080:窮グラドル竜を噛む
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村瀬悠午の目的は、飽くまでも元の世界への帰還である。より正確に言えば、同行者のお姉さん方を元の世界に帰す事にある。
それが最優先であり、この世界での争いや行く末に関わる気などさらさら無いのだ。よそ者が関わってもロクな事にならない。
だが、それにも優先順位というモノがあり、程度問題ではある。
「ん邪魔ッ!!」
「ゴッッ――――――――!!!?」
ドンッッ!! と。
急用が出来た小袖袴の青年は、一瞬で間合いを詰めると赤い竜の横っ面を手加減抜きでぶん殴った。
突如として攻勢に転じた相手に、いや仮に身構えていても反応し切れない速度に、落雷の様な轟音を上げ吹っ飛ぶ血竜ウルブルム。
あまりの速度に、面食らう暇も無く。
数十倍違う体格差を無視、ドラゴントップクラスの耐久力を無視、あらゆる抵抗を許さず、ただ加えられた圧倒的な打撃力に押し流され、地面へ叩き付けられていた。
辛うじて意識を残したのは、世界最強の四天竜の一角としての矜持であろうか。
『ッォ…………ゴルォオオオオオオオオオ!?』(なんだ今のは!? 攻撃を受けたのか!? 何故!? これは痛みか!? 頭が鈍い!? よく分からぬ!!!!?)
巨体を完全に弛緩させ、黒い舌を垂らし白目を剥いている赤い竜。
何が起こったのか、と一瞬だけ呆けていた勇者ジュリアスだが、この機を逃がさずトドメを刺しに行く。
それよりも、血竜が強引に舞い上がる方が早かったが。
脚で地面を突き放し、必死に翼をバタつかせての無様な飛翔。
そこから炎の魔力障壁とでもいうモノを展開し、周囲のあらゆる存在を焼き尽くそうとする。
形振り構わない血竜ウルブルムの奥の手であった。
「クソッ……!? 逃げるな卑怯者め!!」
意地と屈辱の逃走を図るドラゴンと、それに憤る勇者ジュリアスであったが、悠午にはもはやどうでもいい事である。
今はすぐにでも、山中の名も無き村に残して来た仲間たちと合流する必要があるのだから。
悠午は状況を読み誤った。戦場が想定外の動きを見せたのだ。
戦争ならば、前線が動く事など珍しくも無い。有利な側が軍団を押し上げ、力が拮抗すれば乱れた動きをする事もある。
ところが、今回に関してはどうにもおかしかった。
戦火が飛び火して来るどころか、白と黒の両軍が揃って雪崩を打ち、村のあるディアスラング山脈中腹へ一直線に急接近して来る始末だ。
それも、どちらかが東へ回り込もうとしたのが原因、などではない。両軍真正面から組み合いながら、そのまま横にスライドしてきたような不自然な動きである。
空から見ていた小袖袴の少年は、妙な方向性のある全軍の移動に、それを操り得る何者かの意志を感じていた。振り返れば、竜道海峡での人魚種も何者かに操られていた節があった。
おかげで、足の早い空飛ぶドラゴンが先行して村に入ってしまい、親玉ドラゴンの攻撃をいなしていた悠午は大慌てである。
時間が無くなったので、殺しても止むを得ない勢いでワンパン入れたが。
しかし赤いドラゴンは生き残り、勇者はそれを追いかけて行った。
邪魔者が消えてくれたので、悠午は急ぎ名も無き村へと一瞬で空中を移動。
そこで見たのは、ファイアドレイクの炎に呑まれんとし、その火“気”を取り込み自らの土“気”を励起させるグラビア重戦士の姿だった。
◇
この世の全ては5種類の“気”から構成されている、と不思議な少年の師匠は言っていた。
即ち、木行、火行、土行、金行、水行。
正直なところ現実味の無いファンタジーな話だと思ったが、実際に“気”の存在を感じ取れるようになると、それが非常に根源的で最小限に簡略化された理屈だというのが分かる。
この世に“気”があるのではない。全てが“気”によって成り立ち、そして常に5つの属性を流動しているのだ。
五行はバラバラに存在しているのではない、命が燃え尽き灰と化し、それが土となり金属と選り分けられ、鋼が水の流れを導き、水は多くの命を育む。
その全てが、一つに連なる大きな流れ。
炎が自らを焼き土に返そうとしたその刹那、姫城小春にはそれが分かった気がした。
