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026:新入生の戦闘指導要領

.


 準備を終えて城壁都市『ダンプール』を出たのが、奥さま法術士を仲間に加えた翌日の早朝。

 日が昇り切らないうちに一行は出発するのだが、そこでまた予想外の同行者を加えていた。

 シャドウガストと戦うのに悠午ら冒険者のパーティーを率いて行った、という事になっている王国貴族のヴィンセンタール子爵。その従者である青年のクロードだ。


 形式上、悠午はヴィンセンタール子爵の配下として戦い、それ故にシャドウガスト討伐の手柄も子爵に帰属する物となる。

 悠午が与えられる報償も、そのついで(・・・)という事になっていた。

 ついでと言えども、子爵が国王の御前に立つ際には悠午も同席しなければならない。いち冒険者が王との謁見を賜るのはこの上ない名誉である、とか何とか言われたが、そんな恩着せがましく言われるくらいなら王都なんざ行きたくないというのが少年の正直な意見である。

 しかし、その辺は従者クロードも分かっていたのか、念の為伝えただけだと、眉を顰める悠午に苦笑いを見せていた。

 この青年とはほとんど接点がなかったと思うが、どういうワケかえらく好意的な様子。

 悠午も小首を傾げるが、悪意とか敵意でもないなら問題ないと、放っておく事とした。


 そのヴィンセンタール子爵だが、第二王女のマキアス殿下から悠午の一団を王都に案内するよう下命されたのだとか。

 ところが、手柄を認められてウキウキ気分の子爵様は、そんな下らない事に心を砕きたくない。

 それに、王女からの命令とはいえ子爵は悠午のパーティーが嫌いだ。シャドウガスト戦でも(ないがしろ)にされたと思っている。事実そうだったが。

 だというのに、どうして自分がそんな無礼な冒険者風情を王都まで連れて行かなくてはならないのか。

 そういう面倒な事は、誰か他の者に押し付けるに限る。

 そこで案内役としてお鉢を回したのが、日頃から便利な道具扱いしている従者のクロードだったというワケだ。

 なお、子爵自身は早々に王都へ向かったのだと言う。


「あの巻きヒゲの手柄になってんのか。くっそ殺してぇ」

「あれ? 御子柴さんて手柄とか欲しがってましたっけ?」

「別にあたしは要らないけど偉ぶったクソオヤジがヒトの尻馬に乗って良い思いするのは気に入らない」

「まぁ分かりますけど…………」


 馬車の中から御者席側の窓に顔を出し唸るジト目姉さん。たいへん殺気立っており、悠午が落ち着かない。話を振られても困る。


 ダンプールから王都のプロスレジアスまでは、早ければその日のうちに、遅くても三日はかからない距離だ。多少アバウトになるのは、道の不確かさやモンスターなどの不確定要素の為であり、これはもうどうしようもなかった。

 それでも、馬車移動は歩くより早いし、多くの荷物を運べ、野宿の際にも屋根と壁を確保できる(女性限定)。

 しかし、ここでひとつ問題が。

 元々はレディー3人用として設計された個室入り馬車。3人用として目一杯パーテーションを取っているので、新たにヒトが入れる余地がなかった。

 つまり、若奥様のスペースが想定されていない。


「ごめんなさい朱美さん、しばらくはわたしと共有で」

「いいのよ小春ちゃん、馬車が使えて仕切りがあるだけでもとっても助かるわ」


 よって、当面は個人スペースは女性陣4人で使い回し。荷物置き場も寝床として利用する事になった。

 とはいえ、以前のパーティーでの待遇に比べれば大分マシだと若奥様は語る。

 いつ襲ってくるか分からないケダモノどもと地面に雑魚寝するよりは、遥かに良い。


「裕子、馬車の中の壁ってどうなってたっけ? 簡単に動かせた?」

「ついに男の名前ですらなくなりましたね……。パーテーションは頑丈な一枚板を釘で止めているだけですから簡単に動かせますよ。でも動かすなら中の荷物降ろさないと」

「あーめんどくせー」


 王都に着いたら、また馬車を改造する予定になっていた。

 いっそ大きいのに作り直して4頭立てにでもした方がいいかもしれない。

 先のシャドウガスト戦の報酬は、ダンプール市の組合(ギルド)から支払済みだ。バリオ冒険者団との山分けにしたが、それでも金貨250枚という大金。今後の路銀も必要なので、あまり贅沢も出来ないが。

