第8話 ほんとうの願い
バイクのエンジン音だけが夜道に響く。ハンドルを握る手には力が入りすぎ、指先が痺れていた。
自分でも、どうしてだかわからない。気づけば、自分は、元妻の実家へ向かっている。
社会の中心から、外側に向かって押し出されていく。違う。自分から出ていくんだ。
もう夫婦ではない。会えば迷惑に決まっている。ストーカーだ。それでも、止まれなかった。
当然、拒絶される。
ちゃんと拒絶されてから、何か人を傷つけない罪を犯して、刑務所に行く。
健吾と同じ場所に入れるはずはない。けれど、今度こそ、約束を守りたい。その姿勢を示したい。
玄関の灯りがともっていた。インターホンを押す指が震える。扉が開き、彼女が顔を出した。
「あなた、どうして? なに、その格好」
驚きと呆れの入り混じった声。胸がきしむ。けれど言葉は止められなかった。
「俺と、付き合ってくれないだろうか」
「無理でしょ、普通」
「再婚じゃなくていい。死ぬ前に、一度だけでいい。君とデートがしたい。ずっと、君のことが好きだったんだ」
言い終えたとき、足元の地面が揺らいだ気がした。自分の声が、誰か他人のもののように響く。
彼女は目を伏せ、しばらく黙ったまま。そしてため息をついた。
「デートくらいなら、いいけど。でも、それっきりよ」
「本当に?」
「ただし、その汚いバイクには乗らないからね」
返事を聞いた瞬間、胸が高鳴った。こんな気持ちが、まだ残っていたなんて。
何もかも捨ててきた。仕事も、家も、母との繋がりすら。それでも彼女のことだけは、どうしても捨てられなかった。
「君のことだけが……大切なんだ」
社会の中心から、外側に向かって押し出されていく。違う。自分から出ていくんだ。
「遅いわよ」
短く放たれた言葉に、三十年という歳月の重みが詰まっていた。
「デートねぇ……」
彼女は一拍置き、ほんの少し口角を上げた。
「じゃあ私、豪華客船に乗りたい」
SIDE-Aの完結までお読みいただき、誠にありがとうございました。
SIDE-B、妻の視点も、お楽しみいただけたら幸いです。
引き続き、よろしくお願い致します。