拝啓、私の王子様
こちらは「拝啓、あたしの王子様」の続編です。この話単体で読めるようにはなっていますが、前作を読んでいただくことをおすすめします。
拝啓、私の王子様
何十年も前、こんな書き出しの手紙を置いて行きました。覚えていますか?
あの時、あなたの顔を見てキッパリ別れられるほど、私は割り切れていませんでした。あなたと会ったら、縋ってしまう。だから、手紙を書くことを選びました。
あの手紙は、『あたし』が書いた最初で最後のラブレター。大好きだった恋人に、別れを告げるための書き置きでした。だから、今度は『私』として書こうと思います。ただ、あなたに愛を伝えるための、二枚目のラブレターを。
☆☆☆
「それではお嬢様、本日の授業はこれで終わります。しっかりと復習してくださいね」
「はい。ありがとうございました」
私は先生に向かって、習った通り一番綺麗に見えるようにお辞儀をする。すると先生は満足したように頷いて、部屋から出て行った。
(よし)
しっかりと扉が閉まったことを確認し、私は一目散にクローゼットへ向かう。1週間ぶりの自由時間だ。
「令嬢っていうのも大変よねぇ」
茶髪のかつらを被り、簡素なワンピースに着替えながらひとりごちる。平民として生きていた頃には考えられなかったような暮らしだ。お国の歴史から他国の言語、朝から晩まで勉強三昧。マナーにダンスもある上に、舞踏会やお茶会に出席しなければいけないし、何より常に人の目がある。私が抜け出せているのは、侍女たちが見逃してくれているからだ。
彼は、こんな窮屈な生活を送っていたんだろうか。いや、王子様なんてもっと厳しいか。あれだけ頻繁によく抜け出せたものだ。伯爵令嬢の私だって、多くて週に2回程度なのに。
「いい天気」
太陽に眩しさに目を細めなながら、さっさと伯爵邸から抜け出した私は、王都の平民街へと向かう。目的地は中心の噴水広場。平民街と言っても、王都の一部である以上、ある程度の整備はされている上、食堂や雑貨屋、露天など、常に賑わっているような場所だ。
「おや、アンじゃないか。1週間ぶりか?相変わらずいつ出てくるかわからんなぁ」
「こんにちは!やっと休みがもらえたのよ」
「アンちゃん!元気かい?」
「うん!おばさんも腰治ったー?」
「もう大丈夫さ!」
「よかった!」
噴水広場に向かうと、色々な人たちが話しかけてくれる。アン、とは私の名前であるアンジェリカをもじった偽名だ。三年前から時間ができるたびに足を運んでいるから、もうみんな顔見知りだ。
「今日も待つの?」
「うん……約束だから」
心配そうに尋ねてきた食堂の若女将に返事を返しながら、私は噴水に腰掛けた。今日も、彼を待つために。
(まぁ、来るわけないんだけどね)
なんせ相手はもう亡くなっているんだから。
(お茶、一緒に飲もうって約束したのになぁ)
ひどく一方的で、返事も聞けていない約束だったが。
突然だけど、私には前世の記憶がある。前世の私は貴族である今とは違い、平民のアンというこの噴水広場の近くの食堂の娘だった。そこそこ幸せに暮らしていた前世の私…『あたし』には恋人がいた。たまに食堂にきていた同い年の青年で、レオと名乗っていた。最初はただの客だった彼に惹かれて、仲良くなって、お祭りで告白されて、最後にはプロポーズまでされた。『あたし』はプロポーズも喜んで受けた。きっとあの時が、アンの人生で一番幸せだった。
だけど、レオは、この国の王子様だった。ゴロつきに襲われた時、騎士が出てきてあっという間に倒した後、彼らはレオに跪いたのだ。そして確かに言った、王太子殿下、と。
それから私は色々あって、この国から去ることにした。レオのことは大好きだったけど、その時彼には隣国の王女との縁談がきていた。身分の釣り合わない平民の恋人と結婚なんて、夢のまた夢だった。彼の荷物になりたくなくて、足枷なにりたくなくて、私は縁談の話を教えてきた、とある貴族の手を借りて、隣国へ旅だった。
その時に、一枚の手紙を書いたのだ。レオへの別れのラブレターを。そこに、年を取ったらこの場所で一緒にお茶を飲もう、と書いた。でも私は、約束を果たそうとこの国へ向かっている途中で病に罹り、命を落とした。
約束は、守れなかった。
「全く、アンも物好きねぇ、あのおじいちゃんみたい」
「…あのおじいちゃんって?」
飽きもせず、三年間通い続ける私を呆れたように笑う若女将。あのおじいちゃんって誰だろう。はじめて聞いた話だ。
「それがね…」
「おーい!ベルタ‼︎こっち来てくれ!!」
何かを言いかけた若女将…ベルタを彼女の旦那さんが大声で遮った。どうやら店で何かあったらしい。