 ちなみに、クロードは馬に乗って移動していた。


「下着も貸してもらえるの!? たすかるわー……小春ちゃんのサイズも…………」

「わたしもちょっと前まで着たきりスズメで、仕方なく時々ノーブラで…………」

「ハッハッハ大変だな巨乳族どもは殺すぞ。かなみん貴様もだ」

「はうぁー!?」


 馬車の中では、女性陣が苦労話で盛り上がっている。なるほどプライベート空間という物は必要なようだ。

 努めて聞かないようにしている御者席の悠午と、どうでも良いゴーウェン。

 声は漏れ放題なのだが、その内容は男子禁制のところまで易々と踏み込んでいる。色々と限界だったのだろう。聞かない振りをし、相手もそれを信じるのがチーム円満の秘訣である。


「今回はヤバかったな。樹林の谷で殺ったデカブツもヤバイと思ったが、シャドウガストのボスとは比べ物にならんかった」

「多少手強い相手が出てもどうにかするつもりでしたけど、流石に想定外な相手でしたね。形振り構っていられなくなるところだった」

「では、まだ余力があったという事ですか? 剣を持ってからの『神撃』ユーゴ殿は圧巻でしたからね」

「あったなそんな名前…………忘れてた」


 男3人の話題に上るのは、やはりシャドウガストとの戦いの事だった。

 そして悠午は、クロードの科白(セリフ)に忘れていた汚点を思い出し、その顔に絶望を顕にする。

 いったいどうすれば忌まわしき名を消す事が出来るのだろう。

 いや悠午には分かっていた。

 過去は消せない。延々と人生にこびり付く。早く帰りたい。


「しかし問題は裏でエルフが絡んでやがった事だな。あいつらがシャドウガストを使役出来るのだとしたら、アストラとこっちの陣営は少々拙い事になるかもしれん」

「いや……そんな自由になるもんでもないんじゃないですか? それなら重要拠点に集中投入するか、戦線の全域で使うでしょ。散発的に戦略的価値の低いところ襲う意味が分からん」


 悠午に付けられた恥ずかしい名前についてはともかく。

 エルフがシャドウガストを利用していたらしい、という事実は、今後の旅や戦争の趨勢にも影を落としている。

 シャドウガストを兵器として使われたら、現在はヒト種側に優勢な戦況をひっくり返される事ともなりかねない。

 ヒトを含む黒の大陸の種族全体にも動揺が広がるだろう。

 逆に、エルフの企みを挫きシャドウガストを討伐したと大々的に広めれば、不安を払拭し自陣の戦意高揚にも繋げられるだろうが。

 なんにしても詳細はハッキリしておらず、今後の見通しは霧の中だった。


「ですが、シャドウガストはユーゴ殿に敗れたのです。エルフも同じ事は繰り返さないのでは?」

「どうでしょう……。勝ったと言っても相手の方から退いてますからね。向こうも本調子じゃなかっただろうし、もう一回シャドウガストをぶつけられたら勝てるかどうか分かりません」

「どういう事だユーゴ」


 悠午がいれば大丈夫ではないか。

 そんな楽観論を述べるクロードだが、悠午の答えに顔色を変えていた。ゴーウェンとしても聞き流せない。

 あれほどの猛威を振るったシャドウガストが『本調子ではなかった』などと、何かの冗談と思いたいが。


「こっちは自由に動けたけど、シャドウガストにしてみればこの世界は空気の薄い山の上とか、灼熱の砂漠みたいなものだったと思いますよ? それであの強さですから。対等な条件でやったらどうなる事やら…………」