だからって、このまま五行気の循環に取り込まれる“気”も起きなかったが。
外の火“気”が小春の“気”と重なると、超高速で土“気”へと変換される。
相生にて膨れ上がる“気”は出口を求めて荒れ狂い、最も抵抗の少ない方向へ、即ち修行中だったひとつの技へと突き進んだ。
「ッ――――――――! ッカハァアアアアアアア!!」
天地を割って叩き付けられる大斧槍。
火炎が一気に地面へ吸われ、そのエネルギーはそのまま地上へと吹き上げる。
鋭く隆起する無数の岩盤、そこから飛び出している鉱石。
それらが真下からとんでもない勢いで、腹を晒していたファイアドレイクに直撃する。
「ギャァガッッッ!!?」
筋肉の塊で出来た重機のような中位竜は、一瞬でズタズタの肉袋と化し地上に墜落してしまった。
これこそ、村瀬悠午式五行術、土生金『千刃谷』である。
「うっそ姫!?」
「小春さん!? 凄い……!!」
ただの女子大生のゲームプレイヤーが、ついにプレイヤーのシステムに因らない特別な技を発動した。
似たような境遇のジト目と隠れ目は、心の底から驚愕する。死に掛けたと思ったらこの展開で、正直付いて行くのがやっとだ。
「コハル! まだやれるなら右側のを牽制しろ! 嬢ちゃんたちはそっちを援護! アケミとフィアは中央だ! ビッパは俺を手伝え! 突破するぞ!!」
この状況を切り抜ける目処が付いたと、ゴーウェンの判断は早かった。
小柄な斥候職が得意の糸を木々に張り巡らせ、ファイアドレイクの動きを多少なりとも阻害。そんな小さな隙を逃がさず、大物狩りの冒険者が大剣を突き込み手傷を追わせる。
「ッつぇああああああ!!」
完全に入神状態に入っている小春は、自らの“気”と大地の土“気”を同調させ己の力と変えていた。
ひとたび斧槍が地面を割ると、地割れが走り、断層が大顎と化してちっぽけな竜を噛み砕かんとする。
隆起する岩が大地の牙となり、恐れを知らない中位竜を、そのまま断ち切るほど串刺しにして見せた。
「うわぁ姫スゲェ!? てかエグくね!!?」
「なるほど……これが師に言う火から土へと派生するエレメント……しかも土には事欠かない、これならッ!」
そんな女重戦士の咆哮を間近にし、魔力感知に秀でる魔道姫も五行術の見地を得る。もともと魔道に造詣の深かったフィアだ。理解も早かった。
「ルーラーラバルカブラスモエロヨ! ラヘルケッツァ!!」
木の枝を捻ったような古木の長杖を振るい、魔道姫マキアスは地面を打ち据える。
次に起こったのは、地面から空に吹き上げるマグマの噴火だ。
小春の技を元に、自身の火“気”を土“気”に変える反応を加えた、オリジナルの魔術式。
小規模ながら噴火により打ち出された火山弾は、空中で破裂しファイアドレイクに降り注ぐ。
熱には強い火竜の眷属だが、散弾のような岩の礫を全身に喰らうのは流石に痛手のようだった。
「姫! 後ろからも来てる!!」
「そっちは俺がやる! コハルは先に右を潰せ!」
「まだ来るよー! 村の方から飛んで来るのが2匹!!」
「フィアさま!」
「今ならもっと……高みに往ける! さぁ来なさい!」
同種を倒され、ファイアドレイクは次々と襲ってくるが、覚醒女戦士を軸にした一団は徹底抗戦の構え。
こうなればとことんやるつもりで、斧槍や大剣を振り回し竜の群を迎え撃ちにいくが、
「カッハッ!!」
例によって空から降って来た小袖袴の達人が、炎を吐こうとしたファイアドレイクへ腹パンをブチ込み入れ替えるように空の彼方へ。
更に、立て続けに間合いを潰すと、三体の竜を一瞬で殴り倒す。
最後の二体は、片方の尻尾を引き摺り、もう一方へ叩き付けた後に仲良く地面へ沈めた。
「お待たせさま」
「遅い!」
助けに来たのにいきなりジト目姉さんに怒られる悠午。弟子の成長に少し様子見してしまったので、悪いとは思っているが。
いちおうギリギリ助けに入れるタイミングには間に合わせたのに。
赤い竜も殺さずに済んだので、最低限の要件は満たしていると思う。勇者に殺される分には別に構わん。
「ゆ、悠午くん! わたし、自分の“気”を多分うまくぶっぱ出来てぇ…………」
「小春さん!!?」
小袖袴の師匠を見て、開きっぱなしになっていた女重戦士の瞳孔も元に戻った。