「はーい!ごめん。行かなきゃ。この話はまた今度ね。」
おそらく二十代後半くらいの彼女は、パチっとウィンクを残して店へ戻って行った。その後ろ姿を見つめ、あぁなりたかったなと、思ってしまう。
もし、レオが王子じゃなかったら、『あたし』達も父さんの食堂を継いで、あんなふうに生活したいただろう。ありもしない、ただの夢物語だけど、何度思い浮かべたことか。
『あたし』が隣国へ行った後、レオは国王になった。一度は『あたし』を追いかけようとしていたと、国を出るのを手伝ってくれた貴族に聞いた。でも、彼は責任や義務を全て放り出すような人じゃない。ちゃんと、民を守る”王族”として決断をしたらしい。そして、彼は隣国の王女と結婚した。それを知った時、少なからず胸は痛んだけど、少し安心した。彼は前に進めてる、『あたし』がいなくったって大丈夫だと。また10年前、今の国王に譲位した後、さっさと隠居して、15年前に亡くなったそうだ。
「いい加減、私も諦めなくちゃね…」
前世みたいに高く結んだ髪が風で揺れた。もうじき私も婚約者が決まる。そうしたら、ここには来られなくなる。レオは進んだ。いつまでも、割り切れていないのは私だけだ。
「帰ろう」
色々なことを考えていたら、いつのまにか空が茜色に染まりかけていた。流石に帰らなければ。夕日に背中を押されるように、私は急いで噴水広場を後にした。
☆☆☆
「お嬢様!」
「どうしたの?」
自分の部屋に戻り、髪も解いて着替えてお茶を飲んでいると、侍女のヘレナが少し怒った様子で戻ってきた。自分の仕事を終わらせてからくるあたり、真面目なヘレナらしい。
「どうもこうもありません!夜会の前日にお出かけなさるのはおやめください、と言いましたでしょう!?どうして今日もいなかったのですか!早く寝ないとお肌のコンディションが!」
「あぁ、ごめんなさい。今日を逃したら一週間はいけないな、と思って」
明日は筆頭公爵家主催の公爵令嬢のお誕生日パーティーだ。公爵は父の上司であるため、面倒だけれど必ず参加しなければいけない。
(やっぱり令嬢生活って面倒だなぁ)
翌日、鏡の前に座り、髪を結われながらそう考える。正直なんでもやってもらえるこの生活に慣れてしまって、すぐに前世のような生活に戻れるとは思わないけれど、平民だった頃はなんでも気楽にできた。それに比べて、貴族はひとつのスキャンダルが命取りだ。自分の立場がなくなるだけではなく、家族に迷惑をかけてしまう。それは避けなければいけない。今世の優しい家族も、大好きだから。
「できましたよ、お嬢様」
ヘレナの言葉で、私は鏡の中の自分を見つめた。前世のようにありふれた茶色ではなく、アデライト伯爵家特有の銀色の髪。普段は下ろしているそれは、複雑に編み込まれていて、華やかにまとめられている。少し吊り気味の瞳は濃い青色で、前世と同じこともあって結構気に入っている。
(重いなぁ)
着ているドレスは華やかで、スタイルを引き立てるようなものだけれど、裾が長くて歩きにくいし、重い。これをヒールを履いて、なんでもないように優雅に歩くのだ。淑女というのは恐ろしい。
(本当に面倒臭い…)
「ありがとう。それじゃあ、行ってくるわね」
心の中でため息を吐きつつ、私は重い足取りで部屋から出た。
☆☆☆
目が眩んでしまいそうなほど輝く豪華なシャンデリア。女性達は華やかに着飾り、噂話に花を咲かせ、男性達は難しい政治の話をしつつ、お酒を楽しむ。まだ主役は登場していない。でももうそろそろだろう。
ザワッ
一際ざわめきが大きくなった。主役が来たのかと振り向くと、そこには、絶対にいるはずのない人物がいた。
「レ、オ」
入り口から堂々と入ってきたその青年は、いつかの彼、『あたし』の恋人だった、レオだった。
(なんで…)
私が状況を理解できずに呆然としていると、隣にいた父様が不思議そうな顔をして説明してくれた。
「レオ?あの方は第一王子のレナート殿下だよ?そうか、アンジェリカは会ったことはないね。殿下は1ヶ月前まで隣国へ留学されていてな。閣下の奥方は殿下の伯母君。ご令嬢は殿下の従姉妹に当たるから、このパーティに来たんだと思うよ」
「そ、う」
今代の第一王子ということは、レオの孫だ。顔も姿もそっくりだけれど、彼はレオではないらしい。分かってる。レオは十五年前に亡くなっているのだ。私が生まれた年に。
(っ)
その時、不意にこちらを向いた王子と目が合った。その姿も、仕草も、ちゃんと頭では別人だと理解したけれど、あまりにも似ていて、懐かしさと、愛しさが込み上げてきて、胸が詰まった。
