082:新たな船出に穏やかな航海を望むという危険な楽観論
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大型帆船を横にふたつ並べたような双胴船が、向かい風を斜めの帆で切り、滑らかに前進してゆく。
水面は静かでうねりは小さく、さざ波が陽光を乱反射しガラスの海のようになっていた。
船上では獣人の水夫が威勢の良い声を上げ、木人の船員と共に働いている。
左右合わせて10本以上ある帆柱の上には、翼を持つ比翼種が見張りに就いていた。
大陸往還用の船、『ジ・ファルナ』号。
伝説の海獣の名を冠する船は、白の大陸の玄関口、『アポティ』を目指し大海原に漕ぎ出す。
黒の大陸に寄り添う島国『アルギメス』は後方へ徐々に遠くなり、向かう先はどこまでも広がる空と海しか見えなかった。
「うーい……なんてこった、もう出航したか」
「ゴーウェン、おはよう」
船室から甲板に上がり、好天に恵まれたのを嘆くように空を仰ぐのは、大柄なヒト種族の冒険者だ。
ゴーウェン=サンクティアス。
無精ヒゲや、後ろで雑に纏めた髪が粗野な印象を与えるが、顔を見ればなかなか整っている二枚目のオッサンだ。
今は二日酔いのように覇気の無い顔色だったが、それには酒以外の理由があった。
「身体の調子はどんな感じ? それなりに疲労を抜くようにしたけど」
「そりゃ俺にブッ刺したあのやたら長い針の事か!? ありゃトドメを刺しに来てるのかと思ったぞ!!」
甲板上には、海を眺めている先客がいた。
濃紺の小袖袴も涼しげな青年、村瀬悠午である。大人びて見えるだけで中学生だが。
思うところあって、ゴーウェンは悠午から特殊な修行を受けている最中だった。
もともと冒険者として一流の技量と実力を持つゴーウェンだが、悠午らと旅をするようになって出喰わしたモンスターは、どいつもこいつもヒト種の手に負えないような怪物ばかり。
それなりに強力な獲物を狩り、『断頭』と渾名されるほどの冒険者になったゴーウェンだが、己の限界を感じざるを得ない事もしばしばだった。
一方で、共に旅をする異邦人の少女たちは、素人臭さは抜けないままに、今や竜の一種であるファイアドレイクと戦えるまでに力を伸ばしている。
それも、悠午の修行があればこその話だろう。
自分もこのままじゃ足を引っ張る事にもなりかねない。それは、旅慣れない異邦人の少年少女を案内する立場として拙いだろう。
一説では小娘に力量で抜かされたくない、という意地もあるとか無いとかいう話だが、何にせよ力を付ける必要はあると、ゴーウェンは小袖袴の達人から教えを受ける事にしたワケだ。
時間もあまり無いのでハードモードで頼んだら、そのまま死ぬかと思ったが。
おかげで目を覚ましたら、既に海の上である。
「ゴーウェンは金“気”だから、あの針治療は特に効果が高かったはず。
まぁオレが言う事じゃないけど、流石だと思うよ。小春姉さん達だったら10秒で潰れていたろうに、よくもあそこまで“気”の圧力に耐えられたもんだ」
「あー……手加減するなと言ったからな。急いでくれる分にゃありがたいが」
感心したように言う小袖袴の師匠だが、新弟子のオッサンは思い出すに心臓が縮み上がる思いだ。
自分とは程度が違うとはいえ、アレに耐えた素人のお嬢さん達の方が大したものだ、というのがゴーウェンの正直な感想である。
「しかし、船の上じゃあまり自由にも動けないな。修行は中断か?」
「まさか。ゴーウェンだって切った張ったを場所のせいにはしないでしょ?」
「まぁなぁ……」
