069:プレイ中の難易度変更が可能
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島国アルギメスの戦争は、村瀬悠午が竜道海峡を越える少し前から、黒の大陸側の不利に転じていたらしい。
携帯電話やインターネット、マスメディアの存在しない世界故に、そういった情報が伝わるにも時間がかかるのだ。
その辺の現状を当たり屋3人から聞いたのち、悠午と一行は今後の旅の計画を立てる事となる。
「え? 旦那方、戦争でひと稼ぎするんじゃないんで?」
と言うのは、当たり屋3人組のひとり、四角い顔のアゴ割れモリーである。
悠午や『断頭』のサンクティアスほど力のある冒険者なら、戦争で稼ぎまくるのは当然だと思い込んでいた。
他者を圧倒する力で以って、手柄を立て莫大な金と名誉を得る。平民の夢だ。特に、身の程を知って逃げてきた元傭兵などにとっては。
現実には、大勢の平民が無駄死にするのが戦争というものだったが。
「戦争には興味無いしね。関わらないで通り過ぎるよ。で、どうしようか?」
と言いつつ、調理場を借りてバケット(パン)の切断面を焼いている小袖袴の少年。
港町だけあって良い白身魚が手に入り、これを燻した物を刺身のように切り分け、オイルをかけてバケットに合わせようと思っている。カナッペのようなものか。
そんな昼食計画はともかく、今は旅の計画の話が重要だ。
「戦場が南下しているとは言うが、10万人以上が戦争やっているとなれば場所は大体限られる。平地、街道、砦やらの要衝を取るのが戦争だ。俺たちのような小勢なら、軍が入らない狭いルートを選べる」
「海側か山側だねー。オイラの仕事かな?」
「海側というか、海は使えないのでしょうか? 小船でも漁村を乗り継いで行けば、戦場を回避できる気が……」
「やめておいた方がいいだろう。当然白の大陸の連中も背中を突かれぬよう警戒はしている。見つかれば面倒な事になるぞ」
テーブル上に地図を広げるのは、北の港へ向かうルートを検討する大男の冒険者ゴーウェンに、少年のような斥候職ビッパ、それに「沿岸を北上できないか」と言う若き従騎士のクロードと、禿頭に傷を持つ騎士のセントリオだ。
「ドライバー系のスキルと違うエルフの乗ったゴーレムって、最後の方に出てくる中ボス集団みたいなロボットじゃなかった? あれレベル100超えてない?」
グラビア系美人の女重戦士、姫城小春は半笑いで固まっていた。
戦場の最前線に現れたという、白の大陸軍が投入したゴーレムの情報。
『ワールドリベレイター』のプレイ中、突然世界観の違うモンスターが現れフルボッコにされた思い出が蘇る。
しかも、今の小春はレベル30台というステータス。
ゲームプレイ時よりも状況は良くない。
「過去の戦争の折にエルフが作りだしたという魔法兵器の一種でしょう。絶対的な力を持つ反面、魔力の源としてゴーレムの中に封じられる生贄が必要になるという禁断の兵器、と思われます」
いつも通りの無表情、と思いきや普段より声のトーンが低いのは、魔女スタイルの魔道士、アストラ国の王女フィアだ。
魔法の専門家として伝説の兵器に脅威を覚えているらしい。外見からは伝わらないが。
「こちらじゃ本当に戦争があるのよね…………。聞いてはいたけど、やっぱり怖いわ」
「で……でも戦争しているところは、避けて行くんですよね?」
争い事に向かないふたり、呪術士の隠れ目少女、久島果菜実と、若奥様魔術士の梔子朱美は戦争怖さに身を寄せ合うようだった。
港町に漂う鉄錆び臭い空気が、いよいよ戦場を身近に感じさせる。
それなりに修羅場は潜ってきたものの、人生の9割を平和な日本で生きてきた感覚はそうそう抜けるものではない。
「戦場をスルーするルートの相談もいいけどさー……ユタニ、忘れてないだろうな? 海で使ってたスキル教える約束!!」
「ろくでもない企業名みたいになった……。あと、説明はしないでもないけど習得させる約束はした覚えねーっス」
「小僧キサマー!?」
そんな平和な国のプレイヤーのひとりでありながら、戦争なんぞ我に関係無し、と断じるジト目少女。
興味は専らレベルアップと新スキルのゲット、という攻略ガチ勢の御子柴小夜子である。