「アンジェリカ?」
父様が驚いて声を上げる。頬に触れると、そこは涙で濡れていた。
「あ、え、ゴミかな?なんで…」
私は次々と溢れてくる涙を止めようと下を向く。私はこんなに彼に未練があったんだろうか。彼と別れたあの時から一歩も進めていない。
「少し、外に出てくるね」
「あ、あぁ。落ち着いたら戻っておいで」
突然泣き始めた私に驚きながら父様は送り出してくれた。もうすぐ公爵令嬢が入場するだろう。お祝いの挨拶までに戻らなければ。
「ありがとう」
父様にお礼を言いつつ私はバルコニーに向かう。感情がぐちゃぐちゃだ。
「はぁ…」
見上げた夜空は綺麗だった。この国を出て行ったあの時みたいだ。また目の端に涙がたまる。
「レオ…」
いつまで経っても諦めきれない。きっと私は未だに彼が好きなんだろう。我ながら執着じみていて嫌になる。
☆☆☆
『最後に会わなくていいのかい?』
『あんたがそれ言う?』
『確かにね』
『家族に挨拶できたからいいよ…今会ってきっぱり拒絶できる自信もないし』
軽口を叩きつつ、あたしは馬車に乗り込んだ。座るところはフワフワで、あたしじゃあ一生乗れなさそうな高級品だ。本当に援助を受けてしまっていいんだろうか。
『ご家族はなんて?』
『流石に寂しそうだったけど、ちゃんと話したらわかってくれたよ。まぁ、一ヶ月は一緒に過ごせたしね』
『そうか。すまないね、こっちの事情で国を出なければいけなくなって』
『お国のためって聞いたらしょうがないよ』
『本当にさっぱりした人だね、君は』
気安く話しているが、今目の前にいるのはこの国の宰相らしい。普通に暮らしていたら平民のあたしごときじゃお目にかかることもできないくらい偉い人だ。こんな口を聞いていい相手じゃない。
⦅さっぱりねぇ⦆
一応手紙を書き置いたけれど、あれだって面と向かって何回も別れようなんて言いたくなかったから。正直まだ好きだし、国だって出たくない。でも、未練がましい女だと思われるのも嫌だ。
『おぉ、今夜は満月ですね』
声に釣られて窓の外を見る。今日は九の月の十五日だ。一年に一番月が綺麗に見える日。確かに、雲ひとつない夜空にはまん丸な月が輝いていた。
『綺麗…』
あたしの心とは真逆な、なんも曇りもない、本当に綺麗な夜だった。
☆☆☆
(戻るか…)
思い出に浸って、なんだかしんみりとした気持ちになってしまった。会場内が騒がしくなった。公爵令嬢が登場したのだろう。彼女を祝う言葉が聞こえてくる。私も行かなければ、流石にお祝いもしないでここにい続けるのは失礼すぎる。
「父様」
「おぉ、アンジェリカ。大丈夫かい?」
「うん。ごめんなさい。やっぱりゴミが入っていたみたい」
「そうか。じゃあ、ご令嬢に挨拶に行こうか」
「はい」
私はバルコニーから会場に戻り、すぐ近くにいた父様に声をかけた。戻ってきた私にニコニコと笑いかけてくれる。いつも何か楽しそうな人で、センチメンタルになった気持ちが回復してくる。
「おぉ、アデライト伯爵!そちらはご令嬢かな?」
「閣下」
公爵閣下に近づくと、あちらが気づいて話しかけてくれた。実はこの二人は結構仲がいいらしい。職場の上司としか聞いていなかったが、よく二人でお酒を飲んで酔い潰れて帰ってくるし、公式の場でこそ敬語だけれど、普段はお互い呼び捨てだ。
「マリアベル嬢。本日はおめでとうございます」
「おめでとうございます」
「ありがとうございます。アンジェリカ様は、お久しぶりですね」
「はい。マリアベル様は本日も本当にお美しい。髪飾りがよくお似合いです」
「そう!お気に入りなのです」
彼女は頬を紅く染めて嬉しそうにはにかんだ。きっと隣国にいる婚約者様からの贈り物なのだろう。ドレスも髪飾りも紫色と金色で統一されている。あまりにもあけすけなその姿に、見知らぬ婚約者様からの圧が感じ取れる。私もマリアベル様にはお茶会などで何度か会ったことがある。特別親しかったわけではなかったけれど、優しくて気さくな方だ。
そのまま雑談をしていると、他の貴族が近寄ってきた。お祝いと挨拶だろう。主催者に挨拶をするのは社交会での最低限のマナーだ。
「では、ぜひ楽しんでくださいね」
「ありがとうございます」
マリアベル様と別れると、どこからか音楽が流れてきた。ファーストダンスはもう終わっているはずだから、参加者が好きなように踊るための時間だろう。まぁ、私の相手は父様くらいだし踊る必要もない。スイーツでも食べるとするか。
「父様。私あっちの…」
「失礼、ご令嬢」
公爵家自慢の菓子職人の作ったお菓子たちの元へ向かおうとしていると、そこへ誰かの声が割り込んだ。
(っ!)