質問しておいて何だが、予想した通りの答えを聞いてゴーウェンも苦笑いだ。
若過ぎると言って良いほど若いのに、どこまでも武人としてブレない少年である。
単に強い異邦人ではないと最初から思ってはいたが、どうやら船上でも退屈せずに済みそうであった。
そんな事を考えていたならば、徐々に自分達を取り囲むように集まってくる獣人の姿が。
「……本当に退屈はしそうにないな」
「おっと……仕事のお邪魔だったかな?」
水夫らしき出で立ちの、イヌ科やネコ科、ウシ、ウマといった獣人たち。
基本的にヒト種より高い身体能力を有しているのに加え、力仕事に従事するその獣人種たちは、揃って逞しい体格の者ばかりだ。
皆ニヤニヤと笑い、悠午やゴーウェンに獲物を嬲る肉食獣の目を向けている。
「ヒト族のダンナよ、このままのんびり船旅を楽しめるとでも思ってたかぁ?」
「俺たちの土地に渡ろうって身の程知らずのヒト族は、まずは俺たちがその資格があるか見極めてやるのさ」
「向こうはヒト族や巨人やドワーフに優しくないぜぇ? 俺たち程度に張り合えないなら、生きてはいけないところさぁ」
「このまま船に乗ってアルギメスに戻るんだな。それまで下っ端として働いてもらうがなぁ、ガハハハハハハ!!」
「ゲヒヒヒヒヒヒヒ!!」
悠午なりに相手の話を整理してみると、どうやらこれは余所者であるヒト種に対する白の大陸最初の洗礼、というヤツらしい。
怪訝な顔をした小袖袴の青年が横を見ると、ベテラン冒険者のオッサンが首を竦めて見せた。
「そういえばあったな、こういうのも……」
「こういうこと結構あるの?」
「この船は白の大陸の港町の持ち物で、当然乗り込むのも向こうの連中ばかりだ。俺は面倒を避ける為にギルドの船や、依頼に託けた商人の船を使ってたからな。忘れていた」
ゴーウェンの若かりし頃の苦い思い出が蘇る。それは、理由あって家を出て間もなくの頃であった。
それはともかくとして、この連中よりによって自分達に絡んでくるとは、という呆れた思いである。
少なくとも、危機感は全く無い。
「お前ら冒険者だろう? タマぶら下げてるならガッツあるところ見せてみろやぁ!」
「見せなくてもいいぜぇ、お前らが一方的に八つ裂きになるだけだぁ」
指先から爪を押し出し、見せ付けてくるヒョウのような獣人。腰巾着のようにくっ付いている、小柄なネコ獣人。
そのヒョウの獣人の腕が目にも留まらぬ速度で撓り、一見して少女にも見えてしまう悠午の横っ面を引き裂こうと、した。
「そい」
「ハガァッッ――――――!!?」
ドバガンッ! と。
次の瞬間、目にも留まらぬ速度で背中から甲板に叩き付けられていたのは、ヒョウの獣人の方だったが。
常人の目には留まらずとも、悠午の洞察術の前ではスローな連続写真のようなモノだ。
頬に触れそうになっていたところでヒョウ獣人の腕を取り、踏み込んで来た相手の勢いを利用し、そのまま重心を崩しひっくり返す事など造作も無い。
合気の基礎にして奥義だ。
「はァ!?」
「ビーイック!!」
「ヤロウ何をした!!?」
何をされたか全く分からない獣人たち。
だが、仲間が舌を垂らして甲板上で延びているという状況に、とにかく相手が敵対した事には気付いていた。
悠午にしてみれば、判断が遅すぎる。
今まで相手をした敵と比べるのは酷というものだろうが。
「やれやれ……船出して間もないというのに。今のうちに力の差を教えてやっておいた方がいいか」
「それならゴーウェン、任せるからアレ使ってみてよ」
ゴーウェンとしても、獣人との諍いは避けられない、ならば今のうちに叩きのめしておこう、と考えていた。