今は、竜道海峡での戦いで小袖袴の少年が見せた大技にご執心だ。
以前からこのジト目さんは、自分も悠午と同じ五行術が使えるようになれば戦闘で無双できる、などと目論んでいた。
先手を打たれ野望を挫かれたので、八つ当たり気味に悠午の首を絞めに行ったが。
と、このようにはぐらかしてしまった小袖袴の師匠であるが、“気”孔に関わる修行は先日からコッソリ(?)始めていたりする。
調子に乗りそうなので、ジト目の少女にはまだ明かしていない。
プレイヤーのお姉さん方の能力向上は、割りと切羽詰った喫緊の課題となっていた。異世界に迷い込んでから始まる一連の問題には、悠午でさえヤバいと感じる存在が絡んでいる。
場合によっては自分で自分の身を守ってもらう必要があり、旅と並行して修行を行うつもりだった。
なのでやる気があるのはこの際好都合だが、どこまで持つやらと思わんでもない。
「その話は追々しますよ。そんで海と山どっち行くの?」
「村瀬くんその言い方だと『夏休みどこ行こうか』みたいな感じになっちゃってる…………」
焼いたバケットを皿に盛り、炙った白身魚と一緒にテーブルへ置く。すると、すぐさま結構な勢いで無くなりはじめた。
大人組は酒が飲めないのが辛い状況である。
しかし、酔っ払って話し合いするとかダメな大人過ぎるので、若者の前では自重するのだ。
「つーかセントリオの旦那は本陣に向かうんだろう? 俺たちとはここまでか?」
「途中までは同道させてもらう。ユーゴの飯とは別れ難いからな」
「おっさんはどこで軍と合流するの? あと今の軍の配置とか知らない?」
「お前たちと同じくらいの事しか知らぬよ……。そうだな、戦場は山脈を挟んで東西で展開されている。東は拮抗しておるから、アストラ国のを含む軍勢は『レジカリア』に留まり相手と睨み合いだろう。
西は『クアッゼ』を放棄したと言うからには、今頃は『タベッタ』かあるいは『マドラッゼ』まで前線を下げているやもな。敗走している分、こちらは多少の混乱もあるだろうから動きは読みきれん」
大男と小さな少年の前でアルギメスの地図を指差し、禿頭傷の騎士が戦場を予測する。
実は、セントリオは上陸後、すぐさま伝を頼って西の軍に手紙を出していた。
故にもう少し詳しい情報を持っていたが、そこから狙いを気取られるような真似もしない。
「でー……結局どう行くのが安全なの?」
「さてな……東は秩序だっている分、斥候や偵察に見つかり易くなっているかもしれん。黒の大陸の軍勢にしても、偶然発見した冒険者の集団をどう扱うかは分からん。
西では黒の大陸側はバラバラ、白の大陸の連中は追撃に躍起だろうから隙は多い。もっとも見つかれば問答無用だろうな」
おずおずと尋ねる小春に対し、セントリオから楽観的な答えは無かった。ただ事実のみを述べた、といった感じだ。
どちらにせよ東か西かを選ぶ事になるようである。
「それなら、山脈の西沿いか? 獣頭の偵察さえ躱わせば抜けられるか…………」
「簡単に言うけどゴーウェン、獣人のヒト達の鼻を躱わすって結構な手間なんですけどー」
ゴーウェンの言いに、斥候を務める事になるビッパが平坦な声で返した。
黒の大陸の軍に見つかるのも面倒のもとだが、白の大陸の種族に見つかればほぼ確実に戦闘となるだろう。
しかし、こっそり通り抜けるなら見通しの良い海岸側より山、それも秩序だった軍事行動が行われている東より西、という事になる。
仮に白黒どちらかの軍に発見されても、纏まった部隊数でなければ突破するのは難しくないだろう、という考えもあった。
こうして、移動ルートは西側山寄り、と決まる。
オゼ=セントリオの目論見通りに。
◇
悠午は、まだ仲間たちに大事な事を伝えていない。どこに耳目が潜んでいるか分からないので、迂闊に口に出来ないのだ。
ゲームに似た世界にプレイヤーが取り込まれてしまう、という常識的にはに考えられない異常事態。そんな事が出来るのもまた、人間などではない超常の存在だろう。
遺憾ながら悠午は下手人に心当たりがある。
ゲームプレイヤーではない自分がこの世界に放り込まれた背景も、見えてきそうなものであった。