誰だと思って後ろを振り向くと、そこには金髪に紅目を持つ、麗しい青年の姿があった。
(レ…あぁ)
違う。この人は第一王子殿下だ。レオではない。わかっているはずなのにやっぱり似すぎていて、どうしてもレオの姿が真っ先に脳裏にチラついてしまう。
「私に、貴方と踊る栄誉を与えてくださいませんか?」
そう言って差し出された手には、星形のアザがあった。
(綺麗な星形だなぁ。珍しい…じゃなくて)
もしかしなくてもこれはダンスのお誘いだ。甘い誘いを吐き、手を差し伸べる姿はとても様になっていて、周りの視線が集中しているのがわかる。もっとも、疑問形だけれど私に拒否権はない。それにしてもどうして私なんか。母様に似た私は結構目立つ容姿をしている。でも第一王子で隣国へ留学していたなら美人なんて飽きるほど見てきただろうし…
(考えるだけ無駄、か)
身分はあちらの方が圧倒的に上。第一王子からのダンスの誘いを断るなんて無礼な真似はできない。私は淑女教育で学んだ通りの言葉を述べて、できるだけ優雅に見えるように彼の手に自分の手をのせた。
「…はい。喜んで」
レオを重ねてしまわないように、微笑みを貼り付けながら。
☆☆☆
(やっぱり王子の行動は謎だなぁ)
舞踏会から三日後、私はまた噴水広場へ向かっていた。道は体に染み付いているから、考え事をしていながらでも迷うことはない。今の所は見逃してくれているけれど、どうせ護衛も隠れているから危険もない。結局、第一王子がなんで私をダンスに誘ったのかは最後までわからなかった。ダンス中に聞いてみても、上手く躱されてしまった上に、あの舞踏会で王子が踊ったのがマリアベル様以外に私だけだったから、あの後貴族たちに注目され続けていた。目立ちたくはなかったのに。気まぐれなのだろうか。理由ぐらい教えてくれたっていいのに。
「アン!来てたの!」
いつも通り、噴水の淵に腰をかけていると、ベルタが声をかけてきた。
「うん!仕事は大丈夫なの?」
ベルタは食堂の若女将だ。いくらお昼を過ぎたからと言って暇ではないだろう。
「休憩だよ。今日もお客が多くてね。疲れた〜!」
「お疲れ様」
彼女は私の横に座りつつ、手に持っていたサンドイッチを頬張った。具材はレタスにチーズにハムにトマト。定番だけれど、一番美味しいやつだ。ソースは食堂秘伝のものだろう。
「は〜。美味しい」
「それは旦那さん作?」
「そう!普段はバカなのに料理は美味しいんだから。一口食べる?」
「遠慮しとく。さっき食べたばっかりなんだよね。ありがとう」
美味しそうに食べるベルタを見て、ふとあることを思い出した。
「ねぇ、ベルタ。この間来た時にさ、私のこと『あのおじいちゃんみたい』って言ったよね?おじいちゃんって誰のこと?」
前回の別れ際、ベルタが言った『おじいちゃん』のことが気になっていたのだ。会話の流れ的に、私と同じようにこの噴水で誰かを待っていたみたいで、もしかしたら…
「ん、そういえばそんな話したっけね」
口元についたソースを親指で拭いながら、彼女は思い出すように空を見上げた。お手本みたいに晴れた空だ。
「私、小さい頃からこの噴水の周りを遊び場にしててね、人通りも多いし、家の手伝いとかが終わったらよくここで遊んでたんだ」
ベルタは懐かしそうに目を細めた。口元に笑みが浮かんでいるから、いい子供時代だったんだろう。
「10歳くらいの時かな?あぁ、ちょうど今の王様が王様になった年だ。その時から、日が傾いてくる時間まで、噴水に座り続けているお爺さんが現れたんだ。アンみたいにね。結構年は行ってる感じだったけど、優しくてちゃんとしてる人だったなぁ」
「…そのお爺さんって毎日きてたの?」
「うん。毎日2時間ちょっと、ずーっと噴水に座り続けてた。だから気になってね、おじいちゃんがくるようになってしばらくした時に話しかけたんだ。『なんで毎日ここにいるの?』ってそしたらおじいちゃん、なんて言ったと思う?」
「…私と同じって」
「そう。『ある人と待ち合わせをしていてね。歳を取ったら、ここで集合してお茶をしようって約束したんだ』って言ったんだよ…そう言えば、っアン!?どうしたの!?」
ベルタが困惑したような声をあげる。困らせている。分かっていたけど、私は顔を上げられなかった。舞踏会の時みたいに涙が溢れてる。
「レオ……」
(ごめんなさい。約束を守れなくて、ごめんなさい)
