや、はっきり言って下手なのだ。
俺がこうやってわざわざ先生の為に朝食を作るようになったのも先生が料理ができないからだ。それまではカップラーメンの生活だったが、先生が俺の分の食費も払うからとの事で両者一致したのだ。今では昼食分も作る事で更に俺の食費を削減している。
「ソラちゃん。ソラちゃ〜ん。」
向こうで猫とじゃれている先生の声が聞こえた。
残念ながら俺は犬派なので、ネコには興味がない。あの自分勝手さがどうにも好きになれないのだ。
「まあ、先生みたいに気ままなだけならまだいいんだけどな。」
俺はそう呟きながら出来上がったスクランブルエッグを皿にのせた。
数十分後、そんなこんなで俺は料理を作り終えた。
「先生〜。朝ごはんですよ〜。」
俺は朝食をテーブルに並べながら先生を呼ぶ。
「あ、今行く〜。」
先生はお風呂を洗っていたらしい。
以前に比べると先生は自ら動くようになった。
俺が先生と出会った頃のダメ人間っぽさはだんだんと薄れているように思える。
「はい!お待たせっ───」
そう言って先生が廊下を駆けてくる。が、リビングに入ったところで先生はバランスを崩した。
────ドンッ!
大きな音をたてて先生は転んだ。
「いてててて......。」
俺はため息を一つ吐いた。
「......大丈夫ですか?先生。」
「えへへ。洗剤が足に付いていたみたいね。」
やはりどうやっても先生のおっちょこちょいは治らないようだ......。
「じゃあ俺は先に行くんで。」
炊事、洗濯、掃除等々を終えた午前7時、俺は先生の家を出る。
明らかに助手と言うよりか家政婦か何かの仕事なのだが、そこは突っ込まないでもらいたい。これらは助手の仕事の一部に過ぎないのだ。助手っぽい事もしてない訳では無いのだ。
「行ってらっしゃいませ〜。」
先生は向こうで呑気に猫とじゃれている。
「忘れ物しないでくださいよー。」
俺はそう言ってドアを閉めた。
先生が忘れ物をすると俺が取りに行かせられるので勘弁してもらいたい。
「さてと。」
俺はイヤホンをして歩き出した。
自宅を出た時と比べると、かなり気温が上がっている。
これから俺は新宿にある学校に行く。
東京区において唯一無二の学校だ。
つまり東京区の全学生がここに集い、授業を受ける。言わば東京区の第二の核とも言われれる場所だ。
因みに今は七月だが夏休みはないことになったらしい。
ピロン
曲のサビを阻止するかのように着信音が鳴った。
ピロンピロン
せっかくいいところだと言うのに鬱陶しいものだ。
俺はとりあえずその内容を確認した。
[さっき第八地域で天使が侵入したらしいぞ!]
[マジかよ(((;゜;Д;゜;)))]
[今倒したところ見たんだが......]
[俺も見た!レーザーに焼かれて近所に落ちたし!]
[レーザー強えぇぇぇ]
先生の家が第二地域、俺らの家が第三地域だからここからはかなり離れている。
俺は[天使の種類は?]と入力して送信した。
それから十秒も経たないうちに返信が来た。
[座天使]
俺は目を疑った。
それもその筈だ。座天使と言えば天使階級の三位に値する天使で、四位の主天使とは計り知れない程の差を持つ位である。
しかし座天使程の天使が現れれば避難指示が出ない筈がない。それが今日は出なかったと言うことは、つまり避難の基準が上がったということだろうか......。
なんとも嬉しい話だ。
後から思うとこの天使はもしかしたら罠だったのかもしれない。なにせこの時天使が襲ってきたのは、最後に襲ってきてから実に二週間ぶりだったのだ。
その二週間で我々人類は飛躍的に強くなった。
そしてそれはこのように証明された。
しかし、その二週間、敵はずっと黙って眺めていた訳ではないのだから。
第5話をお読みいただき誠にありがとうございます
ようやく欅ちゃん出てきたよ!
因みにこの欅ちゃんは同時進行で書いてる小説で、幽霊として出てきます
そっちの小説は日常系なので、多分書き終えるのに相当時間かかります
それはそうとして、もっと投稿ペースと技量を上げられるように頑張りますので、どうかよろしくお願いします!