 つまり、今回はシャドウガストにとってアウェイでの戦いだったと、相手の力と“気”の性質を見極めた少年は言う。

 悠午やゴーウェン、クロード、プレイヤー、モンスターまで、この世界で生きる全ての者は、本質的に()者であり陽の相に偏っている。

 アンデッドなど動く死者といったイレギュラーは存在するが、この世界はプラスエネルギーが基本になっていた。

 ところが、シャドウガストはアンデットとは違い生きながらマイナスの側、陰の相に偏る。

 陰も陽も相対的なモノの見方に過ぎないが、肝心なのはシャドウガストがこちら側の世界で生きるのに適していないという事実だ。

 現れた時点で、大きなハンデを背負っていた事になる。


「こっちは偶然拾った刀モドキで、どうにか追い返した感じです。向こうが本気を出してくるようなら……今度こそオレも力を出し切らないと勝てませんね」

「ふーん…………」


 気のない返事をしながら、ゴーウェンは横眼で悠午の顔を見ていた。

 自信の無さそうな事を言いながら、それならどうしてこの少年はうっすら笑っているのだろうか。

 パッと見では虫も殺しそうにない悠午の奥底に潜む、凶暴な本性。

 それを、戦闘の最中にも垣間見たのを思い出すゴーウェンだったが、


「剣はもう持たんのか? 持っていれば敵無しだろう?」

「…………あんまり使いたくないんです、手加減が効かなくなっちゃうんで。それに、どうせ刀なんてこっちじゃ手に入らないし」

「そんな事言ってて良いのかね……。後悔するような事になるんじゃないのか?」

「それも含めて、オレの実力ですかね」


 一方、理性でそれを抑えようとしているのも感じ、年長者の戦士に微かな危うさを感じさせていた。


                        ◇


 あわよくば日が落ちる前に王都に入りたい。なんて、本当に「あわよくば」でしかなかった。

 近道の裏街道を8割方進んだものの、途中の山中で日が落ちてしまい、今日はこのまま野宿となる。明日には王都入りできるだろう。

 馬車を道の脇に立つ木の傍らに止めると、一行は野営の準備をする。

 慣れた様子で馬の世話をするゴーウェンに、枯れ枝などを拾って来て焚き火にする悠午。クロードも剣だけ帯びて荷物を下ろし、馬車の中では女性陣がガタゴトやっている。

 晩御飯は、スープベースのパン粥にボアの肉とソフトブランチを炒めて加えた物だった。リゾットにも似ている。濃い味にコショウの風味も加わっており、かなりボリュームがあった。

 例によって悠午作だ。


「コイツの料理は中毒性があるぞ」


 などとお腹いっぱいに食べてから言うのは、変な危機感を煽るジト目のお姉さんだ。褒められているのか貶なされているのか判別できない。

 新入りの奥様にも悠午の現地料理は好評だった。と同時に、久しく忘れていた主婦魂が戻ってきた模様。これから食事の用意や洗濯なども手伝ってくれるそうだ。 


 シャドウガスト戦の後にも休息を取り、道中のモンスターとの戦闘も悠午とゴーウェンがサクッと片付けたので、プレイヤーの少女たちに大した疲れは無かった。

 それでも、明日に備えて寝ておくのは当然。夜更かしなんて贅沢は出来ない。ここは日本ではないのだから。

 今は、悠午がひとりで起きて火の番をしていた。

 なお、今夜の不寝番は悠午が一番手、ゴーウェンが次、クロードが夜明けまでという事になっている。


 変に皆を安心させたくないので言わないが、悠午は野営する時、周囲に結界を張っていた。

 やはり専門ではないので、それほど複雑高度な結界術は使えない。場を清浄にする結界に、侵入者がいた場合に知らせる結界と、この程度だ。

 一方で、周囲の気配を探るのも忘れない。夜などは周囲の“気”が落ち着いているので、悠午も生き物の“気”を感じ易かった。


 その探知に引っ掛かる、ひとつの気配。


(何の用だ? 様子見だけで何をして来るワケでも無し。てかこの距離でこっちが分かるとかスゲーな)


 ダンプール市から悠午と一行は、追尾を受けていた。

 気配の主は、大凡の見当が付く。

 付くのだが、実は個人の特定が怪しい。それほどハッキリ覚えていないのだ。不覚。

 何となく付けられているのは分かったが、それが確信に至ったのも夜に入ってからである。

 さりげなく位置を変えて揺さぶっても見たのだが、相手は近づいた分だけ慎重に距離を取っていた。明らかに悠午の動向を押さえているのだが、1キロ近く距離は空いているのだ。間に遮蔽物が入る事を考えても、驚異的なストーキング能力といえる。いや決して変態的な意味じゃなくて。


 悠午が本気で詰めれば逃げられる前に抑えられようが、相手の行動力からは強い意志を感じ取れる。とっ捕まえたからと言って、目的を吐くかは謎だ。

 それどころか、うっかり逃げ隠れされ悠午がまかれようものなら、その後相手は徹底した警戒を行なうだろう。面倒な事になりかねない。


(どうしたもんかね?)