そこで悠午の方針としては、とりあえず元の世界に帰る手掛かりを捜しつつ、旅の途上で同郷のプレイヤー達が死なないように鍛えなければならない、のだが。
「さぁキリキリ吐いてもらおうか。貴様のユニークスキルはいい加減目に余るんじゃ。習得方法、ほかの大技の詳細、奥義とか裏技、あとお前んちの弱点とか」
「え? なにこれどういう状況??」
「えーと…………ま、まる裸?」
そのお姉さん達に三方を囲まれ、ジト目少女には壁ドンされている小袖袴の少年の図。
ジト目さんは悠午ほど背が高くないので、爪先立ちになっていた。顔だけは不敵な表情だが、脚はプルプル震えている。
グラビアモデルの大学生と隠れ目女子は申し訳なさそうだ。押しの強いジト目に巻き込まれただけなのが窺える。
そして、そのままの意味でもあるまいに、悠午を『まる裸』にするという小春の科白に果菜実は赤くなっていた。無論、最初に言い出したのはジト目だ。
「まぁ、教えるとは言いましたけど……知ってどうするんです? 知ったところで今すぐ使えるようなもんじゃないって前にも言いましたよね? むしろ変な先入観を持って欲しくないんですけど」
「イヤだ今知りたい。先に取得スキルが分かった方がキャラビルドも計画的にできるんじゃ。それにユタカのやり方はあたしらに変な隠し事してそうで信用できない」
「今度は普通の名前だけど、やっぱり本名で呼ぶ気はないんスね。そしていきなり師匠のやり方にケチ付けるとか相変わらずイイ度胸してんなお姉さんよ」
相変わらず自分本位なジト目のゲームプレイヤーに、今度は悠午が冷ややかな笑みを浮かべる。危険な“気”配を感じて三人娘がいっせいに後退った。
とはいえ、この少年が存外頑固に手の内を明かさないのは先刻承知。
小夜子とて何の成算も無しに勝負をかけてはいない。
「チッ……! わーかってるよアレだろ!」
「どれなんです?」
「飯の種をタダでヒトに教えるワケない、ってのが本当のところか!?」
「今まで御子柴さんがオレの話聞いてたのか甚だ自信なくなってくるわ」
「なんかこう、情報と引き換えに○光的なエロい事させるくらいは当たり前だろ、っていう本音を忖度しろって言いたいんだろ!?」
「ごめん御子柴さん、あのね、そろそろ張っ倒すぞ」
もっともその成算が、的を射たものかどうかは別問題、という話で。
ジト目は触れてはならないところに触れた。言っていい事と悪い事があるのだ。悠午は当然怒るし、別方面からも怒られる。
そもそも悠午がカラダで授業料払えとか言ったら本当にそうするつもりだったのか。
村瀬悠午、14歳。中学2年生。日本屈指の旧家に生まれながらも己の実力のみで世界の有力者と渡り合う少年だが、まだナイーブなお年頃なのだ。
本当にカラダを売らなければ生きていけないような地域に行った事も一度や二度ではなく、冗談でも言ってはダメな事を言う日本の女子高生には物申したいところであった。説教じみた事を言う気もなかったが。
「じじじじゃぁ条件を言えよー! いくらほしいんだ!? それともカナみんと姫も加えた4人同時プレイがお望みか!!?」
「ふえぇ!!?」
「最低だ……小夜子アンタ最低だよ」
遂には子供のように手をバタつかせて食い下がる、高校2年生ジト目女子。勝手にエロい事に巻き込もうとした仲間に対する女性陣の眼差しは厳しい。
「真面目に修行してくれれば出来るところまでは教えるっつってんですよ最初から。だいたいアンタこの前使った五行術の事教えろとか言っても、今の御子柴さんじゃ地割れひとつ起こせないからね?」
「出来るところまで、とか温い学生みたいなこと言う学習コースなんてヤダー! 無理してでもいいからアッパースキルまで教えれー! 叢雲の秘密でも何でもいいからー!!」
「だから根本的に“気”力が足りてないから無理しても意味ねーって言ってんじゃねーっスかこのねーさんは――――――――ん?」
この危険極まる世界で自衛させる必要が出てきた為とはいえ、悠午は改めてジト目プレイヤーに“気”孔術を教えるのが不安になった。
もはや教えないという選択肢も取れないのが残念。
悠午としても初めての弟子。何もかも確信があってやっているワケではない。
