002:伝統的パワープレイヤー
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年が明けた一月一日、元旦の朝の話である。
島根県、草薙ヶ原の山中に在る、広大な和風の屋敷。
山一つを丸々敷地に収めたそこには、屋内と屋外に跨った、開放型の大きな道場が存在していた。
この日、屋敷の中の人間は、ほとんどがその道場に集まっている。
世界中の降魔師の長とも言われる叢雲の一族、その本家『叢瀬』、村瀬家の年中行事、神前奉納試合の為だ。
「せいっ!!」
「ふうっ!」
サッカー場ほども広さがある板張りの道場にて、多くの門人が居並ぶ中、胴着姿の若者二人が技を交わしていた。
紺色の胴着袴を着た青年が、隙の無い鋭く華麗な回し蹴りの連撃を放っている。
黒の胴着を着た青年は、極めて鋭い相手の爪先を2~3ミリという差で見極めると、腰を落として蹴りを躱わし、同時に軸足を払う。
直後、黒い胴着の青年は回し蹴りの要領で、宙を泳いだ相手へ一撃を喰らわせていた。
「おお…………!」
「お見事」
技の見切り、攻撃のキレ、動作の淀みの無さ、スピードと精密さ。
あらゆる面で技量の高さを見せた黒い胴着の青年に、周囲からはどよめきと称賛の声が上がっていた。
「流石は悠午様ですな。兵藤の跡取りを文字通り一蹴とは」
「末恐ろしいものです。あの歳であれほどの技を修めるとは」
道場の上座には、一族と門人の高弟や重鎮達が陣取っていた。
中心となり、左右から青年を称える声を聴いているのは、白髪と髭を長く伸ばした老人だ。
村瀬蔵人。
村瀬本家の宗主にして、守護家の四家、八家、十六家、三十二家と続いていく大一族の長たる人物だった。
「…………詰まらん事をしおるわ」
その長が、言葉通りに詰まらなそうに零し、周囲の者達も一斉に言葉を引っ込める。
宗主の目は真っ直ぐに、次の試合をはじめたふたりの青年に向けられ、重鎮達も佇まいを正していた。
「技に走り過ぎだ。無駄な事ばかりしよる」
そう言う老人の見ている先では、黒い袴の青年が、白い袴の女性を宙に投げ飛ばしている。
腕を取ろうとした女性から逆に腕を取り、体裁きで重心を崩し、引くようにして引っ繰り返す。
四家のひとつ、武倉の次期当主を相手に見事な一本、と周囲の人間には見えたが、宗主はますます気に入らなそうに鼻を鳴らしていた。
「アレには技など必要無いというのに」
「唯理さまも、そのように仰ってましたね」
神妙な声色で呟く宗主に、片膝立ちで後ろに控える青年が言葉を返す。
返事があるとは思っていなかった老人は、少しバツが悪そうに沈黙した後、仏頂面を微笑に変えていた。
「あの子はワシより良く波動を読む。当然かも知れんがな。何せ、ここ100年でようやくの正当後継者故に、な」
「はっ…………」
今は米国とメキシコを行ったり来たりしている悠午の姉、村瀬唯理。
自分の血を引く、若い頃の妻の面影を残す孫娘を思い出し、威厳のある老子の頬が緩む。
しかし、すぐにまた溜息をついてしまった。
「アイツめ、向こうでテロを経験して一皮剥けたと思ったが、余計に姉を尊崇して帰ってきおった。それで、あの様よ」
姉の唯理は、頭が回りキレ者で、その技はシンプルにして日本刀の如く鋭い。
そして、最も重要な『叢雲の業』も、大師匠たる宗主に次ぐレベルと言われていた。
その姉も祖父と同意見で、「弟に細かい技は本来必要ない」と語っている。
だが、いかんせん悠午という少年が目標とするふたりが、揃って技の達人なのだ。
背中を追い掛けてしまうのは、これはもう仕方のない事ではある。
「器で言えば唯理以上だというのに、小手先の技ばかりに気を取られおって。うちは武道の道場ではないんだぞ」
そもそもタイプが違うだろうに、とブツブツ不満を零す宗主だったが、フと、妙な波動を感じて顔を上げた。
道場の中央では、黒い袴の悠午が百人組手かという程の勢いで、来る相手を片っ端から薙ぎ倒している。
100人程度、悠午なら準備運動にもならないだろうが。
