皇帝陛下の青い鳥
皇帝陛下は、青い鳥を飼っていました。
「鸞鳥」と呼ばれるその鳥は、歪で美しい 皇帝陛下の大事な宝物でした。
「公爵家で娘の婚約を祝う宴があるそうだ。その令嬢にお前の歌を贈ろうと思う」
「それが陛下の望みならば」
主の命に、青い鳥は恭しく頭を垂れます。
「手配はいつもの奴に任せてある。思うままに歌ってこい」
皇帝陛下は、笑顔で青い鳥を籠から解き放ちました。
――陛下が望まれるのならば、僕はどんな歌でも歌いましょう。
『贈り物』の支度を整える従者は、恍惚とした表情でつぶやきました。
「本当、鸞鳥様のお身体は綺麗だねえ」
生まれたままの姿の鸞鳥には、光の加減で七色に輝く、綺麗な瑠璃色の羽根が身体中から生えていました。
羽毛の中に時折覗く白磁の肌は、男でも女でもない子供の身体をしています。
「天使様もきっとこんな姿をしてるんだろうなぁ」
そう言いながら、従者は鸞鳥にきらびやかな衣装を着せていきます。
「天使なら、身も心ももっと清らかでしょうよ」
鸞鳥は従者に身をゆだねながら、そう吐き捨てるだけでした。
――僕は、無垢な色とカタチを持ち合せていない。多くのモノを持ち合せて、ひどく歪にできている。
豪奢に飾り付けられて、青い鳥は従者の手で公爵家へと運ばれていきます。
光の射さぬ箱の中、鸞鳥は陛下の言葉を思い返していました。
《どうする、令嬢がお前の歌と美貌に惚れたら? いや、お前が彼女に惚れるかもしれないか》
――そんな事、あるはずがない。
《もしそうなったら、お前の好きに行動していいんだぞ》
――その時の答えなど、一つしかない。
やがて……宴の席で鳥を包む殻が割られ、青い鳥は外へと解き放たれました。
賓客らの驚きと感嘆の声に迎えられ、青い鳥は宴の席に極上の歌を捧げました。
歌を終えた鸞鳥は、公爵令嬢に招かれ、バルコニーで二人きりで話をする事になりました。
「とても素敵な歌をありがとうございます」
「いえ。陛下のたっての願いでしたから」
彼女の賛辞の言葉に、鳥は淡々と言葉を返すだけです。
「陛下ったら、そんなお気遣いを……!」
令嬢は、花のような可憐な笑顔をほころばせます。
「本当は本人が来れるのが一番だったのでしょうけれど」
青い鳥の言葉に、娘は小さく首を横に振りました。
「いえ、分かってます。いずれ夫婦になるとはいえ、あの方は皇帝陛下。
契る前の娘ごときが、おいそれと会えるわけではないと。……婚礼の儀までの辛抱ですのね」
そう言って、彼女は小さくため息をつきました。
「ねえ、鸞鳥様は恋をしたことはありますの?」
貴族の娘は、青い鳥に尋ねました。
「さあ……自分ではよく分かりません」
「まあ、あんなに素敵な恋の歌を歌ってらしたのに」
令嬢は、不思議そうに首をかしげました。
「それはきっと、恋の生む揺らぎが、たまたま私の心のカタチと似ているだけなのでしょう」
「あんな素敵な歌を紡げるなんて、鸞鳥様は美しい心をお持ちなのですね」
――きっと彼女に他意は無い。けれどそれは極上の皮肉じゃないか。
「鸞鳥様。……私は、あなたのように優れた技術も容姿も持ち合わせていません。
けれど、陛下を慕う心だけは、あなたにも負けないつもりです」
娘は、青い鳥に静かに語りかけました。
「私が陛下と結婚したら、私たち二人は陛下を支える仲間、という事になりますわよね?」
「……そうですね」
その一言を絞り出すだけなのに、青い鳥には、息が詰まるような心地でした。
「ねえ、お友達になりましょう。なにせ陛下を慕う者同士ですもの」
青い鳥に、白く細い手と、無垢で無邪気な笑顔が差し出されました。
――ああ、この人の方が、僕よりよっぽど天使のようじゃないか。
宴の席から遠く……夜の庭園の片隅で、青い鳥は従者と再会しました。
「やあ、鸞鳥様」
「そちらの首尾はどうでした」
青い鳥が尋ねると、従者はニッといつもの軽薄な笑みを浮かべます。
「完璧。公爵様が婚姻を利用して帝室を転覆させようという計画。裏は取れたし、キッチリ始末もしたよ。
明日になりゃ、全てが白日の下に晒される。あとは、勝手に事が運ぶさ」
そう言ってから、従者は思い出したように付け加えます。
「ああでも、あのお嬢さんは今のうちに鸞鳥様の好きにすればいいさ。陛下から、その許可は貰ってるんだろう?」
「ええ、そうですね」
