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憂鬱

 その日の夜、侑一が階段をのぼってくる音がしたから、一瞬自分へ謝りにきたのかと思って聖は身を固くしたけれど、すぐにその足音が遠ざかっていくのを聞いて今度はがっかりと肩を落とした。たぶん侑一は三階に上がっていったのだ。


 聖は面白くない気分で読みかけの本を閉じ、今日はもう寝てしまおうと押入れの襖を開けた。ベッドを欲しいと思ったことはない。そう広くない畳敷きの部屋の中で生活するには、布団がぴったりだった。古い本棚と机の脚の角に合わせ、丁寧に布団を敷く。真白なシーツは取り換えたばかりで、清潔な石鹸の香りがふわりと立ち上る。


 それにしても自分に従兄弟がいたとは驚きだったと聖は思う。今まで親戚らしい親戚に会ったことは、あまりなかった。古くからこの街に住んでいるはずなのに、なぜか氷見の一族がこの街にちゃんと根付いている気がしない。そういえば自分は祖父母の顔すら知らないんだと聖は布団の上に座り込んで考えてみる。


 祖父母だけじゃない。両親の顔も知らない。

 なんでも父親は聖の生まれるすぐ前に、母親は生まれて2年後くらいに死んだらしい。病気だったとか事故だったとか……はっきりした話を聞いたことはなかった。そう考えてみると、なんだか自分の生い立ちが濃い霧に包まれているような妙な気分になって、落ち着かなくなる。母の写真を見せてもらったことがあるが、兄弟の誰よりも自分に似ているのは一目瞭然だった。父親の写真は見たことがない。だから聖の中では勝手に、父親は兄貴似なんだと侑一そっくりの男性を思い浮かべている。


 そんなことをぼんやり考えていたら突然襖戸をトントンとノックされた。


「うわっ、な、なんだよ!」

「なにビビってんだ? 入るぞ……あ、もしかして取り込み中?」


 侑一の声がふいに何かを勘繰るような声になって、慌てて聖は立ち上がる。


「何も取り込んでないよ! 変に気を回すなよ」


 あたふたと襖を開けようとすると、侑一はまだ何かを勘違いしているのか、あーいいよそのままでそのままでと襖を開けさせず、聖は思わず顔を赤くしてしまう。


「ああもうっ、ほんとに何もしてないのに……!」

「いいから、年頃にはよくあることだ」


 侑一の顔が見えないぶん、神妙な口調にますます頬が熱くなる。前に一度脩に借りたエロビデオを兄貴に偶然発見されてからというもの、聖は侑一に弱みを握られているような気分でいる。

 ほんとに違うんだけどと泣きそうな声を出す聖に、侑一は襖の向こうでおかしそうに笑って、そのままで話を続けた。


「さっき話した従兄弟のことなんだけど」

「……うん」

「おまえがどうしてもイヤだって言うなら、断ってもいいぞ」


 いたわるような言い方に、聖は拗ねていた自分の子供っぽさを思い知らされたような気がして、思わず俯いた。


「イヤじゃないよ」

「ほんとに?」

「ほんとに。俺は大丈夫」

「それならよかった。さっそく明後日には到着するから」

「ええっ!?」


 なんでもないような口調でさらりと言った侑一の言葉に、思わず聖は声を上げて勢いよく襖を開けた。


「なんだって!? 明後日ぇ!?」


 侑一は、あれっ、ほんとに取り込んでなかったんだとキョトンとした顔で聖の全身を見回してから、いたずらっぽく微笑んだ。


「明後日。おまえと同じ中学に、転入手続きも一応済ませてあるから」

「なんだよそれっ……今俺に『いやなら断る』って……!」

「でもイヤじゃないんだろ?」


 あっさりとそう返されて、聖は返す言葉を失う。兄貴は卑怯だと聖は唇を噛みしめた。何もかも計算ずくだったんだ、この男は。


「明後日って……いくらなんでも急すぎだよ」


 責めるように侑一をにらむと、侑一は相変わらず涼しい顔で、離れの用意はほとんど済ませてるからと言った。


「はっ? なに、なんだって?」

「だから、離れには二人が生活できるようにちゃんと用意ができてるってこと」

「ちょっと待って、それっていつから決まってたの? ギリギリまで俺に黙ってたってこと?」

「おやすみ~」

「ちょっ、コラッ、兄貴!!」


 侑一はひらひらと手を振って、階段を下りていってしまった。聖は大きくため息をついて、こめかみに指をあてる。なんだかもう、怒りを通りこしてドッと疲れていた。

 侑一にはどうもそうゆうところがあって、意識しているのかどうかはわからないけれど、ギリギリまでまわりの人間には黙ってことを進めて、何もかもがすっかり整ったあとで事後報告し、まわりの人を驚かせたり騒がせたりすることが多かった。それは絶対に悪いくせだと聖はあらためてそう思って、釈然としない気持ちで電気を消し、布団にもぐる。


 従兄弟とは言っても、一度も会ったことのない他人が二人も、家の中に突然入ってくるなんてと聖はやはり憂鬱で、蒸し暑い部屋の中なかなか寝付けそうになかった。


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