 こんな事なら雇った時にもう少し話をしておくんだった、なんていまさらどうしようもない後悔先に立たず。

 さりとて、延々と監視されるのも精神衛生上よろしくない。

 考えあぐねる悠午だったが、そこにもうひとつの気配が近づいてきた。

 とはいえ、これの出所はすぐ近くだ。


「…………お疲れさまでーす」

「姫城さん」


 寝ている仲間を起こさないよう静かに馬車から出て来たのは、いつぞやのようにひとり起き出して来た女戦士の小春だ。

 今は板金の軽鎧を着けていないが、元々ただのグラビアアイドル大学生である。普通のセーターにロングスカートのような物を身に着けている、今の方が自然だった。無論、常在戦場の冒険者としては褒められない。


「どうしたの? お腹でも空きました?」

「村瀬くんの中でわたしはどんなキャラ付けなのよ……。あ、そういえばキャラメルどうなったの?」

「出来たの切って瓶に入れて背嚢にほかし込んで……今は馬車の中ですね」

「取って来る」


 思い出したが早いか、小春は返答も聞かずに馬車に戻り、悠午の背嚢を引っ張り出して来た。

 背嚢を渡された悠午も、特に抵抗せず小瓶を取り出し小春に渡す。

 中には、僅かに褐色が混じる乳白色の四角い粒が、15個ほど入っていた。

 コルクを抜いて中身を摘まみ出した小春は、喉を鳴らして一粒を口に放り込む。


 そして、優しい甘みに絶句した。


 濃厚で軟らかく、口の中でトロリと溶けるキャラメル。

 元の世界では特別な物ではなく、また販売されている物とも違ったが、むしろ手作りでトゲの無い味に癒されまくっていた。

 ジト目の魔術士も言っていたが、この男の作る食べ物は、ヤバい。


「なんか泣けて来たヨ…………」

「んな大げさな」

「村瀬くんは分かってないよ……死活問題なんだよ、甘い物が食べられないのは。禁断症状が出るんだからね、女の子は」


 そうして終いにはミツバチみたいに野に咲く花の蜜に手を出して蟲とエンカウントしたりジンマシンが出たりカブレたりお腹を壊したりするのである。

 だとしても甘い物を求めずにはいられない、それがオンナ。

 業が深い生き物と言わざるを得なかった。


 もごもごと口の中でキャラメルを嬲り陶酔している、甘い物に飢えたケダモノ。

 悠午は、他に何か携帯に適した甘い物を用意せねばなるまいか、と材料から記憶内を検索する。

 お菓子系はあんまりレパートリー無い、と早々に首を傾げる事になったが。


「村瀬くんって料理も上手いよね……元の世界と全然違うのに。それにバトルなんかもひとりだけ世界観が全然が違うし。いったいどうなってるの?」

「んな事言われても……」


 出来る事を必要な時にやっているだけなのに、どうしろと言うのか。

 しかし料理と一緒くたにされるのは興味深い。


「料理なんか途上国とか行けば自炊以外やり様が無いです。僻地になると自分で獲物を狩って捌くみたいな事もやらないといけないし。集まった材料だけでご飯作るなんて基本だしね。てか日本は食材が多過ぎ」

「…………それホントに元の世界の話?」


 悠午は素材の持ち味を生かして調理するという事を知っている。実家では板前さんに教わったりもするので。

 だが、基本的にレシピありきで作る物を決めるのではなく、有る材料で調理するというのが悠午にとって普通のやり方だった。必要な時に都合良く欲しい物が手に入るなんて事、滅多にないのである。