弟子が師を信じる事が出来るか、相互の信頼を築けているかは師弟という関係において非常に重要なポイントとなる。
そこを質せば、同じようなやり取りをもう3度もやっている悠午は、つまり不合格という事なのだろう。
単に新しいオモチャを欲しがるような物言いのジト目娘だが、その意見に聞くべきところはあるのかもしれない。
問題は、本来教えるべきではない技術を、どうやってその理由を明かさないまま、かつ乱用させないように教えるか。
初めての弟子としては難易度高すぎるんじゃないのかと悠午は思う。
「…………理想としては基礎体力と“気”力を充実させる事でプレイヤーとしての力を底上げする、事だったんですけど、そんな悠長な事している暇は無いな、とは思ってたんです、オレも。ヒドラやらサーペンティスやら面倒なのが多いしね。
五行術を使えるかどうかはともかくとして、もっと高い身体能力は持って欲しい。という事で、少し前から“気”脈を活性化する修行はしています。
もっとも、前にも言った通り秘術とかは命の危険があるんで、それとは違う方法を試している段階ですけど」
悠午も覚悟出来ているつもりで、結局は出来ていなかったという事だろう。
ここから先も、必要だからと割り切る事が出来るのかは、自身でも分からない。
それでも、自分が被る他ない状況というのは分かる。
「“気”力がある程度上がったら、具体的な術の修業に移りましょう。今のまんまじゃ自分の相に合った“気”すら遣えないから。
今でも、その辺りの事は『ステータス補正』とやらを伸ばし切ってからでいいんじゃないか、と思ってるんだけどねぇ…………」
何かを諦めた顔をする小袖袴の師匠に対し、プレイヤーの女性陣は戸惑い含みな顔をしていた。
“気”功術を教えるつもりは無い、と言っていた悠午が、知らぬ間にその修業を自分達にさせていたというのだから。
散々新スキルが欲しいと言っていたジト目なども、裏があるんじゃないかと警戒している。
んなものあるに決まっていた。
「あとこれは最初に言っておかなきゃならんのですけど、オレの教えた“気”功術や五行術で一般人の虐殺とかやったら殺しますからね。教えたオレに責任あるし。
でもオレより強くなったら自己責任で好きにしていいですよ」
小春も果菜実も小夜子も、平然と言う悠午の科白に硬直している。旅が始まってから常に女性には優しく丁寧に接してきた少年から飛び出すには衝撃的過ぎた。
ここに、住んでる世界の決定的な違いがある。
男でも女でも、年上でも年下でも関係ない。弟子を取るというのはそういう事だ。少なくとも、叢雲一門ではそういう事になっているし、悠午も納得している。
師の信念を外れた弟子は処分しなければならず、その上で信念を徹すなら、弟子は師に挑まなければならない。こう教えるのだ。
人間は欲望に傾き易く、それは悪ではない。所詮ヒトも知恵ある獣に過ぎず、欲望なども生きていく上での必要項目に過ぎないのだから。
そこで理性だなんだと人間を殊更高尚に持ち上げようとするから、ややこしい事になる。
正義とは、力だ。それはそのまま個人の優位性とイコールでも構わない。どう言葉を取り繕いお為ごかしを並べたところで、これは絶対にして数少ない真実だ。
その正義は多数決による社会的正義と区別されなければならず、そして迎合できなければ社会的に悪となる。通常は、社会の方が個人より圧倒的に強い正義を持つのだから。
ただし、仮にひとりの力が70億の人数に勝れば、正義はそのひとりの物となる。
故に、信念にかけ世界の正義が受け入れられないのであれば、信念にかけ戦いを挑まなければならない。
それが『叢雲』。
世界最強の武人の一門である。
「やっぱ叢雲本家って頭おかしいわ…………」
つまり、ジト目少女の呟きもまた、肯定されるべき正義ではあった。そして御子柴小夜子が村瀬悠午より強くなければ、まったく意味の無い正義でもある。
「それでも続けますか? 強い力はどうしたって使わずにはいられない。ヒトがヒトを殺すんじゃない、武器がヒトを殺させるんです。
人並みの力しか持たない方が、抱え込むモノもそれなりで済みますよ? 経験上」
何度目かの意思確認だが、今までとは意味合いが違っているのは、プレイヤーの少女たちにも分かった。