心の中で謝罪の言葉を並べる。もう届かない、意味なんてないのに、そんな言葉で埋め尽くされていた。
『そうだ。また、恋をしていたなんて忘れた、じいさんばあさんになったくらいにいつもの所で会って、お茶でもしようよ。約束ね。』
ひどく一方的で、レオの気持ちなんて考えてもない、あの手紙に書いた言葉を、彼は守ろうとしていた。ベルタが10歳ということは、今から十七年前だ。その頃には、『あたし』はもう死んでしまった。自分勝手で一方的な約束を突きつけて、何も言わずに国を出て行った女の戯言を、この国で一番偉いはずの彼が、果たそうとしていた。幾つになっても、レオはレオだった。
(ごめんなさい)
永遠の友人なんかじゃない。本当はずっと愛していた。重いと言われても、怖いと言われても、私は彼を想い続けるだろう。前世も、今世も。
「アン!」
「…ベルタ」
ふらふらと顔をあげると、そこには心配そうに私を見つめるベルタがいた。なぜかその姿に安堵してしまって。
「私ね…」
話すつもりなんてなかったのに、いつのまにか私は自分のことについてベルタに話していた。前世から、今世まで、『あたし』と『私』のことを、全部。
「アンがお貴族さまねぇ」
「えぇ。あんまり貴族らしい貴族とは言えないけどね」
全てを話し終える頃には、日が傾きかけていた。今更だけれど、店は大丈夫だろうか。ベルタに尋ねるけれど、旦那がどうにかするから大丈夫だと言われた。迷惑をかけてばかりだけど、頼もしい友達だ。
「あんたがここに通ってるのは、恋人との約束を守るためで、あのおじいちゃんが前の王様で、あんたの前世の恋人。だめだ頭がパンクしちゃいそう」
「もう、恋人だなんて名乗れるもんじゃないよ」
「そりゃそうよ。私ら平民と王子様なんて結ばれないし、無理したって絶対どっかで崩れる。いつまでも幸せに暮らしました。なんておとぎ話の中だけだよ。わかってたから、出て行ったんでしょ?」
「うん…」
季節に合わない冷たい風が、私たちの間を吹き抜ける。レオとアンは結ばれない。結局、いつまで待っても、死んだ人が会いにきてくれるわけじゃないし、『あたし』も生き返らない。もう少しだけ、ここに来続けよう。そうしたら、諦めるから。
そろそろ帰らなければ。またヘレナに怒られてしまう。流石にお説教は勘弁してもらいたい。
「ねぇ、ただの好奇心なんだけどさ」
「ん?」
私は帰ろうと上げた腰をまた落ち着け直す。さっきのしんみりとした感じではなく、少し楽しそうにベルタは言葉を続けた。
「王子様って、どんな感じだったの?イケメン?」
「ベルタ…そうね、かっこいいと思うよ。薄い茶髪に、紅い目の、甘い感じの…」
思っていたのと違う質問に面食らいつつ、私は彼の顔を思い浮かべた。思い出せば思い出すほど第一王子にそっくりだ。流石孫と言ったところだろうか。きっとあの髪色もカツラだったんだろう。今の私と同じように。
「薄い茶髪に、紅目の甘い感じのイケメンか……最近そんな感じの人、見たなぁ」
「え」
多分ベルタは面食いだ。嬉々としてその時のことを話し出した。
「4日前、フードを被った怪しい感じの男が、噴水に座っててね。やだなぁって思ってみてたら、風邪でフードがめくれて、その時見えた顔が!すっごいかっこよかったの!すぐにフード被り直しちゃったけど、ちょっと話しかけたんだ。そしたらその人も『待ち合わせをしているんだ』って言っ、て」
ばっと彼女がこっちを見る。偶然にしてはできすぎている気がする。レオそっくりな青年が、待ち合わせって…
「その人!次いつくるって言ってた!?」
「5日後だから…明日?」
「分かった」
私はすぐに立ち上がった。明日も来れるようにするなら、やらなくてはいけないことがたくさんある。
「ありがとうベルタ!明日も来るね!」
「気をつけてねー!」
ベルタの声を聞きながら、私は走り出した。
「あぁ、アンジェリカ。聞いて驚くんじゃないよ、王家からアンジェリカをレナート殿下の婚約者候補にするって連絡が…」
「ごめんなさい父様。気分が悪いから今日はもう寝るね。お話は明日聞くから」
屋敷に帰ると、父様が嬉しそうな顔をして話しかけてきた。でも、今はそれどころじゃない。父様には申し訳ないけど、後にしてほしい。頭の中は明日のことでいっぱいだった。
「そ、そうかい。大丈夫かい?医者を呼ぼう」
「多分寝たら治るよ。お医者さんは大丈夫。ありがとう、父様」