 そして、戦闘は一事が万事そんな感じだろう。準備万端整えて行う戦争など有史以来ありはしないのだから。


 しかし、実際のところ聞きたいのはそんな事ではなく、小春は二粒目のキャラメルを取り出すと口の中で転がす。

 焚き火の前に座り、膝を抱えてパチパチと燃える炎を眺める女子大生。

 何か言いたいが言い出せない、というのは悠午にだって分かるが、かと言って単刀直入に訊けるほど自信家でもない。


「……結構ハードなゲームですよね、これ。全世界で何千万って人間がプレイしているって、クリアできるもんなんですか?」

「いやワールドリベレイターはこんな無理ゲーじゃないし…………。ただのゲームよアレは。でも、ここは…………」


 ここはゲームに似て非なる世界。死ねばリスポーン無しで、すべて終わりだ。

 難易度の方もゲームとは比較にならない。生きる為には戦わねばならず、戦う為には強くなければならない。

 攻略情報など、ほとんど役に立ちはしない。敵はアルゴリズムではなく、意志を以って向かって来る存在になっていた。

 そして大多数のプレイヤーは、本来戦士でも兵士でも何でもない。

 小春はただの大学生で、新人グラビアアイドルだ。

 悠午とは違う。


「村瀬くんはどうして平気でいられるの? 最初からそうだったよね、プレイヤーでもないのに…………」

「そりゃ……まぁ、強いて言えばそういう家に生まれたから? それだけじゃないですけど」


 五行や気功といった特別な技術を振るい、怪物やモンスター相手に全く引けを取らない戦闘力を見せる謎の少年。

 思えば、もっと早く疑問を持つべきだったのだ。

 ステータス補正やスキルといったゲームと同じシステムが有効である、何でもありの特殊な世界。

 そう思えばこそ馴染んでいた悠午だが、元の世界でもそんな力が使える人間というのは、どう考えてもおかしかった。

 と、一般人の小春は思うのだが。


「実際はそうでもないんですけどね、一般のヒトが知らないだけで」

「それじゃ……村瀬くん以外にもそんな力を持ってるヒトはいたの?」

「いますよ、結構。世界の裏舞台とかでは割と頻繁に出てくる。同じ顔を見る事も多いけど」

「それじゃ……どうしてそういうヒト達がオリンピックとかに出て来ないの? 村瀬くんなら金が量産できそう」

「紳士協定があるんですよ。オレみたいな『アドバンスド』は表の競技会には出ない、って暗黙の了解があるんです。時々空気が読めないヤツがアホみたいな世界新を出して騒がれたりしますけど」


 アドバンスド、というのは一種の通称だ。何らかの方法で通常の人間の限界を超えた人種を指す。

 降魔師と武人の長、悠午の実家でもある叢雲の一族は、超人類(アドバンスド)の集団でもあった。

 そういった特別な人種は、滅多に表舞台に現れない。

 力ある者はどうしたって権力に関わり、権力者はアドバンスドの存在を秘匿するからだ。

 理由は色々ある。

 アドバンスドを便利に使っていた過去がある為、現在から未来でも利用する為、法で縛れないアドバンスドがいる一方で建前上の秩序を守る為。

 また、アドバンスドの方も多くの場合、目立つのを避ける傾向にあった。

 目立っても面倒こそあれ、メリットはほとんど無いからだ。


 悠午は叢雲の一族本家、『叢瀬(むらせ)』の直系として生を受けた。両親は行方知れず、姉がおり、祖父が師匠だ。

 生まれてすぐに、悠午は叢雲の武人としての教えを受けるようになる。言葉を覚える前に拳を作り、歩き方から呼吸法から徹底して身体に叩き込まれた。

 宗主、村瀬蔵人の孫であり、才能溢れる男児。

 後継ぎは姉の方とされていたが、本人が継ぎたくないと言うので、悠午も後継者候補となっていた。悠午だって家を継ぐなんざ嫌だが。


 温厚な性格に見える悠午だが、叢雲の修行は過酷の一言だった。生まれて初めて骨折したのは一歳の時。叢雲本家の敷地が治外法権でなければ、幼児虐待で大問題になっていただろう。

 しかし、そんな箱庭の中で箱入り息子的に純粋培養された少年は、10歳で家命の一大事を果たし、12で現代の戦争を経験し、それから実戦の中で力を付けて来た。

 叢雲の戦いに、訓練も実戦もない。全てが真剣勝負だ。


 自分の境遇に、悠午としては思うところは無い。それしか知らなかったし、それが当たり前だったからだ。

 世間知らずになっても困るということで、一般社会での生活も幼い頃から経験させられている。

 家には家族や親戚以外に、古い技術の匠や師匠、良く分からない客人や人外、門人や使用人など多くの人々が住み込んでおり、悠午もそういった大人達と接触する機会が多かった。