今までのは、単なる習い事のようなもの。
ここからは、生死以上に武人の端くれとなる覚悟を問われる。恐らくこれが、師事するか否かの最終確認となるだろう。
悠午の呟きにも実感が篭っている。
平和な世界で生きていた少女たちを苛烈な世界に引き込みたくはなかったし、それに耐えられるかも大いに疑問だった。
「なんだ? 師匠とでも呼べばいいのか? 師匠の命令はエロい事でも絶対とか」
「御子柴さんの、教わる側なのに上から目線で通すのはある意味感心するわ。あとエロ方面から離れてください。先行き不安でしょうがない」
それでも、不敵な笑みを引き攣らせながら、ジト目少女は今までと同じ調子で悠午に喰らい付く。
元の世界でも、そしてこの世界でも、無力な立場でいる事など絶対に我慢ならないからだ。
ましてや、叢雲の長子に煽られては絶対に引けない。
その為なら命くらい張ってやるのである。本当にエロい事を要求されたら咬み切る罠だったが。
この主体性に溢れ過ぎるジト目の決断により、あまり自己主張をしない、出来ない他ふたりも悠午先生のエキスパートコース入門が決まる。
そしてこの決断が、この旅の果てに少女たち自身の道を切り開く力を与える事になるのだ。
と同時に、元の世界へ戻って以降も戦いを続ける原因ともなるのだが、それもまた悠午の予想通りの結果でしかなかった。
◇
悠午たちが港町に留まっていたその頃、プレイヤーのトップ集団『ブレイブウィング』は馬車にて移動中だった。
主力と控えのメンバー、食事や野営などの支援要員、アストラ国から出ている護衛まで、それらが大規模なキャラバンを形成している。
勇者や主な仲間が乗るのは、最も大きな箱型馬車だ。プレイヤーはじまりの地にして最も進歩した街、レキュランサスで作られた物だった。
板バネを用いたサスペンションや車輪を覆う樹脂など、乗り心地を良くする工夫が随所に凝らされている。当然高価だ。
客席内もまた最大限広くスペースが取られた上で、上等なソファーやテーブルといった家具が設えられていた。移動貴賓室といったところである。
が、その中の空気は微妙にヨソヨソしい。
目を瞑り、腕を組んで沈黙している黒髪に赤いロングスカートの女性。延々と自分の杖を磨いている、長い金髪で白い法衣の女性。寝たふフリをしている黒い軽装の男。
他の面子も、馬車内の雰囲気を気にしながら、あえてそれに触れないように振舞っていた。
そして金髪ハーフの美形少年、勇者ジュリアスもそのひとりで、何かを刺激するのを恐れ声も出せずにいる。
普段ならもう少し会話も弾むのだが、今日に関してはその切っ掛けすら見当たらない。
原因は分かっている、つもりだ。
竜道海峡での一戦の結果である。
ジュリアスは人魚種の軍勢や大海蛇との戦いの後、目立った戦果が上げられなかった事を仲間たちに素直に詫びた。自分の力不足であったと。
それでこの件は終わるはずだった。なにも苦戦したのは今回が初めてではない。また仲間たちと研鑽を重ね、次は勝とう、と。
そういう事になると思い、疑いもしない。
ところが、仲間の反応は勇者の予想とは異なっていた。
戦果などどうでもいい。無謀な戦いにこだわった事の方が問題だ、と言うのだ。
ジュリアスは、そうは思わない。
信念に基づき行動する事は、結果よりも意味があるはずだ。
だがそれを強く主張する事が出来ず、かといって受け入れる事も出来なかったが故に、陸路の移動がはじまってからこのような空気が続いている。
こちらの世界で、共に戦う仲間たちに自分のやり方は受け入れられてきたのではなかったのか。これでは元の世界で突き付けられていた理不尽と同じではないか。
しかし、元の世界の愚昧な輩と違い、ブレイブウィングの仲間はかけがえのない戦友である。強く改心を迫る事もし辛い。
白部正己は恐れているのだ。以前と同じ結果となる事に。
「…………今日中にはマドラッゼにいる黒の軍と合流できるだろ。この辺りで少し休まないか。脚も伸ばしたいしね」
唐突な勇者の提案に、曖昧に是非を返す仲間たち。空気の悪さが際立つ事になり少し後悔する勇者だが、それでもこの場を抜け出せるだけ良しとした。
