第1話 役職定年
社会の中心から、外側に向かって押し出されていく。
自分は、あと三ヶ月で役職定年を迎える。
給与は部長だった頃の七割程度に減額されるという。会社側の説明は淡々としていて、慰めの言葉すらない。
「これからも、若手の相談に乗ってやってください」
建前だ。これからは、そんな建前を「心の勲章」にして生きていかねばならない。
三十年以上、ただ黙々と会社に従ってきた。その歩みの果てに待っていたのは、見返りではなく、空白だった。
役職定年してから、本当の定年までも、数年しかない。それまでは、歯車の隙間を埋めるような仕事を割り当てられるのだろう。
若い頃に別の道を選んでいれば。もっと家族的な会社で働いていれば。そんな後悔が頭をよぎるが、時間は巻き戻せない。
住宅ローンはまだ残っている。水回りは古び、洗濯機は軋んだ音を立て、レンジは時折沈黙する。これからも、生活には金がかかる。
母の介護費用も重くのしかかっている。父の死後、母は認知症を患い、施設に入った。毎月の入居費は、十六万円もかかる。だが、国民年金しかもらえない母の収入は七万円弱。差額は、こちらが埋めている。
数字を並べるだけで、胸の奥が冷えた。
母には、早く死んでもらわないと困る。
そんな思いが、泥水のように湧き上がる。あってはならない考えだと、わかっている。しかし現実の重さが、この言葉を正当化しようとする。自分のことが、恐ろしくなる。
妻の顔も脳裏をかすめる。
パートと子育てだけに追われる人生を、彼女に背負わせてしまった。これからさらに給与が減ると伝えたとき、彼女は、どんな表情を見せるだろう。
やがて訪れる本当の定年。その先も嘱託として働けるらしいが、給与は現役時代の六割程度になるらしい。生活は、じわじわ、下へ下へと落ちていくだけ。
社会の中心から、外側に向かって押し出されていく。
その感覚が、皮膚に冷たくピタリと張り付いていた。
みなさま、初めまして。
八海クエ(やっかいクエ)と申します。
小説家になろう企画「秋の文芸展」向けに執筆した短編(物語全体で約12,000文字)です。
お忙しい中、その第1話を最後までお読みいただけたこと、大変光栄に存じます。
少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。