 武道やそれ以外の技術を学び、学校に行き、様々な縁で事件に関わり、多くの人間にかかわり、世界を飛び回る。


 この様な所謂(いわゆる)普通の生活を送りながら思うのは、出来ないより出来る事は多い方が良い、という事だ。

 普通に生きている人間は、戦う術など知らないが故に暴力で泣きを見る事が多い。だが、それは彼らが悪いワケではない。悠午が知る人々は、皆生活するだけでいっぱいいっぱいだ。

 ならば武人の存在する意義とは、そういった人々の為にこそあると思う。

 また、力でしか解決できない事が厳然として存在する一方、力では解決できない事にも多く遭遇して来た。

 「ユウなら全てを力で解決できる」、と姉の意見は異なるが、その姉は戦う以外の選択肢も多く持ち、弟もそれが理想だと思っている。

 だからだろうか、悠午も出来る事が増えるのは楽しい。

 どういうワケだか実家には人間国宝のような匠もゴロゴロしているので、彼らから教えを受けるのも好きだった。


「なにそれ……? そんな漫画みたいな家が実在するの?」

「いやだからオレの実家なんですけど」


 さりげなくヒトの生家がえらい言われようである。

 ちなみに今の悠午は島根生まれの神奈川県民だ。

 しかし一般人の小春には、悠午が創作の中の住人に見えているらしい。


「まぁそんなワケで、まだやる事も残ってるんで早く帰らないと拙いんですよ。親戚連中にあの王女様みたいな事を言われなくて済むのは気が楽かも知れないけど」


 冗談めかし遠い目で言う悠午だが、小春は笑ってくれなかった。

 齢14にして後継ぎ狙いで年上女性に迫られる少年としても、実際は笑いごとではない。


「…………帰れると思う?」


 3つ目を舌で転がしながら言う小春だが、それは質問ではないのだろう。


「帰れると思いますよ? 妙な事に巻き込まれたのは一度や二度じゃないし、それでもどうにか出来たんだから。多分今回も大丈夫」


 悠午にこう言わしめるのは、これまでの経験からのモノだ。

 変な儀式に巻き込まれて異界に閉じ込められたり人外に堕ちて辺獄を彷徨ったり黄泉比良坂を全速力で往復したり妖精郷で飢え死にしかかったり。

 ここまで来れば、もう生きている限り出来る事をするだけだ、という境地である。


 そんな特殊過ぎる経験を重ねた少年は、年下なのに落ち着いていて頼もしく感じる。

 対象的に、年上の自分はうろたえてばかりで情けない。


「わたしは……どうすれば良い?」


 こんな漠然とした質問をするのも、小春としては情けなかった。


「レベル上げて、クエスト? をクリアするんでしょ? 良く知らんけど」

「そうなんだけど……。なんかレベル上げてもシャドウガストとかに勝てる気がしない」


 レベルを上げれば、確かに戦闘は楽になるだろう。世界を巡りクエストを受けるにも、レベルの高い方が好都合だ。

 だとしても、それは強くなる事は別問題だと思う。

 ここはゲームではなく、現実なのだ。

 だから、現実に戦う為の方法を知る必要があると小春は考えていた。


 でもどうやって。


「なら、無理して戦わなくても良いんじゃないですか? オレだってゴーウェンだっているんだから、任せてもらえれば」

「そんなのただのお荷物じゃない。わたしだって一緒に旅をするんだから……。そりゃ村瀬くんみたいには戦えないけど……村瀬くんみたいに――――――――ん?」


 ここで、小春は目の前にその道の達人がいるのを思い出した。

 ついでに、何やらナイフで肉の塊をスライスして直火で炙っている事にも気が付いた。凶悪に良い匂いが腹ペコアイドルを襲う。

 が、今は食い気より重要な事があるのだ。というか9時過ぎに節制命のグラビアアイドルの前でなんて物を出してくれるんだチクショウ。


「…………村瀬くんは格闘技とか剣道の英才教育を受けて来たのよね?」

「えー? まぁ……英才教育かは知らんけど、そういう事も修行して来たと思います」

「わたしにも教えてくれない?」


 そして悠午は、小春の科白(セリフ)に心から「無茶を言うな」と返したかった。パソコンの使い方(初歩)を教えるのとは違うんだぞ。

 だが相手は年上。頑張って言葉を選ぶ。


「んな一朝一夕でどうこうなるもんじゃないスよ……。姫城さん武術の経験ないでしょ?」

「無い…………」


