2.悪役令嬢は、ビビビッ(運命)を感じる!
事態の収拾は、帰宅後すぐに始まった。
学園での騒動はその日のうちに両家へ伝わり、ランカスター伯爵家は居合わせた生徒たちの証言を集めて回った。
アンジェリカの負傷も医師が確認し、話はすぐに学園内の揉め事では済まないものとなった。
そうして、アンジェリカとエリックの婚約は破棄する方針で話が進んだ。
調べが進むうちに不貞が明るみに出て、有責はリツェンハイン伯爵家側にあるとされた。
二人の関係が度を越していた証拠が、わんさか出たのだ。
放課後の空き教室への出入りを複数人が証言し、休日の宿泊や別邸の利用記録まで見つかる始末。
破廉恥の極みたる証拠がこれでもかと並べられては、さしものエリックも口を開くたびに墓穴を広げるばかりである。
とはいえ、プリンスタイン男爵家に賠償能力はない。
ミシェルを退学にしても、今度は責任の押しつけ合いが始まるだけだった。
彼女は以前から、婚約者のいる他家の令息にも軽率な接触を重ね、実際に縁談を乱したこともあったらしい。
不快に思っていた家は一つではなく、今回の件を機に、あちこちから賠償の話が持ち上がった。
しかも今回の一件で過去の揉め事まで表面化し、リツェンハイン伯爵家は家名の傷をこれ以上広げぬため、示談の整理ごと引き受ける羽目になった。
それから揉めに揉めた結果、伯爵家は自家の不始末としてミシェルを引き取り、エリック本人に背負わせる形で婚姻を決めた。
恋愛の末の結婚ではない。責任の置き場を決めるための処理である。
周囲では、プリンスタイン男爵家が船底のフジツボのようにへばりつき、最後には厄介ごと伯爵家へ食い込んだと噂されている。あっぱれ。
その整理と処分の確定には時間を要し、すべての処理が終わったのは王立学園の卒業を控えた頃だ。
結果として、エリックはその時期に廃嫡された。
当面は家に残されるものの、廃嫡された以上、家の中での立場は大きく落ちる。
次期当主となる十二歳の弟が成人すれば、その補佐に回される方針らしい。
もっとも、その先まで安泰とは言い難い。
なんせ、兄弟仲は悪くはないが、良くもないので。
さらにリツェンハイン伯爵家は、家督争いの火種を増やさぬため、ミシェルとは籍だけ入れさせたうえで別に住まわせ、子ができぬよう人を付けて目を光らせているという。
表向きには、「あんな親のもとに生まれる子が不憫だから」という話になっているとか。
もっともである。
アンジェリカは、その報告を淡々と聞いた。
あの二人がどうなろうと、もう興味はない。自分たちで招いた末路だ。
こうして、アンジェリカは勝利した。
だが、話はそこで終わらなかった。
報告を終えた父が、書面を置いて言ったのだ。
「さて、次はお前の番だ」
父の言う『次』こそが最大級の問題だった。
……そう、アンジェリカの新たな嫁ぎ先探しである。
これが難航した。かなり、難航した。
学園を卒業してから半年が過ぎても、縁談は決まらなかった。
現在、アンジェリカは十九歳。
普通の令嬢なら、遅くとも十三歳くらいまでには婚約者が決まっている。
何が言いたいかと言うと、十九歳で婚約者がいない令嬢はほとんどいない。
しかも、学園であれだけ目立ったあと。
アンジェリカに非がないと分かっていても、同世代の令息たちは目に見えて引いた──なんせ、「何あれ、こっわ……」という感想を持たれてしまった令嬢なのだから。
せめて、しおらしくシクシク泣いていれば、また違ったのだろうが、残念なことにアンジェリカは気が強かった。
被害者であることと、関わりたくないと思われることは別である。
しかも、その被害者が強いのでは擁護欲など生まれない。
昼ドラのトンデモお姑さんも顔負けの立ち回りだったのだから、無理もない。アーメン。
加えて、条件の良い相手はすでに決まっている。
残っているのは、年齢が親子ほどに離れているか、事情があるか、その両方。ジーザス。
有り体に言うならば、詰んでいた。オーマイゴッド。
そんなある日のことだった。
父が、アンジェリカを呼んだ。
「おいで、アンジェリカ」
書斎に入ると、父は机の上の書面を一通、絵姿を納めた冊子をこちらへ差し出した。
「釣書を持ってきた」
「そうだと思いましたわ」
アンジェリカは、つんとすました顔でそれを受け取った。
最初に見るのは書面のほうだ。
「ウィルフォード・グリーンウォルド侯爵様……お名前は耳にしたことがありますわね」
父が、ごほんと空咳をする。
「良いお方だよ、とても」
「そうですのね」
「ただ、国境勤めゆえ、気が強くて頭の回る奥方を望んでおられるそうだ。王都育ちの令嬢には、その暮らしを嫌がる者も多い」
「あらまあ」
「そのうえ、ご本人もあまり人気がなくてな。条件はいいのに、縁談がなかなかまとまらん」
「へえ」
聞き流して、アンジェリカは書面を読んでいく。
ウィルフォード・グリーンウォルド侯爵。
二十七歳。
両親を早くになくし、十代で当主となり、以降『門番』として国境を守っている。
国境の砦に屋敷を構え、現地で指揮を執っている国境守備隊の最高責任者。
国王の覚えもよく、勤務ぶりは堅実。部下からの信頼も厚い。家柄も立場も申し分ない。
書面の前半は、いいことばかり書かれている。
その一方で──王都から遠く、交通の便もよくない国境付近。そんな場所に屋敷を構えている。
さらに、七年前に婚約歴あり。相手の不義で破談と小さな文字で書かれている。
アンジェリカは紙から目を離した。
「婚活市場での人気はなさそうですわね」
「女性人気は……うん、ないな。でも、男の目からすると、格好良いよ。当たりだよ」
つまり、『醜男』ということだろう。
男から支持を集めている男と言うのは一様にそうである(※ド偏見)。
「……ふうん」
アンジェリカは軽く頷き、書面の下に挟まっていた絵姿の冊子へ手を伸ばす。
「では、『当たり』の見た目を拝見いたしますわ」
表紙を開く。
次の瞬間、アンジェリカの手が止まった。
クワッ! と目が見開く。
「……!」
父の眉が上がる。
「どうした」
「か、か、か……」
「『か』? なんだ、どうしたんだ?」
絵姿には、醜男など描かれていなかった。
黒髪。鋭い目。頬に走る古傷。広い肩。厚い胸板。軍装の上からでも分かる大柄な体つき。愛想のない顔。
華やかではない。甘くもない。煌びやかでもないし、きざったらしくもない。
だが、いい!