仲間の反応は鈍かったが、一方で周囲を固める騎士は、すぐに勇者の要望に応じる。
馬車の列は間もなく止まり、護衛の兵士は警戒のため周囲に広がり、支援要員が煮炊きの準備に入った。軽食やお茶の為だ。
主力メンバーも馬車を出て思い思いに羽根を伸ばすが、勇者はひとりその場を離れようとしていた。
何人かは無邪気に付いて来ようとするが、ジュリアスは生理現象を理由にそれを拒否。
道を外れて草に覆われた坂を下ると、朽ちた小屋の傍らに倒れた木を見つけて、そこに腰を下ろす。
人心地付くと、坂の向こうにいる馬車列の音が聞こえて来た。ヒトの会話や足音、馬の嘶き、鉄鍋やケトルの出す生活音だ。
自分だけがそこにいない、遠い場所のざわめき。
元の世界で幾度となく聞いた音。
正しいものを置き去りにして、なーなーで物事を押し進めていく空々しい音だ。
「ここでもかよ…………」
仲間の前では意識して見せない、ジュリアスの持つ年相応の粗暴さが漏れ出す。
自分は間違った事は言っていない。卑怯者のチーターを前にして、正しい努力をしている者が引き下がるなどあってはならない。
例え力及ばずとも、やらなければならない時はあるはずだ。
その信念は皆が共通して持っている、と勇者は思っていた。
実際には、今まで決定的な苦戦をした事がない為に、そんな現実に沿わない理想論が通っていただけなのだが。
またジュリアスに才能と能力があった故に、常に結果を出してこられた為でもある。
しかしそれも、シャドウガスト戦と大海蛇戦を経て地金が表に出始めていた。
勝利し、生き残る事ができなければ、ジュリアスの信念とやらは周囲を巻き込んだ傍迷惑な自爆に過ぎない。
そんなリーダーの指示に従っていて良いのかと、船を降りて以降は勇者ではなく他の主要メンバーに判断を仰ぐ仲間も見受けられた。
それほど、竜道海峡の戦いは絶望的だったのである。
元の世界では、愚図で愚昧で怠惰で下劣な輩は、寄って集ってジュリアスを排除した。ジュリアスもそんな程度の低い連中と付き合う気はなかったので、別に構わなかった。
だが、この世界では事情が異なる。
ブレイブウィングはこの世界を旅する上で必要な仲間たちであり、いまさら下らない連中だと突き放したくないのだ。
「クソッ……チーターなんかが悪目立ちしなければ、こんな…………」
自分の力不足。
その絶対的な事実を認めない勇者は、竜道海峡でも桁外れの力を見せ付けたプレイヤーに責任を転嫁する。アレが余計な事をしなければ、自分には大海蛇を倒すチャンスがあった。アレがチートな力で格好付けて暴れたから、相対的に自分が頼りなく見えてしまったのだろう、と。
もはや件のプレイヤーの力はチートで説明できるような代物ではないのだが、どうしても誰かのせいにしなければ気がすまない。
その本当の理由に、自分の正義しか見えないジュリアスは気付けないのだ。
そんな視野狭窄な迷い人に、無垢な天使が忍び寄る。
「ごきげんよう勇者様」
「……は? 誰、だ?」
何の気配も音も無しに現れた人物に、ジュリアスは警戒する事も忘れてしまう。
それは、愛らしいふたりの子供だった。
長い金髪が内跳ねしている少女に、銀髪を短く切り揃えた少しふくよかな少年。
ふたりとも、小学校低学年ほどの年齢に見える。
少女は柔らかい表情に、修道服という装い。茫洋とした少年の方は、貴族が着るような上品なベストを身に付けていた。
どちらの子供も、ジュリアスには見覚えが無い。
挨拶したのは、修道服の女の子の方だ。
「天上の御心により、使徒スプリシウム、罷り越してございます。勇者ジュリアスよ。この時より我らは貴方様のお力に。わたくしの事はどうぞ、スプリ、とお呼びくださいませ」
「使徒……インペトゥ、でーす」
勇者の前で膝を着いて見せる、『スプリシウム』と『インペトゥ』を名乗るふたり。
戸惑うジュリアス。
だが、無垢な子供を疑うなど思いもしない性根故に、勇者は自分が囚われた事に気付かないのだ。
感想、評価、レビューをお気楽に投げてくだされば…………
クエストID-S070:視点を変えると歴史が見えたり足元が見えたり見えないモノが見えたり 9/30 20時に更新します。