だというのに、いざ暴れようとしたところへ放り込まれる、師匠の無茶振り。
「な、なに!? おいちょっと待てユーゴ! アレはまだそんな思い通りに扱えないぞ!!」
「ひとつの実戦は百の鍛錬に勝る……。何事も実戦♪」
先のドラゴンの群れとの戦闘後、ゴーウェンは寝る間を惜しんで悠午から“気”孔術の修行を受けた。
その結果、僅か数日という師匠をして信じられない速度で、ゴーウェンはその技術の一端を習得するに至っている。
覚悟があり、気力体力が既に充実しており、また才能もあったのだろう。
まだまだ姉弟子のグラドル重戦士の領域にも至らないが、それでも確かな一歩を踏み出していた。
それでも、力を発“気”できるようになったのは一昨日の事で、とてもじゃないが自由自在という感じではないのだが。
「ブルル! 生意気なヒト族が! ブッ殺せ!!」
「武器が無きゃ何もできないだろうが毛無しヤロウが!!」
太い角を生やすウシ獣人が、姿勢を低くし前のめりになっていた。今にも突撃してきそうだ。
オオカミ獣人も牙を剥き出し、顎を突き出し唸りを上げている。
たとえ武器を持っていない今の状態でも、力自慢の獣人水夫くらいならゴーウェンひとりで撃退できるだろう。
しかし、これに修行の成果を見せろという悠午の注文が加わると、少し難しい。
「ギャウ! ギャウウウウ!!」
「チイッ!?」
直前までゴーウェンの首があった空間を、獣人の顎が噛み砕いた。バクンッ! という硬く乾いた音が打ち鳴らされる。
素早く退がったゴーウェンだが、そこを狙いウシ獣人が頭から突っ込んできた。
見え見えの軌道。
かわしてガラ空きの側面を突くイメージが一瞬で作られ、ゴーウェンはその通りに素手の打撃を叩き付けるが、
「クソッ!? 固まらん!!」
狙ったような効果が出ずに、逆に慌ててそこから逃げるハメになってしまった。
「ブモォ! 所詮はヒト族! その程度の拳痛くも痒くもないぜ!!」
振り回されるツノの間合いから跳び退くゴーウェン。
普段、自分の身長ほどもある大剣を振るうゴーウェンであれば、ウシ獣人だろうがクマ獣人だろうが殴り倒すくらいの事はワケもない。
だが、航海がはじまった直後に水夫を撲殺するのは、いくらなんでも幸先が悪過ぎた。
故に手加減したのだが、同時に“気”孔も不発となってしまった。
「おいユーゴ! アレで殺さずに済ませるのは流石に無理が無いか!?」
「そんなら……攻撃は最大の防御だけど逆もまた真なり。守りで圧倒してみちゃどう?」
襲ってきたイヌ獣人を超音速拳で眠らせ、事も無げに言う小袖袴の師匠。あまりにも静かに倒れる獣人に、気付く者はいない。
だからそれは術が自由に使えたらの話だろう、と新弟子は文句を言いたかったが、獣人の攻勢が激しくなりそれどころではなくなっていた。
「うぉおおおおめんどくせぇえええ!!」
「ギャグ!?」
「ガァアアアア!」
「ブホッ! ムゥウウウ!!」
「行け行けぇ! 袋叩きにしてやれぇ!!」
ひとりふたりではなく、四方八方から一斉に突っ込んでくる水夫の獣人たち。何人か倒された事で、相手のヒト種族が只者ではないと気付いたらしい。
ゴーウェンは小柄なネコ獣人を蹴っ飛ばし、クマ獣人にアッパーを決めウシ獣人の突進をかわす。
ウマ獣人を体当たりで退かせ、ヒョウ獣人には攻撃をかわしたところでカウンターパンチを喰らわせていた。
頭に血を上らせる周囲の獣人の一方、帆柱の上では比翼種の水夫が騒ぎを一層煽り立て、木人種は感情の見えない顔で争いを見つめている。
