057:これよりさき武人の峰
10日連続更新の9回目です。
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空の色が朱から元の漆黒に戻り、稲妻も鳴りを潜める。
夜が本来の静けさを取り戻したのと同時に、同じ色の小袖袴を着た青年が空から降ってきた。
両足で着地し全身を撓めて衝撃を殺す姿に、危な気なところは一切無い。
ズドゴンッッ! とド派手な音がした上に、激突と言って良い程の勢いで地面を陥没させていたが。
「あれまぁ…………」
青年が周囲に目を向けると、離れていた僅かな時間で随分と様変わりしていた。
まず、地下牢の上にあった崩れかけの建物が完全に崩壊している。地下の天井をぶち抜いた青年本人にも多少の原因はあるだろうが、少なくとも最後に見た時は建造物の体を保っていたはずだ。
仲間達は全員健在のようである。大分くたびれて見えるが、それほど心配する必要も無さそうだった。
町長とその他一名が、強引に力を引き出されたのは分かっていた。
だとしても、所詮は何の心得も無い普通の人間だ。プレイヤーと同じ、ただ力だけを肥大化させた素人に過ぎない。
そんな不恰好な手合に、手練の戦士や高位の術者、そして仮にも村瀬悠午の弟子が後れを取るワケがなかった。このくらいどうにかすれ。
「みんな大丈夫ー?」
青年、悠午は気楽に声をかけるが、事態は今がまさに最終盤だったりする。
「んんッッ!!!」
「ぅおおおおらッッ!!!」
真下から掬い上げるように斧槍が振り上げられ、肉ダルマの巨体が宙を飛んだ。
しかし、それ程高度を上げないうちに、大剣が肉ダルマ町長を上から叩き落す。
上下から挟み込むような攻撃を受けた末、渾身の一撃で地面に減り込んだ町長は、動きを止めて間も無く縮み始めた。
「じ……じょーちょー……!? ウ゛ぁあああああああ!!」
四肢がちぐはぐに腫れた狩人は、町長という梯子が外れたのを見て一目散に逃げ出す。
意図したのか無意識か、その先にいたのはテクテク歩いて来る悠午だ。
皮膚の弛んだ顔面を狂犬の様に歪めた狩人は、全く無防備に見える青年に喰らい付く勢いで飛び掛り、
「誰も怪我とか無さそうっスね。まぁ気を抜かない限り平気だと思ったけど」
その狩人が頭の上に手を置かれたかと思うと、次の瞬間には押し潰されるかのように地面へ沈んでいた。
何が起こったのか全く見えず、今しがたまで兵士と争っていた獣人たちが凍り付く。
悠午は自分が踏み潰した相手を見もしない。
あのバケモノに主力の3人を圧倒されたのは記憶に新しい。
人外の戦いに目を奪われている間に、自分たちが完全に逃げるタイミングを逸したのを理解していた。
「ぅおらぁあああ! こんのクソユンボー! 一番忙しい時にどこ行ってたー!!?」
「急用が出来たって言ったじゃないですか。ゴーウェンも小春姉さんもいるのに、あんな木偶の坊相手に遅れを取る事はないと思ったんですよ」
そんな悠午にダッシュから飛び蹴りという見事な強襲をかける怒りのジト目魔術士。片手で優しく止められていたが。
何かしら理由があったのだろう、とは他の仲間も思っているが、先ほどの天変地異の事といい説明を求めたいのはジト目と同様であった。
「その辺の事はまた後で。それより、今はこっちの後始末をしないと」
悠午が視線を向けると、他の者も同じ方を見やる。
後始末とは獣人たちの事だ。
今回の件は、街と住民の安全を建前に悠午たちを自分の趣味の為に利用してくれた、サイコパス町長の排除が目的である。
別に獣人の命を助けに来たワケではない。
そもそも、ヒト種を初めとする黒の大陸連合と獣人ら白の大陸連合は戦争中だ。悠午も他の者も、戦争なんぞに介入する気はない。アストラ国の騎士セントリオは、巻き込む気満々だが。
「そんなワケで、悪いけど獣人だけを利する事も出来んのよ。牢に戻るかオレに戻されるかは、あんたらが決めていい」
傲慢とも思える悠午の勧告。
しかし、獣人たちはそのプレイヤーにはそれだけの資格があると知っている。
