吐き気がしそうなほど・・・
苛めているとは言いにくいかもしれませんが、一部理不尽な発言が含まれているかもしれません。ご不快に思われる方は閲覧をご遠慮ください。
ああ、嫌だな。
すごく、すごく、嫌だ。
本当に、吐き気がしそうなほど・・・
「嫌いだよ。」
そう言うと、目の前の彼女はいつものように困った笑顔になった。
その笑顔の生温かさに吐き気が込み上げてきた。ぐちゃぐちゃに液化された粘土、もしくは味の付いていないバリュームを、喉元まで満腹の体に無理矢理飲まされたような気がした。
「そういう笑い方も嫌い。気持ち悪い。」
「うん、ごめんね。」
気持ち悪い。
一歩近づいてきたから、僕はさらにその姿に警戒した。
気持ち悪さは、近寄られる度に増すばかり。差し込む夕日の光が空気を暖めて、生温い。部屋の電気が点いていないせいで、赤みばかりが増す壁や床、天井が不気味だった。
「近寄るな。」
誰も、そう誰も。
僕に構うな。
昔から、うまく取り繕ってきたはずなのに、今回はうまくいかない。そつなくこなしていた頃の自分が分からなくなった。彼女には通じない。そう思った時、僕は彼女を直接拒絶した。
何回も、何回も、傷付けた。
言葉という、抗えない、見えない刃で、君を何度もずたずたにしてやった。その度に、君は今みたいなひどく寂しそうに、でも困ったように笑う。それが、鳥肌が立つほど気持ち悪くて、嫌いだった。
「何? 僕を憐れんでるわけ? 人を好きになれなくて可哀そうな僕を、自分だけが分かれるとかそんな自己陶酔に浸ってるんじゃないの?」
一度目の言葉で足を止め、悲しそうな顔をする君に二度目の言葉を突き刺す。
「私は・・・そんなつもりじゃ・・・。」
「気付いてないの? 醜いよね。自分は他とは違うんだとか、誰かを救えるとかイタイこと思ってる恥ずかしい人間てさ。」
他人の気持ちなんて分からない。だから、平気で推測をぶつけられるんだ。ぶつけられた本人がどれだけの痛みを味わっているかも分からないで。それは・・・そう、僕にも言えること。それは、過去に僕がされ続けてきたこと。
僕が吐いた言葉は、いつも君だけじゃなくて、自分をも抉るように傷付けているみたいで。それが尚更・・・
あぁ、醜くて嫌い。
なにも言わなくなってしまった彼女を無視して、僕は鞄を乱暴に掴んで帰ろうとした。
「・・・ひっく。」
振り返らなくても分かる、あからさまな嗚咽。僕のささくれ立った精神がさらに刺激されて、苛立ちと不快感が増す。
「・・・なにそれ、何で泣くわけ? 君が僕に近付くのがいけないんだろう?」
泣かれるのは面倒だ。女なんてそんなモノ。最後には、涙を流せば構ってもらえると思っているのが気色悪い。
「あのさ、思い上がるのも大概にしたら? 僕は君のこと好きじゃない。君もね、僕みたいな人間じゃなくて、もっと優しい人を好きになりなよ。」
彼女を拒絶し始めたのは、彼女が僕の事を好きだと言った日から。
ごめんね、君の事は友達以上に思えないと。
友達なんて一切思ってないくせによく言うと、内心、冷静な自分が自分を笑っていた。
思ってもいない言葉を吐いて、それなりの距離と偽物の優しさで突き放した時に諦めていれば、君は今こんなに傷付く事もなかったのにね。
馬鹿だよね、なけなしの優しさがまだ僕にあったうちに、僕を忘れればよかったのにさ。
あの時言われた言葉が脳裏を掠める。
──貴方は・・・
「──・・・よ。」
「えっ?」
「貴方以上に他人を思い遣れる、優しい人はいないよ。」
「・・・っ。」
怒りで目の前が真っ赤になりながら、僕はそれ以上の戦慄で肌が粟立った。一瞬で駆け抜けた冷気が、不快感を真っ白にする。
人間が嫌いな僕は、誰かを愛する事や慈しむ事ができない。傷付いた人間がどれだけの痛みを受けるかも分からない。ただ、過去に体験した事が再現されるって事だけは分かる。
誰にも信じてもらえず、押さえ付けられ、僕と言う存在を殺され続け、勝手に産んでおいた挙句、生まれてこなければよかったのにと、全てを否定された。
何も感じない心が、罅割れた様に小さく痛んで、罅割れから胸の中にあったモノが全部漏れ出して、何もかもが空っぽになった。
僕は、何も感じない。いや、何も感じられなくなった。
でも、過去に何を感じていたかは知っている。
僕が同じ事を繰り返してしまうと知っているから、僕は・・・誰かが僕に近付かないようにしたかった。
半分の、本当。建前にも似た、他人に押し付けたい僕の弱さ。
「・・・ほんと、君ってうざいよね。」
思い上がるなよ。
そう言い残して、君の前から立ち去った。まるで逃げるみたいな自分が笑えた。
──貴方は・・・怖いから、威嚇しているの?
「・・・あぁ、そうだよ。」
他人が、人間が怖いよ。
ただひたすらに、誰かを貶め、虐げて、傷付けて、なのに責任は被害者に押し付けて。嘘も真実も同じ口から同じように紡がれて、信じた者を影で嘲笑って。従わない弱者は力で詰り果たして。それでもまだ足りないというように、身も心もぼろぼろになっても弄んで。
自分自身を守れるのは自分だけなのだと、死以外の約束は決して守られはしないのだと知れば知る程、僕は怖くて、より臆病になった。
ならばいっそ、誰にも心の内を、こんな弱い、臆病な僕を知られないように繕えば、生き抜けるのではないかと思えたのに。なのに・・・。
君に・・・何故かばれてしまった。
僕の行動の端々について核心に触れる君が怖かった。本心を曝け出したら、きっと僕は駄目になってしまう。何かに寄りかかってしまったら、それが失われた時生きていけない。
この世界で、自分一人で生きていけなければ、のたれ死にするだけだ。
親も、兄弟も、親戚も、教師も友達も、何もかも・・・絶対に助けてなんかくれない。
だから、当然、君の前では取り繕って、距離を保とうとしたのに。
君は、僕の一番近くに居たいと言ってきた。
僕を底まで理解しながら、近づく理由が分からなくて警戒して、拒絶した。拒絶するたびにさらに近くに来ようとする君を、さらに傷付ける。それの繰り返しが、僕を苛む。
僕を見抜いてしまった、君。それと同時に、僕を唯一理解してくれるかもしれない、君。
だけど、どうしていいか分からない。
信じたら、裏切られた時に二度と立ち上がれない。そんな苦しみを味わうのが怖いから、僕はずっと君を拒絶し続けるのだろう。
あぁ、でも・・・
『吐き気がしそうなほど・・・君を切り刻む僕が嫌いです。』
本当は、寄り添いたい。僕は君が怖いけれど、君を嫌いだと思ったことはないのだから。