「なんだあのヤロウ!?」
「ヒト族なんかにやられてんじゃねぇぞ! やっちまえ!!」
「ブッ殺せー!!」
下の船倉から甲板へ、続々と新手の獣人水夫たちが上って来た。隣の船体からも獣人が飛び乗って来る。もはや大乱闘だ。
ゴーウェンも手加減が怪しくなってきたのか、思いっきりぶん殴られた獣人が空を飛び、ピクリともしなくなるケースが増える。
それを見て、他の獣人は更に熱くなる始末だ。
「凄いね彼、でも助けないのかい?」
甲板の手すりに背中を預け見物状態の悠午だが、そこに話しかける人物がいた。
まさかヒトがいるとは思わなかったので、小袖袴の少年は面喰ってしまう。
「え? ええ、邪魔しちゃ悪いと思って…………」
珍しくうろたえる悠午だが、それ故か正直な考えが口を突いて出ていた。
この騒ぎの中で樽に座り寛いでいたのは、皮鎧など軽装備を身に着けた冒険者風の男だ。
黒髪で、美形とまでは言わないが比較的整った容姿。筋肉質ではないが痩せてはいない。身に帯びる武器は腰の長剣のみに見える。
その表情は穏やかだが、微かな笑みの奥に底知れない何かを感じさせていた。
そして、あまりにも自然にそこにいる。
ヒト種であるにもかかわらず、獣人達に絡まれなかった理由が、それだ。
あまりに当たり前のようにそこにいたので、気配を察知できる悠午ですら、識別が遅れてしまった。
「ぐおおお!? クソッ!?」
「捕まえた! やれ! 殺せ!!」
「くたばれぇえええ!」
「やっちまえぇえええ!!」
悠午が後ろに気を取られている間に、群がる獣人を捌き切れなくなったゴーウェンが遂に捕まっていた。
腰にしがみ付くウシ獣人を振り払えず、それを好機と見て他の獣人が寄って集って爪や蹄を振り上げてくる。
流石にこれは拙いか、と悠午が掌に木“気”を集め、甲板上の獣人を纏めて制圧しようと考えるが、
土壇場で必要なくなった事に気付いたので、手の中の雷撃は宙に散らした。
クマ獣人が100キロを優に超える体重を乗せ、ヒト種の大男に爪を叩き付ける。
ヒョウ獣人の爪が背中から衣服を切り裂き、オオカミ獣人の爪がゴーウェンの腕を薙ぎ払った。
完全に入った。確実に重傷を負わせたし、もしかしたらやり過ぎて殺したかもしれない。
だがそれも、よくある事だ。
熱が入り過ぎれば殺してしまう事もあるが、この船は白の大陸の者が乗る船である。
そして、船上で何か事故があったとしても、死体を海に放り込めばそれで終わり。
これもまた、船乗りの日常でしかない。
ノコノコと船に乗って来たヒト種の男の、自業自得でしかないのだった。
「あー、クソッ……ヤバかったな」
そんな獣人水夫の日常など、圧倒的な力の前では至極簡単に覆されてしまうのだが。
「あ? ッ……シャァアア!!」
何事もなかったように首を回すゴーウェン。思わずヒョウ獣人が相手の背中を見ると、服は間違いなく斬り裂いたのに、その下の岩のような広背筋には僅かな出血も見られない。
クマ獣人の刺突も同様で、クビか頭を吹っ飛ばしかねない重量のある一撃は、表情を引き攣らせた大男に傷ひとつ付けてはいなかった。
すぐさま我に返り追撃をかける獣人だが、やはり手応えはあってもゴーウェンに出血を強いる事は出来ない。
「フー……ったく、長くはもたないんでな。死んでも恨むな、よっ!」
「ブギッッ――――――!!!!!!」
正面に立っていたクマ獣人がゴーウェンに殴り飛ばされる。2メートル半以上ある巨人並の体躯が、一撃で甲板の向こうに消えた。