そして直後に倒れた。
血の気が引く隠れ目少女やジト目娘だったが、成り行きを見ていた悠午は当然の事だと思っている。
「アクセル全開で“気”力使い切れば、まぁそうなるよね。精“気”まで使い切るか属性が偏り過ぎたら止めようと思ったけど、それほど重症でもないよ」
体力は身体を、“気”力は意志を支える。これら活動の為のエネルギーを消耗し尽くせば、動けないのは道理だ。
師匠と違って、小春はまだ“気”の力を効率良く利用する方法も、無限に増幅するような術も身に着けていない。
緩み切って涎垂らす寝顔の小春に、一分前の凄みは全く無かった。
「とりあえずはごくろうさん。ドラゴンは排除するから、村の人間を全員洞窟に避難させてもらえる? そしたらこっちに来る軍に一発派手な脅しをかけて、オレ達はお暇しようか」
「『脅し』ってなんでだ? ドラゴンさえどうにかすれば、後はさっさとトンズラすればいいんじゃないか?」
村の中にはまだ逃げていない者がおり、またクロードも小脇に兄妹を抱えたままだ。
そういった者達の安全を確保し次第、悠午は一発派手なのを接近中の大軍にお見舞いすると言う。
この世界の情勢には関わらないと言う少年には、少々らしくない行動だとゴーウェンは眉を顰めるが。
「そうなんだけど……舞台袖に隠れてるヤツに、乗せられるのも乗せられている連中を見るのも気分が良くない、かなって?」
不敵な笑みで応える悠午は、ファイアドレイクを排除すべく村の中心へと跳躍していく。
その科白の意味を考えるゴーウェンだが、今は頼まれた通りに村人の安全を優先する事とした。
◇
妖精や比翼種族が宙を舞い、ヒト種や巨人が進軍し、そしてゴーレムや竜種が蹂躙する灼熱の戦場。
あらゆる種族の兵士は目の前の敵を倒す事しか考えず、周囲の状況が変化しつつあるのに気づく者はいなかった。
流されるまま東へ東へとディアスラング山脈側へ動き、森の中で争い続けるふたつの大軍勢。
だが、大自然の巨大な力は、たかが数万の矮小な生き物の群など簡単に押し潰してしまう。
「雪が降ってる!? そんな高さまで上がって来たか!!?」
「クソッ!? ヤバい寒さで体力を奪われる!!」
「全隊前進するぞ! とにかく後続に道を作れ!!」
チラホラと舞い落ちはじめる、白い雪の結晶。
山脈の高所ならば雪が降るのも珍しくないが、今はまだ全軍が麓の森から少し傾斜を上り始めたところだ。
それを怪訝に思う兵士もいたが、そんな事より戦争の真っ最中に寒さで動けなくなる方が問題である。
それが分かっている100人隊長は、戦闘が中断して兵士が身動きできなくなる前に、少しでも有利になっておくべきだと配下を急かし攻勢を強めていた。
そんな判断をしたところで、見る見るうちに増える降雪量の前では無意味だったが。
「グルァ!? サムい! 眠い……!!」
「何よ飛び辛いじゃない!?」
「冷たい精霊が来た! 冷たい精霊が来たよ!?」
雪は短時間で膝の高さまで積もり、白の軍勢側にも多大な悪影響が出るようになっていた。
獣人種は冬眠しそうになる者が続出、遮る物の無い空では比翼種が悪態をつきながら全身に雪を張り付かせ、世界の“気”の動きに精霊種がうろたえる。
木人種は沈黙のまま雪に埋もれ、エルフの駆るゴーレム騎兵も雪に足を取られ機動力を失い、シャドウガストは来ない敵に待ちぼうけを喰らっていた。
ドラゴンの炎も、天を埋め尽くす雪の全てを溶かす事など出来はしない。
「どれ……頭は冷えたかな?」
それら地上の有様を腕組みで睥睨しながら、小袖袴の若き達人は一帯をマイナス面の水“気”で満たしていた。
水気陰業『風雪花』。
無限に舞い散る雪空の中、全ての音が粉雪に吸収され、熱エネルギーも容赦なく奪われていく。
もはや戦争どころではなく、自分の命を守る為に豪雪の中であえぐ全ての種族。ただいまの積雪量3メートルなり。
どちらを利するつもりも無く、また誰の思惑にも乗るつもりが無い、村瀬悠午、力任せの強制終了である。
(――――――後は……雪を溶かして水、土、木に処理させるとそっちを活性化し過ぎるから、次は火と金に減衰させて……面倒だからもうサイクル高速で回して自然調整に任せちゃダメかな?)