心配してくれている父様にお礼を言いつつ、私は部屋に引き篭もった。
後で、ちゃんと父様の話を聞いておけばよかったと後悔することを知らずに……
☆☆☆
「お嬢様〜!」
「どこですか〜!」
私を探し回るヘレナ達の声が聞こえる。それもそうだろう、結局今日の分の用事は終わらず、授業も抜け出してきたのだから。いつもなら全て終わらせてから抜け出すから見逃してくれていたけど、今日は大事な用事もあるらしいし、使用人総出で探しているみたいだ。
(っと)
いつもは裏門から出ていくけれど、今日は塀の穴から屋敷を抜け出した。防犯上この穴が残っているのはどうかと思うけれど、もしもの時のために放置しておいてよかった。ここならしばらく見つからないだろう。
(急がなきゃ)
私はカツラを被り、茶色い髪を高く結い上げながら走った。もしかしたら、彼に会えるかもしれないから。
「っはぁ、はぁ」
体力のない令嬢が恨めしい。前世だったら少し走ったくらいじゃ息なんて上がらなかったのに。
「アン」
「ベルタ」
なんとか噴水広場に着くと、ベルタが話しかけてきた。いつもおしゃべりな彼女にしては静かだった。
「あの人だよ」
目線で噴水を示す。そこには黒いフードを被った怪しい人物が座っていた。
「1時間くらい前からあそこにいるけど、ずーっと座ってる。何も食べないし、買わない。この前と同じだね」
「そう…」
私はもう一度噴水に腰をかける男を見つめる。やっぱり怪しい事この上ないけれど、体格的に若い男だろう。
(っ)
注がれ続ける視線に気がついたのか、男はこちらを向いた。その拍子に、深く被られたフードが剥がれ、男の顔があらわになった。薄い茶髪に紅い目の整った顔立ちの、見覚えしかない顔だった。宰相に頼み込んで手に入れた、国を出てから、いつも持ち歩いていたペンダントに入っていた写真の人物。
私を視界に納めた彼は驚いたように瞳を見開いた。そんな姿も愛おしいと思ってしまうのは重症だろうか。
私は彼に近付いていく。普通に歩いているはずなのに、時間が進むのがひどくゆっくりに感じる。
「『あたしの名前はアン。あなたは?』」
いつかと同じセリフを投げかける。初めて彼が食堂に来た時だっただろうか。何十年も前に、私が最初に投げかけた言葉だ。
「っは、『レオだ』」
これも、あの日と同じ言葉だ。やっぱり、この人はレオだった。何回も会いたいと願った愛しい人。何十年も忘れることができなかった人。
「お待たせ」
そう言って笑おうとしたけれど、上手くできなかった。また涙が溢れてくる。ここ数日で何回目だろうか。
「遅刻がすぎるね……会いたかったよ、アン」
彼が立ち上がって腕を広げる。その紅い瞳の端にも薄く水の膜が張っているように見える。私は躊躇うことなく、彼の胸に飛び込んだ。
「ごめん、なさい。約束…守れなくて…!」
「いいよ。今、会えたじゃないか。何十年でも待つよ」
「レオ…」
レオは泣きじゃくる私の背中を優しく叩く。まるで子供を落ち着かせる時みたいに。少し恥ずかしかったけれど、それよりもレオと会えたことが嬉しかった。
「ねぇアン」
「な、に?」
「好きだよ」
耳元で告げられたその言葉に、心臓が大きく跳ねる。驚いて彼の顔を見上げると、彼はあの頃みたいに、私の大好きな優しい笑みを浮かべていた。無意識に言葉が溢れる。
「私も、大好きよ」
どちらともなく、顔を寄せ合う。今世で初めてしたキスは、少し苦いチョコレートみたいな味がした。
☆☆☆
あれからさらに一ヶ月。
ここは王城の一角。私は王宮の文官の後ろを歩いていた。国の頂点の住居なだけあって廊下でさえ豪華なものだけれど、そこに注目する余裕は私になかった。澄ました顔を心掛けているけれど、少しでも気を抜いたら分厚いカーペットに足を取られて転びそうだった。ドレスの裾と高いヒールも相まって余計に大変だ。
(面倒だけど、今は令嬢であることに感謝しなきゃね)
「こちらです」
「…ありがとう」
ドアの前に立つ騎士によって大きな扉が開け放たれる。一歩中へ踏み出すと、そこにはローテーブルを挟んでソファが2台。おそらく高級品であるそれには、まだ誰も座っていなかった。
「おかけください」
今日は見合いだ。そろそろだろうと思っていたけど、初回の相手がまさかこんな大物だとは思わなかった。大して豊かなわけではない、一介の伯爵令嬢が選ばれるだなんて誰が想像しただろうか。