実力差は明白だ。野営地を強襲された時よりも、今しがたの戦いを見てそれを痛感していた。
無論、プレイヤー如きの言い分に唯々諾々と従う獣人種ではなく。
兵士から奪った剣や槍、落ちていた鎖や木の棒を武器として構えているが、明らかな強者を前に挑める獣人はいなかった。
「我こそは誉れ高きザイル氏族に連なりしガーラ氏族の戦士、ランドンなり!」
そんな中、己を奮い立たせて大柄な身体を全面に押し出す山羊の獣人。野太い声が下っ腹に響く。
「並ならぬ武の錬達者とお見受けする! 名乗られい!!」
「群雲一門、村瀬悠午」
「先の怪物をひと撫でで下した力量、全く見事! 是非に戦士として、この場で我と立ち合っていただきたい! そして願わくば、我が首と引き換えに同胞は国に帰していただきたい……!」
武人として問われ隠す名も無し。当たり前のように即答する悠午。
山羊の獣人、ランドンの目は確かで、戦士としての悠午の評価は非常に高かった。
その上、初めから負ける事を覚悟しているかのような申し出に、他の獣人たちが色めきだつ。
「馬鹿な!? 荒ぶる双角のランドンが何を!!」
「いや……やはり、ランドンが認めるほどなのか……」
ランドンは単なる巨漢ではなく、山羊のガーラ氏族屈指の戦士と言っても過言ではない。
そんな強者が、相手の慈悲に縋るような事を言う。
にわかには信じがたい事だが、同時に獣人たちは納得せざるを得なかった。
「グッ……ルゥ! ならばそこのメスは私と戦え! ザイルの兄弟氏族、カバス氏族のイングだ!!」
「おいご指名だぞ姫……」
「え? なに!? わたし!!?」
諦めムードの獣人たちの中で、ひとり納得していないのは森で姫城小春と打ち合っていた犬獣人の戦士だ。
小春の方はもう自分の仕事は終わった気になっていたので、物凄くビックリしている。
「む、村瀬くん!?」
「小春姉さんの好きにしていいんじゃないですかね」
「で、ででもわたしが勝負する意味とかなくない?」
「貴様が勝ったらこの首くれてやる! だが私が勝ったらランドンも皆も逃がせ! 約束しろ!!」
勢い込む相手に、首なんていらないです、とブンブン首を振って応える小春。いかんせん声が出ていない。
悠午には相手の申し出を受ける理由は無いのだが、別にどっちでも構わない。
正味な話し、悠午は獣人がどうなろうと関知する気はないのだ。これが一般人なら違っただろうが、兵士として戦争に参加している以上、生きようが死のうが本人の決めた事である。
重要なのは筋を通す事なので、そこさえクリアすれば、後は悠午の個人的希望の範疇。どんな形でも獣人たちが自分で勝手に助かる分には構わないと思う。
小春が苦労する点に関しては、それは悠午の弟子なので自力でどうにかして欲しい。
むしろ経験を積む相手としては良いかもしれない。
「誰かそこのヒトの得物、持っていた斧を探してあげなさいよ。ここに持ち込まれてなくても、代わりになる物はあるだろ」
「ちょっと村瀬先生わたしやるとは言ってないよ!!」
「オレはこちら様の相手しないといけないし……そっちのヒトは小春姉さんが挑まれたんでしょ? それに、苦戦するような相手じゃないですよ」
「それをご本人の前で言って挑発しないで!!」
悲鳴を上げる小春だったが、立会いは回避できない空気だった。余計な一言まで加えて、犬頭のヒトを怒らせる師匠を本気で恨む。
何も自分がこんな事しなくたって、他に強いのがいくらでもいるだろうと言いたい。
が、コレも恐らく修行の一環なのだろうと思うと、投げ出すにも勇気が必要だった。
「どれ……あんたが牢に戻るなら、周りを納得させるにも理由が必要だろう」
気持ちが追い付かない弟子を置いてきぼりで、師匠の方が山羊のランドンの前へ出る。
ゴーウェンより更に大柄な山羊の獣人は、放棄された兵士の槍を三本重ねて振り回し、その手応えを確認。
本来の自分の得物とは比べるべくも無いが、この際贅沢も言えない状況だ。
「不躾なようだが……我が勝った時の条件を言っていなかった」
「必要か? オレに勝てるなら、他にアンタ達を止められるヤツなんていやしないよ」