その際に生じたズゴンッ!! という打撃音は、まるで鉄の大鎚を叩き付けたかのようだ。なおクマ獣人は悠午が回収しておいた。
腰にタックルしたまま抱き付いていたウシ獣人は、無防備な頭頂部にとんでもなく堅い一撃を喰らい、鼻血を吹いて甲板に落ちる。白目を剥いて呻き声も無く、ツノは片方が折れ頭蓋骨は陥没していた。
「ど、どうなってんだ!?」
「魔法だ! この野郎魔法使い!!?」
「いつ魔法なんて使ったんだ!?」
攻撃はまるで通らないのに、ヒト種如きの素手の打撃でタフな獣人が有無を言わさず叩き潰されていく。
混乱する獣人の水夫たちは、何をどうしていいか分からず後退っていた。
無論、魔法などではない。ゴーウェンに魔法の類は使えない。
用いたのは、気功術の修業の際に、微かに顔を覗かせた才能の一片。
気功における操気術の一翼、柔剛の極み。
剛体法である。
ゴーウェンは肉体能力に優れ、攻撃を受ける事を恐れず、最初から鋼のような精神を持ち合わせていた。
そんな才能ある者を短期間でとことんまで追い詰めたら、割と早い段階で本来持つ金“気”が発現を見せたのだ。
そこで悠午が、五体に廻らせた“気”の相を金とする事を教え、ゴーウェンは文字通り鋼鉄の肉体を得るに至ったと。
こういうワケだ。
いかんせん自在に発動させられるワケではない上に、持続時間も短いが。
本人は冷や汗ものである。
「ギャアウ! ギャウッ!!」
「ふぬッ!!」
オオカミ獣人が噛み付き、ゴーウェンが腕を盾に身を庇っていた。
相手の腕を食い千切らんばかりに力を入れるオオカミ獣人だが、その鋭い牙は全く肉に喰い込んでいかない。
逆に、目の前にある獣人の頭は良い的でしかなく、ハンマーのようなゴーウェンの拳に殴り倒されていた。
圧倒的である。
意地になった獣人が散発的に仕掛けるが、全くヒト種の大男に傷を付けられないばかりか、拳の一撃でアッという間にノビてしまう結果に。
とはいえ、
「ぼちぼち、か…………」
「ん? 何がだい?」
「いえ、オレも手伝わないと悪いな、って」
謎の黒髪男には誤魔化した悠午だが、ゴーウェンもそろそろ限界であるのを察していた。“気”力が尽きかけているのだ。
修行も、もう十分だろう。
「はーいゴメンなさいよー、ちょっと大人しくしててな」
「グルッ!? テメーは――――――――ギャンッ!!?」
「シャァ! キサマ何をす……ギャァアアアアア!!?」
「なんだぁ!? 」
無造作に集団の背後から近付く小袖袴の少年は、獣人の肩を掴むと、咄嗟に振り払おうとした力を自分の方へと引き込み空中へひっくり返す。
当然、獣人はそのまま重力に引かれて甲板へ自由落下。
ネコ獣人は問答無用で頭を掴まれると、直後に絶叫を上げて全身を痙攣させ倒れてしまった。
実はこれは攻撃ではない。ゴーウェンの攻撃で頭が割れていたので治したのだ。悠午の治癒術は激痛を伴うので罰ゲームに近かったが。
水夫達にしてみれば、バケモノを相手にしていたら背後から別のバケモノに強襲された形である。
実際には、ゴーウェンは電池切れ寸前で、悠午は弟子の修行で人死にを出さないように気を遣っているのだが。
そんな事は分からない獣人の水夫たちは、もはや相手を嬲って遊ぶどころか、死に物狂いで反攻に出ていた。
「ゴーウェン、まだ大丈夫?」
「ああ!? オラぁもう疲れたよ!!」
「じゃ向かってくるのを流すだけでいいよ。一度全員ブッ叩いた方が処置も楽だな」
悠午は右手でウシ獣人の頭を掴み上げ、左手の超音速拳(峰打ち)で向かってきた獣人数人をまとめて吹っ飛ばす。
