第7話 岬にて
曇り空の下、岬の先端へ向かってバイクを走らせた。
海は水銀みたいに重く、粘り気さえ感じられた。雲の切れ間から射す光の筋が、その海を部分的に照らしている。
岬の突端には、屋根付きの小さな休憩所があった。壁際には「命の電話」が設置されている。
到着して間もなく、健吾が口を開いた。
「京介。俺のバイク、多分、もうダメだわ」
「修理代、出すよ」
「いや、もういい」
嫌な予感がした。
健吾はヘルメットを外し、海風に薄くなった髪を揺らしながら、しばらく黙っていた。
そして、ぽつりと呟くように言った。
「俺、真面目に生きてきたんだ。でも、ダメだった」
健吾の声が、水銀に吸い込まれていく。
「奥さんに浮気されてさ。気づいたら、浮気相手を刺してたんだ。奥さんのこと、大切にしてたつもりなのにな。なんで……かな」
規則的な波の音だけが、聞こえている。
「なにがいけなかったのか、わからないんだ」
「うん」
「俺なりに、ずっと頑張ってきたんだよ。真面目にやってきた。それなのに」
「うん」
四十年前、グラウンドで必死に声を張り上げていた健吾の姿が、すぐそこに、確かに見えた。
真面目で、誠実。それだけじゃ、足りないというのか。
「俺、ここで死ぬつもりだった」
「うん」
「でも。京介にまた会えて。楽しくて。まだ、生きていたいって思った」
「うん」
健吾の、あの頃よりもずっと細くて白くなった手が「命の電話」の受話器を取った。
「自首するよ。この電話の使い方、間違ってるかもしれないけど」
「違うだろうな」
健吾は振り返り、笑った。
疲れ果てた笑みだった。しかしその笑顔は、昔と何も変わっていない。ただ、真っ直ぐだった。
「京介、いつかまた、俺と枕投げしてくれるか?」
迷いなど、なかった。
「俺も、何かやらかして、いつか刑務所に行くさ。そこでまた、枕投げしようぜ」
二人は吹き出すように笑った。
潮風が強く吹き、雲の切れ間から、また光が差し込んだ。
その光の下に、二人の影が並んで伸びていた。
「さよなら、健吾。お前と会えて、本当によかった」