二人組
脩と十字路で別れ、聖は街の中心部から離れ家に向かって山沿いの坂を登り始める。海が見えるのが唯一の救いだと思う。この街はどこにいても、山を背にして海を眺めることができる。
聖はこの町の景色を気に入っていた。生まれたときからすぐそばにあって、見飽きるほどに毎日眺めてきた景色だけれど、いつ見ても心が落ち着く。それはたぶん、この町が好きってことなんだと聖は自分で解釈している。多少鬱陶しく思うこともあるけれど、やはりこの街はたったひとつの故郷なのだから。
そんなことを考えながら歩いていると、後ろからバスが走ってくる音がした。水を跳ねられたらたまらないと思って、慌てて聖はカバンで水よけしながら脇に寄る。一両編成の路面電車が主な交通手段となっているこの町では、バスはどの路線も一日三本くらいしか走らない。久しぶりに見かけると、なんだかご利益がありそうな気さえしてしまう。すぐ前の停留所にバスは大げさな音を立てて止まり、軋んだ音とともにドアが開いた。聖はぼんやりそれを眺めながら、坂を登っていく。
ドアから、まず一人の少年がおりてきた。見た瞬間、この町の人間じゃないとすぐにわかった。着ている洋服、髪型、身のこなし、雰囲気、何もかもが垢抜けていて、外の世界を感じさせた。
聖は思わず、食い入るように少年の横顔を見詰めてしまう。
いつも脩の隣にいるから、「美少年」と呼ばれるタイプの人間には田舎町とは言っても免疫があるつもりだったが、自分の認識の甘さに打ちのめされる気分だった。柔らかな細い栗色の髪、切れ長の鋭い瞳は濃い灰色。けむった雨の中、少年の姿だけぼうっと浮き上がって見える。すっと鼻筋が通り、薄い唇は赤くわずかに開いていて、凄んでくるような妙な色気があり、聖はその場に突っ立ったまま少年に見とれていた。
少年はそんな聖に気付く様子もなく、バスの入り口に向かってすっと手を伸ばした。美しい動作の白い手に導かれ、今度は少女がステップを降りてくる。その横顔に、また聖は目を奪われて、一歩も動けなくなってしまった。
目を見張る美人だった。少年にそっくりの栗色のショートヘア、切れ長の目、口元は少年よりも肉感的で、また違う色気を感じる。ほっそりとした肩、真っ白な陶器のような肌、わずかにしかめられた形のいい眉、その全てが今にも雨に溶けてしまいそうに儚げでありながら、同時に匂い立つ静かな白い花のように鮮やかで、目を離せない。
少女は少年の手を借りてバスからおり、困ったように鼠色の空を見上げた。バスはドアを閉め、また市街地へ向かって発車する。その際にドロが跳ねるのを察知して、咄嗟に少年が少女の前に体を入れた。少年の小柄な体に、大きくドロが跳ねる。少女が慌てて少年の髪の毛についたドロを落とそうとするが、少年は笑って首を振った。
そうしているうちにも冷たい雨が降り注ぎ、少女は寒そうに華奢な身体を震わせた。少年はいたわるように少女の体を抱き寄せ、自分の上着を脱いで彼女の肩にかけた。少女はちょっと困ったように微笑する。少年は優しく微笑んで、頷いてみせる。
なんだかぽーっとして、聖はその光景を眺めていた。それはなんだか神聖なような、微笑ましいような、目をそらしてはいけないような、ひどく惹きつけられるものだった。
少年たちが背を向けて歩き出したところで、聖はハッと我にかえる。さらさらと雨が降る中、二人の背中が寄り添うように遠ざかっていく。聖は慌ててそのあとを追った。あまり深く考えてはいなかったが、聖は自分のさしているビニール製の安い傘を二人に貸すべきだと思った。この傘を自分がさしていても自分ひとりしか守れないけれど、これを二人に貸せばあの美しい二人がしどけない雨から濡れないで守られるのだと思うと、そうせずにはいられなかったのだ。
「あのっ……!」
聖は思い切って二人を呼びとめ、横に並んだ。その瞬間、少年が素早い動作で振り返った。
「あの、これを」
これを使ってくださいと言おうとして顔を上げて、聖はそのまま言葉を失ってしまう。少年はひどく鋭い瞳で、聖をにらみつけていた。明らかな敵意。少年に寄り添うようにした少女も、聖を澄んだ瞳で強くにらんでいる。聖はこんなにはっきりした敵意を向けられたのは初めてで、どうしていいものかわからずにただ立ちすくむしかなかった。
少年はしばらく聖を切れるほど強くにらんでいたが、やがて聖から少女を守るように肩をおして、歩き出した。聖はぼんやりと、その背中を見送る。
なんだよあれと聖は呆然としながら口の中で呟く。心臓がまだドキドキしていた。あんなにらみ方をする人に、いまだかつて聖は出会ったことがない。脩ににらまれることや侑一や糸井にそうされることはたまに――脩の場合は、頻繁に――あったけれど、あんなふうに切羽詰った、痛々しいほどの鋭い視線を受けたのは初めてだった。
なんだか釈然としない気分で、聖は歩き出す。傘をたたく雨の音を聞きながら、聖は先ほどの少年と少女の顔を思い浮かべた。どう考えても、この町の人間でないことだけは確かだ。旅行者にしては季節外れだと思う。だいたいあまりに幼い二人組だった。
不思議に思いながらも、いきなりにらまれるという無礼な態度に、どちらかと言えば温厚な聖も腹を立てていた。その怒りが勝って、歩いているうちに動揺が収まってくると、今度は少しずつ頭に血がのぼるのを感じた。少し首が熱い。
なんなんだよさっきの態度は、と聖は心の中で毒づく。こっちは親切心で、傘を貸してやろうとしただけなのに。人の好意を踏みつけやがって。ぶつぶつ文句をつぶやいているうちに元から感情の起伏の少ない聖はすぐに冷静さを取り戻し、ハッと聖は侑一から買い物を言いつけられていたことを思い出した。味噌が切れそうだから買ってくるように、今朝頼まれてお金を預けられたんだった。
聖は慌ててきびすを返し、来た道を早足で戻り始める。いつも味噌を買っている商店は、店じまいが早い。下手すると明日の味噌汁はめんつゆで代用することになってしまうかもしれない。それは困ると聖は焦って歩き、例の二人組のことは頭から抜けていった。