第8話 ほんとうの願い
母のために、冷凍された介護食を解凍していたとき。
インターホンが鳴った。
ヘルパーさんが来る予定はない。こんな時間に、誰だろう。警戒した。
ドアの覗き穴から、外を見た。夫がいた。それにしても、あの汚い格好は、何?
夫が、生きていた。
飛び出して行って、捕まえたい。
でも、ここで弱気は見せられないと思った。冷静に。夫が、前を向けているのか。どうしてもそれを確認しなければならない。
扉を開けた。
「あなた、どうして? なに、その格好」
本当は、嬉しかった。だから「どうして?」は、本心ではない。でも「なに、その格好」は、本心だ。とにかく、汚い。ここまで臭う。
夫が、私の目をまっすぐに見た。そんなこと、ずっとなかったのに。ドキドキした。
「俺と、付き合ってくれないだろうか」
「無理でしょ、普通」
「再婚じゃなくていい。死ぬ前に、一度だけでいい。君とデートがしたい。ずっと、君のことが好きだったんだ」
大丈夫だと思った。やり直せる。やり直したいと、強く願えた。
けれど、なんだか素直になれない。素直な自分を見せるのが恥ずかしいと思った。
私は、目を伏せて、しばらく黙ってしまった。そして、あろうことか、ため息までついてみせた。
「デートくらいなら、いいけど。でも、それっきりよ」
「本当に?」
「ただし、その汚いバイクには乗らないからね」
夫は、まっすぐな目線を、一切、逸さなかった。私は強く、強く見つめられた。
「君のことだけが……大切なんだ」
夫は、全く怯まなかった。夫は、変わっていた。前を向けていた!
社会なんて、そもそも信頼できるものじゃない。だからこそ、信頼できる相手が必要なんだよ。
「遅いわよ」
ちゃんと受け入れるんだ! ここで、許すんだ! 伝えるんだ!
「デートねぇ……」
私は一拍置いた。そして、いつか夫に再会できた時のためにと。ずっと練習していた、あの笑顔を作った。
社会なんて、そもそも信頼できるものじゃない。だから、私には、あなたが必要なの。
「じゃあ私、豪華客船に乗りたい」
短い物語ですが、こうして最後までお読みいただき、ありがとうございました。とても嬉しいです。
少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。
また、どこかでお会いしましょう。SIDE-C、需要ないですよね……
八海クエ
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