本人としても、例によってこの後始末が大変なのだが。
◇
雪を掻き分け装備を捨て、とにかく全速力で自分の陣地に退却する両軍。勝者の存在しないオール敗残兵だった。
ただでさえ戦争により消耗したところにトドメを刺された形となり、この後暫く軍の動きも停滞する事となる。
とは言え、黒の軍は戦力を落としたのみであり、勇者という強力な旗頭を得た事で、戦意を維持したまま態勢の立て直しを図っていた。
一方で、白の大陸の軍は、内部での動揺が大きい。
全ての種族にとって忌むべき存在、シャドウガスト。触れ得ざる孤高の種族、ドラゴン。
これらを独断で戦争に利用し、あまつさえ味方にまで大きな犠牲を出したエルフに対する不審感が、『英祖の連盟』の中で高まっているのだ。
ただでさえエルフ種に盟主ヅラされるのが我慢ならないのに、という本音も多く聞かれ、既に編成は崩れ戦線の維持も難しい状態だ。
こんな状態でいざ再戦となれば、結果は火を見るより明らかだろうと思われる。
◇
勇者、白部=ジュリアス=正己は、血竜ウルブルム討伐という大殊勲を逃していた。
弱ったところを単独で追い詰めたのだが、最後の最後で地力の差が出てしっぺ返しを喰らったのだ。
瀕死のところを『ブレイブウィング』の仲間によって救出されたが、それも『恐るべき竜の王と命がけで相打った英雄の行為』という事にされた。
全軍の戦意高揚目的もあるだろうが、アストラ国の第三王女が横車を押したのも、容易に想像できるだろう。
もう誰も、勇者と言えども所詮プレイヤーだ、などと侮りはしない。
今やヒト種族の英雄『ダーカム』の再来として、黒の大陸における最強の戦士として認知されつつあった。
ジュリアスは勇者として、その栄誉を当然のモノとして受けた。それが自らの役目だとも理解していた。
だが、夜となり周囲にヒトがいなくなると、溜まっていた鬱憤が噴出してくる。
憎しみの向く先は、やはりあの和装のチートプレイヤーだ。
卑怯な手を使い得た力を、敵に対して弄ぶような使い方をして戦いにも手を抜き、余裕を演出して悦に入るクズの様な男。
そんな輩に、シャドウガスト戦、サーペンティス戦、そして血竜ウルブルム戦と3度も水を差されている。
アイツがいるから。
実際の戦闘状況や自他の実力差など無関係に、勇者はそう思わずにはいられなかった。
本当は力の差を理解した上で、己の力不足故に苛立つのだが。
「アイツのチートはどうなっているんだ……!? 俺の……いや俺は特別なプレイヤーになったはずだ。なのにまだ届かないとかどれだけだよ!」
憤りが無意識に口をついて出る。
大衆の賛美の前では誇りに満ちていた顔も、ガラスに映る表情は負の感情に歪みきっていた。
頭の中は、もうグチャグチャだ。
自分の力はチートではない、他のプレイヤーには無い与えられた能力だがチートではない、チートではないチートではないが他のチートには勝てない、あの力に勝つ為にはより強いチートをチートではない自分はチートなどしない必要な力がチートではないチートは相手で自分は与えられた特別でも自分はチートではない。
チートではない力を得たのに、チーターには勝てない。それを矛盾と感じてしまう、矛盾。
認められない力を得たのに、なお忌むべきチーターに届かない、破綻している上にこれ以上を願う事すらできない八方塞がりだ。
「いいえ勇者ジュリアスよ、貴方様は正しいのです。モノの善悪は行いや過程ではなく、結果により量られるのが世の常なのですから」
そこに前触れも無く現れる、修道服姿の小さな少女。
以前勇者に特別な能力を与えた、『使徒』を名乗るスプリシウムだ。
前回と違い、今回は違う少年を同行させている。