(…美味しいわね)
出されたお茶に口をつける。流石王城。使っている茶葉も、入れてくれる侍女の技術も最高級だ。
「…」
私は手に持った手紙を見つめる。あの日のやり直しをしたくて書いたものだ。渡す気満々できたけれど、なんだか自信がなくなってきた。手紙くらいで恥ずかしがる年でもないのに。
「いらっしゃいました」
文官の言葉にハッとし、隠しポケットに手紙を戻す。どうやら相手が来たようだ。私は椅子から立ち上がり、最上級の礼をとる。今すぐにでも足が攣りそうだ。
「顔をあげてくれ」
男物の革靴が視界に入り、上から聞いたことのある声が降ってくる。
「改めて、第一王子レナートだ。今日はよろしく頼む」
「アデライト伯爵家が娘、アンジェリカでございます。お目に掛かれて光栄です。よろしくお願いいたします」
軽く自己紹介をして椅子に座る。目の前に腰を下ろし、人の良さそうな笑みを浮かべた第一王子の顔は、やっぱりレオそっくりだった。
「ふふ」
「?」
さっきの茶番でしかない自己紹介を思い出して、笑いが込み上げてくる。それにしても演技が上手い。私は耐えられなかったけれど、彼は突然笑った私に不思議そうな表情を崩さない。
(あ)
よく見たら肩が震えている。表情は変わらないのに、必死に笑いを答えているのがわかって、さらに面白くなってきた。
「アンジェリカと呼んでもいいかい?私のこともレナートと呼んでくれ」
「ではレナート様、と」
込み上げてくる笑いを必死に抑えようとしながら、私は微笑を浮かべる。
そこからは、普通の見合いらしい、なんでもない話をした。趣味だとか、思い出話だとか、政治についてだとか。あちらは王子らしい、私は令嬢らしい回答を続けていた。お茶を2杯飲み終わった頃、レナートが立ち上がり、右腕を差し出しながら言った。
「ずっと座っているのも勿体無い。少し庭園を散歩しないか?」
「まぁ」
令嬢らしくフワッと微笑み、私は彼の腕に手をのせた。結構楽しめたけれど、いい加減この茶番にも飽きてきたところだ。この誘いに乗らない理由はない。
「楽しみです」
☆☆☆
「もういいんじゃないか?」
「うん。大丈夫」
お見合いとあって、侍女も護衛も少し距離を置いてついてくる。このくらい離れていれば、会話も聞こえないだろう。
「にしても、アンの令嬢モードすごかったなぁ」
「レオも、ちゃんと王子様だったよ?」
そう、やっぱりレオは今世でも王子様だったのだ。父親は前世の息子。あまりにも祖父に似ているから、先代国王であるレオナルドにあやかって、レナートと名付けられたそう。レオナルドは、前世のレオの本名だ。その話をしていた時、レオは苦虫を噛み潰したみたいな顔をしていたから、自分の孫として生まれるのは複雑なのだろう。今もその話をすると、嫌そうな顔をする。
「でも疲れるんだよね。ご令嬢って」
「見てるだけでも大変だよな」
「今日だって起きたの4時よ?いったい支度に何時間かかるんだって」
「お疲れ様」
「まぁ、ご令嬢だから、レオとお見合いできたんだけどね」
アデライト伯爵令嬢アンジェリカは、第一王子の婚約者候補に選ばれていた。この間の夜会での振る舞いが受けたらしい。真面目に勉強しておいてよかったと心底思う。あの時は、なんでダンスに誘われたのかが気になってあまり覚えていないけれど、レオのダンスに付いていくのに必死だった気もする。
「確かに」
「まぁ、誰と結婚するかはレオの自由だよ。後二人いるんでしょ?」
「…本気で言ってる?」
レオが信じられないものを見るような目でこちらを見てきた。そんなにおかしなことを言っただろうか。正直、私はレオが幸せだったらなんでもいいのだ。そりゃあ、大好きだし、前世でできなかった結婚だってしたいけど、私がレオの荷物になるのだけは嫌だ。だから国も出たのに。
「前世での結婚は現実的じゃなかったのはわかってる。でも、アンだけが辛い思いをする必要はないと思ってたよ。ずっと。君は僕に幸せになってほしいと言うけど、僕は君が幸せじゃなきゃダメなんだ」
「…」
「本当は追いかけたかった。権力でもなんでも使って連れ戻そうとした。でもその時、あの手紙を渡されたんだ」
レオは苦しそうな顔をする。やめて、そんな顔をさせたいわけじゃないのに。貴方を邪魔したくなかっただけ。
「冷静になれ、荷物になりたくない、自分で国を出てくんだ。そんなのを見たら、追いかけるなんてできないじゃないか。ただでさえ、父上と宰相に行動を制限されかけていた所だったのに」