「なるほど……明快で良い!」
ランドンは三本槍を大きく振るい、鉄筋で出来たような脚で地面を踏み鳴らした。
対して悠午は、両手を手刀の形に前に突き出し、軸足を引いた構え型。空手で言う前葉の構えに近く、本来は相手の出方を見る姿勢だが、それより攻性の気が強い。
犬獣人のイングも、仲間が兵士の待機場所から専用の得物を回収してきていた。
分厚く幅広の刃を持つ片戦斧を、逞しい痩身の犬獣人が手元で回転させる。
小春は喉を鳴らすと、改めて斧槍を正面に突き出し構えた。刃を向けてはいるが、そこは本人の性格を示すように、守りに寄った構えである。
「キサマはただのプレイヤーとは思わん! 戦士として認めてやる! 来いッッ!!」
「い……行きますよー! あ、わ……私も名乗ったりした方がいいの?」
何せどこまで行っても小春は普通の女子大生なので、傍から見て頼りない事この上ない。
ここを乗り越えたら少しは気構えも変わってくるかな、などと思いながらも、悠午は目の前の相手から意識を逸らしてはいなかった。
山羊獣人のランドンには、その全てを出し尽くしてもらわなければならないのだから。
「いざ参る!!」
「お好きに」
律儀に宣言するランドンだが、悠午の実家の流派はこの時代にガチ常在戦場である。いつでも構わない。群雲は古いが、あまり上品な流儀ではないので。
ランドンの方も、気構えも出来ないような温い手合いだとは思っていない。
故に、返事があろうと無かろうと、初手から潰しに行く腹積もりであった。
「ぉあああああああ!!」
牙のようになっている三本槍が、切っ先から鋭く地面を抉る。
本能的な恐怖を呼ぶ、気合に満ちた咆哮。
その初撃を、とりあえず僅かに退いて回避する悠午。見切った間合いより、気持ち大きく距離を取っていた。
山羊獣人の巨体が猛然と悠午を追い、2撃3撃と槍を叩き付ける。
荒々しい攻撃で派手に地面が穿たれ、全く衰えない勢いは敵を粉々にするまで止まりはしない。
かに思われたが、そこで悠午が放り込む一撃。
ズドンッ!! という分厚いものを叩く音が鳴り、不動に思えた山羊獣人が宙を舞った。
軽々と10メートル以上の放物線を描き、地面に落ちるランドン。
狂奔の熱へ、冷や水がぶっ掛けられたかのように場が静まり返った。
森の戦闘では、ランドンはいなかった。だから、この獣人族でも指折りの強戦士なら、という思いを抱えていた周囲の者達の衝撃は大きい。
猛攻を苦も無く避ける技量、一発で勝負を決めてしまいかねないパワー。
獣人たちの心が絶望に軋む。
「ゴハッ!? ゴアッ! がッ! ぐぐッ…………!!」
しかし、ランドンは少しの間を置いた後、悶えながらも立ち上がった。水落に打撃を叩き込まれ、息が止まっていたのだ。
もっとも、立ち上がれて当然ではある。悠午が一発で決めるつもりなら、今頃ランドンは上半身が消し飛んでいたのだから。
「クッ……この程度で、終われぬ!!」
「当然、仲間全員の命を買えるくらいの力を見せてもらわないと、こっちも困る」
背中を丸めて息を切らす山羊獣人は、三本槍の間合いの広さを活かした攻めに変更。巨体に合わないコンパクトな突きを連続して繰り出し、または払って相手を近づけさせない戦法だ。力押しだけの戦士ではないのだろう。
「ゴッ!? ゴフッ!! ゴアッ!!?」
全ての攻撃の終わりにカウンターを喰らっていたが。
ジャブのように小さい打撃のクセに、鋭さと重さが尋常ではない。刃の結界も、一瞬で間合いを侵食されるので意味を成してない。
それでも、山羊のランドンは手を出し続けなければならないのだ。受けに回ったら一瞬で叩き潰されると分かっていたので。
獣人族にあって勇名を轟かせるガーラ氏族の戦士、ランドンをしてこれほど圧倒的な負け戦ははじめてである。
が、力を出し尽くす以外に取るべき道など無い。
この達人の意気に応え、仲間を生かし、自らの誇りを全うする為には。
クエストID-S058:PvPから戦争イベの予感 10/03 19時に更新します。