「お師匠さま?」
宗主の後ろに控えていた、もうひとり。
落ち付いた雰囲気のある緋袴の女性が、老人の“気”が道場の周辺に配られているのを感じて声をかける。
しかし、恐らくは自分達にすら分からないほど微かな何かを感じ取っているのだろうと、それ以上は何も言わずに側控えを続けていた。
「ふむ…………?」
相手のひとりを背負い投げで吹っ飛ばした悠午も、少し怪訝な顔をして、自分の周りに視線を巡らせている。
宗主はひとつ、孫の感覚の鋭さを見て満足げに頷くと、上座におかれた床几(折り畳みイス)から立ち上がった。
「…………どれ」
「宗主?」
「大師匠様?」
何事かと、歳からは考えられない程に逞しい体躯の老人を、重鎮たちが驚いたように見上げる。
一族だけではない、『村瀬蔵人』という存在は、世界中の武人、軍人、降魔師と、力がモノを言う世界における人々にとっては偉大なる巨人であった。
その人物が、動く。
近しい人間であるほど、その老人は聳え立つ山のようにすら見えたという。
「一年の計は何とやら……。ひとつ、ワシがあやつの本気を引き出して見ようかのう」
長い顎髭を撫でつつ言う宗主に、上座から道場全体にどよめきが伝播する。
山、それも『叢雲』という太古から現在にまで連綿と続く長大な山脈が動いた。
村瀬の宗主であり、流派の総師である大師匠の技を直接見られるというのは、本来は一族の中でも非常に限られた者のみとなる。
それこそ、四家から八家の当主や、大師匠の直弟子くらいだろう。
一族のみならず、外からの人間も多く訪れている場で、総帥たる叢瀬蔵人が直接技を振るうというのは、前例に乏しい一大事であった。
と、思っているのは一族の重鎮だけで、本人は全然そんな事は考えていなかったが。
大騒ぎしおって、と宗主はうんざりする思いだ。
相談役の長老衆や各家の当主は、とかく『村瀬』の権威を口にしがちだが、それも結局は一族のブランドに固執しているだけなのだと、宗主も分かっていた。
「うわぁ…………」
そして、黒袴の凛々しい青年、悠午も、子供っぽい渋面になっていた。
横目で祖父を見ていて、明らかに自分のやり方がお気に召さない様子だったので、こうなるんじゃないか、という予感はしていたが。
「師匠……また庵の爺様達に嫌味言われるんじゃないの? 尻が軽いとかなんとか…………」
「フンッ! そんなのは知らんわい。神事の試し合いで、次期宗主候補をワシが自分で試そうというのだ。文句はあるまいよ」
「そうかなぁ…………」
そういう理屈は通じないと思うなぁ、と眉を顰める孫。
だが、悠午も武人の端くれで、こうして相対してしまった以上、是非も無し。
現在に実戦の武道と技術を伝える『叢瀬』において、試合の場に審判や行司といった人間は存在しない。
場に立ち会った瞬間に戦は始まっており、後は倒す者と倒される者、だたそれだけだった。
年の最初の神事とはいえ、毎年恒例という事でどこか緩んでいた門人や一族の人間も、宗主の試合を前に佇まいを正していた。
つられて、政治家や名士、軍人といった者達も、それぞれのやり方で佇まいを直す。
言葉が絶えた途端に、白髪の老人からは凄まじい覇気が放たれ、ただでさえ大柄な体躯が更に大きくなったように見えた。
武門の総帥に恥じない発“気”。
祖父と孫の関係だが、この手の事で肉親の情を挟んだ事は生まれてこの方一度も無く、悠午も真っ正面から宗主へ構え、
全く姿勢を変えないままに、一瞬で間合いを詰めていた。
悠午は強靭な足の指で宗主の足指を踏み、相手の初動を封じた上で重心の高い両肩を突き飛ばす。
上体が泳ぎ、姿勢が崩れた所で上から襲う算段だった。
ところが、宗主は足を踏ませたまま、上体を開いて当て身の圧力を流すと、腰を落として内側から掌底を放ち悠午の水月――――――肋骨の下――――――を打ちに来る。
これに対し、悠午も身体の前を開いて宗主の掌底を転がし、僅かな身体の捻りを使い接近距離で脇腹に掌底を放つ。