そこがいい!
すんごく、いい……!
ビビビビビビッ!!
語彙力は死んだ。
こんなときこそ、得意の詩で彼を表すべきなのに『いい』しか思いつかない。
人間という愚かな生き物は、本当の本当に真実『好き』であるものの良さをぴったり言語化することはできないのだ。
アンジェリカは大いなる学びを得た。
それはさて置き。
アンジェリカは冊子を両手で掴んで叫んだ。
「かっこいいですわ~~!」
父が、腐った魚を嗅いだ猫みたいな顔で固まった。
「え?」
「お顔がとってもいいではありませんの!」
「……そう、か?」
「そうですわよ!」
「まあ、確かにいい面構えではあるな」
アンジェリカは絵姿を机の上に広げ、ウィルフォードの目の上にある傷跡を指でなぞる。
「この傷がたまりませんわね、実に良いです」
引き続き語彙力が死んでいるアンジェリカである。
「パパはお前が、てっきり嫌がるかと……」
「はあ? なぜですの!?」
「もっと華やかな相手を好むのかな、と」
「ああ、お父様……」
アンジェリカは左右に首を振り、真顔で続ける。
「私の男の趣味を見誤っておいでですわ!」
「そ、そうか……すまん」
「お会いできますの? 会いたいですわ!」
「話が早いな」
「これほどの条件の方、逃してはなりませんもの! 早くしないと取られてしまいますわ!」
「取られないと思う」
「いいえ!」
アンジェリカは絵姿から目を離さないまま、きっぱりと言った。
「急がなければ取られてしまいます! この縁談、早急に進めてくださいまし!」
◇
翌朝の朝食の席で、アンジェリカは宣言した。
「ウィルフォード様に王都まで来ていただくのは申し訳ありませんから、私が参りますわ」
ナイフを入れていた父の手が止まった。
母は紅茶のカップを持ち上げたまま、楽しそうに娘を見る。
出産したばかりの義姉は部屋で休んでおり、王宮勤めの次兄は今朝は不在だった。
席にいる長兄と三兄だけが、また何か言い出したな、という顔でアンジェリカを見た。
長兄は、妻がこの場にいなくてよかったと、ひそかに胸をなで下ろしている。
アンジェリカは構わず続ける。
「万が一、お断りされそうでしたら、その場に居座ります。何なら既成事実を作って、そのまま住みつきますわ!」
長兄が盛大にむせた。三兄はパンを持ったまま、時が止まった置物と化す。
「アンジェリカ?」
低い声が名を呼ぶ。
「はい、お父様」
「既成事実の意味を分かっているのかい?」
「まあ、お父様ったら。いつまでも子供扱いされては困ります。私、その場に応じて最善を尽くせますのよ」
「……なんてこった」
父子の会話に、母が扇子で口元を隠しながら笑う。
「あらあら。この子ったら、血には抗えないのねえ。若い頃のわたくしにそっくりだわ。おほほほほ」
父は頭を抱えたが、反対はしなかった。というか、できなかった。……ぐぬぬ。
長兄が咳払いをして、水を飲む。
「まあ、相手が迷惑でなければ、別にいいんじゃないか?」
「迷惑じゃないならな……」
三兄がぼそりと落とした言葉は、食器の音に重なり、アンジェリカの耳に届くことはなかった。
父は深く息を吐き、ようやく折れた。
「先触れを出すから、勝手に屋敷へ突撃するなよ? あと、既成事実も作るな。分かったな?」
強めの口調の父にも、娘はなんのその。
「お会いしに行ってもよろしいのですね?」
「話、聞いてた?」
「ありがとうございます、お父様!」
聞いていない。
父はそう言いたげだったが、もう遅い。
アンジェリカの頭の中は、国境の砦と黒髪の侯爵でいっぱいだった。
話が決まってしまえば、坂を転がる石どころではない。
雪崩である。
旅支度はその日のうちに済み、数日後にはランカスター伯爵家の馬車が王都を出た。
アンジェリカの強行に男衆は慄き、母は「私の血ねえ」ところころ笑っていた。