ジュリアスは多少驚いたが、相手を不審に思うような事は無い。
「キミか……」
しかし、その科白にはなんと応えていいか分からなかった。
心を読まれたようだが、それを認めるには強い心理的抵抗があるのだ。
故に、何も聞かなかった言わなかった体で流すのみだ。
「前も聞いたけど、あの『ユーゴ』ってヤツのスキルは君たちが与えたモノじゃないんだな? じゃあアレは一体なんなんだ? キミ達の言う神を凌ぐ力を、更に上回る力の持ち主だとでも言うのか」
「……わたくし達はあの方には触れておりません。ですが、あの方もまた何者かの意志を受けて動いているのでしょう。
よろしいですか、勇者ジュリアス。あの方は決して敵ではありません。貴方様の味方でもないかも知れませんが。
しかし貴方様には貴方様の果たすべき役割があるはずです。許されざる悪を排し、遍く人々に希望を与える、勇者としての役割が」
協力者として好意的な少女だが、コレには素直に頷く事のできない勇者。
敵ではない、と言われても、こびり付いた嫌悪感はどうにもならない。その嫌悪感がどういう感情から発生したモノかは考えないが。
和装のチーターの正体も、結局不明なままだ。
「天上の御方も、貴方様に期待しておいでです。必ずやこの世界の歪みを正し、あるべき正しい姿を取り戻してくださると。
その為に、勇者に相応しい新たなる力を…………」
胸の痞えが取れないジュリアスだったが、修道服の少女の言葉に、ひとまずそれを忘れてしまった。
『新たな力』と言われれば、どうしても期待せざるを得ない。
力があればこそ、己の意思と信念を貫き通す事ができる。
ましてやそれが、今まで得た『天象結界』や『神意律法』と同じグレードの力となれば、もうその事しか考えられなかった。
「ふーん……『勇者』ねぇ…………」
修道服の少女に促され、同じ年頃の少年が前に歩み出てくる。
無遠慮に勇者を眺める表情は、どこにでもいる生意気盛りのお子様といった感じだ。
しかし、スプリシウムやインペトゥの同類なら、やはり強大な力を持っているのだろう。
黒髪に黒いトレーナー姿という、元の世界を思い起こさせる子供だった。
「まぁいいや。ドーモ勇者様。ボクは『イフェクトゥス』だよ。ボクの力は他のヤツよりずっと強いから、この世界のヤツなんて簡単に負かす事ができるよ。がんばって」
自信たっぷりな黒髪の少年に、素直に頷く勇者ジュリアス。
心の奥では疑問や引っ掛かりを覚えていたが、それよりも力への渇望が何より優先される。
他者への怒りと、自身の正義にかけて絶対に引かない、その為の力を。
ジュリアスは自分が何に関わっているかを無意識に考えないまま、その流れに身を委ねていた。
◇
人間の引く奇妙な馬車が、雪解けの山道を北西へと下って行く。
村瀬悠午と仲間たちは、村を後にし旅を再開していた。
天候は晴天。暑いくらいだ。季節外れの大雪を降らせた悠午が、このような天候へと操作したのである。
今も馬車の上で座禅などを組んでいるように見えるが、実際には自分が乱したエネルギー循環の再調整で大分忙しかった。
「……にしても、大したもんだな、コハルの嬢ちゃんは」
「そーねー」
御者席のオッサン冒険者が独り言のように零し、屋根の上にいる小袖袴の少年が適当に相槌を打つ。会話をする余裕くらいはあるが、思考の半分はお仕事中だ。
「師としてはどうだね、弟子が一皮剥けたところを見て」
「まぁ……ビックリしたけど。アレは偶然によるところが大きいね。『五行の螺旋』……自分以外の“気”を変化させるのはオレでも難しいよ。ドラゴンが火で小春姉さんが土なのも運が良かった。相生順だし」