宗主はその手を一瞬で取りに来るが、悠午はその場から手を引き抜き、振り上げるように逆の掌底を打ち込みつつ、足は内股を刈りに行く。
「ぬあッ!!」
「ッぉお!?」
が、斜め上から力任せに振り下ろされる拳の槌打ちに、悠午はその場から飛び退かされていた。
宗主の踏み込みで、道場どころか山の一角が地震のように揺れる。
振り抜かれた腕が突風を巻き起こし、閉ざされていた道場の扉が内側から弾かれる。
強烈極まりない発気で心得の無い人間は失神し、あまりに巨大な力を感じた門人達は、零れんばかりに目を見張っていた。
何が起こったのか、理解出来たのは極少数。
一秒にも満たない間の技の交差に、付いて行ける者は本物の実力者だけだ。
「なんだか……えらく強引じゃね? 大人気ねー」
「そういうお前はまるでジジイのようなやり方をするのう。まだたったの14で、老け込むには早過ぎるだろうに」
子供っぽく不満を顔に出す青年、ではなく、実はまだ少年という歳の悠午。
身長が170センチを超えているので、見た目では高校生から大学生といった感じだったが、中身は本当に子供だったりする。
「悠午や、お前はまだまだ小さく纏まる時期ではない。唯理のような小器用なやり口を覚える前に、まずは心の赴くままにその力を振るってみるが良い。これから出逢うあらゆるモノで、その力を鏡のように映して見よ」
「…………どういう事?」
構えは解かないまま、いつもと違って暗示めいた事を言う祖父に、孫は意味が分からんと首を傾げる。
しかし宗主は答えず、身体を横に開いて両の拳を突き出す構え。
打撃戦の予告である。
孫としては、歳を考えて欲しい。
「フゥウウウウ…………」
宗主の“気”が山を覆う程大きくなり、冬眠していた動物が叩き起こされていた。
ひり付く程の覇気で、門人達の心臓が鷲掴みにされる。
「かッ! ハアッ!!」
対して、悠午も祖父のリクエストに応え、自分の気を押さえるのをやめた。
直後、天が落ちて来るかのような重圧に、ある程度の実力者さえ震え始める。
まだ波動に目覚めてもいないのに、余波だけでこれか、と祖父は内心でニンマリし、
床を踏み抜き、ケンカ腰の上段打ち下ろし。
悠午はその一撃を腕で叩き落とすと、カウンターで腰溜めから拳を振り上げる。
迎撃の衝撃波で周囲の人間が吹っ飛び、スカされた悠午の一撃が、10メートル以上高さのある天井に大穴を空けた。
「ふぅあッ!!」
「ッせー!!」
文字通りの地震脚から打ち出される膝を、悠午は掌底で力任せに押し返すと、その勢いのままに裏拳を叩き込む。
が、その腕が宗主に取られると、小手を返され投げられそうになった。
しかし、悠午はこれを腕力だけで止めると、逆に宗主の腕を捕まえ拳をオーバースイング。
悠午の拳に膨大な力が集中し、本来持っている力が身動ぎすると、それだけで世界を振動させる。
いざ放てば、打撃の威力はミサイルどころの話ではない。破壊出来ない物は存在しないだろう。
「フハハハハハ!!」
そんな防御不能の一撃を、宗主は哄笑を上げて受け流す。
離れていたにもかかわらず、ギャラリー諸共吹き飛ばされる道場の西面。
拳を振り抜いた一瞬の隙を突き、悠午の足を払った宗主は間髪入れずに蹴りを放った。
直撃を防いだ悠午の身体が一瞬浮き上がる。
空中戦上等。
悠午は宙を蹴ると、宗主の真上で拳を引き絞った。
見上げる宗主は、己の波動を最大に活性させて、その手に掌底を作る。
膨大な気が吹き荒れ、波動という世界の波紋が大きく震える、時間の流れが遅くなったかのような一瞬の間。
「どぉおおおおおおおおおおおらッッ!!」
「うぇああああ!!」
爆発したかのように、悠午がフルパワーの打撃を放ち、極限まで高められた波動の一撃がそれを空中で迎え撃った。
どちらも既に、ヒトの範疇には納められない、天災の如き業。
生命としての極致と、理に触れる力が衝突したその瞬間、世界は大きく揺さぶられる。
そして、壁面が無くなり、天井が崩れ、半壊した道場からは、黒い胴着の少年が姿を消していた。