 小春は今日に至るまで完全インドア系で運動すら苦手だった。

 身体もグラビアアイドルになってから事務所に絞られたのだ。


「オレだってまだ師事する身なのに、ヒトに教える程物事を修めてないですよ。ってあの王女様にも言ったけど。どう教えて良いかなんて見当も付かない」


 さりとて、武道術とエクササイズは当然の如く別次元の代物。

 悠午は相手の筋肉の付き方や日常の姿勢から、大体の力量を推測できる。洞察術の範疇だ。

 その見立てによると、多くのプレイヤー同様に姫城小春は完全なる素人。シャドウガスト戦では多少気合の入った戦いを見せたとはいえ、素人の範疇を超えるものではない。

 今まで見たプレイヤーで唯一心得が有りそうだったのは、『勇者』と呼ばれた金髪の少年だけだった。恐らく剣道の有段者と思われる。少々固過ぎたが。


 悠午だって言われるほど達人ではない。足りないところだらけだ。

 そんな自分が素人に武術を教えるなんて、酷い結末になるとしか思えなかった。


 しかし、


「足手まといになりたくない…………」


 しょんぼりと呟く年上のお姉さんに、悠午は進退窮まる。基本的に身の回りに押しの強い女性ばかりなので、こういうタイプには正直弱い。

 どうにもならないほど追い詰められ、己の無力を悔やむ人々を悠午は世界中で見て来た。北アフリカ、中東、中央アジア、南米、中国、そして日本。

 ただ日々を懸命に生きこの社会を支える人間を守るのは、武力を持つ武人の最低限の使命である。さもなくば、武力を持つ者などただの人殺しだ。

 ならばやり方は多少違えど、自ら戦う力を求めるヒトを助けるというのも、武道に生きる者がやるべき事なのだろう。

 それは、本人以外が簡単に諦めて良い事ではない。

 それに実家の流派は来る者拒まずで、その手の人間がゴロゴロ来るのだ。

 流石に完全な素人が来た(ためし)は無かったと思うが。


「ご、ごめんね、無茶ぶりして! これ以上村瀬くんに負担はかけられないし……。大丈夫、レベルを上げて強いスキルを増やせば今よりはずっとマシになる筈だから」


 本人が気付いていなかったが、悠午は物凄く困った顔をしていた。

 慌てて前言を撤回する小春も、ガッカリはしないが申し訳ないと思う。

 この上お手数かけてどうするのかと。


「まぁ……この前みたいにオレが手いっぱいの時に、ある程度自分で身を守って貰えると助かるかもしれませんね」

「うう……それも申し訳…………へ?」


 と思っていたのだが、何やら風向きが変わってきた。


「さっきも言いましたけど、大した事は教えられないかもしれませんよ? いっそ何もしなかった方がマシ、って事になるかも……。何か身に付けたと思っても、いざ実践したら大怪我したって事も結構あるんです。なので、姫城さん次第って事になります。オレみたいな修行中の未熟な武人に、師事しますか?」


 当然、こう言っても悠午は迷っている。

 完全に素人な小春に戦い方を教えるなど、リスクが大き過ぎた。その上、悠午は自分にヒトを指導する能力が有るとは欠片も思っていない。

 だが、小春は今問題にブチ当たっており、今がまさに戦場なのだ。

 準備万端戦闘に望める事など古今において有りはせず、常にその場の材料で戦わねばならない。料理と同じ、いつもの事だった。

 後の問題は、このお姉さんにどの程度のやる気があるのか、という事。

 悠午の姉に曰く、


 『最も強いのは動機(・・)有る者である』


 意志、と言わないあたりが、全くあの姉らしい。

 才能も技術も動機に比べれば後付けに過ぎず、目的を成す為の絶対に譲れない動機が有る者こそが、最終的に事を成し遂げるのだ、と。

 小春は、必要を感じて強くなろうとしている。一応資格はクリアしているか。

 それがどの程度強い動機かは、それこそ試してみなければ分からないのだろう。


「や、やる! お願い、教えて!!」

「…………分かりました、出来る限りやってみます」


 こうして村瀬悠午は、奇妙なところで初めての弟子を取る事となる。

 それは小春にとってこれまでの人生を変える挑戦であり、そして悠午には想像だにしなかった己の武道の追及ともなった。



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