――行かなければならない。やっとできた大事なモノを、守るために。
夜も更けた頃。
鸞鳥は、令嬢の部屋のバルコニーへと飛んできて、窓を小さくノックしました。
それに気付いた令嬢は少し驚いた様子でしたが、鳥を部屋へ招き入れてくれました。
「どうしましたの、鸞鳥様。こんな夜遅くに」
「これから僕は陛下の元へ帰るのですが、その前に貴女に頼みがあるんです」
「まあ、なんでもおっしゃってください」
彼女は素直に応じてくれた。
「……僕たちの友情の証が欲しいのです」
「ええ。私に用意できるものなら、何でも」
疑いもせず、彼女は即答します。
「どうか、僕が壊れてしまわないように、貴女を」
■ ■ ■
人の心は魔法を生む。
心の形が、その歪が、その姿と世界を歪める力となる。
青い鳥がまだ人であった頃。
その子の心はひどく歪んでいました。
ゆえにその子は常人とは異なる価値観の下、あらゆる魔法を自在に振るい、様々な災厄をもたらしました。
やがて、その恐るべき子供は帝国の魔術師たちに捕らえられ、さえずる機械として調律されました。
皇帝陛下に絶対服従する、美しく従順な兵器となるように。
男でも女でもなく、人でも鳥でもない。年もとらず劣化もしない、ただ皇帝の思うままにさえずり殺戮する美術品にして化け物に。
そうして青い鳥として作り替えられた『僕』は、若き皇帝陛下に献上される事となりました。
元より歪みきっていた心を、さらに激しく作りかえられて。様々な欲求を、全て皇帝への忠義へとすりかえられて。
そうして僕は、ただ一つの支えにすがって、生きなければならない身体になりました。
「公爵家、宴の直後の惨劇。一族は全員焼死か……」
青い鳥の鳥籠の前で、皇帝陛下は気だるげに書類を読みあげた。
「公爵の謀反の証拠は……ま、すでに回収はしてあったし問題はなし、と。今回は派手にやったな。抜かりは無いな?」
「ええ。間違い無く、一人も残さずに終わらせました」
「そうか。今回の宴は楽しかったか?」
「……」
僕は答えられなった。珍しく、今回は任務を完遂しても気は晴れなかったのだ。
無抵抗な人々の虐殺も、何も知らない女子供を暗殺する事も、何度も経験してきている。
その度に薄っぺらい罪悪感を破壊と殺戮の歓喜で塗りつぶしてきたというのに。
果たして彼女を殺すのは、最善だったのか?
もしかしたら彼女は父の陰謀など露ほども知らず、純粋な思慕によって陛下に尽くす良き妻になったかもしれない。
今回の件で家族を失い没落しても、彼女はたくましく生きて、どこかで幸せを掴んだかもしれない。
その輝かしい可能性を、僕の判断……というよりは完全な私情で葬ったのだ。
様々な想いが入り混じり、炎となって彼女とその家を盛大に焼いた。
あの子は僕よりずっと無垢で美しかった。僕よりずっと陛下にふさわしかった。違う違う違うあいつは叛意ある公爵の子供だった血は絶やさねばならない!ああもし彼女が純粋な善意と友情で僕を愛してくれたとしてあの子も『大切』になってしまったら僕の歪みはどうなってしまう?正常な思いが芽生えるのが怖かった正しい想いが芽生えたら僕は僕でなくなってしまう鸞鳥でない僕に存在価値などないというのにあの女は僕を乱したのだだからこれは正当防衛であって
「なあ、俺の可愛い青い鳥」
様々な思いがぐちゃぐちゃに混じり合う頭の中に、陛下の優しい声が届いた。
「気に病むな。お前の望みは全て正しい。お前がどれだけ己を否定しようと、俺はお前を肯定してやる」
事も無げに陛下は言う。あの子の笑顔と同じ、屈託の無い無邪気な笑顔で。
……ああ、そうだ。
正義を歪めてでも僕を受け入れるあなたに、僕はどうしようもなく惹かれている。
この想いが調律によるものか、それとも僕自身の感情なのか、僕には分からない。
彼の真意さえ、僕には計り知れない。
「さあ、歌っておくれ俺の青い鳥。お前の歌だけが俺の世界を確かなものにしてくれる」
それでも僕は、今日もまた彼のためだけに……歌うのだ。
それが自身の幸せだと信じて疑わずに。
■ ■ ■
当代の若き皇帝陛下は、古いしきたりにとらわれぬ破天荒な異端児としてもてはやされている。
歴史を重んじる貴族からの反発も強いが、それ以上に民衆たちに慕われている。
……そう。彼の内に抱えた深い闇は未だ、誰にも悟られてはいない。
――本当の異端は、誰?
――真の異端は、どこにある?