五行術『五行の螺旋』は、周辺の外“気”の方に自分の内“気”を同調させ相生に導く、『五行の輪廻』に近い奥義と言えた。
自分の外の“気”を操るのは、内の“気”を操るのに比べ難易度が跳ね上がる。
それをカウンターのように用いるのは、悠午にだってそれなりの“気”構えが必要とされた。
ましてや、最近ようやく洞察術がおぼろげに出来てきた素人のお嬢さんが意図的にやるのは、まず不可能だろう。
しかし、これでまた扉のひとつを開いたのは事実だ。
「今は力を発“気”する切っ掛けを掴んだだけ……。オレが相手したデカいドラゴンがこの世界でどの程度の順位か知らんけど、アレくらいは軽くあしらえるようになって欲しいもんだ」
「アレ多分ドラグニスを支配する竜の一体だと思うがな…………」
師匠の要求水準が高過ぎて小娘たちに同情するゴーウェン。
しかし、オッサンにも他人事じゃなくなっていたりする。
「コハル嬢ちゃんが振るっていたあの技……ありゃ俺にも使えるもんか?」
「そりゃ“気”功や五行術は技術だから、理屈の上では手順さえ踏めば誰にでも扱える、はず……。本来の修行だとうん十年単位なんだけど、なんかオレのやり方でも上手くいっているみたい」
“気”功術は仙道や五行、陰陽術と数あるが、基本的に洞察術の開眼という初歩の初歩に至るまでが非常に厳しい。
本来の修業では、俗世から隔絶された辺境で、自分の内外の“気”と向き合い開眼を目指すという、まさに仙人のような方法を取る事になる。
これは、人里の常に多彩な変化をする“気”に惑わされず、平坦な環境の方が“気”を把握し易い為だ。
故に、『叢雲』では五感に加え“気”配を感じる第六感まで封じた特別誂えの洞窟を用い、ここに入り修行する事になる。
これは危険な修業だ。あらゆる感覚を閉ざされた人間は、精神に変調をきたす場合があった。
修行者はこの洞窟であらゆる感覚を断たれた末に自分の中に“気”を自覚し、そのタイミングで監視していた師匠が外から“気”の重圧をかけて一気に目覚めを促すのだ。
悠午がやったのは、この理屈を踏まえた上での実戦訓練を絡めたアレンジ。
ちなみにこの方法がうまくいったのは、悠午の鬼のように強力な“気”に弟子が命の危機を覚えた為、という一面もあった。
そんな背景はともかく、ついこの前まで半人前以下だった少女が、悠午と同じ技を身に付け中位竜を蹴散らしたのを見て、『断頭』のゴーウェン=サンクティアスとしても思うところがあったのは事実。
いつの間にか自分が強者のつもりで、更に上を目指すのを忘れていたと。
決して小娘に実力で劣ったのが悔しいワケではない。
この4日後、一団は『霧裂台地』という緑に覆われた地形に入った。
高所にあり、幾つもある大きく深い裂け目に濃密な霧が淀んでいる。
そこの断崖絶壁から、島国アルギメスの北端を見下ろす事ができた。
アルギメス北の港、『レンポート』の町だ。
「ここからじゃよく分からんが、あまり荒れた様子も無いな。港はまだヒトやらケモノ頭やらの種族が入り混じっているが、白の大陸に行けばヒト種はほぼ完全に鼻つまみ者だぞ。いいのか?」
港は見えるが、その先の海の向こうにある白の大陸は影も見えない。
ゴーウェンは悠午と他の者に覚悟を問うが、どうせほかに往く道も無し。
若奥様と爆乳王女が引くという割と酷い絵面の馬車は、断崖に沿って山脈を下っていった。
海を渡れば、そこはエルフや獣人種といったヒト種以外の勢力圏だ。入れない事は無いが、プレイヤーには何ひとつ保障の無い土地である。
ところが悠午たちは、そこで思わぬ歓待を受ける事となった。
感想(アカウント制限ありません)、評価、レビュー、ありがとうございます次の展開も急いでがんばって書きます。