「それが、あの時の『あたし』の望みだったから」
「僕が君に弱いのくらい知っているだろう?それがたとえ仮だったとしても、君が望めば僕は止められない。ひとりっ子だったから跡継ぎもいないし、国民は見捨てられない。僕は…国を選んだ」
当たり前の、正しいことをしただけなのに、レオはひどく申し訳なさそうだった。平民の恋人と、国民なんて天秤にかけるまでもないだろう。王族には義務がある。彼はその義務を果たしたに過ぎない。貴族になった今だからわかる。貴族や王族の豪華な生活の裏には、大きなプレッシャーと義務がある。税金で生活しているからには、国民を彼らの生活を守らなければいけない。それがわかってなかった前世でだってレオを恨んだことなんてない。むしろ安心したのだ。
「何がいけないの」
「僕は……君を選びたかった。何よりも大切だった、君を」
そこまで言って、レオは顔を上げて、こちらを向いた。さっきの罪悪感に満ちたものではなく、何かを決意したような、今まで見たこともないくらい、真面目な表情だった。
「だから、周りに止められずに君を選べるこの状況を、僕は逃すわけにはいかないんだ」
彼は跪いた。いつか、プロポーズしてくれた時と同じ体勢だ。その手には、いつの間に手折ったのか、はたまた事前に用意していたのか、スターチスの花があった。
「アンジェリカ・アデライト嬢、この世界の誰よりも、貴女を愛している。どうか、私と結婚してください」
「っ」
(綺麗…)
真っ直ぐに私を映すその紅い瞳の美しいこと。きっと今はそれどころじゃないのに、前世と変わらぬ煌めきに、思わず見惚れてしまった。
「…本当に、私でいいのですか」
声が震える。なんとか絞り出したその言葉に、彼ははっきりと言った。
「私は、貴女がいい」
もしかしたらここは夢の世界なのかもしれない。恋人のために、国を出ることを選んだアンの、叶えたかった夢の中なのかもしれない。
でも、それでもいいと思った。たとえこれが現実ではなくても、彼が私を選んでくれるなら。なんでもいい。
「喜んで、お受けいたします」
次の瞬間、私は彼の腕の中にいた。ずっと変わらない、レオの香りに包まれる。また、目の奥があつくなっていた。でも、今泣くわけにはいかない。それがたとえ、何十年越しに叶った夢の嬉し涙だったとしても。
(そうだ)
今なら、渡せる気がする。
「ねぇ」
「どうしたの?」
「これ」
私は少しレオから離れて、手紙を取り出し、彼に手渡す。宰相を通じて届けるしかできなかった、前世のラブレター。今世では、ちゃんと手で渡せた。
「後で読んで」
もう直、帰る時間だろう。後ろの侍女たちが、こちらの様子を伺っている。
「アン、」
「レオ」
何か言おうとしたレオの言葉に被せる。これだけは言わなければ。恥ずかしがって、結局伝えれらないまま終わってしまった。この言葉を。
「ずっーーーと」
一生分の、姿が変わっても抱え続けた、愛を。令嬢らしさなんてかけらもない『あたし』と『私』の二人分の告白。風に髪が煽られても気にしない。この言葉だけは、自分でも伝えたかった。
「愛してる!」
この言葉を伝えた時の彼の表情を、私は一生、もしかしたら来世でだって、忘れることはできないだろう。
☆☆☆
…でしょう?
最後に、きっと直接あったら言えないと思うからここで書きます。これは、一介の伯爵令嬢が抱くには、大それた願いだろうけど、
私は、貴方に選ばれたい。
今も、今世でも貴方が私を愛してくれるなら、その愛が続く限り、私を貴方の隣に居させてほしい。
たまに思い出してくれればいいなんて嘘。ずっと想っていて欲しかった。そんなの貴方の鎖にしかならなくて、迷惑だから書けなかったけど、もしかしたら今世でだったら叶えることができるかもしれない。
今度は、待ち合わせなんかせずに、おじいちゃんとおばあちゃんになってもお茶ができるようになりたい。守れない、一方的な約束になんてしないで、当たり前に二人で笑い合えることを願います。
今回はこのくらいで終わろうと思います。前世のラブレターはたった一枚だったけれど、これからは、何枚でも書けます。楽しみにしていてください。
じゃあ、またね、大好きだよ。
敬具
あなたを愛し続ける、アンジェリカより
アンの愛が重めになっちゃった…
ありがとうございました!