腹で内出血を起こしているヒョウ獣人が向かってくると、それを片手で止めてもう片手で治療を施した。非常に印象が悪い断末魔の悲鳴。
ちょうど同じタイミングでイヌ獣人が突っ走ってくるが、悠午がそれを蹴っ飛ばす前に、横から足を払われイヌ獣人は頭から派手に転倒。
横槍を入れたのは、謎の黒髪男だった。
「余計だったかな?」
「いえありがとうございます。ついでに前から来るのお願いしていいですかね?」
「斬らずにかい? まぁいいやってみるよ」
悠午のお願いに応じる男は、長剣を鞘を付けたまま腰から引き抜くと、突っ込んできた獣人ふたりを簡単に叩き伏せていた。
単純で無駄なく、そして大して早くもなければ力も込めた様子が無い一撃に、ゴーウェンは目を剥いてしまう。
背骨を押さえて獣人に悲鳴を上げさせていた悠午も、男の極め付きの技量に心底感心していた。
状況を完全に掌握し、相手の力量と動きを見切った上でなければ、あの動きは組み立てられない。
何故か悠午は、レシピ通りに出来て普通、素材の味を完全に引き出して一流、相手や状況に合わせる事がで来て超一流、という実家の板前さんの言葉を思い出していた。
「何をやってやがる!? ゴロツキどもテメェの仕事はどうしたぁ! 見張りは目を離してないんだろうな! ああ!?」
そうして最後のひとりまで倒したところで、甲板上に上がってきたのは真っ白なクマの獣人だった。シロクマなのか白髪のクマなのかは不明だ。
船長の帽子とコートを着た白いクマ獣人は、甲板の惨状を見回すと、小袖袴の少年や大男の冒険者を睨み付ける。
「…………ヒト族が、コイツぁテメェらのとこの船じゃねぇ。大人しくしねぇと海に放り出すぞ!」
「もちろん、あんた達の邪魔をするつもりはないよ。そっちからちょっかいかけてこないならね。
だが下っ端の躾がなってないんじゃないか? 船長よ……。次は船ごと吹っ飛ばすぞ」
無論、その程度で萎縮する悠午ではなかった。
逆に、喰い殺すような笑みで船長に言い放ち、身の内に回る強大な“気”で一帯を制圧する。
超大型の双胴船を丸ごと飲み込む、途方もない重圧。
度胸の塊のようなクマの船長も、噴出した汗で毛皮が濡れていた。
だが、その深海に似た重圧はあっさりと消え去り、船上では何事もなかったかのような穏やかさが戻る。
威嚇は一瞬だったが、その一瞬で十分過ぎた。
「ムゥ…………オラ飲んだくれのロクでなしがぁ! さっさと仕事に戻らんか!!」
暫し何か言いたげに唸っていたクマ船長であるが、やがて悠午から目を逸らすと、甲板に這いつくばっていた水夫たちの尻を蹴飛ばしに行く。
慌てて散っていく水夫含め誰も何も言わないが、これで皆の立場はハッキリしてしまった。
「これで、多少は静かな船の旅になるか? ようこそ白の大陸、ってところだな」
「港出て2時間経ってないけどね。まぁお疲れゴーウェン。それにー…………」
すっかりくたびれた顔のゴーウェンに、片手を上げてねぎらう悠午。
そのふたりを避けるように走っていく獣人と、逆に近付いてくる謎の黒髪男。
「ダン=ハミトだ、ダンと呼んでくれないか」
海の様子は静かだが、その航海はのっけから大荒れとなり、ほぼ力技のみで無理やり凪にしているという有様。
こんな出来事も白の大陸に着けば珍しくもなくなるだろう、と。旅の過酷さを警告するかのようである。
そうした最中に出会った、ダン=ハミトを名乗るヒト種の男。
この時点で薄々予感していた悠午だが、案の定ここから長い付き合いをする相手となった。
感想(アカウント制限ありません)、評価、レビュー、それをもらえるように修行(執筆)。




